マイクロ ドージング。 LSDのサイケデリック効果はクリエイティビティを促進するか

効果はある?CBDのマイクロドージング

マイクロ ドージング

大麻にはたくさんの効果があり、楽しむのに適しているものもあれば、医療に適しているものもあります。 しかし世間でのイメージでは「ハイになって楽しむ」方のイメージが強いのではないでしょうか? お酒のように、週末仕事が終わってストレス解消したい、そんな時に使うもののイメージを持つ方が多いのではと思います。 確かにそのように使うケースは多く素晴らしい効果を感じていますが、大麻には他にもたくさんの使い道があります。 その中で最近人気を集めている使い方が マイクロドージングです。 これは微量摂取という意味で、 少しだけ効果を得たい時に有効な方法です。 効果が薄い分楽しみや医療効果は少ないかも知れませんが 日常生活がしやすくなります。 今回は大麻のうつ状態の回復とリラックス効果に注目して、マイクロドージングした様子をレポートします。 使用前の状況 使用前の状況はこんな感じでした。 肉体的にも精神的にも疲れていて何もしたくない(動画すら見たくない)• 寝っ転がってのんびりしているが面白くない• 精神的には高ぶっていて、リラックスモードへ切り替えができない こういう状態、自分は頑張りすぎた後などたまになります。 プチうつ状態です。 こうなると何もできないので、 今までは寝転んで何もせずに回復を待つしかありませんでした。 しかし!今は大麻があります!! 品種はサティバ優勢ハイブリッドのブルードリーム。 程よいヘッドハイとボディハイがお気に入りです。 今回はマイクロドーズということで 一服だけ。 自分にはこれで十分なはずです。 さてどうなるか!? レポート 1時間以内の変化 摂取してすぐに変化を感じました。 呼吸が深くなっています。 自然に深呼吸のようになりました。 それだけでもリラックスした感じがあります。 三分後、少しマッサージされたような? 体の緊張がほぐれる感覚がありました。 そしてちょっと気分が良くなりました! ポジティブで楽しい気持ちになっています。 ここまでにやったことは、吸って家に帰っただけです。 プチうつの時に数時間休まないと得られない状態に、大麻さんが3分で連れて行ってくれました笑。 早い!大麻さん、仕事が早いです笑。 五分後、 疲れがない!? 意識を集中して探してみたのですが、疲れがありません。 体全体を覆っていたアイツはどこかへ行ったようです。 ただ、感覚的には疲れを意識しにくくなると言った方が正確かも知れません。 なんというか、うっすーく漂っている感じです笑。 ここまでをまとめると、 マッサージを受けてパーッと遊んだ後のように、体も心もリフレッシュしてリラックスしている感じです。 最高かよ! 摂取後五分でここまでの効果はすごいですね。 笑ってしまいます笑。 良質な気分転換をしたようで、すっかり気分が良くなりました。 10分ほどで、身体が少しジーンとしてきました。 特に下半身、足の方が温かくて気持ち良い感じです。 ちょっとお腹も減ってきました。 今のところハイは全く強くなく、 普段に比べて効果が全体的に薄い感じです。 15分ほど経ちました。 ミュージックビデオを見ていましたが音楽も動画も楽しいです。 ただいつもよりも楽しい効果は大分弱いですね。 今回はうつ状態への対応が目的だったので問題はありません。 1時間後以降 一服して1時間後、 友達に会ってきました。 自分以外は全員シラフで、夕飯を一緒にしました。 自分の状態としては、いつもよりちょっとだけ話好きで機嫌が良い感覚です。 でもそれは少しだけで普段とあまり変わりません。 3時間後、 かなりシラフに近い感覚になりました。 普段はまだ効果を感じている時間なので抜けるのが早いです。 いつもの5時間後のシラフ感が、マイクロドージング時の3時間後ぐらいでしょうか。 三時間ほどで普段の状態に戻れるのはいいですね。 気分転換して、またタスクに戻るのにちょうど良い期間です。 そして 5時間後にはすっかりシラフになりました。 この後1時間後の寝るまで、疲れて無気力な状態には戻らず、リラックスしつつ気持ちよく過ごせました。 翌朝にはもう完全にシラフです。 全く影響を感じませんでした。 まとめ• 精神的に緊張していたがリラックスモードになった• 疲れている感覚がなくなり気分が良くなった• 効果は全体的に薄い感じ• 3時間後にはほぼシラフになった• 5時間後にはもう普段通りの感覚• シラフの感覚になっても摂取前のネガティブな感覚には戻らなかった• 翌日特に影響なし• マイクロドージング、素晴らしかったです。 煙での摂取なので効果が出るのが早く、その効果が抜群でした。 まさか、五分でプチうつ状態を無くせるとは。。 終始自分の状態をコントロールできてましたし、抜けるのも早かったです。 これなら心身ともに疲れた時に使えるなと確信しました。

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研究内容(分子イメージング研究プログラム)−研究振興支援業務室−

マイクロ ドージング

私達が使っている様々なデバイスは、日本のものではなく、今や、アメリカの物が基本になっているんだと今回メンターから学ばさせて頂きました。 スマートフォンの検索もグーグルでもあるし、Amazon、マイクロソフトも、全て外資の上でなり立っているんですね・・・ このように日本で大きなプラットフォームを持つことは不可能なのかもしれません。 松田豊さんは、 これからくる脳というインスピレーションを使って、富を生み出すということに今、TOPの支配層方が汗水働いて頑張りましょう。 などと言わないというのです。 マイクロドージングという言葉は、始めて聞きましたが、LSDという、日本では禁止のものを使って、インスピレーション状態にさせる薬なんですね・・・ 「LSDは想像力を働かせる為に、スティーブ・ジョブズも摂取していたともされています」 私は使おうとも思いませんが、外国ではそういった薬を用いて自分のビジネスに役立てることも出来るんだな。 と思いました。 メンターは日本では、 マイクロドージングの変わりになるのが、スピリチュアルなことや、自己啓発の分野だと言います そもそも今、松田豊さんのことを知らない人は、怪しいとか思うことでしょう・・・ 怪しいことに対して、自分が批判をすれば批判で返って来てしまいます。 私自身は、怪しいなどと、最初から思いませんでしたが、このような人から学びたいと思いマインドセットを学んで行く内に、この人は本物だと思うようになりました。 最初は頭が固すぎる私でも、学びたいという気持ちにより、少しは柔らかくなったのかな?とも感じています。 私も松田豊さんのようにとはいきませんが、怪しいことに飛び込める勇気がないと成功などもありえないと思います。 マイクロドージング状態みたくなる為には、引き寄せの法則関連の教材や、宇宙の法則を真剣に学ぶ必要があると確信しています。 言われてみれば、世の中は怪しいことばかりです。 なぜ人は架空の物にお金を払うのか? 例えばなんですが、なぜ人はスマホゲームなどの課金にはお金をかけれるのでしょうか? なぜ、架空のものにお金を出せるのでしょうか? それは、なんかわからないけど、好きなんだよな。 とか、辞められないんだよな・・・という気持ちが強いからだと思います。 気に入っている人がいるから、存在しているわけですものね。 ですから、スピリチュアルや、引き寄せの法則が受け付けないという人はまず、ここにも来ないと思います。 基本はやはり、学びたい人から学ぶことが頭にも入ってきやすいのではないかと感じます スピリチュアルなことや、自分を少しでも変えたいという方は、メンターのを学ぶ必要があるんだと思います。 私は自分へのチャレンジだと思って進み出しました・・・今現在も継続中です。 メンターの周波数(背中)から学ぶことと、ギターのチューニングを合わせられるようこれからも松田豊さんから学びを継続していかなければいけないし、継続出来る人は1%以下だということも大きな視野に入れて行動して行きます。 この度も拝見して頂き誠にありがとうございました。

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LSDのサイケデリック効果はクリエイティビティを促進するか

マイクロ ドージング

ジョン・レノンとビートルズ 「60年代にロンドンでLSDをやってトンでたときに、世界の真実が見えちゃったことがあったんだ。 いちばんすごかったのは、螺旋がずーっとあって。 その螺旋の上を、いろんな色の宝石みたいなのがいっぱいのぼっていくわけ。 すごくキレイだった。 で、それからしばらくして、DNAの螺旋が発見されたんだよ」 最近、マッカートニーは経験者の友人からマイクロドージングをすすめられた。 彼はマイクロドージング否定論者ではないが、「孫までいるようなトシになって、いまさらそういうのはもういい」と思ったという。 「すすめられたときは、60年代の頃のプレッシャーの感じが蘇ってきたよ」。 のなかで、彼はオクテの良い子タイプだとみられていた。 現実にも、LSDに手を出したのは4人のなかで最後だった。 「やったら最後、戻ってこれないと聞いてたし、病院送りになるのはゴメンだった。 僕はすごく現実的なタチで、それに関しては父親の影響が大きいね。 戻ってこれなかった? 「んー……。 そうだね。 でも、やる前に想像したほど悪くはなかったな。 そうだね。 「たしかにいったね。 なにごとにつけ、常に僕のほうが注意深かった。 やはり、父親の影響が大きいと思う。 でジョンはというと、母子家庭で育った。 お父さんはどっかへいっちゃっていたし、叔父さんもいなかった。 いっしょに暮らそうとしたけど、死んじゃった。 頭蓋骨にちょっと穴を開けて、プレッシャーを抜いてやる。 なるほどよさそうだ。 『オーケイ。 違うと思う。 それに、僕がノーといったら、それはほんとにノーってことだから。 そんなことがわからないジョンではなかったし、だから僕としても、『この大馬鹿野郎!! 「覚えてない。 でも『サージェント・ペパーズ』のとき、ジャケットにキリストとヒトラーを出そうとしたのは覚えてる。 結局、笑い話で終わったけど。 たしかにヒトラーも有名人ではあるけど、ヒーローではない。 ジョンのヒーローといったらそれはだったから、ヒトラーの件はやっぱりたんなる悪ふざけの提案だったと思う。 そういうことをするやつだから」 でもそうかと思うと、ビートルズ結成前の、衝撃的なまでにヴィヴィッドで生気あふれる話が聞けたりもした。 「あのときは、ジョンの家にいたんだ。 僕らだけで。 酒飲んでパーティとかではなくて、1人ずつ椅子に座っていた。 電灯を消して、誰かがマスターベーションを始めた。 続いて、他の全員も」。 いたのは5人ぐらい。 マッカートニーとレノンと、レノンの友人が3人とか。 各々が任務遂行に励むなか、誰かが叫んだ。 「『ブリジット・バルドー!』『ウォー!』とか、そんなの」とマッカートニー。 「想像をたくましくして、全員さらに励んだわけ」。 そのとき、別の1人がムードを台無しにしてやろうと企んだ。 それが誰かは、ご想像のとおり。 「ジョンが、『ウィンストン・チャーチル!』とかって(笑)」 カニエ・ウェストとの楽曲制作と今 2014年のこと、2008年に知り合ったからメッセージが来た。 いっしょに曲作りをやりませんかと誘われてマッカートニーはイエスと答えた。 のビバリー・ヒルズ・ホテルの裏手にあるバンガローで2回か3回にわたっておこなわれた曲作りのセッションは、マッカートニー的には少々困惑ものだった。 長々としたトークの合間に思いだしたように彼はアコースティック・ギターやピアノを弾き、それをエンジニアが録音していた。 カニエ自身もiPhoneで。 「僕がよく知ってる曲作りとは、だいぶ様子が違ったね。 ちゃんと演奏するとき用にベースをもっていったけど、使わなかったし」 それがカニエ流だった。 件のセッションで彼らは曲そのものを作ってはいなかった。 そうではなく、「素材のストック」を作っていたのだ。 「まさか、ケンドリック・ラマーといっしょにやってるとは思わなかった! 実に名誉なことだよ」とマッカートニー。 「ケンドリックや他の18人がどこをやってるかはわからないけど、いまはそういう作りかたなんだ。 いいじゃない」 ブラーやゴリラズで有名な英国人アーティストのデイモン・アルバーンいわく、このコラボは「才能の無駄遣い」。 彼自身も巻き込まれそうになり、マッカートニーに「ご注意を」とメールを送ったという。 「デイモンがリスペクトしてくれてるのは嬉しいけど、僕は別に迷惑とか失礼だとか思ってはいないんだ。 いきたければどこへでも、誰かに止められたって出かける。 それでおもしろかったらいい。 カニエが僕を使ってあげたんだなって思う人がいっぱいいるだろうけど、そのとおり」 ウィングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』の録音をナイジェリアでやっていたとき、ポールと、当時の妻のリンダは道に迷った。 地元の人のアドバイスを無視して暗いなかを徒歩でホテルへ戻ろうとしたからだった。 途方にくれていたら、フェラ・クティ(ナイジェリア出身のミュージシャン)のバンドの演奏が聴こえてきた。 眠気を誘うようなピアノのリフ。 気がついたら、ポールは泣いていた。 「あの曲は一生忘れないよ。 まだリフを覚えてる」。 コンサートを終えたリヴァプールのキャヴァーン・クラブの上の階の楽屋で彼はそういった。 その宣言どおりにというべきか、部屋の一角に置いてある電気ピアノのところへいき、電源を入れた。 そして45年前に聴いて涙した曲のピアノのリフを再現してみせた。 ポール・マッカートニーが弾くようなものとはとても思えないフレーズを、ぴったり正確に。 ポール・マッカートニーの表向きの顔は、どこにでもいる普通の人のそれだ。 ただのはったりかもしれないし、また一面の真実かもしれないが。 だが今回、何度も会ってともに時間をすごすなかで、ほかにもいろんな顔がチラ見えした。 もっとずっとヘンだったり、脆かったり、うぬぼれ屋だったり、カタブツだったり、つましかったり、オタクだったり、エキセントリックだったり、楽しくやれる感じだったり。 それがわかったのが今回の収穫のひとつ。 なぜなら、いろんな顔のどれひとつとして、彼の成分として不必要だったり無関係だったりはしないだろうから。 のちに曲がリリースされた時点でウェストがコメントしたところによると、このときのセッションで彼はマッカートニーに「60年代の性交渉(pussy)はどんな感じだった?」と質問したという。 マッカートーニーは喜んで答えたようだが、今回その件についてたずねたところ、公式コメント的に「そんなこときかれたの、記憶にないね」。 マッカートニーによると、彼はウェストとはちょくちょく連絡をとりあう仲だという。 「たまに電話をかけて話すときもあるけど、でも主にメールだね」 13. マッカートニーのこの発言は謙遜しまくりのように思えるかもしれないが、実はそうでもない。 たとえばの話、マッカートニーとのセッションでの素材が使われたウェストの曲のひとつ「フォー・ファイヴ・セカンズ」のスポティファイでの再生回数は、マッカートニー自身の曲のどれと比べても10倍以上多い。 あるいは、のどの曲よりも2倍以上。 かつてのキャヴァーンは1973年、リヴァプールの鉄道工事の関係で埋め立てられてしまった。 のちに掘り起こされたがオリジナルのアーチ構造は喪失していたため、同じ地下エリア内に新たにイチから建造された。 Paul McCartney ポール・マッカートニー ミュージシャン英国出身、1942年生まれ。 バンド内では主にベースを担当しているが、ビートルズではボーカルも担当していたし、いくつかの楽曲ではリードギターも担当。 ドラム演奏を披露した楽曲も発表している。 1997年に英国のナイトの爵位を授与され、1999年にはロックの殿堂入りを果たしている。 文・クリス・ヒース 1969年、英国出身。 80年代から90年代にかけて、英国の音楽雑誌『Smash Hits』にて寄稿。 数多くのミュージシャンをインタビューしていて、なかでもペット・ショップ・ボーイズとは関係が深く、80年代後半に同行した初めてのワールドツアーについて書籍を刊行した。 ALL RIGHTS RESERVED. gqjapan. gqjapan. jp","requestIp":"193. 195. socialNetworks. socialNetworks. socialNetworks. socialNetworks. socialNetworks. gqjapan. analytics. analytics. analytics. relatedSites. relatedSites. relatedSites. relatedSites. sharingLinks. sharingLinks. sharingLinks. gqmagazine. socialNetworks. socialNetworks. facebook. socialNetworks. socialNetworks. instagram. socialNetworks. youtube. analytics. analytics. analytics. analytics. analytics. analytics. analytics. analytics. analytics. gqjapan. 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「覚えてない。 でも『サージェント・ペパーズ』のとき、ジャケットにキリストとヒトラーを出そうとしたのは覚えてる。 結局、笑い話で終わったけど。 たしかにヒトラーも有名人ではあるけど、ヒーローではない。 ジョンのヒーローといったらそれはウィンストン・チャーチルだったから、ヒトラーの件はやっぱりたんなる悪ふざけの提案だったと思う。 そういうことをするやつだから」いつものインタビューとは違ったカタチでポールに自身の過去を振り返ってもらうという狙いのとおりになったこともあったし、ならなかったこともあった。 場合によっては、その場で話題にもなっていない件に彼が怒りの反撃を試みてきたりもした。 「ビートルズが崩壊したとき悲しかったのは、ビジネスのことを考えたら僕がビートルズに対して訴訟を起こすしかなかったことだね。 そして結局僕が悪者になった。 ジョンがビートルズよりもヨーコをとって去っていったから解散になったのに。 まわりからさんざん悪者扱いされたから、当の僕自身、ことによるとほんとにそうなのかもと思いかけたよ。 訴訟の件で最悪だったのはそれ」でもそうかと思うと、ビートルズ結成前の、衝撃的なまでにヴィヴィッドで生気あふれる話が聞けたりもした。 「あのときは、ジョンの家にいたんだ。 僕らだけで。 酒飲んでパーティとかではなくて、1人ずつ椅子に座っていた。 電灯を消して、誰かがマスターベーションを始めた。 続いて、他の全員も」。 いたのは5人ぐらい。 マッカートニーとレノンと、レノンの友人が3人とか。 各々が任務遂行に励むなか、誰かが叫んだ。 「『ブリジット・バルドー!』『ウォー!』とか、そんなの」とマッカートニー。 「想像をたくましくして、全員さらに励んだわけ」。 そのとき、別の1人がムードを台無しにしてやろうと企んだ。 それが誰かは、ご想像のとおり。 あるいは2回きりとか。 いまにして思えばバカなことをやったものだけど、でも罪のない遊びだよね。 少なくとも、誰をも傷つけなかったし。 いっしょに曲作りをやりませんかと誘われてマッカートニーはイエスと答えた。 のビバリー・ヒルズ・ホテルの裏手にあるバンガローで2回か3回にわたっておこなわれた曲作りのセッションは、マッカートニー的には少々困惑ものだった。 長々としたトークの合間に思いだしたように彼はアコースティック・ギターやピアノを弾き、それをエンジニアが録音していた。 カニエ自身もiPhoneで。 「僕がよく知ってる曲作りとは、だいぶ様子が違ったね。 ちゃんと演奏するとき用にベースをもっていったけど、使わなかったし」それがカニエ流だった。 件のセッションで彼らは曲そのものを作ってはいなかった。 そうではなく、「素材のストック」を作っていたのだ。 「まさか、ケンドリック・ラマーといっしょにやってるとは思わなかった! 実に名誉なことだよ」とマッカートニー。 「ケンドリックや他の18人がどこをやってるかはわからないけど、いまはそういう作りかたなんだ。 いいじゃない」ブラーやゴリラズで有名な英国人アーティストのデイモン・アルバーンいわく、このコラボは「才能の無駄遣い」。 彼自身も巻き込まれそうになり、マッカートニーに「ご注意を」とメールを送ったという。 「デイモンがリスペクトしてくれてるのは嬉しいけど、僕は別に迷惑とか失礼だとか思ってはいないんだ。 いきたければどこへでも、誰かに止められたって出かける。 それでおもしろかったらいい。 カニエが僕を使ってあげたんだなって思う人がいっぱいいるだろうけど、そのとおり」ウィングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』の録音をナイジェリアでやっていたとき、ポールと、当時の妻のリンダは道に迷った。 地元の人のアドバイスを無視して暗いなかを徒歩でホテルへ戻ろうとしたからだった。 途方にくれていたら、フェラ・クティ(ナイジェリア出身のミュージシャン)のバンドの演奏が聴こえてきた。 眠気を誘うようなピアノのリフ。 気がついたら、ポールは泣いていた。 「あの曲は一生忘れないよ。 まだリフを覚えてる」。 コンサートを終えたリヴァプールのキャヴァーン・クラブの上の階の楽屋で彼はそういった。 その宣言どおりにというべきか、部屋の一角に置いてある電気ピアノのところへいき、電源を入れた。 そして45年前に聴いて涙した曲のピアノのリフを再現してみせた。 ポール・マッカートニーが弾くようなものとはとても思えないフレーズを、ぴったり正確に。 ポール・マッカートニーの表向きの顔は、どこにでもいる普通の人のそれだ。 ただのはったりかもしれないし、また一面の真実かもしれないが。 だが今回、何度も会ってともに時間をすごすなかで、ほかにもいろんな顔がチラ見えした。 もっとずっとヘンだったり、脆かったり、うぬぼれ屋だったり、カタブツだったり、つましかったり、オタクだったり、エキセントリックだったり、楽しくやれる感じだったり。 それがわかったのが今回の収穫のひとつ。 なぜなら、いろんな顔のどれひとつとして、彼の成分として不必要だったり無関係だったりはしないだろうから。 インタビューのどアタマでもそれっぽいことはいっていたが、当初彼はとくに大きな夢などもっていなかった。 キャヴァーン・クラブのようなところで毎晩毎晩毎晩演奏して将来の栄光を築き上げようとか、そんなことは。 その後に起きたことは、だから本人をふくめて誰にとっても、まさかの事態だった。 「ちょっと小遣い稼ぎをしてクルマでも買って、女の子たちとつきあって……ぐらいだったんだ」と彼はいう。 「でもそれが、こんなことになっちゃった。  のちに曲がリリースされた時点でウェストがコメントしたところによると、このときのセッションで彼はマッカートニーに「60年代の性交渉(pussy)はどんな感じだった?」と質問したという。 マッカートーニーは喜んで答えたようだが、今回その件についてたずねたところ、公式コメント的に「そんなこときかれたの、記憶にないね」。 12.  マッカートニーによると、彼はウェストとはちょくちょく連絡をとりあう仲だという。 「たまに電話をかけて話すときもあるけど、でも主にメールだね」13.  マッカートニーのこの発言は謙遜しまくりのように思えるかもしれないが、実はそうでもない。 たとえばの話、マッカートニーとのセッションでの素材が使われたウェストの曲のひとつ「フォー・ファイヴ・セカンズ」のスポティファイでの再生回数は、マッカートニー自身の曲のどれと比べても10倍以上多い。 あるいは、ビートルズのどの曲よりも2倍以上。 14.  かつてのキャヴァーンは1973年、リヴァプールの鉄道工事の関係で埋め立てられてしまった。 のちに掘り起こされたがオリジナルのアーチ構造は喪失していたため、同じ地下エリア内に新たにイチから建造された。 バンド内では主にベースを担当しているが、ビートルズではボーカルも担当していたし、いくつかの楽曲ではリードギターも担当。 ドラム演奏を披露した楽曲も発表している。 1997年に英国のナイトの爵位を授与され、1999年にはロックの殿堂入りを果たしている。 80年代から90年代にかけて、英国の音楽雑誌『Smash Hits』にて寄稿。 数多くのミュージシャンをインタビューしていて、なかでもペット・ショップ・ボーイズとは関係が深く、80年代後半に同行した初めてのワールドツアーについて書籍を刊行した。 美術家。 School of Visual Artsでジャーナリズムを学んだあと、80年代から90年代には芸術評論家として活動。 作品を通して歴史、国籍、戦争など、さまざまなテーマを探求し、近年はとくにアイデンティティとジェンダーに重点を置いている。 EDITOR'S NOTE言わずとしれたビートルズの一員で、とうに成熟しきった大人の彼はゆっくりと余生を過ごしてもいい年齢になったにもかかわらず、今までと変わらず音楽をつくり続けている。 今も変わらぬパワーの源を紐解く、英版『GQ』による独占インタビュー記事です。 gqjapan. gqjapan. gqjapan. gqjapan. gqjapan. gqjapan. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. aspectRatios. 英版『GQ』が、新たなポールのいち面を発掘するインタビューをおこなった、後編をお届けする。 gqjapan.

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