君がいない日々生活毎日。 「君がいない日々生活毎日は」おさるのうたの歌詞と声がカップル写真にマッチしててエモい

「君がいない日々生活毎日は」おさるのうたの歌詞と声がカップル写真にマッチしててエモい

君がいない日々生活毎日

生産者と消費者という区別 主人公のコペル君は中学生なので、生産活動はせずにひたすら消費する側として生活しています。 一方、コペル君の友人の浦川君は、家の貧しい豆腐商店を手伝って油揚げを作っています。 生み出してくれる人がいなかったら、それを味わったり、楽しんだりして消費することはできやしない。 生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれるのだ。 これは、何も、食物とか衣服とかという品物ばかりのことではない。 学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、それを受け取る人々より、はるかに肝心なんだ。 一方で、同級生の浦川君は、中学生ながら、油揚げを作って売るという生産者の顔を持っています。 「生産者と消費者という区別を見落としてはいけない、だから、いくら油の匂いがして貧乏だからと言って浦川君をバカにしてはいけない」と、コペル君のおじさんは諭します。 ものを生み出す人と消費する人 会社員の人に「あなたは、ものを生み出す人か?」と問うたら、なかなか「イエス!」と答えるのは難しいと思います。 もちろん、会社で働いて給料をもらっているので、なんらかのモノを生み出しているはずだ、と考えるでしょう。 労働は、モノやサービスを世の中に売ることにより価値を生み出しています。 その価値がお金に変わるから給料が支払われるわけです。 そのような関係から「会社で働いていること自体が、ものを生み出す側である」と考えるかもしれません。 入ってくるお金と出て行くお金で考えたら、ものを生み出す活動と消費する活動は半々だ、という理屈になりますね。 ただ、あなた個人が、「会社でどんなモノを生み出しているのか」と問われると、すぐに返答することは難しいと思います。 それは、日々の会社生活の中で、自分が生み出している価値について意識することがないからです。 あるワークショップで、「あなたはモノを生み出す人か?それとも、モノを消費する人か?」という質問に対して、ほとんどの人が「消費する人」として手をあげました。 商売人として生活している人は、「モノを生み出している」と自覚している人が多いのですがが、会社などの組織に属して働いている人にとっては、「私たちは消費者である」という意識が強いようです。 では、本当に会社員は生産者ではなく消費者なのでしょうか。 モノを売る現場から遠いと生産者としての実感がわかない 会社は最終的には必ずモノやサービスをお金に変えています。 しかし、その換金の現場にはほとんど立ち会えないのが会社員ではないでしょうか。 例えば、会社で人事の仕事をしている人は、なかなか商売の世界にいるという実感はないと思います。 逆に、自分が稼いだ給料をモノやサービスに交換する現場にはよく立ち会うことので、消費者という意識なのでしょう。 そして、最近は、自分の仕事は大変だと思う人は多いけれども、やりがいを持っていると感じている人は少ないと言います。 会社員の人が、自分の仕事に対して、やりがいを持つことができないのは、モノやサービスを売る現場から遠くてお客さんのイメージができないからです。 生産者と消費者の接点に近いところにいないと、モノやサービスを介して、人間の感情に触れることができません。 そのモノやサービスが、自分の才能や得意なこととは関係ないところで生み出されていることも、やりがいを実感しづらい構造になっているのかもしれません。 「 」でも、このような記述があります。 人間である以上、誰だって自分の才能をのばし、その才能に応じて働いてゆけるのが本当なのに、そうでない場合があるから、人間はそれを苦しいと感じ、やりきれなく思うのだ これからはみんなが価値を生み出す側に グーグル創業者でCEOのラリー・ペイジがこう言っています。 20年後、あなたが望もうが、望むまいが今の仕事のほとんどがロボットによって代行される これは、ラリー・ペイジの予言というものではありません。 検索エンジンなどのサービスを元に得た莫大なお金を、人工知能やロボットなどにどんどん投資していって、ほとんどの仕事を機械に置き換えていく、と明言しているのです。 これは、今やっている仕事がなくなってしまうかもしれない、ということからは脅威ですが、きつい労働から解放されるという点では希望です。 そして、人間が価値を生み出していくためのツールや環境が豊富になってくる時代が、さらに加速していくと思います。 現在では、ブログやSNSで個人が情報発信していくのは当たり前の時代になりましたし、一昔前までは、動画配信はテレビ局しかできないものでした。 こうしたことがテクノロジーの進展で誰でもできるようになったわけです。 それも、驚くほどの安さで。 個人がモノやサービスを生み出していくためのツールや環境はどんどん充実していっているのです。 そうしたなかで、これからは誰もが「 価値を生み出していく」という視点を持たないと、豊かに生きていくことが難しい時代になっていくかもしれません。 実は、昭和12年に出版された「君たちはどう生きるか」の中でも、おじさんがコペル君に究極の問いを投げかけています。 君は、毎日の生活に必要な品物ということから考えると、たしかに消費ばかりしていて、なに一つ生産していない。 しかし、自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ。 本の中でも答えは出ていないので、読者にとっても、質問を投げかけられている感じです。 果たして、あなたが日々生み出しているものって、なんでしょうか。 さいごに 自分が日々生み出しているものって、なんだろう、という問いには、私も答えを見つけられていません。 ただ、言い古された言葉かもれませんが、「 一人ひとりみんな違うということは特別な価値があなたにある」ということは確かです。 その特別な価値を見つけ出すことができれば、あとは全自動なのに・・・と思います。 ひとりひとりに宿っている特別な価値。 それが発見されずに一生を終えてしまう人がなんと多いことかというのは、とても残念でやりきれない思いです。 どうして、芸術家とかアスリートなどの一部を除いて、自分ではなかなか見つけられないような仕様になっているのだろうと考えてしまいます。 「 価値を生み出す人になる」というのは、これからの時代を生きる全ての人の課題になってくると思います。

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笑えない日々、笑える毎日 コンテンポラリーな生活 歌詞情報

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無題 定年後の読書ノートから 君たちはどう生きるか、吉野源三郎著、岩波文庫、1982年 この本を始めて読んだのは、確か中学2年生、名古屋市立天神山中学校の学校図書館にあった日本少国民文庫だった様に思う。 タイタニック号で遭難し海に投げ出されながら最後まで歌を忘れなかった或日本人のオハナシと1冊になっていたように思う。 巻末にある丸山真男氏の「君たちはどう生きるか」の回想も始めて読んで、この本の主張を丸山氏は実に深く読み込んでおられると敬服した。 しかし丸山氏の回想は所詮大人の読み方であり、何もかも知った大人の読み方であることは、同時にこの本が大人も読むべき本であるとも今回再認識した。 同じ印象を持つ本に「星の王子さま」がある。 2つの本は、いずれもファッシズムに耐えながら人間如何に生くべきかを思索する知識人の魂の叫びを謳いあげた名著であるが残念ながらこうした本を現在一生懸命になって読まれる大人の人は非常に少ない。 しかしこのように綿密に読み直された丸山真男氏もひとつだけ見落としておられるのか、触れられていない箇所がある。 [第4章、貧しき友]の最後に「おじさん」は、世の中にものを生み出す人の側の存在を知ったコペル君に対して、ひとつの質問を残しておられる。 「 君は、毎日の生活に必要な品物ということから考えると、たしかに消費ばかりしていて、何一つ生産していない。 しかし 自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ。 それは、いったい、なんだろう。 …・・・・・・・お互いに人間であるからには、誰でも、一生のうちに必ずこの答えを見つけなくてはならないと、僕は考える。 とにかく、この質問を心に刻みつけておいて、ときどき思い出して、良く考えてみたまえ。 ・・ ・・・・・」この本の中で幾つかの伏線をはって読者に知的緊張感を持続させる著者吉野源三郎氏も、この質問を本書で再度繰り返してこの答えに近づこうとはしておられない。 この質問は故意に忘れられたのだろうか。 どうしてだろう。 実は丸山真男氏が吉野源三郎氏が亡くなられ弔辞を書き上げる過程で、涙を流しながら「君たちはどう生きるか」を再読し回想を書かれた時にもこの質問とこの答えについては触れられていない。 コペル君が気づかないうちに、毎日生み出しているものとはなんだろう。 「 決して人に聞いてはいけないよ 」と、「おじさん」は、念をおしている。 コペル君が受けた質問の答えは何だろう。 私はこの質問こそ本書のテーマだと思う。 吉野源三郎氏は問う。 「君たちはどう生きるか」。 西川尚武はこう思っています。 今こうして生きている自分達こそ、人類の長い歴史の最先端に立って、素晴らしき者、人間を生きている。 自分の一生は時間的には限界がある。 しかし誰もが自分の一生は、長い生命の灯の最先端に立つ貴重な一人であり、生きるということは、生命誕生から現在まで、無限な時間のバトンタッチで受け継がれてきた生命の灯を受け渡していく、素晴らしい時間の舞踏会の主人公なのだ。 君は隣につながる人類仲間の歴然たる一人であり、生きて明日を創り上げていく貴重な1人なのだ。 これこそ「おじさん」が、コペル君に自分自身で気づいて欲しかった謎であると思う。 では何故吉野源三郎氏はこの答えを読者に質問のまま残されたのだろうか。 われわれは、抽象的な、深遠な思索を誰もが正確に理解出来る文章にすることは極めて難しい。 しかし、文章には出来ないが心では比較的正確に通じあえる。 そしてまた、こうした難解な哲学的命題を本当に意味あるものにするには、読者に心で感じて貰う外ないと吉野氏は考えられたに違いない。 文には書けない世界を心で読み取っていく、この努力こそ本の価値をさらに高めていく読書態度でもあるのではなかろうか。

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セイカツ 歌詞「おさるのうた」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

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曲名:セイカツ 歌:おさるのうた おさるのうたさんのYOUTUBEに動画が上がっていました。 TikTokで流行っていた曲のフルバージョンで「セイカツ」というタイトルの曲でした。 声がすっっごいいいですね。 ハスキーで揺れがあってちょっと不安定な感じもすごくいいなと思いました。 TikTokでカップルの日常の動画に使われててとてもエモい 1y3m。 もうすぐ卒業。 友達としても恋人としてもずっと一緒にいたから、これから毎日会わなくなると思うと寂しいです。 一枚だけ付き合ってない時の写真があります。 こちらの動画にたくさんのいいねがついています。 写真のぼかしなどがプロっぽいものすっごいいいですね。 日常が想像できるような、セイカツが切り取られたかのような写真に、おさるのうたさんの声と歌がぴったり合っていて、映画エンディングのようです。 TikTokの動画のコメント欄では、「なんだこのエモいカップル」「エモすぎて映画始まるかと思いました」「1枚1枚映画のワンシーンみたいで素敵」など動画を絶賛するコメントがたくさんありました。 とにかく写真が素敵すぎる!ということでスマホなのかちゃんとしたカメラなのか?と思い、投稿者さんのインスタへ飛んでみました。 おさるのうたさんの「セイカツ」の歌詞 おさるのうたさんの「セイカツ」の歌詞はYOUTUBE動画の概要欄に貼ってありました。 「セイカツ」 君がいない日々、生活、毎日は 僕は超えられそうにないから 何をするにも途切れ途切れ そんな生活の中で巡り会えた 行くたび立ち止まり行き止まり そんな事もなんか愛おしくて 交差する感情進む時間 孤独に潰されそうな日は多く 何を選びどこに進もう 募る期待と不安な僕 それでもどうか 食らいついて 君がいない日々生活毎日は 僕は超えられそうにないから きっといつかの日を思い後悔して また嫌になってしまうから 当たり前は偶然の連鎖で 毎日は生まれ変わりつつあって 何を見出しどこに行こう まだ幼い僕らだから それでもどうか 縋り付いて 君がいない日々生活毎日は 僕は進めそうにないから きっといつかの日を悔み俯いて またダメになってしまうから 君のいない日々生活毎日は 僕は超えられそうにないから きっといつかの日を思い後悔して また嫌にになってしまうから 君がいない日々生活毎日は 僕は進めそうにないから きっといつかの日を悔み俯いて またダメになってしまうから どうか素晴らしい日に.

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