窺われる 類語。 姿勢が「窺われる」?「伺うわれる」?「覗われる」?

姿勢が「窺われる」?「伺うわれる」?「覗われる」?

窺われる 類語

「わたくしども」と読みます。 「わたくし」をへりくだって言う語。 つまり謙譲語です。 「自分の家」「自分の会社」の意味でも使います。 例文としては「私どもでは取り扱っておりません」などがあげられます。 自分、または自分の家族、集団などをへりくだっていう語。 手前どもとも言います。 「わたくしたち」よりも古風な言い方。 例文としては「私どもは、皆、元気にしております。 」などがあります。 「私ども」は「私たち」の謙譲表現です。 「私ども」はお客様に対して自分の家族や会社を指す敬語でビジネス向きの表現にふさわしいでしょう。 「私ども」の敬語での使い方 意外と覚えづらい敬語。 尊敬語、謙譲語、丁寧語の基本をまとめてみました。 敬語の種類 尊敬語 目上の人に使います。 相手を立てて敬意を表すときに使う敬語です。 基本形は「~なさる、~される」ですが、以下のような動詞には特別な言い方が使われます。 たくさんありますが、以下のような動詞、名詞はよく使うので覚えておきたい敬語表現です。 ・言う「おっしゃる」「言われる」 ・行く「いらっしゃる」「おいでになる」 ・来る「いらっしゃる」「おいでになる」「お見えになる」「お越しになる」 ・知る「お知りになる」「ご存知だ」 ・見る「ご覧になる」 ・敬意を表す会社に対する敬語は「貴社」「御社」が使われます。 謙譲語 謙譲語は、自分はへりくだることで相手を立てる敬語表現になります。 行為の対象は自分です。 基本形は「~させていただく、~いたす」ですが、以下のような言葉は特別な言い方があります。 他にもたくさんありますが、よく使われるものをまとめたので、憶えておきましょう。 ・言う「申す」「申し上げる」 ・行く「うかがう」 ・来る「参る」 ・知る「存じる」「承知する」 ・見る「拝見する」 ・敬意を表す会派に対し自らの会社をへりくだって言う時は「弊社」という敬語が使われます。 ・敬意を表す人に対し、自らがへりくだっていう時は「わたくし」「私ども」「当方」「手前ども」などの敬語が用いられます。 丁寧語 言葉そのものを丁寧な言葉遣いで表す敬語全般を指します。 「~です」「~ます」「~ございます」などがあげられます。 「私ども」の使い方 「私ども」の使い方としては「これは私どもの開発した商品です。 」「これは私どものミスです。 申し訳ございません。 」という風になります。 使用する時は、「私ども」は単数形でも複数形でも使うことができます。 辞書的には間違いではないのですが、「ども」に複数形を表す接尾語がついているので、いつのまにか「私たちの」という意味を連想することが増えてしまった敬語です。 自分ひとりでの意味で使うと、誤解を招きやすい敬語なので、使用の際はよく考えるようにしましょう。 メールでの使い方 公用であれば、一般的に「私(わたくし)」を使っても構いません。 かなりへりくだって言いたいと時は「手前ども」という敬語もありますが、現在は少なくなってきています。 ビジネスメールではなく、ある程度親しい関係の人とのやり取りであれば、近況報告程度のメールであれば、「私たちは元気にしています」などで十分です。 「せっかくのお食事のお誘いですが、私たちは自宅で食事をとります」という内容を「私どもは帰ってから食事をとります」としてしまうと、失礼ではないですが、他人行儀な違和感を感じさせてしまいます。 後に記載した「ビジネス」での使い方とは、また違ってくるのでTPOに合わせた使い方を心がけましょう。 ビジネスでの使い方 会社の意向を窺わせるニュアンスを含ませたいときは、「私ども」「弊社」などの敬語を使います。 具体的には客先に対して謝罪する、自社の新商品を紹介するなどのシュチュエーションが考えられます。 「このたびは、私どものミスでご迷惑をかけ申し訳ありませんでした。 ぜひお試しください。 」といった使い方をします。 「手前ども」は、あまり使われなくなってきているので、「私ども」の代わりに「弊社」を使ってもよいでしょう。 「当方」は個人の一人称と勘違いしている人が多い傾向にありますが、正しくは自分が属している部署やグループの方という意味です。 社内で正式な交渉が始まった場合は、部署の一員としてビジネスメールに表記するのは誤用となります。 「弊社」を使うようにしましょう 「私ども」を敬語表現するときの例文 「私ども」の別の敬語表現は、複数存在します。 中でもよく目にする「われわれ」「私たち(わたくしたち)」「当方」「弊社」などの、意味や使用するのに適した場面を調べてみました。 われわれ 「私たち」より改まった言い方で、自己主張が強めの印象を与えます。 「われわれ」は、「強く固い自己主張」と言えるので、ビジネスの場面で使うと、尊大な感じに受け取られてしまう恐れがあります。 逆に言うと、強く会社の立場を主張するべき場面、例えば相手に強く抗議するときなどは「われわれ」が適しているといえます。 私たち 「私たち(わたくしたち)」は主に会話でも、ビジネスの場でも、オールマイティーに使うことができます。 少しラフな会話やメールのやりとりでは、こちらを使用する方が自然です。 また女性が使うことが多い印象があります。 「私ども」は「野郎ども」という言葉があるように男性的なイメージが強いです。 特に「ども」という接尾語には、男性的なイメージが強く、女性は「私たち」を使う傾向があるでしょう。 しかし男性と対等に働く女性が増えてきた昨今は、ビジネスも現場で「私ども」を使う女性も決して珍しくありません。 当方 「当方」の意味は「自分が属している方」という意味です。 会社を指す場合は「弊社」「当社」などの敬語を使うのが一般的です。 ビジネスシーンで使うことは少ない言葉です。 当方が使われる例をあげると、何か問い合わせがあった場合に、自分の属している誰がその案件を対応するか特定できない場合に「当方よりメールにてお返事いたします」というふうに使います。 また、問い合わせ内容が自分の会社以外も対象になるときは「弊社」とはいえないので「ただいま当方にて調査しております」という使い方をします。 オークション出品者が使うことも多いですが、会社組織でない団体、または個人が取引の際に使うという意味では、誤用ではありません。 「私ども」は万能 「私たち」を指す敬語や言い方は多数あります。 たくさんあって適切な敬語がよく分からなくなってしまった時は「私ども」を使って、失礼にあたることは少ないでしょう。 個人の場合は「私」が無難です。 ビジネスシーンにおいても、年配の方や恩師に対しても、敬意を払った言い方の敬語として成立します。 われわれは、強気の交渉事に出たいときには使えますが、一般的には尊大な印象を与えます。 手前どもは会社のカラーにもよっては問題ありませんが、古く、へりくだりすぎの印象もあります。 当方は「自分の属している方」という意味なので、下手な使い方をすると相手に混乱を与えてしまったり恥をかくことになります。 落ち着いて文章を作る余裕がある時は、ビジネスでは「弊社」を使ったり、弊社で収まらない事柄に関しては「当方」、関係性の近さや性別によっては「私(わたくし)たち」の方が的確なこともあるので、使い分けていきたいところです。

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【伺う】 と 【 窺う】 と 【覗う】 はどう違いますか?

窺われる 類語

単語が「ABC順」や「あいうえお順」に並んでいるのは「そうでないと引けないから」で、それ以外の必然性はない。 では、それ以外にどんな並べ方(分類の仕方)があるか?というのは古今東西の多くの人にとって興味深いテーマだった。 「人間、動物、植物、鉱物…」という生物学的分類は「ABC」や「あいうえお」よりは何らかの必然性やつながりがあるが、そこに深い思想は見られない。 残念なことに、多くの我が国のシソーラスは、この段階にとどまっており、また、英米のシソーラスは、せっかく1852年にPeter Mark Rogetが打ち出してくれた哲学的分類をほとんど無視している(もちろん、オリジナルの分類法が完璧だと主張したい訳ではないが、そこには学ぶべきものがたくさん含まれている)。 確かに「便利な言い方はないか?」という実用的態度でシソーラスを使う場合、こんなことは問題にならない。 しかし、シソーラスを眺め回し、そこからインスピレーションを得ようとする哲学的態度で臨むなら、大規模で便利なだけのシソーラスはもの足りないということになってしまう。 そういう意味で、本書は「大規模で便利だが内容は普通」という評価になってしまう。 民主主義の世の中は「見えにくいこと」より「見えやすいこと」によって影響される。 「このシソーラスには何万語載っているか」とか「こんな変わった言い方まで載っている」というのが「見えやすいこと」だ。 「見えにくいこと」とは「載っている単語と単語のつながり」や「概念(範疇)どうしのつながり」である。 シソーラスからインスピレーションを得ようとする場合、後者の「見えにくいこと」の方がずっと重要である。 以下のシソーラスの元祖まで遡ると、このことの重要性が見えて来る: Peter Mark Rogetの分類哲学にまで遡り、本当の意味で「面白いシソーラス」を誰か出してくれることを心待ちにしている。 電話帳みたいなシソーラスばかりじゃ面白くない。 「どうせ、みんな索引から単語を引くんだから」という態度もやはり面白くない。 野口悠紀夫の迷著『「超」勉強法』で、私は初めてこの世に「シソーラス」なるたいそう便利なものがあることを知った。 「英英辞典」「日日辞典」「類語検索辞典」「言い換え表現捜し辞典」である。 さっそく神田の高原書店でペーパーバックの「英英辞典」を買い、よその店、おそらく三省堂だったと思うが、そこで、野口氏の薦めていた日本語版シソーラスであり、辞典のかたちをしていない講談社学術文庫の『類語の辞典』上下二巻を買い求めた。 野口氏が嘆いていたように、当時、日本語版「シソーラス」といったら、この『類語の辞典』くらいしかなかったのである。 講談社『類語の辞典』は、正字正仮名で書かれており、私には格調の高いものだと思われ、また、ある種の文学性の高さをも、みとめることができた。 しかし古い/旧い。 ことばはいきもの/なまものである。 件の辞典はけっしてアクチュアルなものではなく、実用性という点では、やはり、残念なしろものなのである。 もちろん、いまでも、あくまで「味わう本」としてではあるが、じゅうぶんにその役割を果たしてくれている。 相も変わらず翫んでいる。 辞典・事典の蒐集が、私のライフワークのひとつになっており、三省堂や弘文堂などにはいつもお世話になっているのだが、それでいながら、「シソーラス」については永らくノーマークであった。 類語を捜す場合は、インターネット上の辞典「Weblio|類語辞典<シソーラス・同意語辞書・同義語辞典>」を活用していた。 しかし情報量が少なく、味気ないものがある。 すぐれた日本語「シソーラス」はないものか。 そう思い、出会ったのがこの、大修館書店刊『類語検索大辞典 日本語大シソーラス』である。 これはすばらしい。 この辞典で扱われている項目は、重複も多いのだろうが、のべ32万語に及ぶ。 それが、 1 抽象性関係性 2 位相・空間 3 序と時間 4 人間性 5 人間行動 6 社会的行動 7 自然と環境 の7つのセクションに振り分けられている。 「分類体系マッピング」という早見表でヴィジュアル化されており、附録ポスターとしてついているのでわかりやすくてよろしい。 そこからさらに1044の項目に分類される。 使い方としては、辞典の後ろ半分、つまり899ページ以降の「あいうえお」順「索引」で、調べたい単語を、まず、捜す。 あとは「索引」から、0001から1044までのノンブルを頼りに、類語、同義語、関連語、イメージ的に近似した語にたどり着くことができるように、ちゃんと工夫されている。 例えば「セックス」という単語の類語を調べるとしよう。 まず「索引」の「せ」のところで「セックス」という単語を捜す。 すると、 セックス 性行為・・・0316. 01 男女・・・・0691. 01 性別・・・・1027. 04 という検索結果が出る。 私の場合「性行為」の方の「セックス」について知りたいので、0316. 01のページをめくる。 すると、 性交渉 性交 セクシュアル・インターコース コイタス 秘儀 交尾 となめ … エロス メイク・ラブ … インサート … 鬢のほつれは枕の科よ … 等等。 「セックス」だけで何十もの言い換え表現が出てくる。 私は「ピストン運動」が好きである。 ちなみに「分類体系マッピング」から検索する場合、早見表をながめ、「4 人間性」のセクションから、「生理」を経て「0316 性行為」の項目の情報を得、しかるのちに辞典の「0316」のページにジャンプする。 すると、 性交渉 性交 セクシュアル・インターコース コイタス 秘儀 交尾 となめ … エロス メイク・ラブ … インサート … 鬢のほつれは枕の科よ … 等等。 上のような検索結果が出てくる。 とっても便利。 ただ、単語の定義づけがされていないため、脇に、もう一冊字引を置いておく必要がある。 それがこの辞典の唯一にして最大の欠点である。 「類語辞典」の類いは今までにいくつか出版されてきたが、学生時代から英語のシソーラスの恩恵を被ってきた私にとっては、喉元まで出かかっている言葉・言い回しがなかなか見つからない日本の類語辞典を見るたびに「どうして日本ではロジェのシソーラスに相当する日本語版を作らないのだろう」と思い続けてきた。 国語学者の怠慢以外の何物でもないと思っていた。 だから、わたしが類語辞典と縁を「切った」のは、ずいぶんと昔のことである。 そして、新聞の書評で「見た」。 驚愕した。 これぞ待ちに待った「本物の」シソーラスだ。 これまでの、国語辞典の役割もかろうじて果たそうとしているために語義の説明に大半のスペースをとられ、もっとも必要とされる総語彙が圧倒的に不足していた類語辞典とは、あきらかに出来がちがうらしい。 英語のシソーラスのように《探している言葉や咽喉まで出かかっている言い回し》がちゃんと載っている辞書。 きっといままでの役立たずの「類語辞典」ではなく、本物の「シソーラス」のはずだ! すぐに「買った」。 何十年来、ほしかったのはこれだった! シソーラスに馴染みがなく今までの「類語辞典」しか知らない人の中には 「なぜ語義の説明がないのだ!これでは脇に国語辞典も用意しておかねばならない!」 などと理不尽な文句を言う人がたくさんいるだろう。 しかし、それはシソーラスの存在理由を知らないせいだ。 英語圏では聖書と同じくらい各家庭に行き渡っているシソーラスのレゾンデートルが理解できないのだ。 欧州では、文筆活動に携わる全ての人の机の上には必ずシソーラスがあり、使用頻度も非常に高いと聞く。 以前、フリーランスで新聞に記事を書いているイギリス人女性が、アパートにシソーラスを忘れてきたというので、職場に用意してある私の簡易版シソーラスを貸してやったことが何度もある。 また、詩人たちですらシソーラスを重宝しているとも聞いた。 わたしの好きな詩人、あのシルビア・プラスも。 これに反して、日本の文筆家、新聞記者、詩人たちがどれだけ「類語辞典」を使ってきただろう。 まるで使い物にならない代物だから、使ったことすらない人の方が多いのではないだろうか。 こうした状況が、この本物の日本語版シソーラスの登場で一変するはずである。 編者山口翼(たすく)氏の序と跋語を読んで、やはりこういう一時代を画す大事業は、大学に籍を置く言語学者の類いでは成し遂げられないのだと実感した。 ひとりの人間が人生をささげてこそ成し遂げうる大事業である。 快挙である。 これは初版だ。 巻末の「索引」でも「本編」でも、まだまだ語彙を増やしていく余地があるだろう。 しかし、いままでの「類語辞典」の数万倍は使い勝手がいい。 英語の「ロジェ・シソーラス」と同様、この辞書が日本の各家庭における必需品になるのは間違いない。 そして、将来類書がいかにはびころうとも、編者山口の名は永遠に国語学に刻み込まれるはずである。 いよいよこのシソーラスが、電子辞書の上級タイプにも搭載されるようになってきた。 わたしは書籍版で一冊買ってあるのに、あまりの便利さから、わざわざこのシソーラスだけを目当てに電子辞書まで買ってしまった。 何らかの形で文章を書こうとするすべての人々にとってマストアイテムである。 豊富な語彙数が有難く、紙の類語辞典に比べて検索が極めて容易である。 しかもメモ機能、単語登録機能も付加されていて其の利便性は抜群である。 内容については、満足していて何等注文する事は無い。 ただシソーラスの編集者にしては、「大字典」の栄田猛猪氏、「類語の辞典」の志田義秀氏などの序跋に比して、文致に格調を欠き、現代口語文とは謂えども、筆勢が感じられないのは如何したことであろう、と訝しく思う。 安易な語彙選択をなし、日本語語彙を熟知している筈の筆者の手になったものとは思えない卑俗な語り口が窺われる。 とはいえ、彼の長年に亘る衰えぬ執意と緻密な分析に成るシソーラス完成の業績は世人の裨益するところとなり、大いに賞賛さるべく、この一事を以って筆者を貶めようとするものではない。 思うに語彙の蓄積は文筆活動に不可欠の要諦だが、直ちにそれのみでは達意の文には至らない。 シソーラス完成の脱力感が然らしめたのであろうか、此の跋文は、編者にしては千載の痛恨事、と惜しまれるのである。 語彙のみが羅列してある辞典。 厚さ約7. 5cm、重さ約2kg。 全ての語が索引に載っているわけではない。 同じ語が複数のカテゴリに何度も登場する。 枕詞や草花・星の名前、学問のジャンルなどの リストや 各項目の関連語が多く掲載されていて便利。 オノマトペや人名、成句・ことわざや聖書の台詞も多数掲載。 読みにくい語句には適宜ふりがなもふってある。 他には無い種類の本で、言葉を探すには大変便利。 最初に調べた言葉は、「ラマーズ法」 次に調べたのが「ドンファン」。 いずれもど忘れしてしまって困っていた。 知らない語を知ることも出来、 文章を書くときに大変重宝してる。 語彙が少ない自分のような人間には必携だ。

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「伺わせていただきます」は間違い?正しい敬語と英語表現

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この記事で示されている出典について、該当する記述が 具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、。 ご存知の方はをお願いします。 ( 2017年3月)• 細長(ほそなが)はの産着の一形態であり、に形状が似ている。 にはに世継ぎが誕生した際にから祝い品の一つとして送られるのが慣例となった。 産着細長(うぶぎほそなが)ともいう。 細長(ほそなが)は中期の女性の衣類の種類の一つ。 形態不詳の「謎の装束」とされる。 細長(ほそなが)は頃に存在した成人男子の下衣。 『』吹上の巻などから知られる。 他、平安後期の文献では殿上童の欠腋袍を「細長袍」と記す例が見られるなど、種類の異なる服について「細長」という呼称が用いられたことがわかる。 歴史 [ ] 平安文学には「高位の女性のお召し物」としてしばしば登場する。 一般的に「若い女性の着る着物」とされているが、文学上では30歳を越えているとおぼしき女性が着用している例が散見され、疑問がある。 また、贈答品としてしばしばこの「細長」が使われている。 しかし以降、次第に着用されることなく廃絶してしまう。 その後の公家社会の崩壊により全く実態は不明となった。 鎌倉後期の高倉家秘伝書『装束色々』では女性用の細長と産着の細長の仕様を別々に説明するが、同じ頃の(ら、主に鎌倉で活躍した研究の家)の『源氏物語』の注釈の秘伝を集めた『』ではすでに産衣細長と女性用の細長の混同が見られる。 、の復興により公家女子が「」の時に着用する礼装として復活する。 これはのが無い形態のもので脇は縫われている。 現在のでやが「袴着の儀式」を行うときにはこの細長を着用する。 なお、現在は未成年の皇族女子が女性用の細長を使用するのみで、男子の下衣としての細長はもちろん、産着の細長も使用されない。 形態 [ ] 女性用細長 [ ] 平安時代 [ ] 女性用の細長については、平安後期の装束解説書『』(まさすけしょうぞくしょう)には「例の衣のあげ首なきなり」とだけ書かれ、ここからの様な詰め襟でないことだけがかろうじて分かる。 「衣」 きぬ といえば普通は男子の内衣や女子の重ね袿をさすので、いわゆる垂頚 着物襟 だったと思われるが、確証はない。 またそれ以外の構造に関してはほとんど史料が無く不明である。 現在提示されている説としては• 脇が縫われず、前身頃と後ろ身頃が別れており、右と左の後ろ身頃は背で縫われて長い着物• 脇が縫われず身頃は全てバラバラのパーツであり、袖の辺りでつなぎ止められている• 平安時代の童女の装束であった(かざみ)に似ている などがある。 更に極論ではあるが• 細長は贈答品専用として作られた衣料であり、実際は着用されていなかった という説まである。 しかし、『源氏物語』の実際の着用例は事実をふまえたものであろうから、成人を含めた女性が、袿や時には裳まで含む多くの装束とともに重ねて着用したとみてよい。 細長の着用は『』をはじめとするのにも見えるが、この例はまさに擬古的な雰囲気を出すために記されただけであろうと思われる。 なお、「」鈴虫第一段()に描かれる女性の装束はかつて「細長」とされ、裾の分かれた細長の形状を示す例とされていたが、近年科学調査に基づく復元模写作成過程で、をつけた姿であることが明らかになっている。 また、汗衫に似た細長の復元案は、「承安五節絵巻」の汗衫姿の童女の図を細長と誤認したことからはじまることが、戦前の雑誌「風俗史研究」の記事などから窺われる。 江戸時代以降 [ ] 近世の女子の細長は高貴な皇女の幼少時の礼装で、形式は上記のように袿に似ておくみのない仕立てで小袿のように中倍を入れるのが普通である。 にはの皇女の細長があり、細身で丈が長い。 には家伝来の細長があるが、皇女の細長とほぼ同じ形式ながら丈がそれよりは短く、皇室と世襲親王家とでは区別があったらしい。 近世の童女の細長は濃色(小豆色)の単を重ね、濃色の袴をはいており、五衣等は重ねない。 単の生地は所蔵調進控裂にも含まれるが、成人女性用よりは小型の幸菱である。 では多くの場合松重(表萌黄・裏紫・中倍香色もしくは裏紅・中倍薄紅。 表の地は松唐草の浮織)を調進した。 近代においてもこの形式が踏襲されているが、色目は自由度が増して、の皇女の細長は各種の重ねで調進されており、戦後ものそれは紅亀甲地に白松唐草の上紋の二重織物、のそれは紅亀甲地に複数の色糸で白菊折枝を織った二重織物、のそれは紅三重襷地に複数の色糸で白菊折枝の丸(中倍薄紅裏萌黄)を織った二重織物となっている。 産着細長 [ ] 産着としての細長は、鎌倉時代初期の「」に描かれている。 それによると端袖はなく、欠腋で縫われていない前身と後ろ身の裾が分かれて帯状に見える。 文献上は、『』の皇女(のちの)誕生の記事に、これを収めた箱とともに詳細な記録がある。 近世に徳川家へ下賜された細長はこれを参考資料としている。 一方、伝来の『装束寸法深秘抄』(6年)には図入りの寸法書がある。 盤領だが背面に「肩のひらひら」という小さな裂がつけられ(おそらく襟をあけるときに出た生地であろう)、そこから背守り縫いを施している。 襟につけられた紐は、長い紐を二つ折りにした中央で蜻蛉を作り、その両端を長くたらして、そこに蜷結びを施している。 蜷結びの上には色糸で鶴と松の置文がされている。 また腋は縫われている。 生地は色物でもよいが、蜷紐は白に限るという。 近世の産衣の細長は白い亀甲文の綾で、狩衣のような一身の(背縫いの無い)ものである。 襟は盤領(丸襟)だが蜻蛉はなく、水干のように長い紐を、襟の背中心にあたるところと上前の端(狩衣の雄蜻蛉をつけるところ)につける。 この紐は右縒左縒の紐2本ずつを使い、女性の檜扇の紐のように蜷結びにして長く下げる。 腋は欠腋とし、丈は長い。 に似るものの、袖が一幅で端袖がない。 白い小繁菱 唐衣の裏に用いる柄 の綾の単を重ねる。 将軍家へ下賜の細長は通常が、前述のように『園太暦』の記事に基づいて調進したが、年間には高倉家が『寸法深秘抄』に基づき、それまでと違う仕様で調進したこともあった。 色目も山科家調進が白い亀甲文綾に限ったのに対し、萌黄葵立涌文に紅平絹の裏をつけ、白い蜷結びの上には花結びで表現した松と鶴を縫い付けている。 おそらく『園太暦』と『寸法深秘抄』が記す装束は同じようなもので、記録するときの着眼点の違いによって記事に差が生じ、結果的に二つの復元案ができてしまったのであろうと思われる。 また、産着の細長については、男女による形態の差がなかったようである。 外部リンク [ ]• 脚注 [ ].

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