花 かつみ ブログ。 幻の花 「 花かつみ 」。 松尾芭蕉 が 探した 郡山市の花

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「奥の細道」には、次のように記されています。 「等窮が宅を出て五里斗、檜皮 ひはだ の宿を離れてあさか山有。 路より近し。 此あたり沼多し。 かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども更知人なし。 沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ねありきて、日は山の端にかゝりぬ。 …」 花かつみには、古より諸説があり、幻の花とされ、松尾芭蕉も花かつみや安積沼を人々に尋ねまわりましたが、知る人がいなかったと書いています。 芭蕉 の時代には無くなっていた 安積沼 私の祖父(80歳代)によると、芭蕉が探し求めた花かつみが咲いている安積山は日和田町にあるのですが、その日和田駅があるところら辺は、大昔は大きな沼だったと、以前話してくれたことを思い出しました。 もし、それが本当なら、芭蕉が探していた安積沼ってそれのことなのでは?と関連性を感じます。 しかも、面白いことにこの地にはが残されており、詳細は省きますが、大蛇がいたらしく、しかもその大蛇はある一族を祟って滅ぼしたり、怒り狂って大変な災害を起こしたそうで、村人に毎年娘を人身御供とするように求めるほど、力があったようです。 その伝説にでてくる大蛇の骨を使って作った地蔵や、人身御供となった人を供養するための三十三観音像が安置されている蛇骨地蔵堂は、713年に開かれたとされているので、1644年〜1694年に生きた松尾芭蕉がこの地にやってくる頃には、その大きな沼がなくなっているという可能性は大いにあります。 芭蕉 が 求めた のは 沼 か? 蛇骨地蔵 か? で、いま調べたのですが、なんと、その低い土地の地域名が、「沼田」って名称ですから、祖父の「昔はその地域一面が大きな沼だった」説は、わりと信憑性が出てきました。 で、念のためググって見たところ、なんと、ビンゴです!!(じいちゃん、正しかった!!) じつは安積沼跡というのが、日和田町根柄にあります。 この根柄は沼田の隣。 芭蕉が訪れる80年ほど前(1600年頃)は、周囲が300mほどの沼が存在していたことが、「前田慶治郎道中日記」に書かれていて、さらに1350年頃の安積沼は、東西の長さが日和田町の安坂山麓から片平町までの7kmほどもある巨大な沼だったともいわれていたそうです。 郡山市によると、 明治9年6月17日、明治天皇の東北巡幸のさい、日和田の安積山の麓、横森新田のご休息所で、花かつみを「菖蒲に似て最 いと 些小 ちいさ き花」なるヒメシャガを花かつみとして天覧に供しました。 以後、「ヒメシャガ」が「花かつみ」とされ、昭和49年、郡山市の花に制定されました。 という経緯で、幻の花「花かつみ」が市の花になったようですね。 ということは、松尾芭蕉がきた時に、誰も「花かつみ」を知らなかった理由は、地元の人には「ヒメジャガ」として浸透していたからという可能性もありますね。 「 ハナカツミ 」という 俗称の花 は他にもある!? これ、郡山市の人なら、「ヒメシャガ = 花カツミ」ですが、実はこれ一般常識ではないので注意が必要です。 ウィキペディアによると ハナカツミは、『万葉集』を始め、古くから和歌などに多く詠まれた花。 後に陸奥国の安積沼と結びつけられ、能因法師、前田利益、松尾芭蕉が現地を訪れて探したことで有名である。 平安時代中期の歌人能因法師はイネ科のマコモをハナカツミとしているが、定説とはならず、古来どの植物を指しているのか論議となっている。 とあるように、古くから、「ハナカツミ」という存在が確認されている花であるにもかかわらず、実際にはどの植物なのか?がわかっていないため、「幻の花」と言われています。 能因法師、前田利益、松尾芭蕉といった偉人が安積沼を訪れて探したということから、ハナカツミが郡山にあった説は有力なのかもしれませんが、鎌倉時代から続く四条家(平安時代は藤原家)の家紋が「花かつみ紋」と称されたことから、デンジソウと考える人もいるようです。 また、阿久比町(愛知県)ではアヤメ科の野花菖蒲 ノハナショウブ のことを「花かつみ」と呼んでいて、「花かつみ」に関する伝説も残っていて、「花かつみ保存会」があり「花かつみ園」も開園しています。 ちなみに、その伝説というのはこちら。

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加橋かつみの現在は?結婚は?ゴダイゴと?ポンキッキ?

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2018年6月9日(土) 本日、中日新聞の知多版で、 阿久比町にある花かつみ園が紹介されていました。 せっかくなので、午後から行こうという話になり、花かつみ園に行って来ました。 紫陽花も見頃でした。 ほっと一息...リラックスTime。 ガイドのボランティアさんから、花かつみ園や花かつみについて、 教えてもらいました。 花かつみを見ながら、良い運動になると嬉しそうにお話してくれました。 ガイドさんさんからの一句... 頑なに 昔のままなり 花かつみ 花しょうぶの品種が大きくなっていく中でも、花かつみは変わらず、 昔のままの姿や形でキレイな花を咲かせているという俳句だそうです。 デイサービスきほくも「共に生きる。 共に創る。 」という理念を大切にして、 ブレることなくご利用者様に真摯に関わっていきます。 感謝の気持ちと謙虚な姿勢で、皆様の想いに寄り添っていきたいです。 最近の投稿• カテゴリー• 過去の記事• 110• 103•

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初夏の訪れを告げる“幻の花「花かつみ」”について

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Sponsored Link ゴダイゴの事務所から「ひらけ! ポンキッキ」で、 オープニング曲 「青い空白い雲」、エンディング曲 「かもめが空を」と、 「ゴダイゴ」のタケカワユキヒデさんに作曲してもらった曲で担当。 (1979年4月~1986年3月) また、1980年にも、 NHKアニメ 「ニルスのふしぎな旅」で、 タケカワユキヒデさんに作曲してもらった曲が起用されるなど、 加橋さんは、 「ゴダイゴ」の人気にあやかり、 なんとか 「大麻パーティー」逮捕からの復帰を遂げます。 「ザ・タイガース同窓会」に参加 そして、1981年1月には、さんを中心に、 「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催され、 「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」 「ザ・カーナビーツ」など往年のグループ・サウンズが再集結するのですが、 加橋さんも、(沢田研二さんにわだかまりを持ちつつも)内田さんの依頼で、 (さんを除く)沢田研二さん、さん、森本太郎さんとともに、 「ザ・タイガース」として参加すると、 翌年の1982年には、さん (加橋さん脱退後 「ザ・タイガース」に新加入) を加えた5名での 「ザ・タイガース同窓会」にも参加。 すると、 アルバム 「THE TIGERS 1982」 シングル 「色つきの女でいてくれよ」 がリリースされ、いづれもヒットを記録したのでした。 (1983年まで活動) (「再結成」ではなく、「同窓会」と言っていたのは、 参加しなかった瞳みのるさんに配慮したもの) 沢田研二と和解~ついに「ザ・タイガース」再結成 さらに、2011年9月には、ついに、 瞳さんが沢田さんの全国ツアーに加わることとなり、 ようやく 「ザ・タイガース」のメンバーが、 全員集結するかと思われたのですが・・・ 今度は、加橋さんが、 沢田のやり方に納得できない と、沢田さんへのわだかまりを理由に、 参加されず。 しかし、全国ツアーが終わった数日後、沢田さんが、 会えないか? と、加橋さんにメールを送られると、 当初は、拒否していた加橋さんも、 他のメンバーに説得され、沢田さんと再会。 すると、驚くべきことに、沢田さんが、 自分がタイガースにいたせいで、不快な思いをさせて済まなかった。 トッポ(加橋さん)に歩み寄る姿勢を見せなかった。 と、(そもそも、加橋さんが自分勝手に脱退したにもかかわらず) 寛容にも頭を下げられ、 皆が揃ってこそザ・タイガースなんだ。 全員が揃ってザ・タイガースをやるのがオレの夢なんだ。 と、口説かれたそうで、 これには、さすがの加橋さんも心を開き、 2013年1月、実に44年ぶりに(1969年以来)、 「ザ・タイガース」がオリジナルメンバーで復活。 (後列左から)森本太郎さん、岸部一徳さん、 (前列左から)沢田研二さん、加橋さん、瞳みのるさん。 同年12月に日本武道館からスタートした復活ライブでは、 全国8会場で10万人を集めるなど、復活を心待ちにしていた、 往年のファンを、再び熱狂の渦に巻き込んだのでした。 恋愛&結婚は? そんな加橋さんの、 気になるプライベートですが、 加橋さんは、 「ザ・タイガース」時代、常連だった、 イタリアンレストラン 「キャンティ」の創業者、 川添浩史さんの妻、梶子さんと恋愛関係にあったようです。 (なんと、梶子さんは、加橋さんより20歳以上も年上) 川添梶子さん 実は、 「キャンティ」は、ただのレストランではなく、 芸能人、デザイナー、文化人ほか、様々なジャンルの人々が集まる、 交流の場で、日本の最新の文化を発信する、 メディアのような役割を担っていたのですが、 特に、 「ザ・タイガース」脱退後は そのオーナー夫人による強力な支援なくして、 加橋さんの活動は成り立たなかったと言われています。 ちなみに、加橋さんは、1980年代前半には、 別の女性と結婚し、娘さんも一人誕生しているようですが、 それ以上詳しいことは分かりませんでした。

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