きっと たぶん。 たぶん…きっと∞

私は日本語母語話者ですが、推量表現に使われる副詞「きっと」「たぶん」「おそらく」について皆さんの意見を伺いたい思います。 これら3つの副詞は日本人でも人によって使う時の確信度が違うようなのですが、皆さんはどうお考えになりますか? 私は100%の確信度を「必ず」「絶対」とするなら以下のように考えます。 【必ず(絶対)>きっと>たぶん=恐らく】 友人に聞いてみたところ、友人Aは【必ず(絶対)>きっと>恐らく>たぶん】だといい、また、友人Bは【必ず>きっと>たぶん>恐らく】だと言いました。 私は「たぶん」より「恐らく」のほうが硬い言い方という認識だったので「=」と考えたました。言葉の捉え方は人それぞれで、どれか正解という訳では無いと思うのですが、ふと疑問に思い投稿させていただきました。

きっと たぶん

はじめまして。 ご質問1: <推量することに対して、話者はそれぞれどれぐらいの自信度を持っているのでしょうか。 2.例文 (1)「彼は、きっと、試験に合格するだろう」 合格する確率は90~100% (2)「彼は、おそらく、試験に合格するだろう」 合格する確率は60~90% (3)「彼は、たぶん、試験に合格するだろう」 合格する確率は50~70% となります。 3.いずれも話し手の主観(subjective opinion)によります。 ご質問2: <この三つの言葉の後ろは普通「だろう」と呼応する必要があるのでしょうか。 > 必ずしも、ではありません。 1.推量の助動詞「う」が使われないこともあります。 2.その場合は、確信度が強まります。 例: 「彼はきっと試験に合格する」 確信度99~100% 「彼はきっと試験に合格するだろう」 確信度90~100% 3.また、推量の助動詞を使わないで、断定で言い切る用法は、話し手の「強い願望」が込められる場合があります。 つまり、可能性はそれほどなくても、「そうであってhしい」「そうでなければならない」という強い願望が込められる場合です。 例: 「彼はきっと試験に合格する」 と言った場合、たとえ合格率は本当は少なくても(可能性がなくても)、合格して欲しい、という願望が強ければ、そのような言い方をすることはあります。 また、そう言い聞かせることも、心理的にやる気をアップさせ、可能性がなかったのに合格する、ということもあり得ます。 一種のモチベーション作戦です。 4.他の「おそらく」「たぶん」も同様で、「だろう」を呼応させないで断定の「だ」だけで呼応させることも可能です。 その場合、確信度・可能性が高まります。 5.「きっと」などの場合は、願いを強調するために、「~と信じている」「~するものと信じている」といった表現も使われます。 例: 「彼はきっと試験に合格すると信じている」 ご質問3: 確信度99~100% 「彼はきっと試験に合格するだろう」 ご質問2: <質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ有難いです。 > まったくありません。 日本人かと思われるほど完璧な日本語です。 しいて言えば、「自信度」は「確信度」の方が適切ですが、間違いというわけでもありません。 (100%の断定(笑)) 以上ご参考までに。 A ベストアンサー 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか? ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、 私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。 「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。 これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。 1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。 」 2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。 」 1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。 2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。 1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。 」 2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。 」 これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。 2は素直な人が話しているなら単なる並列。 ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。 とまあ、こんなところです。 前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。 色々な回答がつくといいですね。 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか?... A ベストアンサー こんにちは。 以前書いたもののコピーですが。 4 V-てから 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という 意味合いがあります。 ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、 「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の 場合は、「~てから」の方がぴったりします。 買物をしてから、映画を見ました。 これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。 歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝御飯を食べてから歯を磨き ますか。 見てから読むか、読んでから見るか。 ピカッと光ってから、どーんと音が聞こえる。 以上の例では「~あとで」でも言えますが、以下の例ではどうでしょうか。 切符を買ってから中に入る。 ちょっと口をすすいでから歯を磨く。 準備運動をよくしてから、泳いでください。 これらは、「~あとで」で言えないことはありませんが、少し不自然です。 これらの「AてからB」のAは、Bをするために必要なことで、「あと」にす るのでは無意味な場合です。 また、時間の経過を表す場合も、「~あとで」は不自然です。 夜が明けてから人家を探そう。 (?あとで) 秋が来てから、急に人通りが多くなった。 占領が終わってからでも、もう50年近くの時間が過ぎた。 最初の文明が生まれてから1万年。 「だ」が付いて文末に来る場合もあります。 「~のN」の形にもなります。 乾杯は会長が来てからだ。 起こすのは医者が来てからでいい。 そのあとのことは、まずやってみてからの話だ。 「V-てからでないと、~ない」という表現がよく使われます。 まずモノを見てからでないと、何とも言えませんね。 入会金を払ってからでないと、アクセスできません。 それから、「Aのあと今まで に 」「A以来ずっと」の場合も「~てから」 が使われます。 勉強を始めてから、多くのことを学びました。 生れてから、ずっとこの町に住んでいます。 パソコンもウインドウズになってから、多少使いやすくなった。 「AてからBまで」の形にもなります。 小学校に入ってから大学を出るまで、ずっと机の前に座っていた。 小学校に入ってから大学を出るまでの16年間 「は/も/より」などの副助詞をつけることもできます。 来てからは/も 来てからさえ も 来てからより も ここに移ってからは、時間がゆったりと流れるようです。 こんにちは。 以前書いたもののコピーですが。 4 V-てから 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という 意味合いがあります。 ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、 「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の 場合は、「~てから」の方がぴったりします。 買物をしてから、映画を見ました。 これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。 歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝... A ベストアンサー 通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、 助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。 (*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞 唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。 ------------------------------ ~くらい・~ぐらい 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」 などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。 以前は,次のような使い分けが行われていた。 1 体言には「ぐらい」が付く。 2 「この・その・あの・どの」には「くらい」が付く。 3 用言や助動詞には,普通は「ぐらい」が付くが,「くらい」が付くこともある。 「ぐらい」と連濁する場合はひらがな表記も濁音表記とする。 〈例〉10歳ぐらいの子 ------------------------------ 以前は使い分けが行われていたが、現在は「くらい」「ぐらい」のどちらでも良いという説です。 手もとの国語辞典(*)には、どれも「くらい」の主見出しで名詞の「位」と、そこから転じた副詞(副助詞)の「くらい」の解説がありますが、ほとんどは『「ぐらい」とも』としています。 「ぐらい」は参照見出し(空見出し)になっています。 (*)新明解、広辞苑、岩波、大辞林、明鏡 『明鏡国語辞典』だけは、「くらい」の項の最後に以下の説明がありました。 ---------------------- 結論として、 伝統的には使い分けがあった。 現代語ではどちらを使っても間違いではない。 というのが、事実上の正解でしょう。 現実には、個人の言語感覚によってかなり差があると思います。 年代差や地域差もあるかもしれません。 ここまで書いて、以前別の場所で同じような話があったことを思い出しました。 seesaa. html 「くらい」の清濁 2006年03月09日 「以前は」「伝統的には」というのは、江戸時代の頃のようです。 通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、 助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。 (*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞 唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。 ------------------------------ ~くらい・~ぐらい 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」 などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。 以前は,次のような使い分けが行われて... Q 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。 「を通じて」 1.秘書を通じて社長との面会を乞う。 2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。 3.テレビを通じて広告をする。 4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。 「を通して」 1.書物を通して世界を知る。 2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。 3.仲人を通して娘の縁談を進める。 4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。 どうか、よろしくお願い致します。 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を... A ベストアンサー 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。 ) なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。 ・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。 医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない( 4のご回答でも指摘がある。 ) ・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。 更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。 私なら、もっと軽い感じに、 「実践的な臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床の経験を重ねる。 」 「臨床の実践経験を積む。 」 などなどでもよさそうに思います。 4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、 2と 4は、似ているようです。 改めて、いくつか意見を述べておきます。 一つ目は、 「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、 「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、 ということです。 (短めの漢語は、中間。 ) 二つ目は、 「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。 「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、 もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。 三つ目は、 「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。 「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。 四つ目は、 「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、 「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。 これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。 改めて考えても、 2 3も、 4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。 4では >「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの 3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.) とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。 3では >「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、 >(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。 ) >具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、 >ということです。 の 「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」 というのは、"単なる" に意味の重点があって、 「秘書に重きをおかない」という意味です。 ところで、質問では、 「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 」 とありますが、 この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど... A ベストアンサー 使い分は、慣用によるところが大きく、明確なルールがあるとは言えません。 大まかには次の使い方でいいと思います。 「代だい」 何かと交換に支払う(または、受けとる)お金を表わす。 商品(経済的に価値のあるもの)に対して支払う金額であることが多い。 電話代、バス代、ガソリン代、部屋代、電気代、ガス代、お茶代、バイト代 「料りょう」 何かの利益(サービスなど)を受けた(または、与えた)ことに対して支払う(または、受けとる)お金を表わす。 あらかじめ決まった一定の値段である場合が多い。 使用料、レンタル料、入場料、紹介料、授業料、送料、サービス料、延滞料 「費ひ」 (自分または相手が)何かをするために必要なお金を表わす。 支払わなければならない(または、用意しておかなければならない)お金という意味合いがある。 医療費、教育費、交通費、学費、会費、生活費、食費、交際費 「賃ちん」 労働や借りものに対して支払うお金を表わす。 家賃、電車賃、手間賃、運賃、船賃 借賃 会社での使い分けはこれまでの慣用に従うしかありません。 電話代でも電話料でもどちらがあっているということはありません 今まで電話代であればこれからも電話代でいいと思います。 使い分は、慣用によるところが大きく、明確なルールがあるとは言えません。 大まかには次の使い方でいいと思います。 「代だい」 何かと交換に支払う(または、受けとる)お金を表わす。 商品(経済的に価値のあるもの)に対して支払う金額であることが多い。 電話代、バス代、ガソリン代、部屋代、電気代、ガス代、お茶代、バイト代 「料りょう」 何かの利益(サービスなど)を受けた(または、与えた)ことに対して支払う(または、受けとる)お金を表わす。 あらかじめ決まった一定の値段で... Q 『みんなの日本語初級II』第3 8課について教えてください。 (第3 8課の「学習目的は、『動詞+の』で名詞化し、形容詞でいろいろな状況や 自分の好き嫌いなどを表現することができる」このつもりで学習していましたが、 複数の学習者がおり、『質問が出て』自信を持って回答できませんでした。 ) 問題は;単純でかつ複雑な『ハ』と『ガ』の問題です。 「山田さんが良い人。 」 の 「が」 は、語と語の関係を示しているだけで、何ら特別な意味を添えるものではありません。 「山田さんは良い人。 」 の 「は」 は、語と語の関係を示しつつ、山田さん以外の人も想定しながら 山田さんを取り立てる意味を添えています。 (言外に 山田さんの他の人は良い人でないということを類推させます。 ただ大抵の場合は、<<文の主題と文の主語>>は同じなので「は」と「が」の使い分けが難しくなる。 「は」は名詞文や形容詞文の時に用い、 「が」は動詞文の主語に用います。 おじいさんハ・・・。 おばあさんハ・・・。 3 最低限(42課) (最低限のことを示す場合 ハ。 え!2000字もですか。 4 目前・話題(取り立ての ハ )用法 (取り立てのハ 17課) (目の前にあるものを指す ガ) (話の中のものを指す ハ) そこに椅子がある。 あなたの部屋に椅子はある? あ、雨が降ってきた。 現在はこの程度の知識しかありません。 (ここれもテキスト・ネットなどでの独学で自信ありませんが・・・。 ) 長くなりすみません。 本題質問です みんなの日本語 第38課の文型 1: 絵を描くの ハ 楽しいです。 <このハは > 2:わたしは星を見るの ガ 好きです。 <このガは > 4:わたし ガ 日本へ来たの ハ 去年の3月です。 <このハは > 第38課練習1 1:本を読むの ガ 好きですか。 <このガは > 2:お母さんは料理を作るの ガ 好きですか。 <このガは > 3:日本で生活するの ハ 大変だと思いますか。 <このハは > 5日本語の勉強を始めたの ハ いつですか。 <このハは > ネットをみるとたくさんの指導・指摘・試案などあり混乱するばかりです。 大変勝手なお願いですが、 『みんなの日本語初級II』第3 8課について教えてください。 (第3 8課の「学習目的は、『動詞+の』で名詞化し、形容詞でいろいろな状況や 自分の好き嫌いなどを表現することができる」このつもりで学習していましたが、 複数の学習者がおり、『質問が出て』自信を持って回答できませんでした。 ) 問題は;単純でかつ複雑な『ハ』と『ガ』の問題です。 という説明が、正解に一番近いでしょうね。 が基本的な用法になります。 さらに細分化すれば、色々な用法として説明は可能ですが、このような本質的用法をよく理解することが結局は近道になるでしょう。 細分化しすぎると、例外が多くてわかりづらくなったり、煩雑になったりして、却って理解しづらいと思います。 <このハは 主題提示 > 下記辞書の、【 2 題目を提示して,叙述の範囲をきめる。 「象-鼻が長い」 「ぼく-学生だ」 「今日-よい天気だ」】という用法。 excite. <このガは 好悪の対象を特定する用法 > 下記辞書の、【 一 2 【希望・能力・好悪などの対象になるものを表す。 「リンゴ-たべたい」 「あの人-好きだ」】という用法。 excite. <このガは、「日本へ来た」という動作の主格を特定している> 下記辞書の、【一 1 主格を表す。 】という用法。 excite. 「象-鼻が長い」 「ぼく-学生だ」 「今日-よい天気だ」】という用法。 <このガは 好悪の対象を特定する用法 > 2:お母さんは料理を作るの ガ 好きですか。 <このガは 好悪の対象を特定する用法 > 3:日本で生活するの ハ 大変だと思いますか。 <このハは 主題提示 > 5日本語の勉強を始めたの ハ いつですか。 > <このハは 主題提示 > 「主題提示」は限定用法、あるいは強調用法などと細分化する場合もありますが、それは、却って解釈を煩雑にしてしまうと、わたしは考えています。 テストなどと答えとしては適していないかもしれませんので、その点はあらかじめご了承ください。 という説明が、正解に一番近いでしょうね。 が基本的な用法になります。 さらに細分化すれば、色々な用法として説明は可能ですが、このような本質的用法をよく理解することが結局は近道になるでしょう。 細分化しすぎると、例外が多くてわかりづらくなったり、煩雑になったりして、却って理解しづらいと思います。 A ベストアンサー そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。 原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。 九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。 【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。 【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。 【十分】の発音はshi2fen1 【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。 【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。 としたいところです。 【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc) ついでに、 「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。 いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。 いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。 そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。

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たぶん、きっと、だいじょうぶ|pato|note

きっと たぶん

Weblio公式 可能性や見込みの「 確かさ」について表現する場合、英語では主に副詞や助動詞を使って、可能性の高さの程度に応じて表現が使い分けられます。 maybe や probably をはじめ、副詞だけでもザッと10以上の「確度を示す表現」があります。 「確度を示す表現」などと言うと厳めしく聞こえます (総称する表現は色々とあります。 たとえば可能性、確実性、実現性、蓋然性、確度、確かさ、見込み、公算、などなど)が、要は日本語の「もしかして」「たぶん」「おそらく」「きっと」「絶対に」のような語に対応する表現です。 表現の使い分けは感覚的な側面が大きく、完璧に使いこなすとなると大変ですが、おおよその表現の種類とニュアンス差を把握しておくだけでも、意思疎通の精度がずっと高まります。 確実さの度合いを表現する主な副詞 確実さの度合いを表現するために用いられる主な副詞表現を列挙するなら、次のような感じになるでしょうか。 absolutely• definitely• certainly• clearly• surely• probably• very likely• presumably• possibly• maybe• perhaps• 使う人によっても副詞ごとの確実性は少し異なります。 ひとまず「確実性が高い」「確実性は五分五分」「確実性は低い」という3段階に区分してみましょう。 すると「確実性が高い」グループにも「上の上」と「上の下」、ような大まかな区分にグループ分けすることは可能でしょう。 確度別に区分した確実度別の副詞一覧 絶対確実、疑う余地がない• absolutely• definitely• clearly totally (全くもって)なども同じニュアンスで使われます。 これらの単語は「完全に」や「絶対に」と訳出できます。 細分化するならば absolutely は何も失われていないという意味で「完璧な」というイメージです。 これは totally についても同じです。 一方 definitely や clearly は何かについて疑う余地が無いという意味で「完全に」というイメージです。 用法 単語によってカジュアルなシーンで用いられたり、フォーマルなシーンで用いられるものがあります。 ・ certainly レストランで「かしこまりました」と言う際に certainly が用いられます。 これ以外にも少しフォーマルなシーンで用いることができます。 ・ absolutely, totally certainly と確率的には同等ですが、こちらはどちらかというと少しカジュアルなシーンで用いられます。 「友人に明日遊ぼう!」と誘われたときに absolutely!! と言えば、「行こう!」「いいよ!」と言った感じです。 ・ likely likely は普通、何か副詞を伴って用いられます。 例 most likely, very likely We will likely meet soon. すぐに会うでしょう 終わりに 確実である、を表すには absolutely や clearly などさまざまな表現方法があります。 単調にならないように多くの表現を使いこなせるようになりましょう。 そして、可能性の高そうなものには probably や very likely を、 ちょっと微妙なものには maybe や perhaps などとしっかりと使い分けられるとあらぬ誤解を生まずに済むかもしれません。 言葉で表現される確実性の度合いは、多分に感覚的であり曖昧なものです。 話し手や文脈による揺れも少なからずあります。 とはいえ、ある程度の範囲で区分することは可能です。

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「たぶん」という意味を持つ単語の使い分け方

きっと たぶん

「きっと」「たぶん」「おそらく」「必ず」「絶対」のニュアンス。 これらの言葉は、「推量を表わす副詞」になるかと思います。 「きっと」はこのなかでも、話し手(書き手)の確信が強いほうでしょう。 確かに。 A もしかしたら、もしかするとetc. …… ただ、「きっと」は「C」のグループのなかでも「必ず」や「絶対」より少し「確信」が弱いイメージです。 とは言っても、「たぶん」「おそらく」よりは「必ず」「絶対」に近いでしょう。 ちなみに、「きっと」は「願望」を表わすことが多いかもしれませんが、「望まないこと」を表わすこともあります。 それは、ほかの副詞にも当てはまります。 詳しくは下記をご参照ください。 以下は一部の抜粋(重言)。 ================================ 副詞のなかには、原則的に否定形の文末を伴うものがある。 「決して」とか「めったに」とか。 個人的には「全然」もそうだと思うが、諸説あって書きはじめると長くなる。 でも多くの副詞はそういう制約なしで使えるはず。 数少ない制約に関しては辞書レベルに出ている。 それ以上に制約をつけたり独自の意味やニュアンスをもたせたりするのは誤解の元だろう。 「もしかしたら」「たぶん」「きっと」……いずれも推量を表わす副詞だから、話し手(もしくは「書き手」の主観が入るのは当然のこと。 多くの副詞の場合、その主観が肯定的か否定的かは文脈しだい。 【例】遭難した兄を心配する妹の言葉。 1 もしかすると、生きているかもしれない 2 もしかすると、死んでいるかもしれない 3 たぶん、生きている 4 たぶん、死んでいる 5 きっと、生きている 6 きっと、死んでいる 1 ~6 は全部成立する。 「もしかして」には「意外な結果」を含む場合があるのでは……というコメントがあった。 当然だろう。 推量でしかないから、「意外な結果」になることもある。 「もしかして」は「程度や可能性」が一番低いから、当たらないことが多い。 当たらないから「意外な結果」になることが多いってことだと思う。 それは「もしかして」に「意外な結果」という含意があるのとは少し違うと思う。 そもそも、1 ~6 を見てわかるように、「結果」でないことも多い。 ================================ 未来のことを予想する副詞には、大きく二つの軸があります。 ひとつは蓋然性(現実になる確からしさ)が高いか低いか、もうひとつはそのジャッジにおいて主観が大きく入っているかいないかです。 蓋然性が高いというのは、確実にそうなると思われるということです。 蓋然性が低いというのは、そうならないかもしれないということです。 主観が大きいというのは、自分に対しては決意、他者に対しては強い願望が入ってくるということです。 主観が大きくなければ、客観的な根拠や理由に基づく予測であるというニュアンスが強まります。 「未来に於いて起きるであろう確率」という軸で言えば「必ず、絶対」の類語になるわけですが、主観の度合いが大きいので、「自分の決意や願望が入ってます度」が高いという意味では「必ず」等とは異なります。 「きっと、また会える」というのは、この強い願望を反映している言い方であるわけです。 「ワタシ的には必ず、絶対、間違いなく、確実にまた会えると思っているわけだが、それは私の希望・願望であって、明確な根拠に基づく未来予測ではありません」というニュアンスになってるわけですね。 故に、そうはいっても実際には会えませんでした…ということも多々あるわけです。 その他の組み合わせによる言葉の使用については下画像をご参照下さい。 もちろんこれは厳密なものではなく、文脈によっては「必ず」に願望が大きく含まれたりすることもあります。

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