中村 医師 海外 の 反応。 アフガニスタンで銃撃された中村哲医師死亡…ネットでは悲しみの声

海外の反応のまとめ

中村 医師 海外 の 反応

中村哲医師の名言【アフガン画像】 中村哲医師は素晴らしい言葉を沢山残してくださっていますね。 「誰もそこへ行かぬから。 我々がゆく。 誰もしないから我々がする」 中村哲医師は医療従事者としてアフガニスタンへ到着後、医療以前に食べ物や飲み物そのものが足りていない現実にぶつかったと言います。 そこで着手したのが井戸の建設だったそうです。 医師であるから医療しかしないのではなく、必要とされている活動のためならば垣根を超えて自ら突き進んでいく方なのだということが分かります。 この言葉をまさに表しているアフガンの画像がこちら。 左は中村哲医師たちの活動前、右が活動によって緑化され発展したアフガンの土地です。 「鍬も握っていない外国人が農業支援を行うことはできません」 中村哲医師が医療従事者である枠組みを超えて、現地で 「白衣を脱いで泥まみれになって井戸を掘った」という話は有名ですね。 多くの国が「支援」といいながら、実際には寄付金を渡すところまでで留まっているのが現状です。 また、自国の技術者とテクノロジーだけを現地に持ち込んで施設だけを建設するケースも多いようです。 そうすると、多額の寄付金は現地の有力者の手に留まり、実際に必要としている人たちの元まで届かなかったり、現地の住民に使いやすい構造にならなかったりと色々は二次問題を生み出す可能性も秘めているそうです。 つまり、 現地のニーズに合わないお金の使い方で不要な構造物をつくってしまう危険性があるそうです。 アフリカなどでも同じような問題が生じているとのこと。 中村哲医師はそのことが身に染みて分かっている方だったのでしょう。 「鍬を握る」という表現には一歩一歩、地道でも現地の人たちと目線を同じにして支援を考えて行こうとする姿勢が見えてきますね。 「戦争協力が国際的貢献とは言語道断である」 イラク戦争が勃発した時、日本はアメリカに軍事費として支援を行いました。 日本は戦争に参加したわけではないけれど、アメリカとイギリスから攻撃を受けたアフガニスタンの人たちは、日本も同じ敵のように感じたそうです。 現地の人たちと同じ目線で考える中村哲医師には日本の歩み方は軍事協力を「国際協力という言葉で覆い隠しただけの戦争参加」とイコールに感じていたのかもしれませんね。 9条がリアルで大きな力だったという現実。 中村哲医師は「憲法9条が僕たちを守ってくれている」と仰っていました。 ネットでは「銃撃されたじゃないか」「やっぱり守ってくれてないじゃないか」、、、などなど、 「中村哲医師が銃撃を受けた=憲法9条は無力」というような声も多く上がっています。 しかし、筆者は今回の中村哲医師が銃撃を受けられたことよりも、 中村哲医師が現地で感じてこられたアフガニスタンの人たちの親日感情の由来にこそ、目を向けた方が良いのではないかと思っています。 中村哲医師の名言として、 「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすこと誓う」。 伊藤和也さん ペシャワール会スタッフ が2008年に殺害された時の追悼の言葉です。 今回、中村哲医師ご本人だったら、、、、恐怖や怒りではなく、私たちに同じ内容の追悼を願うのではないかと思います。 中村哲医師のインタビューの一部抜粋を貼っておきます。 昨年、アフガニスタンの外務大臣が日本を訪問しましたね。 そのとき、彼が平和憲法に触れた発言をしていました。 アフガンの人たちみんなが、平和憲法やとりわけ9条について知っているわけではありません。 でも、外相は「日本にはそういう憲法がある。 だから、アフガニスタンとしては、日本に軍事活動を期待しているわけではない。 日本は民生分野で平和的な活動を通じて、我々のために素晴らしい活動をしてくれると信じている」というようなことを語っていたんですね。 僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。 でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。 体で感じた想いですよ。 武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。 それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。 それを、現地の人たちも分かってくれているんです。 だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。 むしろ、守ってくれているんです。 9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。 それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。 日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。 現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。 銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。 当たり前のことです。 でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。 緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。 それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。 それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信している 中村哲医師のアフガンでの活動に対する家族の気持ち 中村哲医師には ご子息が5人いらっしゃるそうです。 銃撃戦が繰り広げたられる戦場に飛び込む中村哲医師の事を奥様とご子息はどのように感じておられるのでしょうか? 奥様は中村尚子さん66才。 奥様はやはり家にずっといて欲しかったそうです。 今回のような事件が起こるのではないかと気が気ではなかったようで、事件が起こらないことを祈り続けておられたということです。 しかし、 中村哲医師の志を考えると引き留めることはできなかったのでしょう。 福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師の訃報を受け、妻の尚子さん(66)は、福岡県大牟田市の自宅で取材に応じ「悲しいばかりですよ。 残念です。 きょうみたいな日がこないことだけを祈っていた」と涙を拭いながら語った。 「場所が場所だけにあり得ると思っていた。 家にずっといてほしかったけど、本人が(活動に)懸けていたので……」とも述べた。 中村氏が11月下旬まで2週間ほど帰省していたことを振り返り「家では厳しくなかった。 いつもさらっと出て行ってさらっと帰ってくる人だった」としのんだ。 中村哲医師のアフガンでの活動に対する海外の反応は?【アフガン画像】 中村哲医師の悲報を受けて、ネットでは悲しみの声が沢山上がっています。 まず、自爆テロの実行犯として最初に頭に浮かんでくる「タリバン」ですが「自分たちの犯行ではない」と関与を否定する声明をだしました。 タリバンが出した声明は以下。 「今回、ジャララバードで起きた事件について関与を否定する。 日本のNGOはわれわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」 現時点で誰がやったのかについての犯行声明は出ていない状態です。 中村哲医師の名言と活動まとめ 中村哲医師の名言• 「誰もそこへ行かぬから。 我々がゆく。 誰もしないから我々がする」• 「戦争協力が国際的貢献とは言語道断である」• 「戦争協力が国際的貢献とは言語道断である」• 「9条がリアルで大きな力だったという現実」• 「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすこと誓う」 中村哲医師の家族の気持ち 奥様は家にいて欲しかったが中村哲医師の志を考えると引き留めることはできなかった。 今回のような事件が起こるのではないかと気が気ではなかったようで、事件が起こらないことを祈り続けておられた。 海外の反応 タリバンが事件への関与を否定し、「日本のNGOはわれわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」と中村哲医師らの活動を受け入れていたことに言及している。 などなど、ご紹介してきました。 中村哲医師の貢献は計り知れないものがあり、ペシャワール会では中村哲医師の思いを今後も受け継いでいくということです。 ご冥福をお祈りします。

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海外「人類の悲劇的な損失だ!中村先生ごめんなさい!」中村哲氏の死に世界中から悲しみの声(海外の反応)

中村 医師 海外 の 反応

中村哲医師経歴学歴! 中村哲医師はなぜ狙われた? 内戦続くアフガニスタンで、突然命を奪われた中村哲(なかむらてつ)さん。 事件の一報が伝えられた際には、「亡くなった」という情報と 「命に別状はない」と情報が錯そうしていました。 それだけ現地は混乱していたことが伺えます。 犯人グループは、当初から中村哲さんグループを狙っていたと 現地関係者は考えているようです。 最初の一撃の時点では、中村哲さんは まだ意識があり動けていたようですが、 犯人グループは中村哲さんが生存していることを確認して 続けざまに襲撃したようです。 どうしてこんなに悲しいことが起きてしまうのでしょうか。 犯人グループは未だ確保されていません。 しかしアフガニスタン政府は、政府をあげて 犯人グループの確保に全力をあげると発表しています。 中村哲医師学歴小学校:古賀市立古賀西小学校 中学校:西南学院中学校 高校:福岡県立福岡高等学校 大学:九州大学 小学校、高校、大学と公立(大学は国立)に進学している中村哲医師。 中学校だけは私立の西南学院に進まれたようです。 現在は、共学になっている西南学院中学校ですが 当時は男子校で、キリスト教の学校。 偏差値は53です。 大学まである西南学院ですが、中村哲医師は 内部進学せず、高校は、福岡県で進学校として知られている 福岡高校に進みます。 偏差値は72。 出身有名人は、小松政夫さん(コメディアン)福岡堅樹さん(ラグビー日本代表) などです。 中村哲さんも出身有名人として、にも掲載されています。 経歴 中村哲医師は、福岡市出身。 父親や母親の職業は分かっていませんが、 幼少期は、現在の福岡県北九州市にある若松区で6歳まで過ごしました。 その後、古賀市に移り、大学卒業まで過ごしました。 5)を卒業後、 国内病院に勤務した後、38歳の時にパキスタン・ペシャワールに赴任。 以来、医師として現地のハンセン病を中心とする医療活動をしています。 パキスタン・アフガニスタン地区での活動をしていましたが パキスタンでは政府の圧力などもあり活動が困難に。 それ以降は、アフガニスタンで活動をしていました。 スポンサーリンク 海外の反応やクリスチャン精神や功績 海外の反応 日本人にとっても衝撃的な偉大な医師の死。 海外の反応も高まっています。 アフガニスタンで人道支援中に亡くなった中村哲医師。 肖像画を尾翼に掲げた写真を、現地の航空会社は投稿した。 「いつまでもあなたの貢献に恩義を感じることでしょう」 — ハフポスト日本版 HuffPostJapan 引用:Twitter U2のライブ、アフガニスタンで銃撃で亡くなられた中村哲医師のため、スマホのライトをキャンドルとして灯してとボノ。 祈りの時間。 彼は偉大なピースメーカーだと称え、悼んでいました。 — よーだこ💫Lv. — Min minminzemichan 引用:Twitter 大切なのは生きることです。 皆がご飯を食べられることです。 武器や軍隊ではありません。 これら、数々の功績がアフガニスタン人に広く知られる一方 政府と対立するグループに狙われてしまったことは 本当に悔やまれます。 現地に赴いた妻や娘さんは、気丈にしていた様子が 心を打ちます。 中村哲さんは、用水路建設を始めて5年目の2008年、 同じ「 ペシャワール会」の仲間を 失う悲しい経験をしています。 アフガニスタンでともに活動していた伊藤和也さんが、2008年に銃撃されて亡くなったときに「これからは一切、日本の人は僕以外現地に入れない」「もう一切危険なところに若者を行かせるわけにいかない」と、自分ひとりで体を張っていく決意を示された。 彼のなかで、もう一段階深い決意に突入したときだったでしょうね。 引用:.

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アフガニスタンで銃撃された中村哲医師死亡…ネットでは悲しみの声

中村 医師 海外 の 反応

「誰もそこへ行かぬから、我々がゆく。 誰もしないから、我々がする」 「鍬も握っていない外国人が農業支援を行うことはできません」 アフガニスタンで、その土地の難民の医療体制や、そのほかの暮らしを整えるのって、誰もやりたがりません。 危険が一番伴いますし、もらえる報酬が多くあるわけではありません。 誰も行かないから行くって言い切って色んな貢献をしていくってほんとに素晴らしいですよね。 中村哲さんが、2008年に同じように現地でペシャワール会のメンバーとして働いていた伊藤和也さんが撃たれて亡くなったときに語った言葉。 「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」 — 古田大輔 masurakusuo 家族は奥さんと子供が五人いらっしゃいます。 奥さんのお名前は尚子さんといいます。 奥さんには11月末に一度帰省した時にお会いしています。 出かけて間も無く事件に巻き込まれてしまいました。 中村哲の海外の反応は? アフガニスタンの大使館の声明文になります 東京にあるアフガニスタン大使館はホームページに中村さんとガニ大統領が並んでうつった写真とともに日本語で声明を出しました。 声明では「中村医師が病院で亡くなられたニュースを聞き、大変悲しみに包まれています」としたうえで、「中村医師はアフガニスタンの偉大な友人であり、その生涯をアフガニスタンの国民の生活を変えるためにささげてくださいました。 彼の献身と不断の努力によりかんがいシステムが改善され、東アフガニスタンの伝統的農業が変わりました」とその功績をたたえています。 ・【 中村哲さん追悼キャス】 こういう人を前にすると、俺の人生これでいいのかなって考えさせられる。 一つの偉大な魂に、まずは献杯。 皆さんも一緒に呑みましょう。 ・ 中村哲 さん、社会科の教科書に載っているんだよ。 小6最後の単元。 素晴らしい方。 ショック。 ・「日本の政権については、こんなバカな政権はない。 日本人ほど権力に弱い国はないと感じる。 現政権がアフガニスタンに出現したとするなら、もう何十回か暗殺… ・【アフガン銃撃】 中村哲 さんの過去の発言が物議『憲法9条が僕らを守ってくれてる。 政府もタリバンも手を出さない。 むしろ、守ってくれている』 ・中村哲 さん、人類の宝だった ・医療だけでなく、インフラの整備、仕事、教育を生み出して、その地を倖せにした人が凶弾に倒れた。 中村哲 さんの本に、思想に触れて、アフガニスタンから世界を更に知った。 志半ばだったろうな。 まだまだだったろうな。 でも、きっとこの人は恨まず、武力でない平和を願うんだろうな。 ・恥ずかしながら、亡くなった報道で初めて 中村哲 さんという方を知った。 干ばつで砂漠化した土地に再び緑が蘇った映像に母と2人で何度も凄いと拍手を送った。 平和が揺らぐ今の日本で中村先生の存在はとても大きな意味を持つと思う。 必ず平和のバトンを次の世代に繋げなければいけない。 まとめ なんでこんなに人のために自分の行動をし、世の中を変えてる人が、亡くならなければいけないのかほんとに理解できません。 中村さんが残した功績は日本が誇れるものだと思うので多くの人がより、中村さんを知り、こういう活動をしている人がいることを胸に刻むべきだと感じました。 おそらく知らない方も多いのではないでしょうか。 本当に残念です。 最後まで読んでいただきりがとうございました。

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