羽生結弦成功への軌跡。 羽生結弦 10年間の軌跡/動画/4月29日/3月31日2020年NHKbsを無料視聴で見る方法|番組情報ステージ

羽生結弦 10年間の軌跡/再放送/見逃し配信4月29日(3月31日2020年のリメイク)NHKbsを無料視聴で見る方法|番組情報ステージ

羽生結弦成功への軌跡

オリンピックにたとえ出られなかったとしても、それは素晴らしいキャリアになる! 凄いわね、ここまでリンクで身体張れるオンナはエロスか宇宙人しかいないわね笑 シンバル氷上に叩きつけてるオンナなんて、あたし初めて見たもの。 エロスのキャリアって、2011年シニアデビューでしょ?まるまる9年になるわけね。 これだけの経験と実績を積んできても、彼女まだオリンピック出場という巡りあわせには至っていないのよね、、、 彼女がジュニア時代からずっと見てきて、好調の時もそうでない時もすべて知っているからこそ、 次の北京五輪では出場してほしいという気持ちがあってね。 でもロシアは恐らく「3枠」を取れたとしても、その1人になるのが至難の業なのよね。 フィギュアスケートの世界チャンピオン、エリザベータ・トゥクタミシェワは、2022年の北京オリンピックに行きたいと語った。 トゥクタミシェワはオリンピックに参加したことはありません。 「もちろん、オリンピックに行きたいです。 3回目のオリンピックになることは承知しており、出ることができなかったとしても全力を尽くします。 そして、 私が最善を尽くし、それでも出れなかったとしても、オリンピックに行く運命になかったのだと思えます。 フィギュアスケートをもう十分してきたと思います。 もう一度やってみますが、オリンピックに行けなくても、それは華やかで十分なキャリアとなるでしょう。 オリンピックに参加しなかった、またはオリンピックで優勝しなかったために、引退するということはしたくないのです。 オリンピックがなくても成功することができるし、あまりにそれを大きな出来事にしてしまうと、その後の人生が壊れてしまうことだってあるのですから。 ruより一部引用翻訳 ここ最近の彼女の演技を見ていると、順位や成績としての結果よりも、 彼女がどれだけ自分自身が満足した演技ができるかに、重きを置いているような気がするのよね。 キスクラでの彼女の表情を見ていて思うのよ。 あたしだったら、代表選考で4位になって3枠に入れなかったら、キー!ってなって、 エキシビジョン辞退してしまうかもしれないわ。 でも彼女楽しそうに滑るのよね。 昨季のトキシック、そして今季の楽器を駆使したエロティックパフォーマンスといい、 観客を楽しませようともしてるけど、何よりすごく自分が楽しんで輝いているのが印象的だったのよ。 それでも、ぜひ彼女には北京五輪の座を実力で掴んでほしい。 トリプルアクセルでは満足せずに、4トーループまで習得し、成長を止めることをしないわよね。 彼女のルッツは中でも天下一品よ。 すごくお手本のようなジャンプ! 頭上から見ると新ためて、凄いわね。 まるでエーゲ海に漂う人魚のようね。 『羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」』5分 4月29日(水・祝)23:20~23:25 NHK総合 — 公益財団法人日本スケート連盟 skatingjapan まず今夜は「羽生結弦10年間の軌跡~NHK杯~」がNHK総合で再放送よ! そして気になるのは、10年間の軌跡番組終了後から始まる、 『羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」』 「2014年NHK杯フィギュアのエキシビションで、大勢の観客がいる中で、世界の人々に向けて、復興支援ソング「花は咲く」を演じました。 演技に込めた震災復興への思い、全国に向けた勇気と元気、そして希望のメッセージ。 」 読者様、情報ありがとうございます!!! 本当に心に響く、今だからこそ見たいプログラムよ。 これは凄いボリュームね笑 最後までお読み頂き、ありがとうございます。 下のブログランキング2つをポチっとして頂けると励みになります!.

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羽生結弦|羽生結弦 成功への軌跡

羽生結弦成功への軌跡

表彰式での羽生結弦 選手情報 生年月日 1994-12-07 (25歳) 代表国 出生地 172 cm 57 kg B (2012 - ) ジスラン・ブリアン 元コーチ (2006- 2012) (2001-2005) 松田達義 関徳武 武者愛 山田真実 元振付師 関徳武 所属クラブ 練習拠点 週間練習時間 10 開始 1998 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 サイト ISU パーソナルベストスコア 合計スコア 322. 59 旧合計スコア 330. 43 111. 82 旧 112. 72 212. 99 旧 223. 20 国内競技会成績・シングル 優勝 4回 ... 優勝 2回 2008.2009• アジア男子初 金メダル• アジア初 2連覇• 男子初• アジア男子初• 男子初 4連覇• 史上初 4回転 認定• 史上初 総合得点300点、SP100点、FS200点• 総合得点、SP、FS 歴代最高得点• 男子初 5シーズン連続 1位 受賞 獲得メダル : 大会 1 位 2 位 3 位 2 0 0 2 3 1 1 3 0 4 2 0 1 0 1 1 0 0 1 0 0 合計 12 8 2 金 金 男子シングル 銅 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 銅 団体 金 団体 金 男子シングル 金 男子シングル 羽生 結弦(はにゅう ゆづる、: Yuzuru Hanyu、(6年) - )は、出身の選手()。 在学中。 主な表彰は、2014年・2018年。 2018年最年少受賞者。 主な戦績は、・2大会連続。 2020年を果たし・。 ・各優勝。 ・・・4連覇。 2012 - 2015年4連覇。 はまで5シーズン連続1位。 主な記録は、の においてISU公認の大会で史上初の4回転に。 のもとに開催された国際大会において、史上初めてで100点、で200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手。 時代におけるで112. 72点、で223. 20点、トータルスコア330. 43点の。 2019-20シーズンの終了時までにを通算19回している。 人物 、に生まれる。 名前は「弓のを 結ぶように凛とした生き方をしてほしい」と父が命名した。 、 、 、 、在学中。 2歳のころからの持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった。 15歳のときに、喘息の持病がありながら五輪金メダリストになったに会う機会があり、スケートを続けていくための助言を得た経験がある。 肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代のころは体力やの面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療や吸入薬、、気道を開く施術、移動時や練習時にを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは大幅に改善された。 しかししたわけではなく、特に練習拠点をに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え 、現在(2017年時点)も発作を起こすと明かしている。 演技前に必ず行う胸の前でような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩をに保つ意識を確認するためのおまじない」である。 2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった。 影響を受けた選手として、、、、、を挙げている。 特にでのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のまで真似した時期もある。 彼の得意技であったをプログラムに取り入れリスペクトを示してきたが、2018 - 2019シーズンには『ニジンスキーに捧ぐ』へのトリビュートとなるプログラム『Origin』に自ら挑んでいる。 これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている。 2015年ので3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている。 2014年4月にのに就任する。 現在、第3期となり引き続き観光大使を務めている。 また 2014年6月にのに就任した。 趣味・好物• 「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできる」との理由でを好んでいる。 カバーにを愛用しており、試合の際には毎回必ずリンクに連れてきている(などの問題で持ち込めない特殊なケースでは、選手村の自室で留守番とのこと)。 このような経緯から、国際大会での演技後は各国のファンが客席からのを投げ入れる光景が定着していった。 現在はあまりに大量のが贈られるためすべてを連れて帰ることはできず、現地で寄付をするとのこと。 のフリー演技後に投げ込まれたたちは、地元のなどの現場スタッフにプレゼントされた。 音楽 音楽鑑賞:好きなアーティストに 、 (羽生の地元である仙台出身)、、、、、、、 [ ]などを挙げている。 特に試合前に聞く「勝負曲」はONE OK ROCKの「」「キミシダイ列車」とのこと。 :音質にこだわるで、イヤホンを収集している。 普段から約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けており 、もっとも高いイヤホンは自身の耳の型を取った特注品で約22万円。 音へのこだわりには並々ならぬものがあり、『SEIMEI』など自身のプログラム楽曲の編集を自ら行ったり、オルゴールの監修を手がけたりしている。 スポーツ 小学生当時は「をやりたい」と思った時期もあり、幼少期よりのファンである。 憧れの選手は(現・)。 これに対し前田は「羽生選手に勇気をもらったから、今度は僕が勇気を与えたい」と語っている。 によって2004年(羽生が10歳のころ)に新規参入した地元のも応援している。 は地元のと縁が深く 、震災発生直後の2011年5月には、ベガルタのホームスタジアム・での募金活動に参加している。 、、 将棋を好んでおり「自身の2015年を1文字で表すと? 」と問われた際には、将棋の駒の「歩兵」が「と金」になることに例えて「成」と回答している。 またも好きで、引退したらなどをじっくり観覧したいとしている。 にはまった当時は『』出演時などにも腕前を披露している。 愛用品は、認定品の「オールブラック」。 2019年1月、日本けん玉協会から「大空 Premium Gold」と名入れをした「大けん玉 太陽 Premium Gold」 共に、有限会社山形工房 製 が贈られた。 アニメ、ゲーム、特撮 『』に憧れていた5歳当時、初めて滑ったプログラム曲はガイアのOPテーマであった。 TVアニメ『』シリーズが好きで「試合前に聴いたり、心の支えとなっていた曲」の1位に『』の挿入歌であるの「」を挙げている。 また漫画『』のファンであり、自身もCM出演した『』シリーズのヘビーユーザーである。 スケート技術と特徴 2011年GPシリーズ 「」 、、の全方位に秀でたである。 ジャンプは、準備動作が少なくてもただちに跳ぶことができるのが特徴で 、踏み切りから着氷後の流れまで美しく跳び幅があり、(出来栄え点)加点を得るための8つの評価要素をすべて満たしている質の高さが特長。 このためクリーンに跳ぶと満点となる3点(現在は5点)、または満点に近い高い加点を獲得する。 試合では4種類の4回転ジャンプ(、、、)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点のつくトリプルアクセル()である。 質の高さに加え、踏み切り直前に「」と呼ばれる難しいターンを行ったり、両足のつま先を外側に向けたから踏み切り、着氷後にすぐイーグルに戻ったりなど、ジャンプへの入り方や出方の難度の高さなどからも常に2 - 3点のがつき、だけで確実に11点以上を稼ぐ。 特に基礎点が1. 1倍となる演技後半に組み込んだトリプルアクセルからの連続ジャンプは、めったにミスをしないことからも4回転以上の強力な得点源となっている。 このように、の高い高難度のジャンプ構成を成立させたうえで、各要素を確実に高い質で決めることから 、高いGOE評価を獲得する。 この完成度の高さが羽生の強さである。 例として、世界記録を塗り替えたでは20. 18点の加点(当時の4回転トウループの基礎点は10. つまり加点だけで4回転ジャンプ2本分の基礎点に匹敵する)を獲得している。 は、エッジエラーの判定を受けることがあったが、2011 - 2012シーズンよりエラー判定eはなくなり、克服に成功している。 [ ] 五輪2連覇 「」 スピンの技術も高く、完璧にを満たせばこちらも高い加点を獲得する。 もともとのスピンの速さとポジションの美しさに加え、回転しながら指先や腕などを動かすことでオリジナリティーを出し、プログラムの構成難易度を上げる工夫を行っている。 特に、柔軟性の高さを生かした やドーナツスピンなどを積極的に演技に取り入れている。 、イナバウアー も得意で、多くのプログラムに入れている。 4回転ジャンプ による略称: T S Lo F Lz A 試合では4種類の4回転(、、、)をプログラムに組み込んでいる。 4回転ループは、やのフィナーレなど(4回転ループ - 3回転アクセルを着氷している )で跳んでいたが、2016 - 2017シーズンより競技に取り入れている。 2016年9月30日にで開催されたのショートプログラムにおいて、国際スケート連盟(ISU)公式の国際大会史上初めてクリーンに成功させた(2016年10月2日、にて公式に認定)。 は公式練習でも着氷していたが 、のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させた。 公式練習ではにも挑戦している が、こちらは試合に組み込む意向を示したことはない。 については、幼いころに従事していたコーチからも「アクセルは王様のジャンプ」と教わった経験や、自身がアクセルジャンプを得意としていることからも思い入れが深く「将来的には必ず4回転アクセルを跳びたい」と常に語っている。 後の挑戦を示唆していたが 、2018 - 2019シーズンより実戦への投入を目標に練習中である。 4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、 のフリーでは「4回転トウループ - 1回転ループ - 3回転サルコー」の3連続ジャンプを初めて成功させた。 のフリーでは、こちらも史上初となる「4回転トウループ - トリプルアクセル」のコンビネーションを成功させている。 コーチと振付師 ジュニア以前 1998年のにおける競技のうち、7人中4人(、、、)がのに在学中の高校生選手であり、かつ4人ともの教え子であった。 これを発端に仙台でフィギュアスケートブームが起こる。 長久保や4選手が所属する泉のリンク(現・、 )で1999年にが開催した子供スケート教室に姉が通い始め、この姉の影響により羽生も4歳でスケートを始めた。 同じダイエー系列のが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナを指導していたが仙台に移り、小学2年から小学6年まで指導を受けることとなる。 都築に個人指導を受けるようになったのは小学3年からだが、友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、このときはスケートが嫌になりをやりたいとも言い出した。 しかし「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、翌2004年10月に初出場した(Bクラス)で優勝。 9歳で初めて金メダルを獲得した。 優勝した直後の2004年12月にホームリンク(から徒歩10分程度)が経営難で閉鎖したため、( )に練習拠点を移した。 勝山は七北田小から道なりに約6キロ(渋滞がない早朝なら車で約15分だが、夕方は30分程度)離れており、貸切時間もあまり取れず練習時間は一気に減った。 リンクメイトの少年たちも何人も辞めていき、この時期に伸び悩むこととなり 、2005年はノービスBで2位、2006年はノービスAで3位となる。 都築は旧・東神奈川スケートリンク(横浜市)へ移籍となり、羽生とは離ればなれになった。 2007年3月、閉鎖されたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台として営業を再開すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した。 2007 - 2008シーズン 2007 - 2008シーズン、(Aクラス)で優勝。 まだノービスの選手(1年)ながらで3位となる。 ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初。 2008 - 2009シーズン 2008 - 2009シーズンからジュニアに上がり、に参戦。 全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となったでは出場選手中最年少ながら8位に入る。 でも大会最年少(14歳3ヶ月)ながら12位となった。 [ ] 2009 - 2010シーズン より このシーズン「準優勝」 史上最年少 2010 - 2011シーズン、シニアデビュー戦となったので、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入賞。 出場3回目のでは4位となり、の代表に選出された。 2月に開催されたではショート、フリーともに自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得。 男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。 3月4日に宮城県知事を表敬訪問 、同日仙台市役所を訪問し四大陸選手権の結果を報告した。 3月7日には東北高校の壮行会にて四大陸選手権銀メダルの報告をした。 東日本大震災 、()が発生。 地震発生時は仙台市ので、先輩スケーターと貸切状態で練習中であり、四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難した。 羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした。 3月12日にはベガルタ仙台のホーム開幕戦のハーフタイムに四大陸選手権銀メダルの報告会と花束贈呈が行われる予定だったが 、試合と共に全て中止となった。 し、大勢の避難者が避難所生活をしているさなか「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日考えていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でをしながら(春のセンバツ甲子園)に出場し、の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した。 羽生の練習場所を心配し、すぐにとが阿部コーチに連絡してきたが、かつて師事した都築コーチがいる旧・東神奈川スケートリンク(現・横浜銀行アイスアリーナ)で、地震から10日後に練習を再開した。 ()の41日前に生まれた羽生は、に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した。 震災を経て、ですぐにメッセージを送ったらや、ファンからの手紙、羽生の現状を伝えるメディアなど、さまざまな支えにより生きていることを痛感し「目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。 そのために精一杯、やれることは全部やっていこう」と決心。 4月からは、テクノルアイスパーク新井田()を仮の拠点とし、復興支援目的のへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた。 、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。 2011 - 2012シーズン より このシーズン「SP」 「WR」2度更新 2012年の4月にコーチをに変更。 夏からはオーサーの指導拠点となる(Toronto Cricket Skating and Curling Club、 )がある・に渡り練習を開始した。 羽生自身はオーサーの師事を決めた理由として、同じくオーサーの指導を受けることで4回転ジャンプの精度が上がったに着目し「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、ほかの部分も上達するチャンスが出てくると考えました」と語っている。 ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。 では初戦の、地元・宮城県で開催された第2戦のと、2戦続けてで歴代最高得点を更新、では2位となる。 では初優勝を果たした。 では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。 総合得点では2位になった。 しかしでは、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き、9位と出遅れた。 さらにフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った(翌2月開催の男子シングル種目は、高橋大輔の6位との成績で最大の3枠を確保)。 左膝の故障のため、は辞退した。 2013年4月にに進学した。 2013 - 2014シーズン 「日本男子シングル史上初」 【金メダル獲得】 2014年2月、で開催のでは、団体戦のショートプログラム1位となるが、日本は5位に終わった。 男子シングル個人種目では、ショートプログラムの『』で101. 45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し首位に立った。 しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転で転倒、直後の4回転は成功したものの、3回転で再び着氷に失敗。 演技後半の3回転からのコンビネーションは2回とも成功させたが、3回転 - 1回転の直後、3回転が認定されないなど不本意な演技となり、自己ベストには程遠い178. 64点にとどまった。 フリー演技終了直後のインタビューでは「(体が)全然動かなかった。 (本番直前の)6分間練習から焦っていた。 はっきりいって自分の演技に満足していない。 終わったあとは、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた。 SPで2位につけていた(カナダ)は羽生の直後に滑走。 冒頭4回転 - 3回転トウループのコンビネーションを成功させるも、その後は単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなどの着氷ミスが続き、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった。 その後に滑走した2選手もメダル圏内にはおよばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、 アジア人初となるでのを獲得した。 「日本男子シングル史上初」 【金メダル獲得】 FS 2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしては()がので優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった。 さらにオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、、に次いで史上3人目。 ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人 として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得となり、さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダル獲得は記念すべき10個目となった。 表彰後のインタビューではの記者フィリップ・ハーシュからについての質問を受け、「金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。 自分には何もできていないんだという無力感がある。 でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています」と回答し、故郷への感謝を述べた。 この質問をしたハーシュは「僕にとってソチ五輪でもっとも忘れられない瞬間は、誰かが成したことではなく日本の羽生結弦が言ったことだ」とツイートし 、「19歳とは思えない成熟と謙虚さ、細やかな感受性をもって、この勝利について語った」と羽生を称える記事を書いた。 また同席していた の記者ジェレ・ロングマンは「金メダルの獲得こそが、羽生が前進するための出発点となるだろう」と結ぶ記事で勝利を称えた。 世界選手権初優勝 優勝 2014年3月、で開催されたでは、ショートの4回転トウループで転倒し3位と出遅れた。 しかしフリーで、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させる。 その後の3回転フリップでエッジエラー判定を受けた以外は、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に立つ。 総合2位のを合計得点0. 33点の僅差でかわし、逆転優勝を果たした。 日本男子シングル種目では、の高橋大輔以来、4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなる。 さらに「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の3大会を制したのは、2001 - 2002年シーズンの以来、男女シングルを通じて史上2人目の快挙となった。 2014 - 2015シーズン グランプリファイナル2連覇 「優勝2連覇」 オリンピックチャンピオンとして臨んだ2014 - 2015シーズンだが、度重なるアクシデントの影響により、当初挑戦する予定だったプログラムの難度の変更を余儀なくされた。 初戦となる予定だったは腰痛のために欠場。 2014年11月、初戦となった開催のではショートプログラムで2位スタート。 フリースケーティング前の6分間練習で、中国のと衝突事故が起きた。 は国際試合に医師を帯同させていなかったため、現場では米国の医師に応急処置を受け、頭部と顎にテーピングと包帯を施したままの状態で演技に臨んだ。 流血事故を押しての出場は、当初の可能性が疑われたため「危険だったのではないか」とメディアの賛否が分かれる事態に発展したが、脳震盪は起こしていないと現場の医師の診断を受けており、最後までプログラムを滑りきり銀メダルを獲得した。 「準優勝」 この演技終了後に顎を7針、頭を3針縫い、表彰式とエキシビションには出演せず翌日に帰国。 精密検査の結果、頭部挫創・下顎挫創・腹部挫傷・左大腿挫傷・右足関節捻挫で全治2 - 3週間と診断を受けた。 次戦のは開催直前まで出場の可否が検討されていたが、最終的には出場し総合順位は4位となる。 この結果、ISUグランプリシリーズポイントランキング6位となり、最下位でへと進出した。 1番滑走で臨むことになったショートでシーズンベストを記録し首位に立ち、フリーでは2種類の4回転を成功させ自己ベストを更新。 日本男子初となる大会2連覇を達成し、 事故を乗り越えての勝利を「存分に体を使える幸せを感じた。 今スケートができることが一番の幸せ」と語った。 世界選手権銀メダル シーズンベストを叩きだした 続く2014年12月、では3連覇を達成したものの 、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、を欠場して緊急入院。 「遺残症」との診断結果により、翌12月30日に手術を受けた。 3連覇を達成した直後に、NHK杯で見えた壁を越えて見えたものはと問われ「壁です。 壁の先には壁しかないのかな、と。 人間というのはそういうものだと思うし、課題ができたら、人間は欲深いものだからそれを越えようとします。 たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思うのと同時に、それを達成するためにサポートしてくれる環境がある。 幸せ者だなと思います」と答えた。 手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが 、退院後に練習を再開。 しかし手術で腹部を4センチほど切り、腹筋の感覚に違和感が生じたことが一因で練習時に右足首を。 再び2週間の休養を要し、3月開催のへの出場は直前まで危ぶまれた。 しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、以来の復帰戦に挑むこととなった。 2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催されたでは、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークして首位に立った。 術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリーの4回転をどちらも失敗。 その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まった。 結果は、同門のに2. 82点およばず銀メダルとなり、日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。 連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかけることができる立場になった。 悔しさをバネに進んでいける」と語り、復帰戦を終えた。 のほか、手術跡がを起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催のへの出場の可否は後に協議されたが、自身初となる出場が決定。 ショートプログラムで96. 27点と今季自己ベストを更新して首位に立ち 、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを決めたほか、ミスを最小限にとどめ首位に立った。 フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた。 日本は銅メダルを獲得。 来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった。 2015 - 2016シーズン 世界記録更新とGPファイナル3連覇 では、世界記録を再び塗り替え、男子史上初の3連覇を達成した(フリー演技『SEIMEI』)。 映画『』のサウンドトラックを用いた新たなを『SEIMEI』と自ら命名。 「」のをイメージした衣装で、振付によるの表現に挑んだ。 初戦ので優勝。 続くのショートプログラムでは、演技後半のジャンプがルール上カウントされず0点となり73. 25点の6位発進と出遅れたが 、フリーで自身初となる4回転3本を着氷させて巻き返し2位となる。 続くでは「挑戦という意味を込めた」として、ショートに4回転サルコウと4回転トウループ - 3回転コンビネーションの4回転2本を組み込む、自身最高難度の構成に急遽変更。 ノーミスの演技で、で自身が記録した101. 45点の世界最高得点を更新する106. 33点をマークした。 「絶対王者 になると言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた 」として臨んだ翌日のフリーでは、演技後半の4回転 - 3回転コンビネーションを含む計3本の4回転のほか、すべてのジャンプを成功。 技術点は出来栄え評価で23. 08点もの加点を獲得し、演技点の「音楽の解釈(Interpretation)」の項目は、ジャッジ9人中6人が10点満点をつける9. 89点という圧倒的な演技で安倍晴明を演じきり、史上初の200点台となる216. 07点を記録した。 トータルスコアでも史上初の300点台となる322. 40点を記録し、が保持していた295. 27点のを大幅に塗り替える前人未到のスコアで優勝を果たした。 この大会で羽生はショート、フリー、トータルの全スコアで世界記録を更新。 において、史上初めてで100点、で200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となった。 さらに2週間後ので開催されたのショートプログラムにおいて、NHK杯を超える演技を披露。 4回転サルコウと、4回転トウループ - 3回転トウループの連続ジャンプは、9人中8人のジャッジがGOE(出来栄え評価)加点で満点の3点をつけ、PCS(プログラム構成点)は満点の50点に肉薄する49. 14点をマーク。 110. 95点を叩き出し、わずか2週間で再び世界記録を塗り替えた。 一日置いたフリーでもノーミスの演技を披露。 4回転サルコウ、4回転トウループともにGOE満点を獲得し、技術点は120. 92点に到達。 構成点では9名のジャッジが10点満点をつけた項目が23にもおよび、NHK杯を超える219. 48点を記録。 トータルで330. 43点というスコアを叩き出し、再びすべての世界記録を更新した。 プログラム構成上の上限の点数に対する得点がショートが2. 70、フリーが6. 31とごくわずかの演技で 、男子選手として史上初となる3連覇を成し遂げた。 歴史的な記録更新に、会場のインタビューで自身の演技を見た子どもへのコメントを求められ「どうかスケートを、練習を、夢をあきらめないで」と語った。 SP WR ・FS WR 【3連覇】 続くではさらなる記録更新に期待がかけられたが、フリーの演技後半の2度のジャンプの転倒が響き183. 73点、トータルは286. 36点にとどまった。 2位のに20点近い大差をつけ、男子史上29年ぶりとなる大会4連覇を果たしたものの「ひどい演技。 自分の中では勝ったとは思っていない」と悔しさをあらわに、2015年を締めくくる試合を終えた。 世界選手権銀メダル 2016年3月にで開催されたでは、ショートでは自己ベストに肉薄する110. 56点を記録。 一日あけて臨んだフリーでは「さらに完成度を高めるため」として、後半の4回転トウループを4回転サルコウに変更(実際には左足の靱帯損傷の悪化により変更となった)、しかしここで転倒するなどジャンプの精彩を欠いた演技で、自己ベストには程遠い184. 61点にとどまった。 トータルスコアは295. 17点という結果となり、ショートのリードで逃げ切ることはできず、前回大会と同じく同門のに逆転され、2年連続の銀メダルとなった。 期待されながらも王者奪還を逃した敗因を「いい演技をしたい、と欲張った結果が裏目に出た空回りであり、自分の過ち」と分析。 演技後は「ここで金メダルを取れないようでは自分はまだまだ」と述べ、去年と同様に悔いの残る世界選手権を終えた。 大会終了後、左足のの治療のため、帰国はせず練習拠点のに戻ると発表。 後日正式に「左足リスフラン関節」により全治2か月との診断を受け 、への出演をすべて取りやめ、治療とに専念することとなった。 4回転ループを含む、6本の4回転ジャンプを組み込む高難度プログラムに挑む。 初戦ので、ISU公認大会史上初となる4回転ループを2度成功させる 快挙で優勝。 しかし「ぜんぜん体が動かなかった 」と苦笑するほど全体的には精彩を欠いた演技で、自己ベストから70点近く低い260. 57点にとどまった。 不本意な結果に「次の試合ではノーミスで。 そのくらい練習していきます。 そうじゃないと、羽生結弦じゃないです」と雪辱を誓った。 しかし初戦となる、続くのショートで「慎重になりすぎた」と4回転を失敗し、4位発進と出遅れる。 フリーは1位で追い上げるも、トータルスコアでにわずかに届かず、同大会2年連続で2位となった。 ショートの出遅れが響き今回も263. 06点というスコアにとどまったが、初戦の体力切れを改善し演技後半のジャンプを安定して決めることができたことから「悔しさ9割、達成感1割」と総括した。 続く2戦目のでは、ショート冒頭の4回転ループの着氷のみ乱れたが、演技後半のトリプルアクセルがGOE満点評価を受けるなど圧倒的な演技で103. 89点をマークし首位に立つ。 フリーでは4回転サルコウ - 3回転トウループのコンビネーションの4回転サルコウで転倒があったものの、4回転ループ、4回転サルコウ、4回転トウループと3本の4回転ジャンプを成功させる安定した演技で197. 58点をマーク。 今季世界最高得点となる総合301. 47点で優勝し、への進出を決めた。 今回もノーミスの演技は達成できなかったことから、ショート・フリーともに演技後に「もうちょっと」と、指で自身の演技の完成度を悔しがる仕草を何度も見せていたが 、フリーについては「冷静に考えたら全然もうちょっとじゃなかった。 かなり頑張ってきます」とさらなる向上を誓い、「悔しさ4割、ホッとした4割、楽しかった2割」と大会を総括した。 12月8日よりで開催のに、史上初となる4連覇をかけて出場。 ショート冒頭の4回転ループの着氷を何とか堪え、すべてのジャンプを成功。 スピン、ステップのすべてで最高評価のレベル4を獲得した。 ステップはジャッジ9人中8人がGOE満点のプラス3をつけ、上限となる2. 1点の加点を得るという圧倒的な演技で、シーズンベストを更新する106. 53点をマーク。 首位発進で臨んだフリーだったが、冒頭の4回転ループと4回転サルコーは成功するも、演技後半の4回転サルコーで転倒するなどミスが相次ぎ失速。 得点を伸ばすことができず、フリーは全体3位となる187. 37点にとどまった。 しかしながらショートでの大幅なリードに助けられ、2位まで追い上げたに10点以上差をつける合計293. 90点で大会を制し、男女を通じて史上初となる4連覇を達成した。 また大会4度の優勝は、男子では羽生が憧れると並ぶ記録となる。 この結果を喜ぶ一方、ノーミスの演技を達成できなかった悔いの残るシーズン前半戦を「めちゃくちゃ悔しい。 反省点だらけ」と総括。 シーズン後半に向け、改めて4回転ジャンプ4本を組み込むフリー構成の完成を目指す。 次戦は5連覇をかけたとなる予定だったが、帰国後にを発症しを併発する。 大会前日の段階でも発熱が続いており、さらに1週間の安静加療が必要と診断されたことから、正式に欠場を発表した。 不在に終わった全日本だが、上述の優勝および、過去に出場した世界選手権における実績などから選考基準を満たしており、2017年にで開催されるの代表に選出された。 世界選手権2度目の優勝 2度目の優勝を果たした 羽生結弦 フリーは世界最高得点 WR 2017年2月、復帰戦となるに出場。 ショートは冒頭4回転ループをほぼ完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウが2回転となるミス。 トリプルアクセルで満点の加点を得たものの、97. 04点の3位発進と出遅れた。 今季最高得点となる206. 67点を叩き出しフリー1位となったが、合計303. 71点はショート1位のにわずかに届かず2位に終わった。 今回もの優勝はならず、同大会で獲得した銀メダルは3個目となったが「優勝したかったが、今までで一番楽しかった銀メダル」とし、「自分の限界に挑戦している感覚が非常に好き。 この時代に生まれてよかった」と、ライバルとハイレベルな戦いに挑む喜びを述べた。 3月にで開催されたに出場。 ショートでは、冒頭の4回転ループを自身最高となる2. 43点の加点を得る出来栄えで完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウの着氷が乱れ、左膝をつくミス。 その体勢から急遽両手を上げての2回転トウループをつけたが、これはコンビネーションとは認定されず大幅に得点を失う。 さらに、名前を呼ばれてから30秒以内にスタート位置につけず「スタート遅れ」の規定違反により1点の減点を受け、98. 39点という厳しい得点になる。 109. 05点で自己ベストを更新した首位のとは10. 66点差の5位発進と大幅に出遅れる。 しかし最終グループ1番滑走で臨んだフリーでは、となっていた演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループの連続ジャンプを今季初めて完璧に成功。 4回転4本に加え、すべてのジャンプを加点つきで成功させるという圧巻のノーミス演技を成し遂げ、自身が持つ世界最高得点を更新する223. 20点を叩き出した。 トータルスコアはシーズンベストとなる321. 59点で、4位までが300点を超える空前の激戦を制し、史上初 となるショート5位からの逆転優勝を飾った。 世界選手権の優勝は2度目となり、3年ぶりに世界王者の座を奪還した。 世界記録を塗り替えての劇的な逆転優勝を、は「目もくらむような眩惑的なフリースケート」の見出しで称え 、の紙は「キングが王座に帰還した」と報じた。 フリーでの世界記録更新については「一番とらわれていたのは過去の自分の数字。 1点でもいいから超えてくれと恐れながらやっていたが殻を破れた」と、限界を設けず練習を続けたことへの収穫を述べた。 シーズン最終戦として4月下旬にに出場。 ノーミスを目標に掲げていたショートで4回転が決まらず、83. 51点の7位に沈んだ悔いから「こんなに悔しいならもう1回跳べばいい」と、4回転ジャンプを5本組み込む構成でフリーに臨んだ。 5本のうち前半の4回転サルコーが1回転となるミスが出るも、演技後半で史上初となる3本の4回転ジャンプを成功をさせ(4回転サルコー - 3回転トウループ、4回転トウループ、4回転トウループ - 1ループ - 3サルコー )200. 49点をマークし1位に躍り出る。 日本はポイント合計で総合1位となり、3大会ぶりに優勝を飾った。 ハイレベルな試合が続いた五輪プレシーズンを「だからこそ練習が楽しいしモチベーションも高くなる。 今スケートが楽しいです」と総括し「自分がしたいスケートをしっかりやって、また一歩ずつ進んでいければ」と来季への展望を述べた。 2017 - 2018シーズン 4回転ルッツ成功と右足関節外側靱帯損傷 ショートに『』、フリーは2015 - 2016シーズン時点で「五輪シーズンで使うと決めていた」という『SEIMEI』と 、自身が世界最高得点を更新したプログラムの再演を選択。 フリーは4回転5本を組み込むなど構成の難度をさらに上げ 、オリンピックシーズンに臨む。 9月にで開催されたオータム・クラシックに出場。 右膝に痛みがあり4回転ループは回避したが、ショート冒頭の4回転サルコウおよび後半のトリプルアクセルでGOE満点の評価を獲得するなど、技術点合計が歴代最高の64. 17点に到達するノーミスの完璧な演技を披露。 自身が2015年より保持している最高得点を塗り替える112. 72点の世界新を記録し、首位発進となった。 しかし、翌フリーは得意のトリプルアクセルで転倒するなど精彩を欠いた演技で失速。 自己ベストから実に67点ものマイナスとなる155. 52点にとどまり 、合計でに逆転され2位となった。 この落差の激しさは「集中力の弱さ」にあり永遠の課題としつつも 、初戦で2位に終わった悔しさを「大きな収穫」と受け止めた。 10月に初戦のに出場。 ショートはジャンプのミスが響き2位発進。 フリーでは、自身初挑戦となる4回転ルッツを成功させ 195. 92点の1位まで追い上げるも、合計290. 77点はに3点届かず2位と、6年連続で初戦の優勝を逃した。 次戦は11月のを予定していたが、9日のでの公式練習にて4回転ルッツで転倒した際に負傷。 翌日午後にが「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった。 この時点で出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した。 に戻り、12月のへの出場を目指して治療に専念したが 、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念。 18日にが正式に欠場を発表した。 引き続きリハビリを優先し 、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。 逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランキング 1位であり、規定に沿って正式に代表に選出された。 平昌オリンピック金メダル(史上66年ぶりの五輪2連覇・アジア初) 「66年ぶり五輪連覇」 大トリ(日本人初) 1月のも回復優先のため回避し 、2月9日に開幕した団体戦への出場も「完全回復にあと1週間必要」とのの判断により回避。 11日に現地入り後は慎重に調整。 まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言。 約4か月ぶりとなる復帰戦として、男子シングル66年ぶりの五輪連覇がかかる個人戦に臨む。 2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。 4回転ループは回避するも 、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め 、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した。 自己ベストに肉薄する111. 68点をマークし首位発進となる。 「痛み止めなしでは3回転ジャンプすら跳べなかった」という状態の悪さから、翌17日に行われたフリーのジャンプ構成は試合当日の朝に決断したという。 冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループでGOE満点を獲得する完璧な滑り出しで序盤のジャンプはすべて成功。 長いブランクからスタミナが懸念された演技後半も、4回転サルコー - 3回転トーループの連続ジャンプを成功。 しかし続く4回転トーループでミスが出たため、その後のトリプルアクセルを2連続からトリプルアクセル - シングルループ - トリプルサルコーに切り替えリカバリーした。 最後の3回転ルッツも、体勢を崩しながらも着氷でこらえた。 大きなミスは1つにとどめ、フリーでは演技構成点トップ、技術点との合計206. 17点は自己ベストにはおよばないものの、ショートプログラムとの合計317. 85点と2位以下を10点以上離し、に続き2大会連続で金メダルを獲得。 男子ではとを制したアメリカの以来66年ぶりとなる連覇を達成した。 これを受け、バトンは自身のツイッター上で「ブラボー」と賞賛し羽生を祝福した。 日本人として史上初の大トリを飾ったエキシビション の個人種目で日本人が連覇を果たしたのは史上初である。 また冬季五輪ではが1924年に第1号獲得者となって以降、通算1,000個目の金メダルとなった。 25日のでは「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」で大トリを務めた。 男子シングルの金メダリストがオリンピックのエキシビションで大トリを飾るのは、金メダルのプルシェンコ以来であり、日本人メダリストが最終演技者を努めたのは史上初となる。 被災地の復興の願いを込めた演技で大役を果たし、平昌オリンピックを終えた。 「この試合は勝たないと意味がないと思っていた」との覚悟に勝った偉業だが 、連覇にいたるまでの4年間は怪我や病気に苦しんだ。 しかし「もし何もなくうまくいっていたら、たぶん金メダルをとれていなかった」とし、さまざまなアクシデントから学んだ経験を生かせた結果と総括した。 会見では痛み止めの服用なしではジャンプを跳べる状態にはなく、治療期間が必要と明かしたが 、日本に帰国後のに「右足関節外側靱帯損傷、腓骨筋腱損傷」との診断結果を日本スケート連盟を通じて発表。 約2週間の安静と3か月間のリハビリ治療を要する診断を受け、2連覇がかかっていたの出場を断念し、シーズンを終えることとなった。 、が授与の検討をから指示されたと発表。 国民栄誉賞(個人史上最年少受賞) 国民栄誉賞の表彰を受ける羽生結弦 今後は復帰を目指し治療に専念するとして、4月13日に開幕する自身初プロデュースの凱旋『Continues ~with Wings~(コンティニューズ・ウィズ・ウィングス)』でも、トークのみで滑る予定はないと発表。 しかし公演初日に、安静期間を無事に終えて3月下旬から氷上練習を再開した旨を報告。 ジャンプは跳ばないものの、サプライズで45日ぶりに氷上での演技を披露した。 に地元のでオリンピック連覇を祝う凱旋祝賀パレードが開催され、前回(2014年)を上回る、約10万8,000人(直近の仙台市の:108万3,148人(2018年4月1日時点) の約10分の1に相当)の観衆から祝福を受けた。 今後は4回転アクセルへの挑戦を目標に掲げるも、次のを目指すかとの質問への明言は避けた。 来季はなるべく多くの試合に出たいとしている。 なお欠場と棄権が続いたことから五輪以外の主要なポイントを獲得できず、2013年より保持し続けた世界ランキング1位の座から、約4年半ぶりに陥落することとなった。 シーズン終了時点で3位となる。 にの授与が発表。 伝統の「」の(の甲田綏郎より贈られた )姿で授与式に臨み 、ににてよりと盾を授与された。 歴代27例のうち、の金メダリスト(の)は史上初、また23歳での受賞は個人最年少となる。 受賞者に与えられる規定のは「皆さまを代表しての受賞という気持ちが大きく、僕個人の気持ちはあまり出したくない」という羽生の意向で辞退となった。 受賞後は「ここまで切り開いてくださった方々がたくさんいる中で、代表として僕が頂いた」と感謝を述べたのち「この賞と、皆さまの期待とともに、これからも進んでいきたい」と語った。 2018 - 2019シーズン 五輪連覇を成し遂げたことで重圧から解放され、今後は自分のために滑りたいと 、新たなショートプログラムにの『秋によせて』を、フリーはの『ニジンスキーに捧ぐ』をアレンジした曲を用い、プログラム名を『Origin(オリジン)』と名付けた。 自らの競技人生が終盤に差しかかっている実感があるとし 、幼少期に憧れたプログラムの曲を採用することで「自分のを感じながら滑りたい」と原点回帰を新たな目標に挙げた。 松葉づえ姿でロシア杯表彰式に臨む羽生結弦 9月に以来の復帰戦となる()に出場。 ショートはジャンプをすべて決め首位発進するも、スピンが条件を満たせず0点になるミスがあり 、翌フリーでも転倒と連続ジャンプにならないミスが重なり165. 91点にとどまった。 合計でリードを守り優勝したものの 、悔しい結果で逆に「自分の心のともしびに薪が入れられた」状態とし 、次戦までに「最短で強くなりたい」と悔しさをあらわにした。 11月に初戦となる に出場。 「やっぱり試合で勝たなきゃ意味がない」と、要素を後半に入れ難度を上げたプログラム構成に変更。 4回転サルコーで4. 30点の加点を獲得するなど、ルール改正後の世界最高得点となる106. 69点をマークしショートを首位発進。 エッジ系のジャンプが入らないリンクに苦戦するも「スピードを落とすことで慎重に跳んだ」と対応力を見せ、フリーでは世界初となる4回転トウループ - 3回転アクセルの連続ジャンプを着氷させ190. 43点をマーク。 合計297. 12点と、ショート・フリー・トータルスコアのすべてで今季世界最高得点を獲得し優勝。 シニアデビュー以来の鬼門となっていたGPシリーズの初戦を初めて制した。 11月16日よりで開催されたに出場。 ショートでは冒頭の4回転サルコーで4. 30点の加点を得たほか、4回転 - 3回転トウループの着氷の詰まりを堪えるなど高い修正力を発揮。 演技点は5項目すべて9点台なかば以上が並び「この構成では実質ほぼマックスの得点だと思う」と自己分析する圧巻のノーミス演技で 、 でマークした最高得点を更新する110. 53点を叩き出し首位発進。 しかしフリーが行われる17日午前の公式練習で、4回転ループの着氷に失敗し転倒。 2017年11月の靭帯損傷以降、わずかな衝撃でも捻挫を起こすようになった右足首を再び負傷し 、医師より3週間の安静が必要との診断を受けた。 いま滑ると状態が悪化するためを勧められたが、加療期間を計算すると年末のの出場も危ぶまれることから「何をしたくて、何を削るかを考えたうえで、今日しかないかなと思いました」と、自身のスケート人生のルーツと位置づけるでの試合への出場を決断。 右足に負担をかけない演技構成に急遽変更し、痛み止めを服用したうえで演技に臨んだ。 4回転ジャンプ3本を確実に決めたが、後半の3回転アクセルで転倒するなど終盤のジャンプミスが響き167. 89点にとどまった。 しかし合計278. 42点となり、自身初となるシリーズ2連勝で進出を決めた。 ファイナルを含む通算10勝は、日本人男子最多記録となる。 試合後のミックスゾーンでに「よく頑張った」とねぎらわれたが「素晴らしかったと言ってもらえる演技をしなくてはいけなかった」と涙を拭い演技内容を悔いた。 18日の表彰式にはをついて参加し、ファイナルに向け全力で治療すると意欲を示していたが 、11月29日にが都内病院での検査結果を発表。 「右足関節外側靱帯損傷、三角靱帯損傷、右腓骨筋腱部損傷」の診断により、3週間の安静と1か月のリハビリを要することから欠場が決まった。 加療が続いており、12月13日にの欠場も発表された。 4か月ぶりの復帰戦となったでは、「世界選手権に向けた今のコンディションとしては、100パーセントだと思っている」と3度目の優勝に向けて好調ぶりをアピールした。 ショートでは冒頭の4回転サルコウが2回転になり0点。 その後、トリプルアクセルは3. 43点の加点を獲得。 4回転トウループ - 3回転トウループも決め、ステップとスピンもレベル4を獲得したが、3位発進となる94. 87点と、トップのと12. 53点も離される厳しい結果となった。 逆転を狙ったフリーでは、今季は2度目の成功となる4回転ループを決め、3. 45点の加点を獲得。 4回転トウループは加点3. 8点を、4回転トウループ - トリプルアクセルも決め3. 12点の加点を獲得。 ステップはレベル3となり、合計206. 10をマークした。 新採点方式で初めてフリーで200点を越えた最初の選手となった。 トータルではとなる300. 97点を獲得し、新採点方式で300点を超えた最初の選手となりパーソナルベストを更新。 しかし、その直後に滑走したネイサン・チェンが高難度ジャンプを組み込んだ圧巻の演技を披露し、合計323. 42点と世界最高得点を更新し優勝した。 日本代表選手で唯一のメダル獲得者となった羽生は銀メダルとなり、来季の3枠獲得を自ら死守した。 今後は右足首の怪我と付き合いながら4回転フリップ、4回転ルッツを取り戻し、新たに夢として掲げている4回転アクセルを練習する予定とのこと。 試合後、痛み止めを2か月使用し練習と試合に臨んだことを明かした。 は、右足首の加療のため無念の欠場となった。 3月29日は、羽生は2 - 3か月の加療が必要と診断名を発表した。 2019 - 2020シーズン 9月今季初戦となる()に出場。 昨季と同様の楽曲を使用すると発表。 SPでは冒頭の4回転サルコウを転倒したが、その後のトリプルアクセル、4回転-3回転の連続トーループを決め、SP 98. 38点と首位発進となった。 FSは、冒頭の4回転ループ、4回転サルコーは体制を崩しながら何とか堪え、ジャンプ以外のステップやスピンで得点を稼ぐ安定した滑りを見せ SP 1位の羽生が総合力の高さで FSでも180. 67点で1位となり 合計279. 05点で、今季初戦を制した。 「今は、4回転アクセルの為にスケートをやり、その為に生きてるなと思います」と試合後に語り、出場についても言及した。 10月初戦となる に出場。 SPはトリプルアクセルで、GOE満点評価を得る等、2位の選手を25点引き離し、自身の世界記録に迫る今季世界最高得点の 109. 60 点で首位発進。 07点の評価となる等、4本の4回転ジャンプを決め、完成度の高いほぼパーフェクトの圧巻の演技を披露し 212. 99点、2位の選手に59. 82点の大差をつけて、トータルスコア 322. 59 点をマーク、今季世界最高得点を獲得し初優勝を飾った。 試合後、前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)投入にあらためて意欲を示し、より高いものを目指していきたいと、飽くなき探求心を語った。 11月 2戦目となるに出場。 SPはノーミスの圧巻の演技で自身が持つ 世界最高記録に迫る 109. 34 点を叩き出し首位発進。 FSは冒頭の4回転ループで着氷を堪えたが、前半の4回転ジャンプは全て成功。 後半は連続ジャンプでのミスを、冷静に構成を組み替えるリカバリーを見せ、195. 71点をマーク、合計 305. 05点 を獲得し、2位に 55. 03点の大差をつけ3年ぶり、4度目の優勝を飾り 、12月に開催される進出も決めた。 試合後ファイナルへ向けて、やはり結果が本当に大切 記憶より記録、しっかり結果を取っていきたい気持ちが強くあると語った。 12月()に出場。 アクシデントで、帯同予定のコーチが不在となり、FS2回目の公式練習からコーチが寄り添う形になった。 コーチ不在で臨んだSPは4回転トーループの着氷が乱れ連続ジャンプに出来ず、97. 43点で2位発進。 1位のネイサン・チェンに12. 95点差を付けられ優勝は絶望的となった。 FSは4回転ループに成功し、4回転ルッツでは3. 94の加点に繋がり、4回転4種5本を全て着氷する意地を見せたが、最後に予定していた3回転アクセル-3回転アクセルのジャンプシークエンスが1回転アクセル単発になってしまう失敗が響き194. 00点、合計291. 43点で2位。 一方チェンは5本の4回転ジャンプを全て着氷するなどノーミスの演技を見せ、世界最高得点となる合計335. 30点を叩き出し3連覇となった。 試合後、敗れたもののルッツ、ループを含む4回転4種5本を降りたこの構成に手応えを感じていると語り、「楽しむしかないですよね。 こんな…自分の旧ジャッジのころの、旧採点まで抜かれてめちゃめちゃ悔しい。 今に見とけと思って」と笑いながらリベンジへの強い思いを語った。 尚、この大会のFS1回目の公式練習において、公の場で初めて4回転半ジャンプ(クワッドアクセル)に挑戦した。 12月 に4年ぶりに出場。 SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、トーループの4回転-3回転を先に決める構成に変更、まとまった圧巻の演技を披露し、110. 72点を獲得、非公認ながら自身が記録した世界最高の110. 53点を超え首位発進。 FSは、トリプルアクセルで転倒する等、172. 05点にとどまり、合計282. 77点で2位となった。 「調整がうまくいかなかった。 体がどんどん、日に日に劣化していく感じだった」「正直言って、僕の実力と技術が足りなかった」と試合後に語り、「一緒にまた引っ張っていけたら。 頑張ろうね、おめでとう」と優勝した宇野昌磨を称えた。 今大会を含め5週で3試合という大変過酷な日程であった。 今後はへの出場が発表され、来年3月にで開催されるの代表に選出された。 男子史上初のスーパースラム達成 2月に4年振りに出場。 楽曲を変更し、SPは「バラード第1番」、FSは「SEIMEI」に戻すことを発表。 それぞれ通算4度目・3度目の再演となる。 変更理由については、プルシェンコとウィアーの背中という理想が高いゆえに自分の演技として完成できないと思い、より自分らしくいられる以前の楽曲を戻したと明かした。 SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、4回転トーループ-3回転トーループを先に決める構成に変更。 4回転サルコウで4. 43点の高い加点を得るなど演技をまとめ、111. 82点と世界最高得点を更新。 FSでは4回転トーループで転倒するなどミスがあり187. 60点となるも、合計299. 42点で初優勝となった。 これにより、、、(ヨーロッパ選手であれば)、、、の主要国際大会6冠達成したことになり、男子シングル史上初のを達成した。 なお開催前の、が5冠。 女子シングルでは、が達成している。 3月開催予定のは、《COVID-19》の感染拡大を受け、カナダ・ケベック州政府により11日(日本時間12日)、世界選手権(モントリオール、16~22日)を中止すると発表した。 また、は、オンライン理事会で協議した結果(4月16日)大会開催を断念して中止とすることを決定した。 授賞式はオンラインで開催され、羽生は「最優秀選手賞」に輝いた。 いつも応援ありがとうございます。 これからも一生懸命、自分の理想のスケートを追い求めて頑張っていきます。 どうか応援よろしくお願いします」と感謝の言葉を述べた。 主な戦績 マークが付いている大会はISU公認の国際大会。 赤い数字はISU公認国際大会での当時の世界最高得点 国内大会は含まない 2019-2020 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2020年3月16日-22日 () 中止 2020年2月4日-9日 () 1 111. 82 1 187. 60 1 299. 42 2019年12月19日-22日 () 1 110. 72 3 172. 05 2 282. 77 2019年12月5日-8日 () 2 97. 43 2 194. 00 2 291. 43 2019年11月22日-24日 () 1 109. 34 1 195. 71 1 305. 05 2019年10月25日-27日 () 1 109. 60 1 212. 99 1 322. 59 2019年9月12日-14日 () 1 98. 38 1 180. 67 1 279. 05 金メダル 2016-2017 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2017年4月20日-23日 () 7 83. 51 1 200. 49 1 団体 (284. 00) 2017年3月27日-4月2日 () 5 98. 39 1 223. 20 1 321. 59 2017年2月14日-19日 () 3 97. 04 1 206. 67 2 303. 71 2016年12月22日-25日 () 欠場 2016年12月8日-11日 () 1 106. 53 3 187. 37 1 293. 90 2016年11月25日-27日 () 1 103. 89 1 197. 58 1 301. 47 2016年10月28日-30日 () 4 79. 65 1 183. 41 2 263. 06 2016年9月29日-10月1日 () 1 88. 30 1 172. 27 1 260. 57 金メダル 2015-2016 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2016年3月26日-4月3日 () 1 110. 56 2 184. 64 2 295. 17 2015年12月24日-27日 () 1 102. 63 1 183. 73 1 286. 36 2015年12月9日-13日 () 1 110. 95 1 219. 48 1 330. 43 2015年11月27日-29日 () 1 106. 33 1 216. 07 1 322. 40 2015年10月30日-11月1日 () 6 73. 25 2 186. 29 2 259. 54 2015年10月12日-15日 () 1 93. 14 1 184. 05 1 277. 19 金メダル 2013-2014 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2014年3月24日-30日 () 3 91. 24 1 191. 35 1 282. 59 2014年2月6日-22日 () 1 101. 45 1 178. 64 1 280. 09 2014年2月6日-22日 団体戦() 1 97. 98 - 5 団体 2013年12月20日-23日 () 1 103. 10 1 194. 70 1 297. 80 2013年12月5日-8日 () 1 99. 84 1 193. 41 1 293. 25 2013年11月15日-17日 () 2 95. 37 2 168. 22 2 263. 59 2013年10月25日-27日 () 3 80. 40 2 154. 40 2 234. 80 2013年10月4日-6日 () 1 84. 66 1 180. 93 1 265. 59 金メダル 2012-2013 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2013年3月10日-17日 () 9 75. 94 3 169. 05 4 244. 99 2013年2月6日-11日 () 1 87. 65 3 158. 73 2 246. 38 2012年12月20日-24日 () 1 97. 68 2 187. 55 1 285. 23 2012年12月6日-9日 () 3 87. 17 2 177. 12 2 264. 29 2012年11月23日-25日 () 1 95. 32 1 165. 71 1 261. 03 2012年10月19日-21日 () 1 95. 07 3 148. 67 2 243. 74 2012年10月4日-7日 () 2 75. 57 1 172. 56 1 248. 13 銅メダル 2011-2012 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2012年3月26日-4月1日 () 7 77. 07 2 173. 99 3 251. 06 2011年12月22日-25日 () 4 74. 32 1 167. 59 3 241. 91 2011年12月8日-11日 () 4 79. 33 3 166. 49 4 245. 82 2011年11月25日-27日 () 2 82. 78 2 158. 88 1 241. 66 2011年11月4日-6日 () 2 81. 37 4 145. 16 4 226. 53 2011年9月21日-24日 () 1 75. 26 1 151. 00 1 226. 26 金メダル 2009-2010 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2010年3月8日-14日 () 3 68. 75 1 147. 35 1 216. 10 2009年12月25日-27日 () 13 57. 99 5 137. 23 6 195. 22 2009年12月3日-6日 () 3 69. 85 1 136. 92 1 206. 77 2009年11月21日-23日 第78回() 1 76. 00 2 118. 15 1 194. 15 2009年10月7日-10日 () 1 70. 78 1 130. 37 1 201. 15 2009年9月9日-13日 () 1 66. 77 1 131. 88 1 198. 65 2008-2009 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2009年2月23日-3月1日 () 11 58. 18 13 103. 59 12 161. 77 2008年12月25日-27日 () 8 64. 50 5 117. 15 8 181. 65 2008年11月21日-23日 第77回() 4 57. 25 1 124. 92 1 182. 17 2008年9月3日-7日 () 6 51. 06 4 95. 62 5 146. 68 2007-2008 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2007年11月24日-25日 第76回() 7 49. 55 1 111. 47 3 161. 02 2006-2007 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2006年11月25日-26日 第75回() 18 38. 80 4 90. 16 7 128. 96 プログラム使用曲• 太字は羽生自身が付けたタイトルである。 アジア男子初の金メダル• 史上初の4回転認定• 男子初の4連覇• アジア初2連覇• 個人種目で日本初の2連覇• 男子初 5シーズン連続 1位• 総合得点・SP・FS・歴代最高得点• 史上初の4回転トゥーループ-1回転Eu-3回転フリップ成功• アジア男子初の• 男子史上初となる6冠完全制覇 世界記録更新のスコア 2019-20シーズン終了時までに、 世界記録を通算19回更新している。 日付 得点 大会 備考 2019年3月23日 300. 97 300点以上のスコアを獲得した最初のスケーター 同大会でネイサンチェン選手更新 2018年11月4日 297. 12 日付 得点 大会 備考 2020年2月7日 111. 82 ワールドレコード 自己記録のWRを更新 2018年11月18日 110. 53 2018年11月3日 106. 69 日付 得点 大会 備考 2019年3月23日 206. 10 200点以上のスコアを獲得した最初のスケーター 同大会でネイサンチェン選手更新 2018年11月4日 190. 43 歴史的世界記録更新のスコア 2012年から2017年までの間に 12回世界記録を更新している。 この世界最高得点は、ルール改正によりスコアがリセットされた 2018 - 2019シーズンよりとして保存されている による最高得点の歴史的記録として保存されることとなった羽生のショートプログラム『』()• 日付 得点 大会 備考 2015年12月12日 330. 43 史上初の330点超えを達成 2015年11月28日 322. 40 史上初の300点超えを達成 日付 得点 大会 備考 2017年9月22日 112. 72 2015年12月10日 110. 95 史上初の110点超えを達成 2015年11月27日 106. 33 2014年2月13日 101. 45 史上初の100点超えを達成 2013年12月5日 99. 84 2012年11月23日 95. 32 2012年10月19日 95. 07 日付 得点 大会 備考 2017年4月1日 223. 20 史上初の220点超えを達成 2015年12月12日 219. 48 2015年11月28日 216. 07 史上初の200点超えを達成 表彰・栄誉等• (2014年 、2018年 )• (2018年)• 「特別感謝状」(2018年)• :(2014年 、2018年 )• :(2018年) 都民スポーツ大賞(2018年)• :議長特別表彰(2014年、2018年 )• :仙台市議会議長特別表彰(2018年 )• :賛辞の楯(2014年 、2018年 ) スポーツ大賞 (2009年 、2011年 、2012年 、2013年 ) フィギュアスケートモニュメント 設置(2017年) フィギュアスケートモニュメント 発表式・設置「五輪2連覇記念」(2019年)• :新人賞(2009年)、最優秀賞(2013年 )、特別功労賞(2015年 )、特別栄誉賞(2017年 ) オリンピック特別賞(2014年 、2018年 )• JOC杯(最優秀選手賞)(2013年 、2014年 、2015年、2016年 、2017年 、2019年 )• :2014年度「」(2014年)• :第64回、第68回「」グランプリ(2014年 、2018年 )• :第22回「」グランプリ(2014年)• :第64回「河北文化賞」(2014年)• :第29回「中日体育賞」(2015年)• :第49回、第50回、第51回、第52回、第53回「」(2014年 、2015年 、2016年 、2017年 、2018年 )第48回「五輪奨励賞」(2013年 )、第52回「特別賞」(2017年 )、第54回 「スポーツ放送特別賞」(2019年• :第33回「」(2014年)• 東京運動記者クラブ:特別賞(2012年)、スケーター・オブ・ザ・イヤー 最優秀選手賞 (2014年 、2015年 、2017年 )• 東北運動記者会:スポーツ大賞(2011年、2013年、2014年 、2015年 、2017年 )• :「HAPPY NEWS 2017」HAPPY NEWS PERSON 受賞(2018年)• :「」 第1回:大賞、アスリート部門賞(2014年) 第5回:アスリート部門賞、スペシャル部門賞【男性】、宮城県部門賞(2018年)• :「」 (2010年 、2012年 、2013年 ) 大賞(2014年 、2018年 )• :「きものベストドレッサー2018」男性タレント部門(2018年) 表彰・栄誉等(国外)• 「」年間最優秀復帰選手部門にノミネート(Laureus World Comeback of the Year2019)• (2018年)• 第7回 FCEJ Award 「」(2019年10月)。 ビッグベン賞ノミネート(2018年)• ビッグベン賞ヘラクレス賞(スポーツ)グローバル優秀アスリート(2019年) メディア関連 CM・広告等• 冬季オリンピック大会応援キャンペーン「ママの公式スポンサー」日本代表アンバサダー ソチ2014冬季オリンピック(2013年12月) 平昌2018冬季オリンピック(2017年3月16日 - ) 『お母さん、ありがとう。 ANA応援CMソチオリンピック日本代表編(2014年2月8日 - 2014年2月23日) 『HELLO BLUE HELLO FUTURE』平昌2018オリンピック冬季競技大会 羽生選手編(2017年12月28日 - )• 「新料金プラン」シリーズ(2014年6月 - )• ロッテ「キシリトールホワイト」 『ホワイトが出た』篇(2014年10月 - ) 『ホワイトしてる』篇(2015年10月20日 - ) 『ブレイクタイムの後は』篇(2016年10月29日 - ) ロッテ「GUM FOR THE GAME」プロジェクト 『何故・事実』篇 CM(2019年12月6日 - ) ロッテ「キシリトールボトルシリーズ」 『羽生選手デザインボトル』「ゴールド」(2016年4月28日 - ) 『羽生選手デザインセレクトボトル』「紫」(2018年3月 - ) 『羽生選手デザインアソートボトル』「青」(2018年12月4日 - ) 『羽生選手デザインファミリーボトル』「グレープ」(2019年12月3日 - )• 「」『シングルプレイ』篇(2014年9月27日 - )• 「アミノバイタル」(2014年10月 - )• 「はたちの献血キャンペーン」• 日本赤十字社 復興支援事業 メッセンジャー就任(2015年2月 - )• 「きき湯」シリーズ(2015年2月 - ) 『Mr. きき湯』篇(2016年10月17日 - )• 』キャンペーン」(2015年10月20日 - 12月31日) 『羽毛ふとん』『この気持ちよさ、僕はおすすめします』(2019年10月29日 - )• 「2015」(2015年6月23日)• 「」(2019年3月14日 - )• KOSE「雪肌精 みやび」 2020年3月1日 - )• 「中国」(2019年8月22日 - ) テレビ番組等• ワンダフル東北 東北未来人第4回 羽生結弦選手(2010年11月19日、)• もっと強く 〜羽生結弦 16歳の挑戦〜(2011年1月10日、)• 羽生結弦 17歳 高みへ(2012年11月19日、NHK総合)• 英雄たちの決断 18歳の決断 羽生結弦(2013年2月12日、)• 羽生結弦 金メダルへの道(2014年2月17日、NHK総合)• NHKスペシャル 金メダルへの道 羽生結弦 連覇への苦闘(2018年2月8日)• NHKスペシャル 金メダルへの道 逆境を乗り越えて(2018年2月26日)• プレミアムトーク(2015年8月28日、NHK総合)• (2015年12月31日、NHK総合) 審査員をつとめたほか、出場歌手全員で「」を歌うコーナーでは、ステージ上での歌唱にも参加した。 教科書で学べない災害(2016年3月1日、日本テレビ) - 後に一家でした学校のを訪問し、当時の避難生活と震災について語った。 「900回記念放送〜スーパーヒーローの「強さと弱さ」を解く」(2016年4月10日、制作・)• 神様に選ばれた試合(2017年9月24日、) - における『SEIMEI』の演技を自ら解説し、当時の重圧や状況について語った。 NNNドキュメント 「絶対に勝ってやる! 羽生結弦 自分への挑戦」(2018年1月15日、日本テレビ)• 「Continues ~with Wings~ 羽生結弦 凱旋、そして感謝の公演<生中継>」(2018年4月15日、) 全国66映画館でライブビューイング• 羽生結弦オリンピック連覇〜メダリストたちが語る最強伝説(2019年2月4日、) (2019年12月28日、NHK総合) (2020年1月14日、)• 羽生結弦プログラムコンサート 〜Music with Wings〜(2020年2月15日、) (2020年5月3日、)• 羽生結弦 10年間の軌跡〜NHK杯フィギュア〜 (2020年3月31日、) (2020年4月29日、NHK総合)• 「羽生結弦 世界へ届ける花は咲く」(2020年4月29日、NHK総合)• 37 小さなキセキ、大きなキセキ(2014年8月30日、) - 「羽生結弦 被災地の思いを胸に 一夜限りのアイスショー」と題し、生放送で2011 - 2012シーズンのフリープログラム『』を披露。 24時間テレビ38 つなぐ〜時を超えて笑顔を〜(2015年8月22日、日本テレビ) - 「被災地の想いをつなぐ 羽生結弦アイスショー」と題し、のを訪れた際に交流した人々を招待し、アイスショーを開催。 EXプログラム「天と地のレクイエム」と「花になれ」の2曲を披露。 ショーは当日録画であったため、放送時はのほうに生出演した。 また「チャリTシャツ」の笑顔マークの一つのデザインを手がけている。 24時間テレビ40 告白〜勇気を出して伝えよう〜(2017年8月26日) - 自身のととのエピソードを告白。 同じくと診断され、羽生に憧れる少年をスケート指導。 「夢のアイスショー」と題し、とのコラレーションで少年の前で「」を披露した(いずれも録画)。 24時間テレビ41 人生を変えてくれた人(2018年8月25日) - を再訪。 被災者を羽生のホームリンクであるに招待し「ノッテ・ステラータ」を披露した(すべて録画)。 24時間テレビ42 人と人〜ともに新たな時代へ〜(2019年8月24日 - を訪問。 町の名産を栽培されている農園の方々と交流、そしてを訪ねた。 アイスショーは、「羽生結弦と松任谷由実が共演 被災地・北海道に 春よ、来い」と題し、被災地・厚真町の住民約400人を招待。 楽団による演奏で開幕しピアニストの演奏によると が歌う中、羽生結弦選手が華麗な滑りを披露した。 (2016年5月14日公開、) - 役 出版物• 蒼い炎(2012年4月20日、)、ベトナム翻訳版(2020年3月、Shinebooks) 、中国・台湾翻訳版(2020年7月13日、)• 羽生結弦語録(2015年9月25日、)• 羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016(2016年3月25日、)• 蒼い炎II-飛翔編-(2016年7月2日、扶桑社) 中国・台湾翻訳版(2020年7月13日、)• 夢を生きる(2018年3月1日、)• YUZURU 羽生結弦写真集(2014年10月24日、、撮影:能登直)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2015-2016(2016年7月29日、Ice Jewels特別編集、、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2016-2017(2017年7月29日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2017-2018(2018年7月14日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 平昌オリンピック2018 フォトブック(2018年3月9日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 魂のプログラム(2018年10月11日、)• YUZURU II 羽生結弦写真集(2018年10月15日、集英社、撮影:能登直)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2018-2019(2019年7月19日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2019-2020(2020年6月1日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 「羽生結弦 2019-2020」(2020年6月17日、、撮影:矢口亨)• 『羽生結弦 カレンダー 2013年』壁掛け(2012年10月3日、)• 『羽生結弦 カレンダー 2014年』壁掛け(2013年9月13日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2015年』壁掛け版&卓上版(2014年9月24日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2016年』壁掛け版&卓上版(2015年9月2日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2017年』壁掛け版&卓上版(2016年8月31日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2018年』壁掛け版&卓上版(2017年9月26日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2019年』壁掛け版&卓上版(2018年9月15日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 フィギュアスケート2016-2017シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2016年9月30日、特別編集、集英社、撮影:能登直)• 『羽生結弦 フィギュアスケート2017-2018シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2017年9月29日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直)• 『羽生結弦 フィギュアスケート2018-2019シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2018年9月14日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直)• 覚醒の時(2014年7月16日、)• 進化の時(2019年9月25日、) 関連楽曲 の復興支援ソング『』を、羽生が実際に被災したアイスリンク仙台で滑る「花は咲く~羽生結弦Ver. ~」が、2014年6月25日よりで放送された。 さらに2014年の「」()のにおける羽生の演技に、別角度から撮影した映像や練習風景などを加え、再編集を行った「羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」」が2014年12月より放送された。 「」では、緊急手術のため入院中だった羽生のコメントをが読み上げ、見舞いの言葉を述べたのち、が『』を歌唱。 徳永の背後のスクリーンに羽生の演技映像を流すという演出がなされた。 夢に描くキセキ 2014年2月6日に、が制作した羽生の応援歌「夢に描くキセキ」にのせて、羽生の地元・仙台にゆかりのある多数の著名人や羽生に関わりのある人物など総勢145名が、自筆メッセージを書いた紙を手に持って出演する動画『羽生結弦応援PROJECT「仙台が繋いだキズナ」』が上に投稿された。 この動画は羽生も閲覧していると発言しており、コメント欄を通じて応援メッセージを羽生に届ける場となっている。 ソチ五輪での金メダル獲得後は、祝福が綴られる場となった。 ので使用したの「パリの散歩道( Parisienne Walkways)」が、団体SPの翌からまでデイリーランキングの洋楽ロック部門で1位になった。 また、同曲が収録されたムーアのベスト盤CDが、の通販サイトにおいてベストセラーチャート「ハードロック部門」で1位になった。 ノッテ・ステラータ(星降る夜) ボーカル: 2016年4月により「ぜひこの曲で滑ってほしい」とCDを贈られたことからエキシビションに用いられた。 では、2018年2月25日に江陵アイスアリーナで行われたエキシビション後、のデジタル配信チャートで前日比4,932パーセントアップを記録。 配信チャートでも前日比3,000%のダウンロードとなり、CDにもオーダーが殺到し品切れ状態となった。 イタリア語で「満天の星」を意味する曲だが、被災時のの中で見上げた星の輝きに希望を見出したことを思い出す、特別な曲だと明かしている。 その他• 覚醒の時 2014年7月16日に発売。 初の映像作品「覚醒の時」は初週売り上げ2. 1万枚を記録し、週間DVDランキングで最高位1位を記録した。 スポーツ選手のDVDが総合1位となるのは1999年4月のDVDランキング開始以来史上初となった。 また、同時発売のBlu-ray Discもオリコン週間Blu-rayランキングの総合3位となっており、こちらもスポーツ関連Blu-ray Discとしては、DVD同様に歴代最高位と歴代最高初週売上枚数となった。 YUZURU 羽生結弦写真集 2014年10月24日に発売。 よりファースト写真集『YUZURU 羽生結弦写真集』は初週売り上げ2. 3万部を記録し、週間ランキング写真集部門とスポーツ関連部門で1位を獲得、BOOK(総合)部門では2位にランクインし、スポーツ選手写真集の本(総合)部門獲得順位と週間売上部数の両記録で歴代トップとなった。 2018年3月時点で、男性アスリートのソロ写真集として史上初となる累計10万部を突破した。 蒼い炎 2012年4月10日発売。 羽生へのインタビューで構成された『蒼い炎』シリーズのは全額、へされる。 第一弾『蒼い炎』は17万部のベストセラーとなった。 2017年3月までに、羽生から印税総額2,500万円超が寄付された旨を、開業10周年の記念としてアイスリンク仙台が公式に発表し感謝を述べている。 待望の第二章は、10. 5万部を売り上げている。 2018年増刷されは全額へされている 寄付累計額27,209,594円。 進化の時 2019年9月25日に発売。 5年振りの映像作品「進化の時」は初週売り上げ2. 8万枚を記録し週間Blu-ray Discランキングで最高位1位を記録した。 自身初の初登場1位を獲得。 スポーツ関連作品のBD1位は史上初となる。 前作『羽生結弦「覚醒の時」』2014年7月発売の初週売上2. 3万枚を上回り、自己最高を記録。 スポーツ関連BDの初週売上としては、歴代最高となった。 サポート・アドバイザリー・アンバサダー契約等• (2014年 - 2019年6月)• (2014年 -2015年)• (2014年 - )• (2014年12月 - )• (2015年 - 2017年)• (2015年3月 - )• 「ビクトリープロジェクト」• (2015年2月20日 - )• (2019年3月14日 - )• 「中国」(2019年8月22日 - ) 脚注 [] 注釈• プルシェンコは、2012年に「彼を見ていると昔の自分を思い出す。 まだ17歳だが、私が見る限り彼がナンバーワンだ。 」と語り、2014年時には「私は彼のヒーローだったかもしれないが、今は彼が私のヒーローになっている」と語り、羽生の金メダル獲得後は上で「私のアイドル。 よく頑張った。 彼は天才だ」と勝利を称えた。 2014年にで開催された凱旋公演で共演した際には、プルシェンコが羽生に花束を渡し祝福する一幕などが見られた• 例として 、 など• 日本人選手の優勝は2005-2006シーズンの以来2人目• 以前はがで銅メダルを獲得した当時で20歳11ヶ月だった。 なお、世界の最年少記録はの14歳4か月である• 後のインタビューで、「絶対に王者になるんだ」の言い間違いだが、「言ってしまったのは事実だから、自分の言葉に近づけるよう努力するしかない」と発言している。 読売新聞. 平成27年12月31日. 22面• ペアでは、が違うペアで達成。 2012年11月26日, at the. 『産経ニュース』2012年4月25日• 119• 「ユヅルが初めてリンクに立った日。 」『ナンバー4月16日号』文藝春秋、2015年4月16日、p. 32-34• 全日本空輸(ANA)、2014年4月16日閲覧。 、全日本空輸広報部、2013年7月1日• 2018年4月25日 日本経済新聞• USC Annenberg Media 2019年10月30日• 一般社団法人泉青年会議所• 2018年2月18日産経新聞• (2018年6月1日)毎日新聞• (デイリースポーツ 2017年8月26日)• 、2014年10月31日更新• 2014年2月19日, at the. 産経ニュース、2014年2月15日• サンスポ、2014年2月16日• 2012年2月2日 共同通信インタビュー• (日刊SPA! 2014年2月19日)• 2014年2月19日, at the. 産経ニュース、2014年2月15日• 2014年12月21日, at the. ( 2014年6月14日)• 仙台市 2016年9月20日• 仙台市 2018年4月26日• スポーツニッポン 2014年6月30日• 日刊スポーツ 2014年1月23日• スポニチ 2014年2月5日• - 読売新聞・2013年12月26日• - 女性自身・2014年12月25日• デイリースポーツ 2013年2月12日. 2013年2月12日閲覧。 集英社「Sportiva2015-2016 羽生結弦新たなる飛翔」p19• (スポーツ報知 2014年2月27日)• 2015年12月22日, at the. ,rockinon. com,2018年2月19日• ,デイリースポーツ,2018年2月20日• [ ]• SPAIA2017年7月12日• 2019. 28 産経フォト• 2019年03月24日 スポニチ• (2018年11月18日)スポニチ]• 2018年2月18日 GQJapan]• 2016年10月5日, at the. 2016年10月1日, at the. (日刊スポーツ 2017年4月2日)• ( 2017年10月22日)• (Sponichi Annex 2016年9月1日)• (Sportiva 2017年4月20日)• (livedoor NEWS 2017年4月22日)• (Sportiva 2018年11月7日)• (日本経済新聞 2012年4月25日)• (日本経済新聞 2012年11月2日)• (日本経済新聞 2020年2月3日)• (読売新聞 2017年08月18日)• (スポーツナビ 2015年11月4日)• (仙台経済新聞 2008年7月17日)• (産経新聞 2018年2月17日)• (THE PAGE 2014年2月15日)• (「NumberWeb」 2014年2月16日)• 『青い炎』p26-27• 『青い炎』p26-30• 『青い炎』p30• 『蒼い炎』p31• 仙台市. 2011年3月15日時点のよりアーカイブ。 2011年3月15日閲覧。 河北新報社. 2011年3月8日. の2015年5月26日時点におけるアーカイブ。 『蒼い炎』p58• ベガルタ仙台オフィシャルウェブサイト. 2011年3月14日時点のよりアーカイブ。 2011年3月14日閲覧。 (日刊スポーツ 2011年4月15日)• 『蒼い炎』p63-68• (エフスケーティングネット)• 『蒼い炎』p74• 2014年3月1日, at the. ( 2014年2月16日)• - 、2012年4月1日• [ ] - 、2012年4月1日• - 、2012年4月1日 [ ]• (読売新聞 2014年2月16日)• 「チーム・ブライアン」p15より、羽生の弁• Number web、2013年3月16日• スポーツニッポン、2013年3月21日• (ANAプレスリリース 第13-062号 2013年7月1日)• スポーツニッポン 2013年12月22日閲覧• ニッポンドットコム2014年2月19日• MSN産経ニュース. 2014年2月15日. の2014年2月14日時点におけるアーカイブ。 2014年2月15日閲覧。 Sponichi Annex. 2014年2月15日. 2014年2月15日閲覧。 Sponichi Annex. 2014年2月15日. 2014年2月15日閲覧。 2014年2月15日閲覧。 2014年2月15日閲覧。 スポーツニッポン 2014年2月15日閲覧• 日刊スポーツ、2014年2月15日• は、(64年)生まれなので、平成生まれではない。 2014年11月24日, at the. (2014年2月23日)• ( 2014年2月14日)•

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絶対王者・羽生結弦!シニアデビューからの栄光の軌跡()

羽生結弦成功への軌跡

表彰式での羽生結弦 選手情報 生年月日 1994-12-07 (25歳) 代表国 出生地 172 cm 57 kg B (2012 - ) ジスラン・ブリアン 元コーチ (2006- 2012) (2001-2005) 松田達義 関徳武 武者愛 山田真実 元振付師 関徳武 所属クラブ 練習拠点 週間練習時間 10 開始 1998 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 サイト ISU パーソナルベストスコア 合計スコア 322. 59 旧合計スコア 330. 43 111. 82 旧 112. 72 212. 99 旧 223. 20 国内競技会成績・シングル 優勝 4回 ... 優勝 2回 2008.2009• アジア男子初 金メダル• アジア初 2連覇• 男子初• アジア男子初• 男子初 4連覇• 史上初 4回転 認定• 史上初 総合得点300点、SP100点、FS200点• 総合得点、SP、FS 歴代最高得点• 男子初 5シーズン連続 1位 受賞 獲得メダル : 大会 1 位 2 位 3 位 2 0 0 2 3 1 1 3 0 4 2 0 1 0 1 1 0 0 1 0 0 合計 12 8 2 金 金 男子シングル 銅 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 銅 団体 金 団体 金 男子シングル 金 男子シングル 羽生 結弦(はにゅう ゆづる、: Yuzuru Hanyu、(6年) - )は、出身の選手()。 在学中。 主な表彰は、2014年・2018年。 2018年最年少受賞者。 主な戦績は、・2大会連続。 2020年を果たし・。 ・各優勝。 ・・・4連覇。 2012 - 2015年4連覇。 はまで5シーズン連続1位。 主な記録は、の においてISU公認の大会で史上初の4回転に。 のもとに開催された国際大会において、史上初めてで100点、で200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手。 時代におけるで112. 72点、で223. 20点、トータルスコア330. 43点の。 2019-20シーズンの終了時までにを通算19回している。 人物 、に生まれる。 名前は「弓のを 結ぶように凛とした生き方をしてほしい」と父が命名した。 、 、 、 、在学中。 2歳のころからの持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった。 15歳のときに、喘息の持病がありながら五輪金メダリストになったに会う機会があり、スケートを続けていくための助言を得た経験がある。 肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代のころは体力やの面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療や吸入薬、、気道を開く施術、移動時や練習時にを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは大幅に改善された。 しかししたわけではなく、特に練習拠点をに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え 、現在(2017年時点)も発作を起こすと明かしている。 演技前に必ず行う胸の前でような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩をに保つ意識を確認するためのおまじない」である。 2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった。 影響を受けた選手として、、、、、を挙げている。 特にでのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のまで真似した時期もある。 彼の得意技であったをプログラムに取り入れリスペクトを示してきたが、2018 - 2019シーズンには『ニジンスキーに捧ぐ』へのトリビュートとなるプログラム『Origin』に自ら挑んでいる。 これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている。 2015年ので3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている。 2014年4月にのに就任する。 現在、第3期となり引き続き観光大使を務めている。 また 2014年6月にのに就任した。 趣味・好物• 「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできる」との理由でを好んでいる。 カバーにを愛用しており、試合の際には毎回必ずリンクに連れてきている(などの問題で持ち込めない特殊なケースでは、選手村の自室で留守番とのこと)。 このような経緯から、国際大会での演技後は各国のファンが客席からのを投げ入れる光景が定着していった。 現在はあまりに大量のが贈られるためすべてを連れて帰ることはできず、現地で寄付をするとのこと。 のフリー演技後に投げ込まれたたちは、地元のなどの現場スタッフにプレゼントされた。 音楽 音楽鑑賞:好きなアーティストに 、 (羽生の地元である仙台出身)、、、、、、、 [ ]などを挙げている。 特に試合前に聞く「勝負曲」はONE OK ROCKの「」「キミシダイ列車」とのこと。 :音質にこだわるで、イヤホンを収集している。 普段から約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けており 、もっとも高いイヤホンは自身の耳の型を取った特注品で約22万円。 音へのこだわりには並々ならぬものがあり、『SEIMEI』など自身のプログラム楽曲の編集を自ら行ったり、オルゴールの監修を手がけたりしている。 スポーツ 小学生当時は「をやりたい」と思った時期もあり、幼少期よりのファンである。 憧れの選手は(現・)。 これに対し前田は「羽生選手に勇気をもらったから、今度は僕が勇気を与えたい」と語っている。 によって2004年(羽生が10歳のころ)に新規参入した地元のも応援している。 は地元のと縁が深く 、震災発生直後の2011年5月には、ベガルタのホームスタジアム・での募金活動に参加している。 、、 将棋を好んでおり「自身の2015年を1文字で表すと? 」と問われた際には、将棋の駒の「歩兵」が「と金」になることに例えて「成」と回答している。 またも好きで、引退したらなどをじっくり観覧したいとしている。 にはまった当時は『』出演時などにも腕前を披露している。 愛用品は、認定品の「オールブラック」。 2019年1月、日本けん玉協会から「大空 Premium Gold」と名入れをした「大けん玉 太陽 Premium Gold」 共に、有限会社山形工房 製 が贈られた。 アニメ、ゲーム、特撮 『』に憧れていた5歳当時、初めて滑ったプログラム曲はガイアのOPテーマであった。 TVアニメ『』シリーズが好きで「試合前に聴いたり、心の支えとなっていた曲」の1位に『』の挿入歌であるの「」を挙げている。 また漫画『』のファンであり、自身もCM出演した『』シリーズのヘビーユーザーである。 スケート技術と特徴 2011年GPシリーズ 「」 、、の全方位に秀でたである。 ジャンプは、準備動作が少なくてもただちに跳ぶことができるのが特徴で 、踏み切りから着氷後の流れまで美しく跳び幅があり、(出来栄え点)加点を得るための8つの評価要素をすべて満たしている質の高さが特長。 このためクリーンに跳ぶと満点となる3点(現在は5点)、または満点に近い高い加点を獲得する。 試合では4種類の4回転ジャンプ(、、、)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点のつくトリプルアクセル()である。 質の高さに加え、踏み切り直前に「」と呼ばれる難しいターンを行ったり、両足のつま先を外側に向けたから踏み切り、着氷後にすぐイーグルに戻ったりなど、ジャンプへの入り方や出方の難度の高さなどからも常に2 - 3点のがつき、だけで確実に11点以上を稼ぐ。 特に基礎点が1. 1倍となる演技後半に組み込んだトリプルアクセルからの連続ジャンプは、めったにミスをしないことからも4回転以上の強力な得点源となっている。 このように、の高い高難度のジャンプ構成を成立させたうえで、各要素を確実に高い質で決めることから 、高いGOE評価を獲得する。 この完成度の高さが羽生の強さである。 例として、世界記録を塗り替えたでは20. 18点の加点(当時の4回転トウループの基礎点は10. つまり加点だけで4回転ジャンプ2本分の基礎点に匹敵する)を獲得している。 は、エッジエラーの判定を受けることがあったが、2011 - 2012シーズンよりエラー判定eはなくなり、克服に成功している。 [ ] 五輪2連覇 「」 スピンの技術も高く、完璧にを満たせばこちらも高い加点を獲得する。 もともとのスピンの速さとポジションの美しさに加え、回転しながら指先や腕などを動かすことでオリジナリティーを出し、プログラムの構成難易度を上げる工夫を行っている。 特に、柔軟性の高さを生かした やドーナツスピンなどを積極的に演技に取り入れている。 、イナバウアー も得意で、多くのプログラムに入れている。 4回転ジャンプ による略称: T S Lo F Lz A 試合では4種類の4回転(、、、)をプログラムに組み込んでいる。 4回転ループは、やのフィナーレなど(4回転ループ - 3回転アクセルを着氷している )で跳んでいたが、2016 - 2017シーズンより競技に取り入れている。 2016年9月30日にで開催されたのショートプログラムにおいて、国際スケート連盟(ISU)公式の国際大会史上初めてクリーンに成功させた(2016年10月2日、にて公式に認定)。 は公式練習でも着氷していたが 、のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させた。 公式練習ではにも挑戦している が、こちらは試合に組み込む意向を示したことはない。 については、幼いころに従事していたコーチからも「アクセルは王様のジャンプ」と教わった経験や、自身がアクセルジャンプを得意としていることからも思い入れが深く「将来的には必ず4回転アクセルを跳びたい」と常に語っている。 後の挑戦を示唆していたが 、2018 - 2019シーズンより実戦への投入を目標に練習中である。 4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、 のフリーでは「4回転トウループ - 1回転ループ - 3回転サルコー」の3連続ジャンプを初めて成功させた。 のフリーでは、こちらも史上初となる「4回転トウループ - トリプルアクセル」のコンビネーションを成功させている。 コーチと振付師 ジュニア以前 1998年のにおける競技のうち、7人中4人(、、、)がのに在学中の高校生選手であり、かつ4人ともの教え子であった。 これを発端に仙台でフィギュアスケートブームが起こる。 長久保や4選手が所属する泉のリンク(現・、 )で1999年にが開催した子供スケート教室に姉が通い始め、この姉の影響により羽生も4歳でスケートを始めた。 同じダイエー系列のが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナを指導していたが仙台に移り、小学2年から小学6年まで指導を受けることとなる。 都築に個人指導を受けるようになったのは小学3年からだが、友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、このときはスケートが嫌になりをやりたいとも言い出した。 しかし「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、翌2004年10月に初出場した(Bクラス)で優勝。 9歳で初めて金メダルを獲得した。 優勝した直後の2004年12月にホームリンク(から徒歩10分程度)が経営難で閉鎖したため、( )に練習拠点を移した。 勝山は七北田小から道なりに約6キロ(渋滞がない早朝なら車で約15分だが、夕方は30分程度)離れており、貸切時間もあまり取れず練習時間は一気に減った。 リンクメイトの少年たちも何人も辞めていき、この時期に伸び悩むこととなり 、2005年はノービスBで2位、2006年はノービスAで3位となる。 都築は旧・東神奈川スケートリンク(横浜市)へ移籍となり、羽生とは離ればなれになった。 2007年3月、閉鎖されたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台として営業を再開すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した。 2007 - 2008シーズン 2007 - 2008シーズン、(Aクラス)で優勝。 まだノービスの選手(1年)ながらで3位となる。 ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初。 2008 - 2009シーズン 2008 - 2009シーズンからジュニアに上がり、に参戦。 全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となったでは出場選手中最年少ながら8位に入る。 でも大会最年少(14歳3ヶ月)ながら12位となった。 [ ] 2009 - 2010シーズン より このシーズン「準優勝」 史上最年少 2010 - 2011シーズン、シニアデビュー戦となったので、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入賞。 出場3回目のでは4位となり、の代表に選出された。 2月に開催されたではショート、フリーともに自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得。 男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。 3月4日に宮城県知事を表敬訪問 、同日仙台市役所を訪問し四大陸選手権の結果を報告した。 3月7日には東北高校の壮行会にて四大陸選手権銀メダルの報告をした。 東日本大震災 、()が発生。 地震発生時は仙台市ので、先輩スケーターと貸切状態で練習中であり、四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難した。 羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした。 3月12日にはベガルタ仙台のホーム開幕戦のハーフタイムに四大陸選手権銀メダルの報告会と花束贈呈が行われる予定だったが 、試合と共に全て中止となった。 し、大勢の避難者が避難所生活をしているさなか「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日考えていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でをしながら(春のセンバツ甲子園)に出場し、の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した。 羽生の練習場所を心配し、すぐにとが阿部コーチに連絡してきたが、かつて師事した都築コーチがいる旧・東神奈川スケートリンク(現・横浜銀行アイスアリーナ)で、地震から10日後に練習を再開した。 ()の41日前に生まれた羽生は、に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した。 震災を経て、ですぐにメッセージを送ったらや、ファンからの手紙、羽生の現状を伝えるメディアなど、さまざまな支えにより生きていることを痛感し「目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。 そのために精一杯、やれることは全部やっていこう」と決心。 4月からは、テクノルアイスパーク新井田()を仮の拠点とし、復興支援目的のへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた。 、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。 2011 - 2012シーズン より このシーズン「SP」 「WR」2度更新 2012年の4月にコーチをに変更。 夏からはオーサーの指導拠点となる(Toronto Cricket Skating and Curling Club、 )がある・に渡り練習を開始した。 羽生自身はオーサーの師事を決めた理由として、同じくオーサーの指導を受けることで4回転ジャンプの精度が上がったに着目し「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、ほかの部分も上達するチャンスが出てくると考えました」と語っている。 ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。 では初戦の、地元・宮城県で開催された第2戦のと、2戦続けてで歴代最高得点を更新、では2位となる。 では初優勝を果たした。 では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。 総合得点では2位になった。 しかしでは、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き、9位と出遅れた。 さらにフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った(翌2月開催の男子シングル種目は、高橋大輔の6位との成績で最大の3枠を確保)。 左膝の故障のため、は辞退した。 2013年4月にに進学した。 2013 - 2014シーズン 「日本男子シングル史上初」 【金メダル獲得】 2014年2月、で開催のでは、団体戦のショートプログラム1位となるが、日本は5位に終わった。 男子シングル個人種目では、ショートプログラムの『』で101. 45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し首位に立った。 しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転で転倒、直後の4回転は成功したものの、3回転で再び着氷に失敗。 演技後半の3回転からのコンビネーションは2回とも成功させたが、3回転 - 1回転の直後、3回転が認定されないなど不本意な演技となり、自己ベストには程遠い178. 64点にとどまった。 フリー演技終了直後のインタビューでは「(体が)全然動かなかった。 (本番直前の)6分間練習から焦っていた。 はっきりいって自分の演技に満足していない。 終わったあとは、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた。 SPで2位につけていた(カナダ)は羽生の直後に滑走。 冒頭4回転 - 3回転トウループのコンビネーションを成功させるも、その後は単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなどの着氷ミスが続き、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった。 その後に滑走した2選手もメダル圏内にはおよばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、 アジア人初となるでのを獲得した。 「日本男子シングル史上初」 【金メダル獲得】 FS 2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしては()がので優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった。 さらにオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、、に次いで史上3人目。 ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人 として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得となり、さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダル獲得は記念すべき10個目となった。 表彰後のインタビューではの記者フィリップ・ハーシュからについての質問を受け、「金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。 自分には何もできていないんだという無力感がある。 でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています」と回答し、故郷への感謝を述べた。 この質問をしたハーシュは「僕にとってソチ五輪でもっとも忘れられない瞬間は、誰かが成したことではなく日本の羽生結弦が言ったことだ」とツイートし 、「19歳とは思えない成熟と謙虚さ、細やかな感受性をもって、この勝利について語った」と羽生を称える記事を書いた。 また同席していた の記者ジェレ・ロングマンは「金メダルの獲得こそが、羽生が前進するための出発点となるだろう」と結ぶ記事で勝利を称えた。 世界選手権初優勝 優勝 2014年3月、で開催されたでは、ショートの4回転トウループで転倒し3位と出遅れた。 しかしフリーで、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させる。 その後の3回転フリップでエッジエラー判定を受けた以外は、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に立つ。 総合2位のを合計得点0. 33点の僅差でかわし、逆転優勝を果たした。 日本男子シングル種目では、の高橋大輔以来、4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなる。 さらに「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の3大会を制したのは、2001 - 2002年シーズンの以来、男女シングルを通じて史上2人目の快挙となった。 2014 - 2015シーズン グランプリファイナル2連覇 「優勝2連覇」 オリンピックチャンピオンとして臨んだ2014 - 2015シーズンだが、度重なるアクシデントの影響により、当初挑戦する予定だったプログラムの難度の変更を余儀なくされた。 初戦となる予定だったは腰痛のために欠場。 2014年11月、初戦となった開催のではショートプログラムで2位スタート。 フリースケーティング前の6分間練習で、中国のと衝突事故が起きた。 は国際試合に医師を帯同させていなかったため、現場では米国の医師に応急処置を受け、頭部と顎にテーピングと包帯を施したままの状態で演技に臨んだ。 流血事故を押しての出場は、当初の可能性が疑われたため「危険だったのではないか」とメディアの賛否が分かれる事態に発展したが、脳震盪は起こしていないと現場の医師の診断を受けており、最後までプログラムを滑りきり銀メダルを獲得した。 「準優勝」 この演技終了後に顎を7針、頭を3針縫い、表彰式とエキシビションには出演せず翌日に帰国。 精密検査の結果、頭部挫創・下顎挫創・腹部挫傷・左大腿挫傷・右足関節捻挫で全治2 - 3週間と診断を受けた。 次戦のは開催直前まで出場の可否が検討されていたが、最終的には出場し総合順位は4位となる。 この結果、ISUグランプリシリーズポイントランキング6位となり、最下位でへと進出した。 1番滑走で臨むことになったショートでシーズンベストを記録し首位に立ち、フリーでは2種類の4回転を成功させ自己ベストを更新。 日本男子初となる大会2連覇を達成し、 事故を乗り越えての勝利を「存分に体を使える幸せを感じた。 今スケートができることが一番の幸せ」と語った。 世界選手権銀メダル シーズンベストを叩きだした 続く2014年12月、では3連覇を達成したものの 、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、を欠場して緊急入院。 「遺残症」との診断結果により、翌12月30日に手術を受けた。 3連覇を達成した直後に、NHK杯で見えた壁を越えて見えたものはと問われ「壁です。 壁の先には壁しかないのかな、と。 人間というのはそういうものだと思うし、課題ができたら、人間は欲深いものだからそれを越えようとします。 たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思うのと同時に、それを達成するためにサポートしてくれる環境がある。 幸せ者だなと思います」と答えた。 手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが 、退院後に練習を再開。 しかし手術で腹部を4センチほど切り、腹筋の感覚に違和感が生じたことが一因で練習時に右足首を。 再び2週間の休養を要し、3月開催のへの出場は直前まで危ぶまれた。 しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、以来の復帰戦に挑むこととなった。 2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催されたでは、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークして首位に立った。 術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリーの4回転をどちらも失敗。 その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まった。 結果は、同門のに2. 82点およばず銀メダルとなり、日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。 連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかけることができる立場になった。 悔しさをバネに進んでいける」と語り、復帰戦を終えた。 のほか、手術跡がを起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催のへの出場の可否は後に協議されたが、自身初となる出場が決定。 ショートプログラムで96. 27点と今季自己ベストを更新して首位に立ち 、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを決めたほか、ミスを最小限にとどめ首位に立った。 フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた。 日本は銅メダルを獲得。 来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった。 2015 - 2016シーズン 世界記録更新とGPファイナル3連覇 では、世界記録を再び塗り替え、男子史上初の3連覇を達成した(フリー演技『SEIMEI』)。 映画『』のサウンドトラックを用いた新たなを『SEIMEI』と自ら命名。 「」のをイメージした衣装で、振付によるの表現に挑んだ。 初戦ので優勝。 続くのショートプログラムでは、演技後半のジャンプがルール上カウントされず0点となり73. 25点の6位発進と出遅れたが 、フリーで自身初となる4回転3本を着氷させて巻き返し2位となる。 続くでは「挑戦という意味を込めた」として、ショートに4回転サルコウと4回転トウループ - 3回転コンビネーションの4回転2本を組み込む、自身最高難度の構成に急遽変更。 ノーミスの演技で、で自身が記録した101. 45点の世界最高得点を更新する106. 33点をマークした。 「絶対王者 になると言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた 」として臨んだ翌日のフリーでは、演技後半の4回転 - 3回転コンビネーションを含む計3本の4回転のほか、すべてのジャンプを成功。 技術点は出来栄え評価で23. 08点もの加点を獲得し、演技点の「音楽の解釈(Interpretation)」の項目は、ジャッジ9人中6人が10点満点をつける9. 89点という圧倒的な演技で安倍晴明を演じきり、史上初の200点台となる216. 07点を記録した。 トータルスコアでも史上初の300点台となる322. 40点を記録し、が保持していた295. 27点のを大幅に塗り替える前人未到のスコアで優勝を果たした。 この大会で羽生はショート、フリー、トータルの全スコアで世界記録を更新。 において、史上初めてで100点、で200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となった。 さらに2週間後ので開催されたのショートプログラムにおいて、NHK杯を超える演技を披露。 4回転サルコウと、4回転トウループ - 3回転トウループの連続ジャンプは、9人中8人のジャッジがGOE(出来栄え評価)加点で満点の3点をつけ、PCS(プログラム構成点)は満点の50点に肉薄する49. 14点をマーク。 110. 95点を叩き出し、わずか2週間で再び世界記録を塗り替えた。 一日置いたフリーでもノーミスの演技を披露。 4回転サルコウ、4回転トウループともにGOE満点を獲得し、技術点は120. 92点に到達。 構成点では9名のジャッジが10点満点をつけた項目が23にもおよび、NHK杯を超える219. 48点を記録。 トータルで330. 43点というスコアを叩き出し、再びすべての世界記録を更新した。 プログラム構成上の上限の点数に対する得点がショートが2. 70、フリーが6. 31とごくわずかの演技で 、男子選手として史上初となる3連覇を成し遂げた。 歴史的な記録更新に、会場のインタビューで自身の演技を見た子どもへのコメントを求められ「どうかスケートを、練習を、夢をあきらめないで」と語った。 SP WR ・FS WR 【3連覇】 続くではさらなる記録更新に期待がかけられたが、フリーの演技後半の2度のジャンプの転倒が響き183. 73点、トータルは286. 36点にとどまった。 2位のに20点近い大差をつけ、男子史上29年ぶりとなる大会4連覇を果たしたものの「ひどい演技。 自分の中では勝ったとは思っていない」と悔しさをあらわに、2015年を締めくくる試合を終えた。 世界選手権銀メダル 2016年3月にで開催されたでは、ショートでは自己ベストに肉薄する110. 56点を記録。 一日あけて臨んだフリーでは「さらに完成度を高めるため」として、後半の4回転トウループを4回転サルコウに変更(実際には左足の靱帯損傷の悪化により変更となった)、しかしここで転倒するなどジャンプの精彩を欠いた演技で、自己ベストには程遠い184. 61点にとどまった。 トータルスコアは295. 17点という結果となり、ショートのリードで逃げ切ることはできず、前回大会と同じく同門のに逆転され、2年連続の銀メダルとなった。 期待されながらも王者奪還を逃した敗因を「いい演技をしたい、と欲張った結果が裏目に出た空回りであり、自分の過ち」と分析。 演技後は「ここで金メダルを取れないようでは自分はまだまだ」と述べ、去年と同様に悔いの残る世界選手権を終えた。 大会終了後、左足のの治療のため、帰国はせず練習拠点のに戻ると発表。 後日正式に「左足リスフラン関節」により全治2か月との診断を受け 、への出演をすべて取りやめ、治療とに専念することとなった。 4回転ループを含む、6本の4回転ジャンプを組み込む高難度プログラムに挑む。 初戦ので、ISU公認大会史上初となる4回転ループを2度成功させる 快挙で優勝。 しかし「ぜんぜん体が動かなかった 」と苦笑するほど全体的には精彩を欠いた演技で、自己ベストから70点近く低い260. 57点にとどまった。 不本意な結果に「次の試合ではノーミスで。 そのくらい練習していきます。 そうじゃないと、羽生結弦じゃないです」と雪辱を誓った。 しかし初戦となる、続くのショートで「慎重になりすぎた」と4回転を失敗し、4位発進と出遅れる。 フリーは1位で追い上げるも、トータルスコアでにわずかに届かず、同大会2年連続で2位となった。 ショートの出遅れが響き今回も263. 06点というスコアにとどまったが、初戦の体力切れを改善し演技後半のジャンプを安定して決めることができたことから「悔しさ9割、達成感1割」と総括した。 続く2戦目のでは、ショート冒頭の4回転ループの着氷のみ乱れたが、演技後半のトリプルアクセルがGOE満点評価を受けるなど圧倒的な演技で103. 89点をマークし首位に立つ。 フリーでは4回転サルコウ - 3回転トウループのコンビネーションの4回転サルコウで転倒があったものの、4回転ループ、4回転サルコウ、4回転トウループと3本の4回転ジャンプを成功させる安定した演技で197. 58点をマーク。 今季世界最高得点となる総合301. 47点で優勝し、への進出を決めた。 今回もノーミスの演技は達成できなかったことから、ショート・フリーともに演技後に「もうちょっと」と、指で自身の演技の完成度を悔しがる仕草を何度も見せていたが 、フリーについては「冷静に考えたら全然もうちょっとじゃなかった。 かなり頑張ってきます」とさらなる向上を誓い、「悔しさ4割、ホッとした4割、楽しかった2割」と大会を総括した。 12月8日よりで開催のに、史上初となる4連覇をかけて出場。 ショート冒頭の4回転ループの着氷を何とか堪え、すべてのジャンプを成功。 スピン、ステップのすべてで最高評価のレベル4を獲得した。 ステップはジャッジ9人中8人がGOE満点のプラス3をつけ、上限となる2. 1点の加点を得るという圧倒的な演技で、シーズンベストを更新する106. 53点をマーク。 首位発進で臨んだフリーだったが、冒頭の4回転ループと4回転サルコーは成功するも、演技後半の4回転サルコーで転倒するなどミスが相次ぎ失速。 得点を伸ばすことができず、フリーは全体3位となる187. 37点にとどまった。 しかしながらショートでの大幅なリードに助けられ、2位まで追い上げたに10点以上差をつける合計293. 90点で大会を制し、男女を通じて史上初となる4連覇を達成した。 また大会4度の優勝は、男子では羽生が憧れると並ぶ記録となる。 この結果を喜ぶ一方、ノーミスの演技を達成できなかった悔いの残るシーズン前半戦を「めちゃくちゃ悔しい。 反省点だらけ」と総括。 シーズン後半に向け、改めて4回転ジャンプ4本を組み込むフリー構成の完成を目指す。 次戦は5連覇をかけたとなる予定だったが、帰国後にを発症しを併発する。 大会前日の段階でも発熱が続いており、さらに1週間の安静加療が必要と診断されたことから、正式に欠場を発表した。 不在に終わった全日本だが、上述の優勝および、過去に出場した世界選手権における実績などから選考基準を満たしており、2017年にで開催されるの代表に選出された。 世界選手権2度目の優勝 2度目の優勝を果たした 羽生結弦 フリーは世界最高得点 WR 2017年2月、復帰戦となるに出場。 ショートは冒頭4回転ループをほぼ完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウが2回転となるミス。 トリプルアクセルで満点の加点を得たものの、97. 04点の3位発進と出遅れた。 今季最高得点となる206. 67点を叩き出しフリー1位となったが、合計303. 71点はショート1位のにわずかに届かず2位に終わった。 今回もの優勝はならず、同大会で獲得した銀メダルは3個目となったが「優勝したかったが、今までで一番楽しかった銀メダル」とし、「自分の限界に挑戦している感覚が非常に好き。 この時代に生まれてよかった」と、ライバルとハイレベルな戦いに挑む喜びを述べた。 3月にで開催されたに出場。 ショートでは、冒頭の4回転ループを自身最高となる2. 43点の加点を得る出来栄えで完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウの着氷が乱れ、左膝をつくミス。 その体勢から急遽両手を上げての2回転トウループをつけたが、これはコンビネーションとは認定されず大幅に得点を失う。 さらに、名前を呼ばれてから30秒以内にスタート位置につけず「スタート遅れ」の規定違反により1点の減点を受け、98. 39点という厳しい得点になる。 109. 05点で自己ベストを更新した首位のとは10. 66点差の5位発進と大幅に出遅れる。 しかし最終グループ1番滑走で臨んだフリーでは、となっていた演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループの連続ジャンプを今季初めて完璧に成功。 4回転4本に加え、すべてのジャンプを加点つきで成功させるという圧巻のノーミス演技を成し遂げ、自身が持つ世界最高得点を更新する223. 20点を叩き出した。 トータルスコアはシーズンベストとなる321. 59点で、4位までが300点を超える空前の激戦を制し、史上初 となるショート5位からの逆転優勝を飾った。 世界選手権の優勝は2度目となり、3年ぶりに世界王者の座を奪還した。 世界記録を塗り替えての劇的な逆転優勝を、は「目もくらむような眩惑的なフリースケート」の見出しで称え 、の紙は「キングが王座に帰還した」と報じた。 フリーでの世界記録更新については「一番とらわれていたのは過去の自分の数字。 1点でもいいから超えてくれと恐れながらやっていたが殻を破れた」と、限界を設けず練習を続けたことへの収穫を述べた。 シーズン最終戦として4月下旬にに出場。 ノーミスを目標に掲げていたショートで4回転が決まらず、83. 51点の7位に沈んだ悔いから「こんなに悔しいならもう1回跳べばいい」と、4回転ジャンプを5本組み込む構成でフリーに臨んだ。 5本のうち前半の4回転サルコーが1回転となるミスが出るも、演技後半で史上初となる3本の4回転ジャンプを成功をさせ(4回転サルコー - 3回転トウループ、4回転トウループ、4回転トウループ - 1ループ - 3サルコー )200. 49点をマークし1位に躍り出る。 日本はポイント合計で総合1位となり、3大会ぶりに優勝を飾った。 ハイレベルな試合が続いた五輪プレシーズンを「だからこそ練習が楽しいしモチベーションも高くなる。 今スケートが楽しいです」と総括し「自分がしたいスケートをしっかりやって、また一歩ずつ進んでいければ」と来季への展望を述べた。 2017 - 2018シーズン 4回転ルッツ成功と右足関節外側靱帯損傷 ショートに『』、フリーは2015 - 2016シーズン時点で「五輪シーズンで使うと決めていた」という『SEIMEI』と 、自身が世界最高得点を更新したプログラムの再演を選択。 フリーは4回転5本を組み込むなど構成の難度をさらに上げ 、オリンピックシーズンに臨む。 9月にで開催されたオータム・クラシックに出場。 右膝に痛みがあり4回転ループは回避したが、ショート冒頭の4回転サルコウおよび後半のトリプルアクセルでGOE満点の評価を獲得するなど、技術点合計が歴代最高の64. 17点に到達するノーミスの完璧な演技を披露。 自身が2015年より保持している最高得点を塗り替える112. 72点の世界新を記録し、首位発進となった。 しかし、翌フリーは得意のトリプルアクセルで転倒するなど精彩を欠いた演技で失速。 自己ベストから実に67点ものマイナスとなる155. 52点にとどまり 、合計でに逆転され2位となった。 この落差の激しさは「集中力の弱さ」にあり永遠の課題としつつも 、初戦で2位に終わった悔しさを「大きな収穫」と受け止めた。 10月に初戦のに出場。 ショートはジャンプのミスが響き2位発進。 フリーでは、自身初挑戦となる4回転ルッツを成功させ 195. 92点の1位まで追い上げるも、合計290. 77点はに3点届かず2位と、6年連続で初戦の優勝を逃した。 次戦は11月のを予定していたが、9日のでの公式練習にて4回転ルッツで転倒した際に負傷。 翌日午後にが「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった。 この時点で出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した。 に戻り、12月のへの出場を目指して治療に専念したが 、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念。 18日にが正式に欠場を発表した。 引き続きリハビリを優先し 、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。 逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランキング 1位であり、規定に沿って正式に代表に選出された。 平昌オリンピック金メダル(史上66年ぶりの五輪2連覇・アジア初) 「66年ぶり五輪連覇」 大トリ(日本人初) 1月のも回復優先のため回避し 、2月9日に開幕した団体戦への出場も「完全回復にあと1週間必要」とのの判断により回避。 11日に現地入り後は慎重に調整。 まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言。 約4か月ぶりとなる復帰戦として、男子シングル66年ぶりの五輪連覇がかかる個人戦に臨む。 2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。 4回転ループは回避するも 、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め 、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した。 自己ベストに肉薄する111. 68点をマークし首位発進となる。 「痛み止めなしでは3回転ジャンプすら跳べなかった」という状態の悪さから、翌17日に行われたフリーのジャンプ構成は試合当日の朝に決断したという。 冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループでGOE満点を獲得する完璧な滑り出しで序盤のジャンプはすべて成功。 長いブランクからスタミナが懸念された演技後半も、4回転サルコー - 3回転トーループの連続ジャンプを成功。 しかし続く4回転トーループでミスが出たため、その後のトリプルアクセルを2連続からトリプルアクセル - シングルループ - トリプルサルコーに切り替えリカバリーした。 最後の3回転ルッツも、体勢を崩しながらも着氷でこらえた。 大きなミスは1つにとどめ、フリーでは演技構成点トップ、技術点との合計206. 17点は自己ベストにはおよばないものの、ショートプログラムとの合計317. 85点と2位以下を10点以上離し、に続き2大会連続で金メダルを獲得。 男子ではとを制したアメリカの以来66年ぶりとなる連覇を達成した。 これを受け、バトンは自身のツイッター上で「ブラボー」と賞賛し羽生を祝福した。 日本人として史上初の大トリを飾ったエキシビション の個人種目で日本人が連覇を果たしたのは史上初である。 また冬季五輪ではが1924年に第1号獲得者となって以降、通算1,000個目の金メダルとなった。 25日のでは「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」で大トリを務めた。 男子シングルの金メダリストがオリンピックのエキシビションで大トリを飾るのは、金メダルのプルシェンコ以来であり、日本人メダリストが最終演技者を努めたのは史上初となる。 被災地の復興の願いを込めた演技で大役を果たし、平昌オリンピックを終えた。 「この試合は勝たないと意味がないと思っていた」との覚悟に勝った偉業だが 、連覇にいたるまでの4年間は怪我や病気に苦しんだ。 しかし「もし何もなくうまくいっていたら、たぶん金メダルをとれていなかった」とし、さまざまなアクシデントから学んだ経験を生かせた結果と総括した。 会見では痛み止めの服用なしではジャンプを跳べる状態にはなく、治療期間が必要と明かしたが 、日本に帰国後のに「右足関節外側靱帯損傷、腓骨筋腱損傷」との診断結果を日本スケート連盟を通じて発表。 約2週間の安静と3か月間のリハビリ治療を要する診断を受け、2連覇がかかっていたの出場を断念し、シーズンを終えることとなった。 、が授与の検討をから指示されたと発表。 国民栄誉賞(個人史上最年少受賞) 国民栄誉賞の表彰を受ける羽生結弦 今後は復帰を目指し治療に専念するとして、4月13日に開幕する自身初プロデュースの凱旋『Continues ~with Wings~(コンティニューズ・ウィズ・ウィングス)』でも、トークのみで滑る予定はないと発表。 しかし公演初日に、安静期間を無事に終えて3月下旬から氷上練習を再開した旨を報告。 ジャンプは跳ばないものの、サプライズで45日ぶりに氷上での演技を披露した。 に地元のでオリンピック連覇を祝う凱旋祝賀パレードが開催され、前回(2014年)を上回る、約10万8,000人(直近の仙台市の:108万3,148人(2018年4月1日時点) の約10分の1に相当)の観衆から祝福を受けた。 今後は4回転アクセルへの挑戦を目標に掲げるも、次のを目指すかとの質問への明言は避けた。 来季はなるべく多くの試合に出たいとしている。 なお欠場と棄権が続いたことから五輪以外の主要なポイントを獲得できず、2013年より保持し続けた世界ランキング1位の座から、約4年半ぶりに陥落することとなった。 シーズン終了時点で3位となる。 にの授与が発表。 伝統の「」の(の甲田綏郎より贈られた )姿で授与式に臨み 、ににてよりと盾を授与された。 歴代27例のうち、の金メダリスト(の)は史上初、また23歳での受賞は個人最年少となる。 受賞者に与えられる規定のは「皆さまを代表しての受賞という気持ちが大きく、僕個人の気持ちはあまり出したくない」という羽生の意向で辞退となった。 受賞後は「ここまで切り開いてくださった方々がたくさんいる中で、代表として僕が頂いた」と感謝を述べたのち「この賞と、皆さまの期待とともに、これからも進んでいきたい」と語った。 2018 - 2019シーズン 五輪連覇を成し遂げたことで重圧から解放され、今後は自分のために滑りたいと 、新たなショートプログラムにの『秋によせて』を、フリーはの『ニジンスキーに捧ぐ』をアレンジした曲を用い、プログラム名を『Origin(オリジン)』と名付けた。 自らの競技人生が終盤に差しかかっている実感があるとし 、幼少期に憧れたプログラムの曲を採用することで「自分のを感じながら滑りたい」と原点回帰を新たな目標に挙げた。 松葉づえ姿でロシア杯表彰式に臨む羽生結弦 9月に以来の復帰戦となる()に出場。 ショートはジャンプをすべて決め首位発進するも、スピンが条件を満たせず0点になるミスがあり 、翌フリーでも転倒と連続ジャンプにならないミスが重なり165. 91点にとどまった。 合計でリードを守り優勝したものの 、悔しい結果で逆に「自分の心のともしびに薪が入れられた」状態とし 、次戦までに「最短で強くなりたい」と悔しさをあらわにした。 11月に初戦となる に出場。 「やっぱり試合で勝たなきゃ意味がない」と、要素を後半に入れ難度を上げたプログラム構成に変更。 4回転サルコーで4. 30点の加点を獲得するなど、ルール改正後の世界最高得点となる106. 69点をマークしショートを首位発進。 エッジ系のジャンプが入らないリンクに苦戦するも「スピードを落とすことで慎重に跳んだ」と対応力を見せ、フリーでは世界初となる4回転トウループ - 3回転アクセルの連続ジャンプを着氷させ190. 43点をマーク。 合計297. 12点と、ショート・フリー・トータルスコアのすべてで今季世界最高得点を獲得し優勝。 シニアデビュー以来の鬼門となっていたGPシリーズの初戦を初めて制した。 11月16日よりで開催されたに出場。 ショートでは冒頭の4回転サルコーで4. 30点の加点を得たほか、4回転 - 3回転トウループの着氷の詰まりを堪えるなど高い修正力を発揮。 演技点は5項目すべて9点台なかば以上が並び「この構成では実質ほぼマックスの得点だと思う」と自己分析する圧巻のノーミス演技で 、 でマークした最高得点を更新する110. 53点を叩き出し首位発進。 しかしフリーが行われる17日午前の公式練習で、4回転ループの着氷に失敗し転倒。 2017年11月の靭帯損傷以降、わずかな衝撃でも捻挫を起こすようになった右足首を再び負傷し 、医師より3週間の安静が必要との診断を受けた。 いま滑ると状態が悪化するためを勧められたが、加療期間を計算すると年末のの出場も危ぶまれることから「何をしたくて、何を削るかを考えたうえで、今日しかないかなと思いました」と、自身のスケート人生のルーツと位置づけるでの試合への出場を決断。 右足に負担をかけない演技構成に急遽変更し、痛み止めを服用したうえで演技に臨んだ。 4回転ジャンプ3本を確実に決めたが、後半の3回転アクセルで転倒するなど終盤のジャンプミスが響き167. 89点にとどまった。 しかし合計278. 42点となり、自身初となるシリーズ2連勝で進出を決めた。 ファイナルを含む通算10勝は、日本人男子最多記録となる。 試合後のミックスゾーンでに「よく頑張った」とねぎらわれたが「素晴らしかったと言ってもらえる演技をしなくてはいけなかった」と涙を拭い演技内容を悔いた。 18日の表彰式にはをついて参加し、ファイナルに向け全力で治療すると意欲を示していたが 、11月29日にが都内病院での検査結果を発表。 「右足関節外側靱帯損傷、三角靱帯損傷、右腓骨筋腱部損傷」の診断により、3週間の安静と1か月のリハビリを要することから欠場が決まった。 加療が続いており、12月13日にの欠場も発表された。 4か月ぶりの復帰戦となったでは、「世界選手権に向けた今のコンディションとしては、100パーセントだと思っている」と3度目の優勝に向けて好調ぶりをアピールした。 ショートでは冒頭の4回転サルコウが2回転になり0点。 その後、トリプルアクセルは3. 43点の加点を獲得。 4回転トウループ - 3回転トウループも決め、ステップとスピンもレベル4を獲得したが、3位発進となる94. 87点と、トップのと12. 53点も離される厳しい結果となった。 逆転を狙ったフリーでは、今季は2度目の成功となる4回転ループを決め、3. 45点の加点を獲得。 4回転トウループは加点3. 8点を、4回転トウループ - トリプルアクセルも決め3. 12点の加点を獲得。 ステップはレベル3となり、合計206. 10をマークした。 新採点方式で初めてフリーで200点を越えた最初の選手となった。 トータルではとなる300. 97点を獲得し、新採点方式で300点を超えた最初の選手となりパーソナルベストを更新。 しかし、その直後に滑走したネイサン・チェンが高難度ジャンプを組み込んだ圧巻の演技を披露し、合計323. 42点と世界最高得点を更新し優勝した。 日本代表選手で唯一のメダル獲得者となった羽生は銀メダルとなり、来季の3枠獲得を自ら死守した。 今後は右足首の怪我と付き合いながら4回転フリップ、4回転ルッツを取り戻し、新たに夢として掲げている4回転アクセルを練習する予定とのこと。 試合後、痛み止めを2か月使用し練習と試合に臨んだことを明かした。 は、右足首の加療のため無念の欠場となった。 3月29日は、羽生は2 - 3か月の加療が必要と診断名を発表した。 2019 - 2020シーズン 9月今季初戦となる()に出場。 昨季と同様の楽曲を使用すると発表。 SPでは冒頭の4回転サルコウを転倒したが、その後のトリプルアクセル、4回転-3回転の連続トーループを決め、SP 98. 38点と首位発進となった。 FSは、冒頭の4回転ループ、4回転サルコーは体制を崩しながら何とか堪え、ジャンプ以外のステップやスピンで得点を稼ぐ安定した滑りを見せ SP 1位の羽生が総合力の高さで FSでも180. 67点で1位となり 合計279. 05点で、今季初戦を制した。 「今は、4回転アクセルの為にスケートをやり、その為に生きてるなと思います」と試合後に語り、出場についても言及した。 10月初戦となる に出場。 SPはトリプルアクセルで、GOE満点評価を得る等、2位の選手を25点引き離し、自身の世界記録に迫る今季世界最高得点の 109. 60 点で首位発進。 07点の評価となる等、4本の4回転ジャンプを決め、完成度の高いほぼパーフェクトの圧巻の演技を披露し 212. 99点、2位の選手に59. 82点の大差をつけて、トータルスコア 322. 59 点をマーク、今季世界最高得点を獲得し初優勝を飾った。 試合後、前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)投入にあらためて意欲を示し、より高いものを目指していきたいと、飽くなき探求心を語った。 11月 2戦目となるに出場。 SPはノーミスの圧巻の演技で自身が持つ 世界最高記録に迫る 109. 34 点を叩き出し首位発進。 FSは冒頭の4回転ループで着氷を堪えたが、前半の4回転ジャンプは全て成功。 後半は連続ジャンプでのミスを、冷静に構成を組み替えるリカバリーを見せ、195. 71点をマーク、合計 305. 05点 を獲得し、2位に 55. 03点の大差をつけ3年ぶり、4度目の優勝を飾り 、12月に開催される進出も決めた。 試合後ファイナルへ向けて、やはり結果が本当に大切 記憶より記録、しっかり結果を取っていきたい気持ちが強くあると語った。 12月()に出場。 アクシデントで、帯同予定のコーチが不在となり、FS2回目の公式練習からコーチが寄り添う形になった。 コーチ不在で臨んだSPは4回転トーループの着氷が乱れ連続ジャンプに出来ず、97. 43点で2位発進。 1位のネイサン・チェンに12. 95点差を付けられ優勝は絶望的となった。 FSは4回転ループに成功し、4回転ルッツでは3. 94の加点に繋がり、4回転4種5本を全て着氷する意地を見せたが、最後に予定していた3回転アクセル-3回転アクセルのジャンプシークエンスが1回転アクセル単発になってしまう失敗が響き194. 00点、合計291. 43点で2位。 一方チェンは5本の4回転ジャンプを全て着氷するなどノーミスの演技を見せ、世界最高得点となる合計335. 30点を叩き出し3連覇となった。 試合後、敗れたもののルッツ、ループを含む4回転4種5本を降りたこの構成に手応えを感じていると語り、「楽しむしかないですよね。 こんな…自分の旧ジャッジのころの、旧採点まで抜かれてめちゃめちゃ悔しい。 今に見とけと思って」と笑いながらリベンジへの強い思いを語った。 尚、この大会のFS1回目の公式練習において、公の場で初めて4回転半ジャンプ(クワッドアクセル)に挑戦した。 12月 に4年ぶりに出場。 SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、トーループの4回転-3回転を先に決める構成に変更、まとまった圧巻の演技を披露し、110. 72点を獲得、非公認ながら自身が記録した世界最高の110. 53点を超え首位発進。 FSは、トリプルアクセルで転倒する等、172. 05点にとどまり、合計282. 77点で2位となった。 「調整がうまくいかなかった。 体がどんどん、日に日に劣化していく感じだった」「正直言って、僕の実力と技術が足りなかった」と試合後に語り、「一緒にまた引っ張っていけたら。 頑張ろうね、おめでとう」と優勝した宇野昌磨を称えた。 今大会を含め5週で3試合という大変過酷な日程であった。 今後はへの出場が発表され、来年3月にで開催されるの代表に選出された。 男子史上初のスーパースラム達成 2月に4年振りに出場。 楽曲を変更し、SPは「バラード第1番」、FSは「SEIMEI」に戻すことを発表。 それぞれ通算4度目・3度目の再演となる。 変更理由については、プルシェンコとウィアーの背中という理想が高いゆえに自分の演技として完成できないと思い、より自分らしくいられる以前の楽曲を戻したと明かした。 SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、4回転トーループ-3回転トーループを先に決める構成に変更。 4回転サルコウで4. 43点の高い加点を得るなど演技をまとめ、111. 82点と世界最高得点を更新。 FSでは4回転トーループで転倒するなどミスがあり187. 60点となるも、合計299. 42点で初優勝となった。 これにより、、、(ヨーロッパ選手であれば)、、、の主要国際大会6冠達成したことになり、男子シングル史上初のを達成した。 なお開催前の、が5冠。 女子シングルでは、が達成している。 3月開催予定のは、《COVID-19》の感染拡大を受け、カナダ・ケベック州政府により11日(日本時間12日)、世界選手権(モントリオール、16~22日)を中止すると発表した。 また、は、オンライン理事会で協議した結果(4月16日)大会開催を断念して中止とすることを決定した。 授賞式はオンラインで開催され、羽生は「最優秀選手賞」に輝いた。 いつも応援ありがとうございます。 これからも一生懸命、自分の理想のスケートを追い求めて頑張っていきます。 どうか応援よろしくお願いします」と感謝の言葉を述べた。 主な戦績 マークが付いている大会はISU公認の国際大会。 赤い数字はISU公認国際大会での当時の世界最高得点 国内大会は含まない 2019-2020 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2020年3月16日-22日 () 中止 2020年2月4日-9日 () 1 111. 82 1 187. 60 1 299. 42 2019年12月19日-22日 () 1 110. 72 3 172. 05 2 282. 77 2019年12月5日-8日 () 2 97. 43 2 194. 00 2 291. 43 2019年11月22日-24日 () 1 109. 34 1 195. 71 1 305. 05 2019年10月25日-27日 () 1 109. 60 1 212. 99 1 322. 59 2019年9月12日-14日 () 1 98. 38 1 180. 67 1 279. 05 金メダル 2016-2017 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2017年4月20日-23日 () 7 83. 51 1 200. 49 1 団体 (284. 00) 2017年3月27日-4月2日 () 5 98. 39 1 223. 20 1 321. 59 2017年2月14日-19日 () 3 97. 04 1 206. 67 2 303. 71 2016年12月22日-25日 () 欠場 2016年12月8日-11日 () 1 106. 53 3 187. 37 1 293. 90 2016年11月25日-27日 () 1 103. 89 1 197. 58 1 301. 47 2016年10月28日-30日 () 4 79. 65 1 183. 41 2 263. 06 2016年9月29日-10月1日 () 1 88. 30 1 172. 27 1 260. 57 金メダル 2015-2016 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2016年3月26日-4月3日 () 1 110. 56 2 184. 64 2 295. 17 2015年12月24日-27日 () 1 102. 63 1 183. 73 1 286. 36 2015年12月9日-13日 () 1 110. 95 1 219. 48 1 330. 43 2015年11月27日-29日 () 1 106. 33 1 216. 07 1 322. 40 2015年10月30日-11月1日 () 6 73. 25 2 186. 29 2 259. 54 2015年10月12日-15日 () 1 93. 14 1 184. 05 1 277. 19 金メダル 2013-2014 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2014年3月24日-30日 () 3 91. 24 1 191. 35 1 282. 59 2014年2月6日-22日 () 1 101. 45 1 178. 64 1 280. 09 2014年2月6日-22日 団体戦() 1 97. 98 - 5 団体 2013年12月20日-23日 () 1 103. 10 1 194. 70 1 297. 80 2013年12月5日-8日 () 1 99. 84 1 193. 41 1 293. 25 2013年11月15日-17日 () 2 95. 37 2 168. 22 2 263. 59 2013年10月25日-27日 () 3 80. 40 2 154. 40 2 234. 80 2013年10月4日-6日 () 1 84. 66 1 180. 93 1 265. 59 金メダル 2012-2013 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2013年3月10日-17日 () 9 75. 94 3 169. 05 4 244. 99 2013年2月6日-11日 () 1 87. 65 3 158. 73 2 246. 38 2012年12月20日-24日 () 1 97. 68 2 187. 55 1 285. 23 2012年12月6日-9日 () 3 87. 17 2 177. 12 2 264. 29 2012年11月23日-25日 () 1 95. 32 1 165. 71 1 261. 03 2012年10月19日-21日 () 1 95. 07 3 148. 67 2 243. 74 2012年10月4日-7日 () 2 75. 57 1 172. 56 1 248. 13 銅メダル 2011-2012 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2012年3月26日-4月1日 () 7 77. 07 2 173. 99 3 251. 06 2011年12月22日-25日 () 4 74. 32 1 167. 59 3 241. 91 2011年12月8日-11日 () 4 79. 33 3 166. 49 4 245. 82 2011年11月25日-27日 () 2 82. 78 2 158. 88 1 241. 66 2011年11月4日-6日 () 2 81. 37 4 145. 16 4 226. 53 2011年9月21日-24日 () 1 75. 26 1 151. 00 1 226. 26 金メダル 2009-2010 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2010年3月8日-14日 () 3 68. 75 1 147. 35 1 216. 10 2009年12月25日-27日 () 13 57. 99 5 137. 23 6 195. 22 2009年12月3日-6日 () 3 69. 85 1 136. 92 1 206. 77 2009年11月21日-23日 第78回() 1 76. 00 2 118. 15 1 194. 15 2009年10月7日-10日 () 1 70. 78 1 130. 37 1 201. 15 2009年9月9日-13日 () 1 66. 77 1 131. 88 1 198. 65 2008-2009 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2009年2月23日-3月1日 () 11 58. 18 13 103. 59 12 161. 77 2008年12月25日-27日 () 8 64. 50 5 117. 15 8 181. 65 2008年11月21日-23日 第77回() 4 57. 25 1 124. 92 1 182. 17 2008年9月3日-7日 () 6 51. 06 4 95. 62 5 146. 68 2007-2008 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2007年11月24日-25日 第76回() 7 49. 55 1 111. 47 3 161. 02 2006-2007 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2006年11月25日-26日 第75回() 18 38. 80 4 90. 16 7 128. 96 プログラム使用曲• 太字は羽生自身が付けたタイトルである。 アジア男子初の金メダル• 史上初の4回転認定• 男子初の4連覇• アジア初2連覇• 個人種目で日本初の2連覇• 男子初 5シーズン連続 1位• 総合得点・SP・FS・歴代最高得点• 史上初の4回転トゥーループ-1回転Eu-3回転フリップ成功• アジア男子初の• 男子史上初となる6冠完全制覇 世界記録更新のスコア 2019-20シーズン終了時までに、 世界記録を通算19回更新している。 日付 得点 大会 備考 2019年3月23日 300. 97 300点以上のスコアを獲得した最初のスケーター 同大会でネイサンチェン選手更新 2018年11月4日 297. 12 日付 得点 大会 備考 2020年2月7日 111. 82 ワールドレコード 自己記録のWRを更新 2018年11月18日 110. 53 2018年11月3日 106. 69 日付 得点 大会 備考 2019年3月23日 206. 10 200点以上のスコアを獲得した最初のスケーター 同大会でネイサンチェン選手更新 2018年11月4日 190. 43 歴史的世界記録更新のスコア 2012年から2017年までの間に 12回世界記録を更新している。 この世界最高得点は、ルール改正によりスコアがリセットされた 2018 - 2019シーズンよりとして保存されている による最高得点の歴史的記録として保存されることとなった羽生のショートプログラム『』()• 日付 得点 大会 備考 2015年12月12日 330. 43 史上初の330点超えを達成 2015年11月28日 322. 40 史上初の300点超えを達成 日付 得点 大会 備考 2017年9月22日 112. 72 2015年12月10日 110. 95 史上初の110点超えを達成 2015年11月27日 106. 33 2014年2月13日 101. 45 史上初の100点超えを達成 2013年12月5日 99. 84 2012年11月23日 95. 32 2012年10月19日 95. 07 日付 得点 大会 備考 2017年4月1日 223. 20 史上初の220点超えを達成 2015年12月12日 219. 48 2015年11月28日 216. 07 史上初の200点超えを達成 表彰・栄誉等• (2014年 、2018年 )• (2018年)• 「特別感謝状」(2018年)• :(2014年 、2018年 )• :(2018年) 都民スポーツ大賞(2018年)• :議長特別表彰(2014年、2018年 )• :仙台市議会議長特別表彰(2018年 )• :賛辞の楯(2014年 、2018年 ) スポーツ大賞 (2009年 、2011年 、2012年 、2013年 ) フィギュアスケートモニュメント 設置(2017年) フィギュアスケートモニュメント 発表式・設置「五輪2連覇記念」(2019年)• :新人賞(2009年)、最優秀賞(2013年 )、特別功労賞(2015年 )、特別栄誉賞(2017年 ) オリンピック特別賞(2014年 、2018年 )• JOC杯(最優秀選手賞)(2013年 、2014年 、2015年、2016年 、2017年 、2019年 )• :2014年度「」(2014年)• :第64回、第68回「」グランプリ(2014年 、2018年 )• :第22回「」グランプリ(2014年)• :第64回「河北文化賞」(2014年)• :第29回「中日体育賞」(2015年)• :第49回、第50回、第51回、第52回、第53回「」(2014年 、2015年 、2016年 、2017年 、2018年 )第48回「五輪奨励賞」(2013年 )、第52回「特別賞」(2017年 )、第54回 「スポーツ放送特別賞」(2019年• :第33回「」(2014年)• 東京運動記者クラブ:特別賞(2012年)、スケーター・オブ・ザ・イヤー 最優秀選手賞 (2014年 、2015年 、2017年 )• 東北運動記者会:スポーツ大賞(2011年、2013年、2014年 、2015年 、2017年 )• :「HAPPY NEWS 2017」HAPPY NEWS PERSON 受賞(2018年)• :「」 第1回:大賞、アスリート部門賞(2014年) 第5回:アスリート部門賞、スペシャル部門賞【男性】、宮城県部門賞(2018年)• :「」 (2010年 、2012年 、2013年 ) 大賞(2014年 、2018年 )• :「きものベストドレッサー2018」男性タレント部門(2018年) 表彰・栄誉等(国外)• 「」年間最優秀復帰選手部門にノミネート(Laureus World Comeback of the Year2019)• (2018年)• 第7回 FCEJ Award 「」(2019年10月)。 ビッグベン賞ノミネート(2018年)• ビッグベン賞ヘラクレス賞(スポーツ)グローバル優秀アスリート(2019年) メディア関連 CM・広告等• 冬季オリンピック大会応援キャンペーン「ママの公式スポンサー」日本代表アンバサダー ソチ2014冬季オリンピック(2013年12月) 平昌2018冬季オリンピック(2017年3月16日 - ) 『お母さん、ありがとう。 ANA応援CMソチオリンピック日本代表編(2014年2月8日 - 2014年2月23日) 『HELLO BLUE HELLO FUTURE』平昌2018オリンピック冬季競技大会 羽生選手編(2017年12月28日 - )• 「新料金プラン」シリーズ(2014年6月 - )• ロッテ「キシリトールホワイト」 『ホワイトが出た』篇(2014年10月 - ) 『ホワイトしてる』篇(2015年10月20日 - ) 『ブレイクタイムの後は』篇(2016年10月29日 - ) ロッテ「GUM FOR THE GAME」プロジェクト 『何故・事実』篇 CM(2019年12月6日 - ) ロッテ「キシリトールボトルシリーズ」 『羽生選手デザインボトル』「ゴールド」(2016年4月28日 - ) 『羽生選手デザインセレクトボトル』「紫」(2018年3月 - ) 『羽生選手デザインアソートボトル』「青」(2018年12月4日 - ) 『羽生選手デザインファミリーボトル』「グレープ」(2019年12月3日 - )• 「」『シングルプレイ』篇(2014年9月27日 - )• 「アミノバイタル」(2014年10月 - )• 「はたちの献血キャンペーン」• 日本赤十字社 復興支援事業 メッセンジャー就任(2015年2月 - )• 「きき湯」シリーズ(2015年2月 - ) 『Mr. きき湯』篇(2016年10月17日 - )• 』キャンペーン」(2015年10月20日 - 12月31日) 『羽毛ふとん』『この気持ちよさ、僕はおすすめします』(2019年10月29日 - )• 「2015」(2015年6月23日)• 「」(2019年3月14日 - )• KOSE「雪肌精 みやび」 2020年3月1日 - )• 「中国」(2019年8月22日 - ) テレビ番組等• ワンダフル東北 東北未来人第4回 羽生結弦選手(2010年11月19日、)• もっと強く 〜羽生結弦 16歳の挑戦〜(2011年1月10日、)• 羽生結弦 17歳 高みへ(2012年11月19日、NHK総合)• 英雄たちの決断 18歳の決断 羽生結弦(2013年2月12日、)• 羽生結弦 金メダルへの道(2014年2月17日、NHK総合)• NHKスペシャル 金メダルへの道 羽生結弦 連覇への苦闘(2018年2月8日)• NHKスペシャル 金メダルへの道 逆境を乗り越えて(2018年2月26日)• プレミアムトーク(2015年8月28日、NHK総合)• (2015年12月31日、NHK総合) 審査員をつとめたほか、出場歌手全員で「」を歌うコーナーでは、ステージ上での歌唱にも参加した。 教科書で学べない災害(2016年3月1日、日本テレビ) - 後に一家でした学校のを訪問し、当時の避難生活と震災について語った。 「900回記念放送〜スーパーヒーローの「強さと弱さ」を解く」(2016年4月10日、制作・)• 神様に選ばれた試合(2017年9月24日、) - における『SEIMEI』の演技を自ら解説し、当時の重圧や状況について語った。 NNNドキュメント 「絶対に勝ってやる! 羽生結弦 自分への挑戦」(2018年1月15日、日本テレビ)• 「Continues ~with Wings~ 羽生結弦 凱旋、そして感謝の公演<生中継>」(2018年4月15日、) 全国66映画館でライブビューイング• 羽生結弦オリンピック連覇〜メダリストたちが語る最強伝説(2019年2月4日、) (2019年12月28日、NHK総合) (2020年1月14日、)• 羽生結弦プログラムコンサート 〜Music with Wings〜(2020年2月15日、) (2020年5月3日、)• 羽生結弦 10年間の軌跡〜NHK杯フィギュア〜 (2020年3月31日、) (2020年4月29日、NHK総合)• 「羽生結弦 世界へ届ける花は咲く」(2020年4月29日、NHK総合)• 37 小さなキセキ、大きなキセキ(2014年8月30日、) - 「羽生結弦 被災地の思いを胸に 一夜限りのアイスショー」と題し、生放送で2011 - 2012シーズンのフリープログラム『』を披露。 24時間テレビ38 つなぐ〜時を超えて笑顔を〜(2015年8月22日、日本テレビ) - 「被災地の想いをつなぐ 羽生結弦アイスショー」と題し、のを訪れた際に交流した人々を招待し、アイスショーを開催。 EXプログラム「天と地のレクイエム」と「花になれ」の2曲を披露。 ショーは当日録画であったため、放送時はのほうに生出演した。 また「チャリTシャツ」の笑顔マークの一つのデザインを手がけている。 24時間テレビ40 告白〜勇気を出して伝えよう〜(2017年8月26日) - 自身のととのエピソードを告白。 同じくと診断され、羽生に憧れる少年をスケート指導。 「夢のアイスショー」と題し、とのコラレーションで少年の前で「」を披露した(いずれも録画)。 24時間テレビ41 人生を変えてくれた人(2018年8月25日) - を再訪。 被災者を羽生のホームリンクであるに招待し「ノッテ・ステラータ」を披露した(すべて録画)。 24時間テレビ42 人と人〜ともに新たな時代へ〜(2019年8月24日 - を訪問。 町の名産を栽培されている農園の方々と交流、そしてを訪ねた。 アイスショーは、「羽生結弦と松任谷由実が共演 被災地・北海道に 春よ、来い」と題し、被災地・厚真町の住民約400人を招待。 楽団による演奏で開幕しピアニストの演奏によると が歌う中、羽生結弦選手が華麗な滑りを披露した。 (2016年5月14日公開、) - 役 出版物• 蒼い炎(2012年4月20日、)、ベトナム翻訳版(2020年3月、Shinebooks) 、中国・台湾翻訳版(2020年7月13日、)• 羽生結弦語録(2015年9月25日、)• 羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016(2016年3月25日、)• 蒼い炎II-飛翔編-(2016年7月2日、扶桑社) 中国・台湾翻訳版(2020年7月13日、)• 夢を生きる(2018年3月1日、)• YUZURU 羽生結弦写真集(2014年10月24日、、撮影:能登直)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2015-2016(2016年7月29日、Ice Jewels特別編集、、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2016-2017(2017年7月29日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2017-2018(2018年7月14日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 平昌オリンピック2018 フォトブック(2018年3月9日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 魂のプログラム(2018年10月11日、)• YUZURU II 羽生結弦写真集(2018年10月15日、集英社、撮影:能登直)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2018-2019(2019年7月19日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2019-2020(2020年6月1日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明)• 「羽生結弦 2019-2020」(2020年6月17日、、撮影:矢口亨)• 『羽生結弦 カレンダー 2013年』壁掛け(2012年10月3日、)• 『羽生結弦 カレンダー 2014年』壁掛け(2013年9月13日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2015年』壁掛け版&卓上版(2014年9月24日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2016年』壁掛け版&卓上版(2015年9月2日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2017年』壁掛け版&卓上版(2016年8月31日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2018年』壁掛け版&卓上版(2017年9月26日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 カレンダー 2019年』壁掛け版&卓上版(2018年9月15日、ハゴロモ)• 『羽生結弦 フィギュアスケート2016-2017シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2016年9月30日、特別編集、集英社、撮影:能登直)• 『羽生結弦 フィギュアスケート2017-2018シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2017年9月29日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直)• 『羽生結弦 フィギュアスケート2018-2019シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2018年9月14日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直)• 覚醒の時(2014年7月16日、)• 進化の時(2019年9月25日、) 関連楽曲 の復興支援ソング『』を、羽生が実際に被災したアイスリンク仙台で滑る「花は咲く~羽生結弦Ver. ~」が、2014年6月25日よりで放送された。 さらに2014年の「」()のにおける羽生の演技に、別角度から撮影した映像や練習風景などを加え、再編集を行った「羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」」が2014年12月より放送された。 「」では、緊急手術のため入院中だった羽生のコメントをが読み上げ、見舞いの言葉を述べたのち、が『』を歌唱。 徳永の背後のスクリーンに羽生の演技映像を流すという演出がなされた。 夢に描くキセキ 2014年2月6日に、が制作した羽生の応援歌「夢に描くキセキ」にのせて、羽生の地元・仙台にゆかりのある多数の著名人や羽生に関わりのある人物など総勢145名が、自筆メッセージを書いた紙を手に持って出演する動画『羽生結弦応援PROJECT「仙台が繋いだキズナ」』が上に投稿された。 この動画は羽生も閲覧していると発言しており、コメント欄を通じて応援メッセージを羽生に届ける場となっている。 ソチ五輪での金メダル獲得後は、祝福が綴られる場となった。 ので使用したの「パリの散歩道( Parisienne Walkways)」が、団体SPの翌からまでデイリーランキングの洋楽ロック部門で1位になった。 また、同曲が収録されたムーアのベスト盤CDが、の通販サイトにおいてベストセラーチャート「ハードロック部門」で1位になった。 ノッテ・ステラータ(星降る夜) ボーカル: 2016年4月により「ぜひこの曲で滑ってほしい」とCDを贈られたことからエキシビションに用いられた。 では、2018年2月25日に江陵アイスアリーナで行われたエキシビション後、のデジタル配信チャートで前日比4,932パーセントアップを記録。 配信チャートでも前日比3,000%のダウンロードとなり、CDにもオーダーが殺到し品切れ状態となった。 イタリア語で「満天の星」を意味する曲だが、被災時のの中で見上げた星の輝きに希望を見出したことを思い出す、特別な曲だと明かしている。 その他• 覚醒の時 2014年7月16日に発売。 初の映像作品「覚醒の時」は初週売り上げ2. 1万枚を記録し、週間DVDランキングで最高位1位を記録した。 スポーツ選手のDVDが総合1位となるのは1999年4月のDVDランキング開始以来史上初となった。 また、同時発売のBlu-ray Discもオリコン週間Blu-rayランキングの総合3位となっており、こちらもスポーツ関連Blu-ray Discとしては、DVD同様に歴代最高位と歴代最高初週売上枚数となった。 YUZURU 羽生結弦写真集 2014年10月24日に発売。 よりファースト写真集『YUZURU 羽生結弦写真集』は初週売り上げ2. 3万部を記録し、週間ランキング写真集部門とスポーツ関連部門で1位を獲得、BOOK(総合)部門では2位にランクインし、スポーツ選手写真集の本(総合)部門獲得順位と週間売上部数の両記録で歴代トップとなった。 2018年3月時点で、男性アスリートのソロ写真集として史上初となる累計10万部を突破した。 蒼い炎 2012年4月10日発売。 羽生へのインタビューで構成された『蒼い炎』シリーズのは全額、へされる。 第一弾『蒼い炎』は17万部のベストセラーとなった。 2017年3月までに、羽生から印税総額2,500万円超が寄付された旨を、開業10周年の記念としてアイスリンク仙台が公式に発表し感謝を述べている。 待望の第二章は、10. 5万部を売り上げている。 2018年増刷されは全額へされている 寄付累計額27,209,594円。 進化の時 2019年9月25日に発売。 5年振りの映像作品「進化の時」は初週売り上げ2. 8万枚を記録し週間Blu-ray Discランキングで最高位1位を記録した。 自身初の初登場1位を獲得。 スポーツ関連作品のBD1位は史上初となる。 前作『羽生結弦「覚醒の時」』2014年7月発売の初週売上2. 3万枚を上回り、自己最高を記録。 スポーツ関連BDの初週売上としては、歴代最高となった。 サポート・アドバイザリー・アンバサダー契約等• (2014年 - 2019年6月)• (2014年 -2015年)• (2014年 - )• (2014年12月 - )• (2015年 - 2017年)• (2015年3月 - )• 「ビクトリープロジェクト」• (2015年2月20日 - )• (2019年3月14日 - )• 「中国」(2019年8月22日 - ) 脚注 [] 注釈• プルシェンコは、2012年に「彼を見ていると昔の自分を思い出す。 まだ17歳だが、私が見る限り彼がナンバーワンだ。 」と語り、2014年時には「私は彼のヒーローだったかもしれないが、今は彼が私のヒーローになっている」と語り、羽生の金メダル獲得後は上で「私のアイドル。 よく頑張った。 彼は天才だ」と勝利を称えた。 2014年にで開催された凱旋公演で共演した際には、プルシェンコが羽生に花束を渡し祝福する一幕などが見られた• 例として 、 など• 日本人選手の優勝は2005-2006シーズンの以来2人目• 以前はがで銅メダルを獲得した当時で20歳11ヶ月だった。 なお、世界の最年少記録はの14歳4か月である• 後のインタビューで、「絶対に王者になるんだ」の言い間違いだが、「言ってしまったのは事実だから、自分の言葉に近づけるよう努力するしかない」と発言している。 読売新聞. 平成27年12月31日. 22面• ペアでは、が違うペアで達成。 2012年11月26日, at the. 『産経ニュース』2012年4月25日• 119• 「ユヅルが初めてリンクに立った日。 」『ナンバー4月16日号』文藝春秋、2015年4月16日、p. 32-34• 全日本空輸(ANA)、2014年4月16日閲覧。 、全日本空輸広報部、2013年7月1日• 2018年4月25日 日本経済新聞• USC Annenberg Media 2019年10月30日• 一般社団法人泉青年会議所• 2018年2月18日産経新聞• (2018年6月1日)毎日新聞• (デイリースポーツ 2017年8月26日)• 、2014年10月31日更新• 2014年2月19日, at the. 産経ニュース、2014年2月15日• サンスポ、2014年2月16日• 2012年2月2日 共同通信インタビュー• (日刊SPA! 2014年2月19日)• 2014年2月19日, at the. 産経ニュース、2014年2月15日• 2014年12月21日, at the. ( 2014年6月14日)• 仙台市 2016年9月20日• 仙台市 2018年4月26日• スポーツニッポン 2014年6月30日• 日刊スポーツ 2014年1月23日• スポニチ 2014年2月5日• - 読売新聞・2013年12月26日• - 女性自身・2014年12月25日• デイリースポーツ 2013年2月12日. 2013年2月12日閲覧。 集英社「Sportiva2015-2016 羽生結弦新たなる飛翔」p19• (スポーツ報知 2014年2月27日)• 2015年12月22日, at the. ,rockinon. com,2018年2月19日• ,デイリースポーツ,2018年2月20日• [ ]• SPAIA2017年7月12日• 2019. 28 産経フォト• 2019年03月24日 スポニチ• (2018年11月18日)スポニチ]• 2018年2月18日 GQJapan]• 2016年10月5日, at the. 2016年10月1日, at the. (日刊スポーツ 2017年4月2日)• ( 2017年10月22日)• (Sponichi Annex 2016年9月1日)• (Sportiva 2017年4月20日)• (livedoor NEWS 2017年4月22日)• (Sportiva 2018年11月7日)• (日本経済新聞 2012年4月25日)• (日本経済新聞 2012年11月2日)• (日本経済新聞 2020年2月3日)• (読売新聞 2017年08月18日)• (スポーツナビ 2015年11月4日)• (仙台経済新聞 2008年7月17日)• (産経新聞 2018年2月17日)• (THE PAGE 2014年2月15日)• (「NumberWeb」 2014年2月16日)• 『青い炎』p26-27• 『青い炎』p26-30• 『青い炎』p30• 『蒼い炎』p31• 仙台市. 2011年3月15日時点のよりアーカイブ。 2011年3月15日閲覧。 河北新報社. 2011年3月8日. の2015年5月26日時点におけるアーカイブ。 『蒼い炎』p58• ベガルタ仙台オフィシャルウェブサイト. 2011年3月14日時点のよりアーカイブ。 2011年3月14日閲覧。 (日刊スポーツ 2011年4月15日)• 『蒼い炎』p63-68• (エフスケーティングネット)• 『蒼い炎』p74• 2014年3月1日, at the. ( 2014年2月16日)• - 、2012年4月1日• [ ] - 、2012年4月1日• - 、2012年4月1日 [ ]• (読売新聞 2014年2月16日)• 「チーム・ブライアン」p15より、羽生の弁• Number web、2013年3月16日• スポーツニッポン、2013年3月21日• (ANAプレスリリース 第13-062号 2013年7月1日)• スポーツニッポン 2013年12月22日閲覧• ニッポンドットコム2014年2月19日• MSN産経ニュース. 2014年2月15日. の2014年2月14日時点におけるアーカイブ。 2014年2月15日閲覧。 Sponichi Annex. 2014年2月15日. 2014年2月15日閲覧。 Sponichi Annex. 2014年2月15日. 2014年2月15日閲覧。 2014年2月15日閲覧。 2014年2月15日閲覧。 スポーツニッポン 2014年2月15日閲覧• 日刊スポーツ、2014年2月15日• は、(64年)生まれなので、平成生まれではない。 2014年11月24日, at the. (2014年2月23日)• ( 2014年2月14日)•

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