稲村 和美。 プロフィール

尼崎市長選挙2018立候補表明者 稲村和美氏の学歴・経歴・情勢予想

稲村 和美

稲村 和美 1972年生まれ。 1995年、神戸大学法学部在学中に、阪神淡路大震災。 避難所でボランティア活動を経験し、まちの復興を見つめる中で、税金の使い道と政治のあり方、「自治」に関心を持つようになる。 その後、地元の証券会社に入社。 営業を2年半経験し、会社合併後の東京本社で人事部研修課に異動。 管理職の年俸制や、部下が上司を評価する多面評価制度を導入するなど人事改革の一翼を担う。 2002年、尼崎市長選挙で白井文前市長のスタッフとして尼崎に戻り、市長当選後、自身も政治の世界へ。 2003年兵庫県議会議員に初当選し、2007年に再選。 2010年には尼崎市長選挙に出馬し、全国最年少の女性市長 当時 として当選を果たす。 夫と娘の3人暮らし。 市長の活動日記 尼崎市のウェブサイトにを公開しています。 2010年12月13日の市長就任式以来、約8年間の活動を詳細に綴ってきました。 魅力溢れるまちのPRも精力的に行っています。 ひと咲き まち咲き あまがさき 尼崎市では市民の皆さまと意見交換の場を設け、現状や課題を共有した上で、平成25年からの10年間を期間とする新しい総合計画を策定しました。 「ひと咲き まち咲き あまがさき」をキャッチフレーズに、より良いまちづくりを進めています。 また総合計画をお知らせする総合計画読本を作成しました。 このまちの10年後に向かってがんばる市民を紹介し、尼崎の魅力を分かりやすくまとめました。 あまらぶ大作戦 尼崎版シティプロモーション推進指針を策定し、これを「あまらぶ大作戦」として展開しています。 尼崎を好きな人(=あまらぶな人)があふれるまちを目指すことで、交流人口、活動人口、定住人口を増やし、まちの活性化と好循環を生み出すことが目的です。 マイナスイメージの払拭 かつての公害都市から環境都市に生まれ変わりました。 平成23年度の「日本の環境首都コンテスト」で、総合第5位に選ばれ、10年連続でベスト10入りした自治体は尼崎市だけです。 動画でまちの魅力発信 尼崎は鉄道や道路などの交通網が発達し、周辺都市へアクセスがしやすく、徒歩や自転車での移動に便利な上、大型の商業施設も多く、医療機関も充実。 そんなまちの魅力を「あまらぶウェルカムムービー」にまとめています。 ぜひご覧ください。

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稲村和美

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稲村和美氏の立候補表明の背景 稲村氏は3月7日の尼崎市議会本会議で、3期目の市政運営に意欲的な姿勢を明らかにした。 大型の継続事業について引き続き、陣頭指揮を執ることに積極的だ。 「今後は後援会関係者と相談しながら、できるだけ早い時期に決意表明をする」と述べた。 大型事業は稲村氏の2期目で始まり、2019年に一般公開予定の尼崎城の再建・修復、市に譲渡された「旧聖トマス大学」跡地で、教育関連施設の整備がスタートしている。 中学校の給食化、行財政改革が3期目で最終段階を迎える。 稲村氏は事業継続の責任を最後まで果たしたい意向だ。 現状では有力な対立候補が出ていないので情勢予想が流動的な状況。 今後、告示までに政党支援や推薦を受けた立候補表明者が出てくることも想定される。 在学中の1995年に阪神大震災を経験し、「神戸大学総合ボランティアセンター」を設立して、初代の代表に就任した。 02年に神栄石野証券を退社し、全日空の客室乗務員だった前女性市長の白井文氏の選対事務所スタッフ入り。 03年兵庫県議選で初当選して2期務め、10年尼崎市長選で初当選し、14年に再選した。

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11/21 尼崎市長選で稲村和美さん当選: きょうも歩く

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沖縄と尼崎市との関わりについて話す稲村和美尼崎市長=同市役所 第二の故郷として定着 稲村和美 尼崎市長 沖縄県人会兵庫県本部は尼崎市に拠点を置き、県下の支部をまとめている。 市には沖縄人(ウチナーンチュ)が多く住み、世代を重ねる。 稲村和美尼崎市長に市と沖縄の関わりなどを聞いた。 -尼崎市には沖縄の人が多く住み着いている。 「工業が盛んだった尼崎市には沖縄だけでなく奄美、中国四国など多くから人が集まり、高度成長を支えた。 その方々がこの地に根付いて伝統文化を伝えた。 沖縄からもたくさんの方々が来て、尼崎を第二のふるさととして定着した。 2世、3世の世代だが、唄や踊り、太鼓などを伝えている。 市内の老人会や地域の祭りでエイサーや琉舞をよく見るのはその証拠だ。 若い世代は三線を弾く人も多いし、交流も多い」 -県出身者も活躍している。 「市立尼崎高校は沖縄出身の羽地靖隆先生がブラスバンド部を指導し、甲子園に出場する沖縄勢を毎回応援している。 菓子メーカー、エーデルワイスの創業者の比屋根毅さんも石垣市出身で、この地で多くの菓子職人を育てた。 菓子と言えば神戸のイメージが強いが、比屋根さんは尼崎に本社工場を置いている」 -尼崎市は来年、市制100周年を迎える。 市の取り組みと課題は。 いろんな地域から人が集まった多様性がある。 100年を機にあらためて共有したい。 高度成長期に急激に働き盛りの人が集まっただけに、早くから人口減と高齢化が進んだ。 現在、1人暮らしの高齢者の割合は13%で、国勢調査でみた全国平均9・2%を上回る。 お互いさま、おかげさまの精神で取り組んでいきたい。 関西のど真ん中にある市として関西の発展を引っ張ってきた。 交流人口を増やし、各地との交流を活発化させたい」(聞き手・島洋子) 沖縄県人会兵庫県本部の歴史や課題、今後について話す大城健裕会長 沖縄県人会兵庫県本部会 大城健裕 -沖縄県人会兵庫県本部は結成70年を迎えた。 県人会の成り立ちと、役割は。 「大正時代から出稼ぎの人たちが沖縄から住み着いた。 戦後、復員兵や徴用された人が沖縄に帰れず、関西に押し寄せた。 県人会の先輩方は、自分の生活もままならない困窮した時代に行き場のない同胞を助けた。 沖縄に対しては結核患者を本土の病院に入院させたり、台風被害に義援金を送ったり、復帰運動を支援した。 助け合いという『ゆいまーる』ではなく、助けるというのが県人会の原点だ」 -差別もあったと聞く。 「全体として貧しく、一般企業への就職も難しかった。 商売しても銀行は相手にしないから沖縄人同士、模合して乗り切った。 いま、若者は沖縄に憧れるなど人種的な差別はなくなった。 しかし沖縄を切り離して27年も米施政権下に置き、いまも基地を置き続ける構造的差別はなくなっていない。 『大の虫を生かすために小の虫は殺してもいい』という論理がある」 -県人会の課題は。 「若い人を増やし次代の担い手を育てる。 兵庫・沖縄友愛キャンプで毎年沖縄に若者を派遣して交流している。 最初は海に行きたいと言っていた若者が戦跡やガマをめぐり、沖縄の歴史に触れて理解を深めている。 重要な取り組みだ。 年寄りを大事にし、入りやすい会にする」 「沖縄が本土並みになれば県人会はいらない。 郷友会でいい。 しかし沖縄は決して本土並みになっていない。 沖縄問題は全国民の問題だ。 兵庫県本部は超党派で活動してきた。 これからも沖縄の民意に従う」 -会長は兵庫県生まれの2世だが、沖縄への思いはどこから来るのか。 「確かに生まれは兵庫だが、体はウチナーンチュだ。 そうとしか言えないね」 (聞き手・島洋子).

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