無知 の 知。 無知の知とは?「知ってるつもり――無知の科学」感想、まとめ|ひのしんBLOG

無知の知とは?【伸びる人は知っている】

無知 の 知

一般論 [ ] 人間はほとんど無知の状態で生まれ、によるやにおける、他者とのなどの体験と学習により次第にやを得て一人前になると考えられる。 したがって、現代社会においては無知はよくないことや未熟なことと考えられ、「無知である」という指摘は非難の意味を含む。 無知と純粋さ [ ] のにおいてを追われる以前のとがそうであった様に、無知は必ずしも悪徳とはされない。 無知とはある意味では純粋さの象徴であり、蛇の言葉に従って知恵の実を口にしたアダムとイヴは神の言い付けに背くとともに楽園の住人の資格である純粋さを失ったのである。 でが人間に火を与えたためにその身を苛まれることとなったのは、一方から見れば無知が美徳ですらあるためである。 近代においてもヨーロッパと非ヨーロッパの接触が生まれたころの「」といったモチーフにこの考え方を見ることができる。 植民地化が本格化する以前、ヨーロッパの知識人たちは自分たちの「文明」を非ヨーロッパの「野蛮」と対比させ、そこに自分たちが失ってしまったある種の純粋さを見いだしていた。 また、無知であることはやから自由であることをも意味する。 はに比べて無知であるから、そのようなものに縛られなくてすむ。 たとえば「」が裸であることは誰の目にも明らかだったが、予備知識を与えられていた大人にはそれが言えず、子供の発言を待たねばならなかった。 科学の分野でも、古い学説を知っているとそれに縛られて目の前の現象をも見落とす例がある。 は『』でそのような例にいくつもふれている。 その一方での病気を研究にきて、基礎知識を彼のところに求めてやってきたについて、あまりの無知に驚くとともに、そうであるからこそ新しい挑戦ができるのだと褒めたたえている。 無知の知 [ ] 他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。 の哲学者は当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。 また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。 なお、にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。 しかしこれらは「無知が良い」という意味ではなく、「無知であることを自覚することで、新たな学びを行うことを促進し、その結果無知を克服し成長する」ことを意味する。 無知の罪 [ ] 一方で、無知をとする考えも一般に存在する。 たとえば、社会的なやアイデンティティーの異なる集団同士がなんらかの接触や対話をする場合、互いのやの違いを尊重するべきであるとすれば、国内外のを知識として理解しない結果として、無知の知識に対しての責任やモラルを問われるかもしれない。 従って、可能な限り相手に対する知識を得るのは必要にして当然の処置とする考え方である。 たとえばのようなことすら起こりかねず、その場合に「知らなかった」では通用しないことはままある。 関連項目 [ ] に関連の辞書項目があります。

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我知無知とは (ガチムチとは) [単語記事]

無知 の 知

この「無知の知」という思想に到達した哲学者ソクラテスが、どうやってこの「無知の知」という言葉を残したのかについて、その経緯をご説明します。 ソクラテスの友人カイレフォーンは、デルフォイのアポロン神殿に行き神様のお告げを受けに行ったときに、「ソクラテスより知恵のあるものがいるでしょうか」とアポロンに尋ねます。 カイレフォーンはソクラテスこそが知恵のあるものだとおもっていました。 しかし、神託の答えはいないとのことでした。 これがソクラテスに伝わるとソクラテスは「そんなはずはない」と聞き入れません。 ソクラテスは他にも賢者と呼ばれるものに確認しにいきますが、話をする中で賢者と呼ばれるものにも「知恵がない」と感じ始めます。 そして、ソクラテスは以下の結論に達しました。 「無知の知」と「無知」の違い 「無知の知」とは、「ある程度努力して知識を得たとしても、自分が知らないことがあるのだということを知って、無知ゆえに尊大にならず謙虚に他人の話にも傾聴せよ」という意味の格言として使われます。 「無知の知」について知っているものは、自分が至らないと考えることで研鑽を積み、周囲の意見にも耳を傾けることで、さらに上の高みに到達できる、そういった姿勢を目指そうということで使われます。 ビジネスシーンなどで、上記の意味合いで「無知の知」を使う場合があります。 「無知」ということから、「全く努力しないから何も知らない人が自分が無知だと知っている」ということではなく、あくまで「知」=「勉強」をしたとしても驕ることなく努力せよという意味で使います。 「無知の知」の使い方例文 現代におけるソクラテスの説く「無知の知」像は、アスリートなど勝負にこだわった、日々研鑽を積む方に例えられます。 オリンピックを目指すアスリートの場合は、常に上を目指しメダルをとることに集中します。 また、もしメダルをとっても、自分自身の最高を目指すアスリートもいます。 「現状には満足しない」という言葉をアスリートはよく使います。 それは、「自分はまだ本当の強さに到達していない、自分はまだまだである」という意識でトレーニングに励んでいるからです。 また、勝負にこだわったというと棋士などもあげられます。 最近でいえば藤井六段などで注目されていますが、棋士も常に上を目指し、勝つことにこだわります。 また、勝たずに負けが続けば、引退しなければならない世界です。 現代における「無知の知」とはこのような勝負にこだわって努力を積み重ねる人にあてはまるのではないでしょうか。 「Think not those faithful who praise all your words and actions; but those who kindly reprove your faults. 」 (あなたのあらゆる言動をほめる人は信頼するに値しない。 間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。 ) この格言は、ある程度の経験を積んだ人であれば、意味がわかってくる言葉です。 人はいろいろなタイプがおり、ただただ誉めてくる人もいれば、時に厳しいことを言ってくる人もいます。 では、どちらの人を信頼するかという場合には、厳しいことを指摘してくれる人こそ信頼しなさいということです。 厳しい指摘は、さらに上を目指すためのものであり、ただ褒めることはそこに立ち止まること、満足してしまうことだという意味です。 「無知の知」に関連する格言;その4 ソクラテスは賢人でしたが、他の賢人をもっと賢いと考えていました。 しかし、神からソクラテスが最も賢いと言われて、他の賢人に会いに行きます。 そこでソクラテスは他者に比べて自分が唯一優っている点を悟ります。 それは、「自分がまだ何も知らないということを知っている」という点でした。 それが「無知の知」です。 仕事においても、この「無知の知」という考えは役に立つ考え方です。 例えば、仕事でわかったような気になって勉強が足りず、または確認が足りずに失敗するという経験は誰にもあるでしょう。 また、それまでは何となく上手くいっていたことにあるときつまずきはじめるということがあります。 そんなときにソクラテスの格言が答えを導いてくれることがあります。 仕事に役立つソクラテスの名言集 「無知の知」の対義語はどのようなものでしょうか。 はっきりとした対義語はありませんが、敢えて言うのであれば、「無知の知」という言葉は、現在では「謙虚に学ぶ姿勢」という意味合いで使われますので、「無知の知」に対する対義語には「厚顔無恥」が当てはまります。 この「厚顔無恥」とは「こうがんむち」と読み、「図々しい様子、恥知らずな様子」という意味です。 「厚顔無恥」の「無恥」は「無知の知」の「無知」と同じ読みですが、漢字は異なります。 よく「厚顔無恥」を「厚顔無知」と間違って表記することがあるので気を付けましょう。 「厚顔無恥」の「無恥」は恥ずかしさを知らないという意味で、「無知」の知らないことという意味ではありません。 「無知の知」の対義語の例文 ここまで「無知の知」についての意味、使い方、具体例などみてきましたが、この「無知の知」という思想には矛盾があるのではないかと感じる方もいらっしゃるでしょう。 つまり、「無知の知」と言っておきながらがも、無知という「なにも知らない」という事実を知っているのではないかという矛盾です。 だから「無知」ではないと。 しかし、この「無知の知」でいう「知」とは自覚に近い意味であり、知っているというよりは、自分の未熟さ、無知であることを自覚しているという意味の「知」であるということですので、矛盾にはあたらないと考えます。 ただし、「無知の知」のように自分がまだまだ知らないということを知っている(自覚している)ということを格言として述べるには、ソクラテスのようにある分野で上を目指す人にとってこそ響く言葉であるといえます。 ソクラテスは、「無知の知」という名言を残すに至るまでに、賢者と呼ばれる人たちと対談をします。 その対談によって相手が真の知恵者であるか否かを探っていきます。 しかし、賢者と呼ばれていた人たちは、次々にソクラテスによって論破されていきます。 ソクラテス以外の賢者と呼ばれた人たちにとっては、たまったものではありません。 勝手に呼んでいろいろ聞いておいて、「いや、こういうことでしょ。 (大したことないな)」のように言われるのですから、賢者と呼ばれる人たちも面白くありません。 そう考えると、ソクラテスは現代で言えば、鼻もちならない、「あいつ空気読めないよな」的人だったのではないでしょうか。 真の傲慢な者はソクラテス以外の賢者と呼ばれた人たち それでは、ソクラテスは本当に傲慢な人だったのでしょうか。 答えはノーです。 というのは、ソクラテスは賢者と呼ばれる人たちと対談をしたことで、ある一つのことに気付きます。 それが、「無知の知」を知っている自分の方が賢いという事実です。 そして、ソクラテスは本当の知恵者は神のみであり、人間はどんなに努力を積み重ね学ぼうとも、神のような知恵者にはなれない。 それゆえに、常にある一定の知を得たとしても現状に満足することなく更なる上の知を追い求めていかなければならないと考えます。 そういったソクラテスの「無知の知」の結論に達してから考えてみれば、傲慢なのは、本当は知恵者でもないのに自分が知恵者であるがごとく振舞う賢者と呼ばれる人たちだと気づきます。 ソクラテスの名言は弟子によって広まった ソクラテスは、彼を有罪だと宣告した人たちや、また告発した人たちに対して、少しも憤りを抱いていないと述べています。 そして、ただ一つ彼らに自分の息子が成人したときには息子たちを叱責し、自分が彼らを悩ましたのと同じようにしてほしいと頼みます。 その内容としては、蓄財その他を徳より上に考えるときや、また真理を知らずに知っているような顔をするならば、「人間が追及すべきものを追求せずに、何の価値もないくせにひとかどの人間らしき顔をしている」と叱責してほしいということです。 その言動こそが、ソクラテスが多くの人々を正当に扱ったことの証です。 彼は人々から罰せられるどころか称賛されるべきことを言ったにもかかわらず、死刑判決という結末を迎えます。 しかし、ソクラテスは最後まで真理を求める賢者であろうとし続けました。 ソクラテスより前にいた哲学者は、「すべてのものは何からできているのか」と、思索対象を宇宙であったり自然としていました。 また、化学発想もこの頃から生まれており、雷は神が怒った結果であると考えられたものが、哲学者によって「雨雲が切れて、その隙間より光が見える現象である」と説明するようになりました。 そのような時代において、ソクラテスも自然哲学を学びました。 しかし、発想が他の哲学者と違っていました。 他の哲学者が「自然とは」「世界とは」「宇宙とは」と考えていたときに、ソクラテスは「人間とは何か」「人間はどうあるべきなのか」を考えていたということです。 思索対象を宇宙や自然から人にシフトしたことが、ソクラテスが偉大な哲学者となった所以といえます。 人は善なる行いをすべき 「徳は知である」という言葉もソクラテスの名言です。 人間としての善を徳という言葉で表し、この善を重ねることによって魂を良くするという考えです。 また、ソクラテスは、徳を実践する人の人生は幸福だとも説いています。 ソクラテスはさらに、魂を良くするための徳を実践するには、何が善で何が悪かを判断する「知」が必要であると考えました。 そして、「徳は知である」という結論に達して、「知徳合一」という考えが生まれました。 この「知徳合一」という考えは、ソクラテスが人は「知」(英知)を求め続けなければならないと説いた「無知の知」に相通じる考えであり、人は自分がまだまだ英知を得ていないことを悟り、さらに知を求めなければならない、「無知の知」を広めるという根本的考えのもとになっていると考えられます。 ソクラテスの弟子には、プラトンという哲学者がいます。 プラトンは、紀元前427年にアテネの貴族として生まれます。 エリートの彼はソクラテスに出会い、「無知の知」を代表とする彼の思想に感銘を受けます。 そして、プラトンはソクラテスの死後に「イデア論」という思想を確立します。 この「イデア論」は、ソクラテスが否定していた相対主義とソクラテスが説いた「永遠の真理」を二元的に考えたものです。 端的にいえば、「実在するものはイデアであり、わたしたちが肉体的に感じる対象や世界は似像にすぎない」という理論です。 また、プラトンは人間は輪廻転生を繰り返し、死後天上の世界で、この世に存在するものが真に完璧な姿で存在していると主張します。 ソクラテスの弁明 いかがでしたか。 ソクラテスの格言である「無知の知」の意味や使い方、また対義語や類義語についてみてきましたが、「無知の知」の持つ深い意味がわかりました。 「無知の知」は、努力し頑張っている人にこそ響く言葉であり、現状に満足したり知ったかぶりせず、常に初心を忘れず謙虚に学ぶ姿勢でいるべきということです。 仕事においても「無知の知」はとても重要な意味があり、そのような姿勢を貫いている人こそが成功者となっているのではないでしょうか。 また、ソクラテスは「無知の知」の他にも多くの名言を残しています。 哲学というと難しいと考える人も多いでしょうが、「無知の知」のようなソクラテスの名言をひとつひとつひも解いていくと、現代の私たちの生き方にもつながるものを感じます。 偉大なる哲学者ソクラテスの名言である「無知の知」の意味を知り、仕事やいろいろなことで、自分に厳しく謙虚に学ぶ姿勢を大切にしましょう。

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無知の知とは?【伸びる人は知っている】

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戦争はいいんだね! 人を殺してもいいのかぁ。 答えが個々人だけに求められる場合、その個人にとって答えが違くなってしまいます。 戦争をすれば経済的利益が出るだとか、人間の歴史は戦争を通して発展してきたとも言えますが、それを良いものだと判断するにはリスクを負います。 そして、ソフィスト達はそれぞれの立場から、自分たちを自己正当化しました。 相対主義での弁論によって、自分たちの私利私欲のためであってもそれを気がつかれないようにします。 そして、 言いくるめた者が勝ちという風潮を作り上げました。 ソフィストの相対主義の使用例 では、実際にソフィストはどのように相対主義を使ったのでしょうか。 ソフィストは思想を政治の答弁に使います。 絶対的な「真理」が存在しないので、相対的に考えていけばどんなことでも法律や規則になってしまいます。 税金を上げたときに、恵まれない子にお金を渡すことができたよ。 自分の主張は、相手の意見によって変えていくので、意見の押し付けにはなりません。 どこまでも、対話が繰り返されます。 問答法は質問することで本質に近づく方法です。 (哲学用語事典) ソクラテスがこのように質問を繰り返したのは普遍的「真理」に近づくためでした。 このような問答で相手に相手の不知を自覚させるので、「 産婆術」とも呼ばれます。 相手が自分の答えを生み出すのを手伝うことと、お産を助けるのをなぞらえました。 でも、ソクラテスだって、生きるために何かは得ていたんでしょう? じゃないと、生きられないよ。 その当時の人々には、ソフィストの一人とみられていた可能性もあります。 また、お金を稼ぐことに対して、批判的なことを言えるのでしょうか。 問答法を使ってそれも議論ができます。 ソクラテス「無知の知」まとめ ソクラテス「 無知の知」は、 正確には何も知らないことを自覚することです。 問答法で、詭弁を使うソフィストに「無知の知」を自覚させました。 ソフィストが使う相対主義は、答えが個々人によるので、危険をはらむ面があります。 ソクラテスは自分を、知を愛する者だと定義しました。 現代の問題と重なる点としては、相対主義をどのように見ていくのかがあります。 相対主義によって普遍的「真理」を求めないことで、道しるべや目的、目標といったものが希薄になります。

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