氷室 京介 エンジェル。 桃井かおりのインスタに氷室京介が登場 歓喜の声が続々

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目次はこちら• Kyosuke Himuro 『LX』 『KYOSUKE HIMURO LX』 『KING SWING RENAISSANCE』 『HAPPY HAPPY HAPPY NEW YEAR 2020』 『LX』の意味とは アートワークにある『LX』とはローマ数字の『60』を意味する。 『50』を意味する『L』と『10』を意味する『X』。 これらを足して50+10=60=LXとなる。 ちなみに暦の干支(十干十二支)は60年で1周し、生まれた年の干支に戻る。 2020年10月7日(水)に60歳=還暦を迎える氷室京介。 赤地にLXのロゴは、氷室京介の還暦に対する祝福の象徴なのである。 『RENAISSANCE』の意味とは アートワークにあるもう1つの単語『RENAISSANCE』は『再生』や『復活』を意味する。 氷室京介のファンクラブ『KING SWING』に続く『RENAISSANCE』という言葉。 氷室京介の再始動は、ほぼ間違いないのではないだろうか? 氷室京介とファンの『約束』 『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』最終公演で氷室京介が語った言葉。 「ゆっくりアルバムでも作って…まぁ、俺の場合もともとゆっくりだから、これよりゆっくりだとほとんど引退に近いんだけど…(苦笑)まぁ、今までよりもゆっくりアルバムでも作って、そうだな、60くらいになったらアルバムでも出すかと」 「俺は日本語のタイトルをアルバムで付けたことがないんで…『還暦』ってアルバムにして(笑)。 1曲目はやっぱ『60-Sixty』かなって。 さすがにアーティストイメージもあるので『還暦』という日本語のタイトルは避けるだろう。 それが『LX』というローマ数字で『60』を意味するタイトルで、あの約束に近い形を実現するつもりかもしれない。 Aの自宅で開いた食事会の様子がアップロードされた。 そこには仲良くしているロサンゼルス・ドジャースのメジャーリーガー前田健太選手と共に氷室京介の姿が。 おそらくヘアスタイリストの橋本孝裕氏がLAST GIGS最終公演後の打上げ写真をInstagramで公開して以降、初めての近影ではないかと考えられる。 氷室京介の『近況』 アメリカの 厳しい状況も 毎日耳に入る LAのHimrockが 気になり 久しぶりに 連絡してみた 元気だという返信に ひと安心 「氷室京介」は 眠らない… また歌が聴きたくなった — Goro Matsui Works GML2014 武漢ウィルスの感染拡大が伝えられるL. に在住している氷室京介の身を案じ、作詞家にして盟友である松井五郎氏が連絡を取ったことを報告。 松井氏のみならず多くのファンがこのツイートで「ひと安心」したことであろう。 1月:FLOWERS for ALGERNON• 2月:NEO FASCIO• 3月:Higher Self• 4月:Memories Of Blue• 5月:SHAKE THE FAKE• 6月:MISSING PIECE• 8月:MELLOW• 9月:beat haze odyssey• 10月:FOLLOW THE WIND• 11月:IN THE MOOD• このメモリアルな日に「THE COMPLETE FILM OF LAST GIGS」の映像がYouTubeプレミア公開されます。 《YouTubeプレミア公開とは》 YouTubeプレミア公開とは公開時にチャット機能を使って皆さんで一緒に動画視聴を楽しめる機能。 是非、ご視聴ください。 Algernon Inc. KJプレビュー(2020. 01) 13作目のニューアルバム『還暦』!? 2020年1月1日、氷室京介に関係する公式サイトやSNSに1枚のアートワークがアップロードされた。 赤い素地に『Kyosuke Himuro LX』のロゴ。 そして『RENAISSANCE』のロゴ。 これはあくまでも1ファンの個人的な予感でしかないが『LX』とはこのアルバムのタイトルを指しているのではないだろうか? 以前、いわゆる関係者筋と話をしたという人が「耳は順調に回復している」という旨のコメントを残していたことがあった。 これを額面通りに受け取れるような症状ではないことは理解している。 「休めば治る」というような症状ではない筈だ。 前述のコメントがすぐに消されたのは、コメントした関係者からの要請だろう。 ただ、それが逆に「何とかスタジオに入ることのできる程度には症状も安定していている」というニュアンスを感じさせた。 そして、今回のアートワークである。 氷室京介は、中途半端な期待をファンに抱かせるようなことはしない。 しかし、今回はオフィシャルな仕掛けである。 しかもKING SWINGメンバーにはこのアートワークがプリントされた年賀状さえ届けられた。 これを『ファンの期待を煽り始めた』と受け取っても良いのではないだろうか?自分はその可能性に期待したい。 32回目のソロデビュー記念日となる2020年7月21日にイベントを開催して情報解禁、60歳の誕生日となる2020年10月7日にアルバムをリリースすると予想する。 何しろ10月7日は、流通とオリコンチャートの関係によりCDリリースの集中する水曜日なのである。 (7月21日は火曜日) そしてきっと、この作品で史上初となる5つの年代(1980〜2020年代)でアルバムチャート1位獲得という歴史的快挙を成し遂げることになるだろう。 ライブ活動再開は? アルバムをリリースしたとして、氷室京介の耳の不調は、ライブ活動再開を可能にするまで回復しているのだろうか?これについては、やや否定的に捉えていた方が良いかもしれない。 氷室京介が抱える症状についての情報は少ない。 氷室本人の口からいわゆるトーンデフについて簡潔な説明はあったものの、医学的にどのような診断を受けてどれだけの範囲でどのような程度なのかといった情報は無いし、あったとしてもそれが回復するものなのかどうか判断する知識もない。 ただ、このアルバム制作は「症状が改善した」というよりも「我々ファンとの約束を果たす為」ということが、動機の大部分を占めるのではないかと感じている。 そういう意味では、ライブ活動を再開することは難しいのではないかと思うのだ。 一方、果たして氷室京介自身がライブを行うことを我慢できるのか?という疑問は残る。 かつてはライブも作品として完成度を追求してきた氷室京介だが、今はそれ以上に生き様を示す場所としての意味合いが強かったように思う。 氷室京介は自身の生き様を『無様の積み上げ』だと評したが、もちろんしっかりプロフェッショナルのボーダーラインは越えて、見事なリザルトも残しているのだ。 それでも尚、より高みを目指そうとする姿をファンに示してきた。 そして、その姿にファンが感動を示すことで氷室京介自身にも救われる部分があった筈だ。 すぐにステージに戻ることは難しいかもしれない。 氷室京介を除く3人のメンバーが昨年末に31年ぶりの共演を果たしたことは記憶に新しい。 そして、これは3人から氷室京介への『最後のラブコール』だったと感じる。 おそらくそれは氷室京介にも届いている筈だ。 もしもインタビュアーがこれについて「どう思いましたか?」と問えば「メンバーが元気そうで何より、という感じですかね」というように自身のこととは別としてポジティブな感想を述べるだろう。 そして「それ以上のことは無いですよ。 俺は俺なんで」と一切の誤解を招かないよう、慎重な発言をする筈だ。 但し、これまでにあったような布袋寅泰や松井常松からのWebやメディアを通じたアプローチとは異なり、今も氷室京介と連絡を取り合う高橋まことを含めた3人からの『五感に訴えるようなラブコール』であるという点で、氷室京介の捉え方にも違いが出ることはあるかもしれない。 特に高橋まことの、あの頃と何も変わらない楽しそうな笑顔を見たら、きっと何かしら思うところがあるに違いない。 しかも『還暦』を迎えた氷室京介が「原点に戻る」という言葉の意味に考えを巡らせた時、何を想いどのような行動に移すかは未知数なところがある。 自身の過去の考え方や古めかしい柵に捉われず「自身の望む最大の成果を得る為に何をすべきか」というところから思考を出発するのが、氷室京介の思考回路だからだ。 数回のリハーサルとライブで得られるものは、刹那的な高揚感と大金だけ。 それは決して小さなことではないが、もう『LAST GIGS』という同窓会で一度やったこと。 それだけは断言できる。 やるならば、そこに「新しい意義」を見出した時だ。 オリジナルアルバムのリリースに加えて、メンバーの誰も成し得ていない5大ドームツアー実現くらいのことは考える筈だ。 過去作も最新の音と表現で再録したベストアルバムの制作もあるかもしれない。 一度やると決めたら覚悟を持って徹底的にやる。 それが氷室京介という男の生き様だ。 いずれにしても、それはソロでアルバムをリリースしてからのことになる。 未知数というか、今のところはゼロに等しいだろう。 氷室京介 in 2020 実際のところ、氷室京介の新作の方が遥かに想像できないし期待が止まらない。 その後も数枚のシングルをリリースしているけれども、既にベストアルバムに収録されたそれらの作品を今更オリジナルアルバムにも並べるとは考え難い。 つまり、きっと全ての曲で最新の氷室京介に出会えるということだ。 おそらくオルタナティブロック路線が変わることは無いと思うけれども、10年という歳月を経て考え方や嗜好にも変化があっただろうし、歌詞を含めた楽曲の世界観は大きく変わるのではないだろうか?きっと過去作よりも氷室京介の内面、精神世界にスポットを当てた詞世界になるのでは?そう期待している。 或いはライブ活動無期限休止を逆手にとった、これまでの活動とは一線を画すような楽曲の数々が並ぶ可能性だって無いとは言いきれない。 ストリングス主体のスロー〜ミディアムテンポの美しいバラードアルバムになる可能性でさえ捨てきれない。 それはそれで聴いてみたいところ。 こうやって色々な妄想を膨らませて楽しんでいる今が一番楽しい時間かもしれない…というありきたりな感覚を裏切って、大幅に上回ってみせるのが俺たちの氷室京介。 今はただ期待して待つしかない!.

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ANGEL (氷室京介の曲)

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伝説のロックバンド「BOOWY(ボウイ)」 ボーカルだった氷室京介やギタリストだった布袋寅泰が今やカリスマ的な存在になっている事からも、その偉大さがうかがえるというものです。 BOOOWYが突如解散宣言したのは1987年12月でした。 人気絶頂期にその様な発表があったとは、当時のファンにはまさに晴天の霹靂だった事でしょう。 そんなBOOWY解散の理由については諸説流れています。 一般的には、前述のカリスマ2人の不仲という理由が考えられるでしょう。 2006年2月に発売された布袋寅泰さんの著書「秘密」において、BOOWY解散の理由について 確かに、解散を最初に言い出したのは俺だった。 (中略) しかし、結成以来、揺れに揺れ続けてきたバンドを崩壊に至らないよう手を尽くしてきたのも俺である。 (中略) 最後の最後で、俺がワルの役を買って出ただけの話だ。 しかし、その理由は墓まで持っていくつもりだ。 と力強く述べています。 私を含めそれを読んだ方は、相当ディープな原因があるのだと思った事でしょう。 ところがドラマーだった高橋まことさんが、そのわずか1年後の2007年4月に発売した著書「スネア」において、あっけらかんとBOOWYの解散理由を語ったのです。 氷室京介「来月解散しよう」 布袋寅泰は1986年1月に、あのシンガーソングライターの山下久美子さんと結婚しました。 BOOWYが一般的に有名になったのは同年9月に発売されたシングル「B・BLUE」だったので、それより随分前から交際されていた事になります。 布袋寅泰は結婚後は、妻である山下久美子のバックバンドとしての活動も平行して行っていました。 そしてそこにベースの松井恒松さんも参加し、さらにドラムの高橋まことさんも誘われたのです。 そうなるとボーカルの氷室京介以外のメンバー全員がバックバンドとして参加する事となります。 それはまずいと思った高橋まことがその事を氷室京介に告げたのでした。 その事実を聞かされた氷室京介が 「来月解散しよう」 と言ったのが、解散理由です。 これが高橋まことが「スネア」で語ったBOOWY解散の理由だったのです。 布袋寅泰が著書「秘密」において解散理由のハードルを上げた後なので、なんとも肩透かしを食らった様な理由です。 ただ、元メンバーがここまで明確に解散理由を述べたという事で、かなり信憑性の高い理由と言えましょう。 その他の解散理由 様々な解散理由が当人達の口から語られたり、考察されたりしています。 布袋寅泰が自身の海外活動を強く希望した。 売れる前に決めていた「トップに立ったら解散する」とう事を体現した。 売れた事により楽しみというより商業的になり、自分達の方向性と違う方向へ軌道が向かってしまった。 アイドルバンドとしての扱いを受け始め、違和感を感じる様になった。 等々、枚挙に暇がありません。 氷室京介が語ったBOOWY解散理由 数え切れないほど存在する解散理由ですが、氷室京介が語った解散理由の音源を見つけました。 BOOWYの4人で出来る事を全て実現してやりきったというのが結論。 なのでもう辞めるしかない。 辞めないで、そのまま3年4年と続けるのは厳しい。 と、語られたのです。 氷室京介と布袋寅泰の確執や不仲ではない 2大カリスマであった氷室京介と布袋寅泰は、当時ライバルだとメディアで言われていました。 それゆえ確執が発生し、解散になったとの見解をする者も多かったです。 ただ前述の音源で、氷室京介はこう語りました。 雑誌ではライバルという書かれ方をしていたけど、俺は布袋の事を1度もライバルと思った事はない。 それがソロとバンドの違いだと思う。 バンドの中でメンバーをライバルだと思っていたら、バンドの良さって絶対出ないと思う。 俺は布袋を最高のギタリストだと思っていた。 各種週刊誌や雑誌だと適当な事を書くケースもありますが、これは本人の口から語られた事実なので、信憑性の高い情報と言えましょう。 あの誇り高きヒムロックが、音楽に対する信念・ポリシーと違う発言するとはとても思えません。 「本当は布袋と仲が悪いけど、それだと今後の商売が上手くいかないのでそういう事を言うのはやめておこう」 という様な事は有り得ないと思います。 ヒムロックなら仲が悪ければ悪いと言うし、最高なギタリストだと思えば最高と称えるという事です。 布袋寅泰が解散理由を語らない信念 ではなぜ布袋寅泰がボウイの解散理由を墓場まで持っていくかというと BOOWYはBOOWYのもの。 四人のもの。 俺にはこんな理由がある……などと四分の一の存在が軽々しく語ってはならないと思う。 と「秘密」で語りました。 また「秘密」で述べられているのですが、1983年頃に若干21歳だった布袋寅泰が、決して社交的ではないヒムロックに代わって広報ともいえる役割を担っていたのです。 そのために違うバンドにもギタリストとして参加していたのです。 布袋寅泰はまさに全てをBOOWYに捧げていたのでした。 そのために当時既に有名だった山下久美子のバックバンドにも参加のでしょうし、そういったボウイのための行動が冒頭で述べた 「揺れに揺れ続けてきたバンドを崩壊に至らないよう手を尽くしてきたのも俺である」 という自負ともいえる発言のゆえんだったのかもしれません。 ヒムロックは90年代半ばに「HEY!HEY!HEY!」に初登場(最初で最後だったかも)した記憶があるですが、その時はダウンタウンの2人と社交的に話していました。 BOOWY初期の非社交的な振る舞いは、若さゆえなのかそれともそういうキャラを貫いたのかどちらなのでしょうか。

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氷室京介の現在

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この記事には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 が不足しています。 の記事は特に、を満たしている必要があります。 ( 2014年2月)• が含まれているおそれがあります。 血液型は。 倉賀野町出身。 所属事務所はBeatNix。 公式ファンクラブはKING SWING。 概要 [ ] 、 氷室狂介の名前 で、・のとして、『』でデビュー。 、シングル『ANGEL』でソロデビュー。 同年年間順位8位となった。 以降国外での音楽制作が増え、に家族と共にに移住した。 ロサンゼルスという環境で、本場の名だたる、等との作業がしやすくなった。 近年はセルフプロデュースが主であった。 のボーカルとしてプロデビューしたものの、思い通りにならないことが多く脱退。 群馬へ帰る決意をした頃、当時の彼女から貰ったチケットで、思い出のつもりで7月5日でののライブを観る。 それが新たなモチベーションを与えたといわれている。 当時18歳の を電話での「」に呼び出し、バンド結成の話を持ちかけた。 そして、彼の協力のもと曲を作り、新たなバンド作りに取り掛かる。 2人が再会した際に、布袋は、「群馬時代は硬派な印象だった氷室の風貌が風になっていることに驚いた」というエピソードを残している。 9月、が加入。 その後、、が加入。 バンド名を「暴威」と命名。 5月11日、でデビューライブ「暴威LOFT FIRST LIVE」を行う。 が加入。 12月「狂介」から「京介」に改名。 ファイナルののアンコールの時に、氷室がバンドの終焉を宣言した。 ソロ始動 [ ]• 7月21日 解散公演からわずか3か月後の7月、シングル「ANGEL」でソロデビュー。 その後の7月25日に、真駒内陸上競技場で「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアーも開始。 9月1日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』リリース。 10月1日 高松市総合体育館で「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」ツアーを開始。 後に、このライヴ・ツアーの1989年1月3〜4日、公演と「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアー公演の模様は1989年6月28日にビデオ『』としてリリース。 10月7日 セカンド・シングル「DEAR ALGERNON」リリース。 10月27日 の東京ドーム来日コンサートに出演する。 12月12日 - 15日 KING SWING 香港ツアー(香港QUEEN ELIZABETH STADIUMにてライブコンサート)• 12月31日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』で第30回日本レコード大賞・アルバム大賞、シングル「ANGEL」で金賞をそれぞれ受賞。 同番組にも出演。 (平成元年)• 7月21日 (ギターリスト)の東京公演にゲスト出演。 7月26日 サード・シングル「SUMMER GAME」リリース。 9月6日 シングル「MISTY〜微妙に〜」リリース。 9月27日 2nd アルバム『NEO FASCIO』リリース。 10月6日 群馬音楽センターで「"NEO FASCIO"TOUR」を開始。 (平成2年)• 2月26日 福岡国際センターで「"NEO FASCIO ENCORE" TOUR ARENA '90」を開始。 後に、このライヴ・ツアーの1990年4月3日、東京ドーム(最終日)公演の模様は、1990年7月27日にビデオ『NEO FASCIO TURNING POINT』としてリリース。 4月13日 - 18日 KING SWING ハワイツアーを敢行。 5月16日 シングル「JEALOUSYを眠らせて」リリース。 このイベントにはも出演していた。 10月27日 のラストコンサート(代々木体育館)にゲスト出演(「TOKYO CITYは風だらけ」を競演する)。 12月24日 ビデオ『Birth of Lovers』リリース。 (平成3年)• 2月27日 シングル「CRIME OF LOVE」リリース。 4月6日 3rdアルバム『Higher Self』リリース。 5月9日 群馬音楽センターで「OVER SOUL MATRIX TOUR 1991」を開始。 後に、このライヴ・ツアーの1991年8月22〜23日、公演の模様は、1991年11月27日にビデオ『OVER SOUL MATRIX』としてリリース。 8月1日「JT SUPER SOUND '91()」に出演(この模様は日本テレビにて放送。 (平成4年)• 2月26日 シングル「URBAN DANCE」リリース。 4月25日 アルバム『masterpiece 12』リリース。 11月7日 シングル「GOOD LUCK MY LOVE」リリース。 12月7日 シングル「KISS ME」リリース。 自身初のミリオンセラーを達成する。 (平成5年)• 1月7日 アルバム『Memories Of Blue』リリース。 累計130万枚を超える大ヒットとなる。 1月11日 横浜アリーナで「TOUR 1993 "L'EGOISTE"」を開始。 後に、このライヴ・ツアーの1993年5月12日、(最終日)公演の模様は、2009年2月25日にDVD『L'EGOISTE』としてリリース。 4月28日 ビデオ『CAPTURED CLIPS』リリース。 (平成6年)• 8月29日 シングル「VIRGIN BEAT」リリース。 9月26日 アルバム『SHAKE THE FAKE』リリース。 10月12日 横浜アリーナで「SHAKE THE FAKE」ツアーを開始。 後に、このライヴ・ツアーの1994年12月24〜25日、公演の模様は、1995年12月10日にビデオ『LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR』としてリリース。 この頃から自身の希望によりアメリカでの活動が増える。 (平成7年)• 3月7日「コンサート」に出演する(も出演)。 7月19日 ベスト・アルバム『SINGLES』リリース。 10月 東芝EMIからポリドールへ移籍。 10月25日 シングル「魂を抱いてくれ」リリース。 (平成8年)• 6月24日 シングル「STAY」リリース。 8月15日 シングル「SQUALL」リリース。 9月30日 アルバム『MISSING PIECE』リリース。 渡米後 [ ]• (平成9年)• この年に家族とロサンゼルスに移住。 1月15日 シングル「WALTZ」リリース。 5月14日 ビデオ『MISSING PIECE』リリース。 6月4日 シングル「NATIVE STRANGER」リリース。 10月29日 シングル「HEAT」リリース。 12月10日 アルバム『I・DE・A』リリース。 (平成10年)• 6月24日 ベスト・アルバム『Collective SOULS 〜THE BEST OF BEST〜』リリース。 7月15日 横浜アリーナで「TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand」を開始。 後に、このライヴ・ツアーの1998年9月19〜20日、公演の模様は、1998年12月9日にCDライヴ・アルバム『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』としてリリースされ、また、12月24日には同じ内容のライヴを収録したビデオ『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』をリリース。 (平成11年)• 8月18日 シングル「SLEEPLESS NIGHT 〜眠れない夜のために〜」リリース。 10月27日 シングル「ダイヤモンド・ダスト」リリース。 12月24日 ビデオ『100152』リリース。 (平成12年)• 1月15日 シングル「永遠 〜Eternity〜」リリース。 2月23日 アルバム『MELLOW』リリース。 6月28日 シングル「炎の化石」リリース。 同時に、過去にポリドールでリリースされた8cmCDシングル6枚がマキシ・シングルとして再発売された。 10月18日 アルバム『beat haze odyssey』とDVD CD-ROM 『Digital BeatNix Tower』を同時にリリース。 また、結城市民文化センターで「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」を開始。 12月31日 「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」のファイナル公演としてにて自身初となるカウントダウンライブ(公式ファンクラブKING SWING会員限定)を開催。 (平成13年)• 1月1日 シングル「Girls Be Glamorous」リリース。 9月27日 ベスト・アルバム『Ballad 〜La Pluie』リリース。 (平成14年)• ポリドールから東芝EMIへ復帰。 (平成15年)• ソロ15周年に当たるこの年、ベスト・アルバム『Case of HIMURO』が3月19日にリリースされた。 その後の2003年7月20日、で「15th Anniversary Special LIVE "Case of HIMURO"」と称したライブを行った。 そのライヴの模様は、2003年11月25日にDVD『Case of HIMURO 15th Anniversary Special LIVE』としてリリース。 7月21日 シングル「Claudia」リリース。 同時に、過去に東芝EMIでリリースされた8枚のCDアルバムが再発売された。 8月20日 アルバム『Follow the wind』リリース。 8月29日 市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"」を開始。 後に、このライヴ・ツアーの2003年11月23日、(最終日)公演の模様は、2004年8月18日にDVD『HIGHER THAN HEAVEN〜AT YOYOGI NATIONAL STADIUM』としてリリース。 (平成16年)• 9月8日 シングル「Wild Romance」リリース。 9月19日 羽生市産業文化会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"」を開始。 後に、このライヴ・ツアーの2004年12月25日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演と、2004年11月8日、公演 Zepp Tokyo ver. の模様は、2005年12月24日にDVD『SOUL STANDING BY〜』として(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。 のが所有していたにある豪邸を約7億円で購入し、11月7日付の米紙などで取り上げられた。 (平成17年)• 9月14日 より発売された映像作品『』のテーマ曲としてアルバム『NEO FASCIO』収録の楽曲「CALLING」が使用された。 12月31日〜2006年1月1日に、幕張メッセ国際展示場・9-11ホールで「KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE 〜CROSSOVER 05-06〜」と題したカウントダウン・ライヴを行う。 (平成18年)• 2月8日 シングル「EASY LOVE」リリース。 8月2日 とのコラボレーション・シングル「ANSWER」リリース。 10月4日 シングル「SWEET REVOLUTION」リリース。 11月27日 GLAYのツアーを第一ホールで観覧、アンコールで飛び入り出演する。 12月20日 アルバム『IN THE MOOD』リリース。 (平成19年)• 2月24日 市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 "IN THE MOOD"」を開始。 後に、そのライヴ・ツアーの2007年7月8日、(最終日)公演の模様は、2008年6月11日にDVD『KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD"』としてリリース。 7月16日 にシークレットゲストとして出演し、会場を驚かせた(ファンにも当然知らされていなかった )。 (平成20年)• 6月11日 ベスト・アルバム『20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST JUST MOVIN' ON 〜ALL THE-S-HIT〜』リリース。 同時に、2003年発売のアルバム『Follow the wind』をノンコピーコントロール仕様で再リリース。 後に、このライヴ・ツアーの2008年9月14日、公演の模様は、2009年1月21日にDVD『20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-』としてリリースされ、また、2008年9月2日、公演の模様を収録したDVD『20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT- Special Live at the BUDOKAN』を2009年7月21日に(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。 9月21日 KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOURの札幌公演にシークレットゲストとしてGLAYが飛び入り参加。 「ANSWER」と「SUMMER GAME」で再度共演する。 (平成21年)• 9月19日 EIKICHI YAZAWA ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOMEへシークレットゲストとして参加。 9月27日 LIVE for LOVE We support WaterAid 横浜スタジアム• (平成22年)• 9月4日 市原市市民会館にてSpecial Preview Live for KS PREMIUM MEMBERSと題した会員限定ライブ開催。 9月9日 日本武道館にてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"を開始。 12月31日 日本武道館にて自身三度目となるカウントダウンライブ開催。 (平成23年)• 2月12日 横浜アリーナにてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"終了。 EMIとの契約を解消しワーナーミュージック・ジャパンに移籍。 (平成24年)• 3月14日 シングル「IF YOU WANT」リリース。 comにて結成発表。 8月7日、HIMURO. com内に、ダウンロードコンテンツ【DiGiTRONiX】を開設。 9月26日 シングル「WARRIORS」リリース。 11月28日 シングル「Bloody Moon」リリース。 by GOSPELS OF JUDAS [Digital Contents Only]• 12月30日、31日 日本武道館にて「CROSSOVER 12-13」31日は4度目のカウントダウンライブ終了。 (平成25年)• ソロ25周年• 3月11日 群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。 5月1日 シングル「NORTH OF EDEN」リリース。 初回限定盤は「WARRIORS」のライブ映像と、監督との対談映像を収録したDVD付の特別使用。 8月21日 ベスト・アルバム「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」リリース。 初回限定盤には25年間のライブ映像が入ったDVDが付属• (平成26年)• 7月13日 山口・で行われたライブ中、同月19・20日の横浜スタジアム2日間公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表。 のちの「The sun also rises」では歌詞と自身が重なったのか、涙ぐんで歌った。 またこの発表の件はスタッフはじめ周囲は「知らなかった」と口をそろえ、同日深夜、公式サイトにて驚かせたことに対する謝罪と翌2015年のファイナルコンサートをもって、氷室京介としてのライブ活動を休止することが掲載された(結局ファイナルコンサートは後述の翌々2016年春ののリベンジライブに一旦決定したが、のちに4大ドームツアーに変更)。 ただし、氷室は7月19日のライブにて寝耳に水報道を否定している。 7月16日 シングル「ONE LIFE」リリース。 7月19日 アンコールで卒業の理由は耳の不調だと明かす。 7年前からある一定のトーンが聞こえづらくなり、利き耳である左耳に頼ってきたが、その左耳でさえもダメージを受け、日本語訳をすると音痴となるトーン・デフを患ったのだという。 7月20日 この日のリハーサルで先日の雨で滑って転びを折る大怪我を負う。 公演では雷の影響で一時中断され、再開時にを公表。 これらのハプニングに見舞われながらも「KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」を終了。 (平成27年)• 3月2日 翌2016年春に、7月20日の横浜スタジアムのリベンジライブを開催することを一旦決定。 セットリストは、ファンのリクエストによって決まることも発表。 3月14日「Personal Jesus Cafe」が期間限定オープン。 住所は渋谷区代官山町20-20モンシュリー代官山B2F。 11月6日 第一弾「LIVE DAM STADIUM」にて来春ライブ演奏候補曲のリクエストキャンペーンが先行スタート。 11月9日〜来年1月11日まで。 12月17日 翌2016年春のファイナルコンサートを「LAST GIGS」と題し、決まっていた横浜スタジアムから変更、初の4大ドームツアーとして開催することを発表した。 (平成28年)• 4月13日 時代も含めた初のオールキャリア・ベストアルバム『L'EPILOGUE』発売。 4月19日『L'EPILOGUE』で通算12作目のオリコン週間アルバムチャート首位獲得を果たす。 4月23,24日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」京セラドーム大阪• 4月29日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」ナゴヤドーム• 5月14日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」福岡ヤフオクドーム• 5月21,22,23日「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」東京ドームを終了。 (平成29年)• 3月1日 2016年4月から5月にかけて開催されたライブツアー、「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」4地区、全7公演の模様を収めた映像作品『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』発売。 DVDは初週で2. 6万枚、Blu-rayは4. 0万枚を売り上げ、共に3月13日付での週間チャート(オリコン)で首位獲得を達成した。 特徴 [ ] 音楽性 [ ] この記事にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2013年8月) クリエイターとしての制作活動も重視しており、日本を離れることで得たものもあった。 自分の時間を自由に作曲、アレンジ、録音等に割くことができ、レコーディングには当初、ジョシュ・フリーズ(、ドラム)、(ギター)など、ロサンゼルスの著名なミュージシャンを直接交渉して起用することもできた。 日本にいた頃から、やなどの影響を受けていた。 渡米後は、1990年代以降のなどを意識した曲作りに始まり、時代とともに新たな録音システムを駆使した音作り、新たなロックの潮流にも貪欲に取り組んでいったといえる。 自分で近年、「オタク」と認めるほど、制作に熱中して取り組む姿勢が窺える。 特に2003年のリリースは「クレームが来ないか心配だった」と語る通り、現地仕込みのロック的要素を容赦なく出し始めた分岐点のようでもある。 ヴォーカリストとしてのイメージが強力であるが、弾き語りではそのギターテクニックを披露することもある。 また、ソロ活動のレコーディングで稀にギターを演奏している。 本田毅も認めるほど、そのレベルは高いようである。 作詞 [ ] 作詞は、やの起用が目立つ。 アルバム『IN THE MOOD』収録曲「Ignition」で、松井五郎を起用した際のエピソードとしては、「息子の成長を見守っている内に自分にも心境の変化があった。 この世界を表現するには松井さんが適任だと思った」「彼の詞は聴き手によって、どちらの意味にも取れるので…」とその理由を述べている。 その他にもアルバム『"B"ORDERLESS』、シングル「ONE LIFE」 共作 で松井五郎が担当した。 最近では『"B"ORDERLESS』の中で多くを、かねてより親交があり、リスペクトし合う間柄となったが担当したことも話題となった。 エピソード [ ] 復興支援チャリティ公演 [ ]• 当初、2011年6月11日に東京ドームで、50歳のアニバーサリー公演を予定し、2011年3月14日に発表する準備をしていたが、その直前に震災が起こったため発表を見送り、公演自体を見直した。 東京ドームという場所柄、電力消費の問題もあるが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力、機材で行ったほか、氷室本人・バックバンドメンバー・コンサートスタッフの全員がボランティアとして参加し、このライブの収益金の全ては復興義援金として寄付された。 「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時。 微力ではあるけれど俺なりに過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います。 We are down but never give up! 氷室京介」とコメント。 また、布袋はTwitter上で氷室に関する質問攻めにあってしまったこともあり、2日程沈黙を続けていたが、その後自身のブログ上で「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」と述べた上で、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」と、今後の再結成も非現実的であることを伝えた。 2日間でライブに参加したオーディエンスは11万人に上り、日本でのチャリティーライブにおいて過去最多の入場者数を記録した。 GOSPELS OF JUDAS [ ]• GOSPELS OF JUDASとは、氷室と親交の深いクリエイター達が集まり、クリエイティヴィティだけを元に、自由に遊びから生まれた音楽をデジタルツールを使ってリスナーに届けたいとして氷室が立ち上げた [ ]【DiGiTRONiX】プロジェクトの一つで、氷室のレコーディングにギタリスト&アレンジャーとして参加しているL. 在住の日本人ギタリスト(YUKIHIDE TAKIYAMA、通称:YT)とのユニット。 GOSPELS OF JUDASを立ち上げた経緯を氷室曰く「氷室京介という枠に囚われず、自由に楽曲を創出する、そういった想いを共有できるアーティスト仲間と作ったプロジェクト」と語っている。 この【DiGiTRONiX】はまさに、アーティスト達の音楽の遊び場「Music Play Ground」として機能している為、GOSPELS OF JUDASの「Play Within A Play」においても、氷室京介名義のオリジナル作品では見られない音楽的アプローチがなされており、全く新しい氷室京介を発見する事になるだろう。 comより抜粋• 、1stアルバム『IF』を発表。 実家の火災事件 [ ] 2013年3月11日、群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。 両親共に無事ではあるものの実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大怪我を負っている。 この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がないことを報告。 また、布袋と高橋によると過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあったことも明かされている。 KYOSUKE HIMURO名義でリリースされたコラボレーションシングル。 TOCT-40028(DVD付紙ジャケット仕様) TOCT-40029(DVD付5万枚限定スペシャルパッケージ) Safe And Sound 配信限定 KYOSUKE HIMURO feat. 名義で限定リリースされたコラボレーションシングル。 アルバム [ ] オリジナルアルバム [ ] 発売日 タイトル 規格品番 1st RT28-5300 CT32-5300 ZT28-5300 TOCT-25085(・デジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様) 2nd RT28-5555 LP CT32-5555 CD ZT28-5555 CT 2003年7月21日 TOCT-25086(CCCD・デジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様) 3rd TOCT-6000 CD TOTT-6000 CT 2003年7月21日 TOCT-25087(CCCD・デジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様) 4th TOCT-6890 CD TOTT-6890 CT 2003年7月21日 TOCT-25089(CCCD・デジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様) 5th TOCT-8550 2003年7月21日 TOCT-25090(CCCD・デジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様) 6th POCH-1600 7th POCH-1667 8th POCH-1908 9th UPCH-9005(2CD初回限定盤) UPCH-1026 10th 2003年 TOCT-25095 CCCD TOCT-26564(CD-DA再発盤) 11th TOCT-25984(DVD付初回限定盤) TOCT-25985(通常盤) 12th TOCT-26990(初回生産限定盤) TOCT-26991(通常盤) ベストアルバム [ ] 発売日 タイトル 規格品番 備考 TOCT-9106 初のシングルベスト。 ミリオンセラー、自身最大のセールスを記録。 POCH-1699 ソロデビュー10周年を記念してリリースされたベストアルバム。 UPCH-1103 初のバラード・ベスト。 STORMY NIGHT• RAINY BLUE• 炎の化石• WALTZ• ダイヤモンド・ダスト• 永遠〜Eternity〜• REVOLVER• Still The One• So Far So Close• LOVER' S DAY• TENDERLY• 魂を抱いてくれ nylon-guitar version• 初回限定盤には「CLOUDY HEART」のセルフカバーも収録。 オリコン週間アルバムチャート1位獲得。 WPZL-30657-9(DVD付初回生産限定盤) ソロデビュー25周年を記念してリリースされたベストアルバム。 初回生産限定盤には1988年から2013年までのライブビデオを集め、一つのライブのように繋げ収録した特典DVDが付く。 オリコン週間アルバムチャート1位獲得。 初回生産限定盤には2003年から2014年までのライブテイクを集め、一つのライブのように繋げ収録した特典CDが付く。 オリコン週間アルバムチャート1位獲得。 DISC1• ミス・ミステリー・レディ(新録曲)• 黒のラプソディ(新録曲)• "16"(新録曲)• CLOUDY HEART(新録曲)• わがままジュリエット(新録曲)• WARRIORS• Silent Blue• MONOCHROME RAINBOW(リミックス)• FOLLOW THE WIND(リミックス)• So Far So Close• ONE LIFE• FUNNY-BOY(新録曲)• 唇にジェラシー(新録曲)• WILD ROMANCE• REVOLVER DISC2• ANGEL• DEAR ALGERNON• LOVER'S DAY• SUMMER GAME• MISTY〜微妙に〜• JEALOUSYを眠らせて• CRIME OF LOVE• KISS ME• VERGIN BEAT• STAY• 魂を抱いてくれ• NATIVE STRANGER• ダイヤモンド・ダスト• SLEEPLESS NIGHT 〜眠れない夜のために〜• BANG THE BEAT• IF YOU WANT DISC3(初回生産限定盤のみ)• B・BLUE 2004. 22 TOKYO DOME• Claudia 2004. 25 YOYOGI NATIONAL STADIUM• 31 NIPPON BUDOKAN• Bloody Moon 2012. 31 NIPPON BUDOKAN• HEAT 2008. 14 YOKOHAMA ARENA• Girls Be Glamorous 2003. 23 YOYOGI NATIONAL STADIUM• TO THE HIGHWAY(2012. 31 NIPPON BUDOKAN• PLASTIC BOMB 2011. 12 TOKYO DOME• MARIONETTE 2011. 12 TOKYO DOME• ONLY YOU 2011. 12 TOKYO DOME• SWEET REVOLUTION 2008. 14 YOKOHAMA ARENA• CALLING 2014. 19 YOKOHAMA STADIUM• SQUALL(2008. 14 YOKOHAMA ARENA• WILD AT NIGHT 2014. 20 YOKOHAMA STADIUM• The Sun Also Rises 2014. KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary SPECIAL LIVE CD RENTAL LIMITED EDITION レンタル限定 8月21日リリースの「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」のリリースに先駆け、レンタル限定盤として製作された。 また、DVDには、8月21日発売 「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」初回限定盤付属DVDよりダイジェスト映像を収録。 以下収録内容 CD• SUMMER GAME• WILD ROMANCE• JEALOUSYを眠らせて• KISS ME• VIRGIN BEAT• ANGEL• The Sun Also Rises DVD 8月21日発売 「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」 初回限定盤付属DVDよりダイジェスト映像 その他のアルバム、限定コンテンツ [ ]• LOVER'S DAY double happiness(1991年8月21日)• (1992年4月25日)• Lover's Day II(1999年1月27日)• TOUR2010-11 BORDERLESS"50x50 ROCK' N' ROLL SUICIDE"-OFFICIAL PIRATES MIX 20101231--OFFICIAL PIRATES MIX 20101230-(2011年2月7日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• TOUR2010-11 BORDERLESS"50x50 ROCK' N' ROLL SUICIDE"-OFFICIAL PIRATES MIX 20101231--OFFICIAL PIRATES MIX 20101230-(2011年2月7日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• OFFICIAL PIRATES MIX(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• 「CROSSOVER 12-13 DAY1 20121230」(2013年1月15日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• 「CROSSOVER 12-13 DAY2 20121231」(2013年1月15日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- OFFICIAL PIRATES MIX 「Live at TOKYO INTERNATIONAL FORUM HALL-A 2014. 03」(2014年12月19日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- OFFICIAL PIRATES MIX 「Live at TOKYO INTERNATIONAL FORUM HALL-A 2014. 04」(2014年12月19日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- OFFICIAL PIRATES MIX 「Live at TOKYO 「Live at YOKOHAMA STADIUM 2014. 19」(2014年12月19日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- OFFICIAL PIRATES MIX 「Live at TOKYO 「Live at YOKOHAMA STADIUM 2014. 20」(2014年12月19日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• 「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS 20160523 TOKYO」(2016年10月13日)デジタルコンテンツ タイアップ [ ] 化粧品メーカーの(1989年) 系「」主題歌(1990年) 映画「月光のピアス」サントラ(1991年) 映画「月光のピアス」サントラ(1991年) 系「ムーブ(バラエティ番組)」エンディングテーマ(1992年) 系ドラマ「」主題歌(1992年) 「ブティックJOY」CMソング(1992年) 三貴「カメリアダイアモンド」CMソング(1994年) 系ドラマ「」主題歌(1995年) 用ゲームソフト『』挿入歌(2012年) 「関西セルラー(現)」CMソング(1995年) 系「」オープニングテーマ(1996年) 日本テレビ系ドラマ「」主題歌(1996年) 「」CMソング(1996年) 「」CMソング(1997年) 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年) 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年) 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年) 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年) よみうりテレビ・系ドラマ「」主題歌(1997年) CX系ドラマ「」主題歌(1999年) セガ PlayStation 3用ゲームソフト『龍が如く5 夢、叶えし者』挿入歌(2012年) 配給映画「」テーマソング(2000年) セガ PlayStation 3用ゲームソフト『龍が如く5 夢、叶えし者』挿入歌(2012年) 系ドラマ「」主題歌(2000年) 「」CMソング(2001年) テレビ朝日系「」エンディングテーマ(2001年) WOWOWヨーロッパサッカーイメージソング(2003年) 配給映画「」日本語吹き替え版エンディングテーマ(2004年) セガ PlayStation 3用ゲームソフト『龍が如く5 夢、叶えし者』挿入歌(2012年) CG映像作品「」イメージソング(2005年) music. (1989年・VHS、再発:2009年・DVD)• (1990年・VHS、再発:2009年・DVD)• Birth of Lovers(1990年・VHS)• OVER SOUL MATRIX(1991年・VHS、再発:2009年・DVD)• CAPTURED CLIPS(1993年・VHS)• LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR(1995年・VHS、再発:2009年・DVD)• MISSING PIECE(1997年・VHS)• The one night stands - tour "Collective Souls" 1998(1998年・VHS、再発:2009年・DVD)• 100152(1999年・VHS、再発:2000年・DVD)• Digital BeatNix Tower(2000年・DVD、CD-ROM)• (2003年・DVD)• KYOSUKE HIMURO TOUR2003 "HIGHER THAN HEAVEN"AT YOYOGI NATIONAL STADIUM(2004年・DVD)• SOUL STANDING BY〜(2005年・DVD)• KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD"(2008年・DVD)• 20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-(2009年・DVD)• 20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT- Special Live at the BUDOKAN(2009年・DVD)• 東日本大震災復興支援チャリティライブ KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!! "(2011年・DVD)• COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 12-13(2014年・DVD・Blu-ray Disc)• KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-FINAL DESTINATION DAY-01(2015年・DVD・Blu-ray Disc)• KYOSUKE HIMURO LAST GIGS(2017年・DVD・Blu-ray Disc)• KYOSUKE HIMURO THE COMPLETE FILM OF LAST GIGS(2018年・DVD・Blu-ray Disc) その他• "SWING ADDICTION at AJINOMOTO STADIUM"「SWEET REVOLUTION」(2006・シングル限定DVD)• 「ANSWER」「SUMMER GAME」 2006・「IN THE MOOD」アルバム限定DVD• "CROSSOVER 05-06 2nd STAGE at MAKUHARI MESSE"「SWEET REVOLUTION」(2006・「IN THE MOOD」アルバム限定DVD)• Lightning Trick on iTunes - TOUR 2007 "IN THE MOOD" -(2007年・デジタルコンテンツ)• BANG THE BEAT「OFFICIAL PIRATES MIX 12. 31 NIPPON BUDOKAN MOVIES」(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• PARACHUTE「OFFICIAL PIRATES MIX 12. 31 NIPPON BUDOKAN MOVIES」(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• Wild Romance「OFFICIAL PIRATES MIX 12. 31 NIPPON BUDOKAN MOVIES」(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO. COM限定配信• ANGEL「龍が如く0 誓いの場所」コンピレーションCD(2015年3月2日) 楽曲提供 [ ]• 「光と影」 - 作詞:奈月大門/作曲: (1980年) BOOWY時代の頃の2ndアルバム『』収録の楽曲「FUNNY-BOY」の原曲• 「Out of Control」 - 作詞:南風太/作曲:寺西修一(1987年)• 「Lookin' For The Paradise」 - 作詞:南風太/作曲:寺西修一(1987年)• 「STORMY NIGHT」 - 作詞:芹沢類/作曲:氷室京介/編曲:小泉まさみ(1985年)• 「プラスティック」 - 作詞:/作曲:氷室京介/編曲:布袋寅泰(1985年)• 「天使は眠っている」 - 作詞:/作曲:氷室京介(1989年)• 「SINCERELY」- 作詞:反町隆史/作曲:氷室京介/編曲:吉田健(1998年)• 「ONE」- 作詞:反町隆史/作曲:氷室京介/編曲:吉田健(1998年) 後に氷室は、『beat haze odyssey』で同曲をセルフカバーした。 「MARIA」- 作詞:/作曲:氷室京介(2003年) メロディーはシングル「Claudia」と同一。 「」- 作詞:氷室京介、SPIN/RAP詞:/作曲:氷室京介(2007年) 後に『20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST JUST MOVIN' ON 〜ALL THE-S-HIT〜』で同曲をセルフカバーした。 自身が作詞に携わるのは、アルバム『Case of HIMURO』に収録されている「CLOUDY HEART」、「ANGEL 2003」以来、4年7か月ぶり。 ライブコンサート [ ]• KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"(5公演、約5万人)• KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"(15公演、約18万人)• "NEO FASCIO"TOUR(36公演、約13万人)• "NEO FASCIO ENCORE" TOUR ARENA '90(7公演、約10万人)• OVER SOUL MATRIX TOUR 1991(46公演、約12万人)• TOUR 1993 "L'EGOISTE"(51公演、約15万人)• SHAKE THE FAKE(16公演、約19万人)• TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand (14公演、約21万人)• KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"(35公演、約10万人)• KYOSUKE HIMURO "Case of HIMURO"15th Anniversary Special LIVE(、)約3万5千人• KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"(38公演、約12万人)• KYOSUKE HIMURO "21st Century Boowys VS HIMURO"(、)約5万5千人• KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"(49公演、約14万人、、 ver. を含む)• KYOSUKE HIMURO"SOUL STANDING BY- PLUS"(、)• KYOSUKE HIMURO COUNT DOWN LIVE 〜CROSSOVER 05-06〜(、)2公演、約4万5千人• KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 "IN THE MOOD"(47公演、約12万人)• KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-(23公演)• KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 "BORDERLESS" -Special Preview Live for KING SWING Premium Members-(、)• KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 "BORDERLESS"(52公演)約20万人• KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!! "(〜、)2公演、12万人• KYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOOWY TO HIMURO(〜、6公演)• CROSSOVER 12-13(〜、)2公演、3万人• KYOSUKE HIIMURO Charity Live in SENDAI"We Are Down But Never Give Up!! "(、)• 「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」(〜)42公演• 「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」追加公演(〜)8公演• 「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」(〜)4会場7公演、35万人• 会場一覧• 出演 [ ] 映画 [ ]• 裸の24時間(1984年、自主制作映画) 全編白黒映画。 フィルムは傷んでしまっており、上映は不可能 テレビドラマ [ ]• 第6話(1985年5月24日放送、) 不良DJ役。 からの依頼で出演 [ ]。 テレビ番組 [ ]• キング・オブ・ロックショー 氷室京介(1989年、NHK総合、BS(日にち不明))• 89広島コンサート(1989年、NHK総合(BS[日にち不明] SUMMER GAME等))• エンターテインメント・スペシャル 「氷室京介 48HOURS」- THE SLEEPLESS NIGHTS-(1999年、NHKBS2)• (2006年12月6日、)• (2010年9月8日・10月11日・2011年2月15日、2013年8月20日、) 当時の番組プロデューサーだった「山崎大介」が2010年から密着取材を続け、随時放映してきた。 氷室京介 WOWOW SPECIAL〜DOCUMENT OF LAST GIGS〜(WOWOW、2016年6月26日)ナレーションは ラジオ番組 [ ]• 「」(1986年10月 - 1987年3月、)• 「」(〜、) CM [ ]• 、(1988年)• 、(2001年)• 、グリーンコーラ、ドライスパークリング(2010年)• HIMURO DOCUMENT 1987-1988(、1988年)• PAPARAZZI (1991年) 関連項目 [ ]• 物心ついて最初に自分で聴き始めた日本のアーティスト。 姉が拓郎の大ファンで、ギターを始めるきっかけにもなった。 1988年「たどりついたらいつも雨降り」を氷室がカバー。 キャロルの解散ライブ映像を見て、バンドを始めるきっかけになった。 2009年にはキャロルのメンバーであったとの共演が実現した。 氷室は再デビュー前、挫折して群馬へ帰る直前、彼女にもらったチケットでコンサートを見に行き、ステージだけに集中している多くのファンたちの様子などを目の当たりにして、音楽に対する情熱を取り戻し、帰郷を思い留まったというエピソードがある。 「独りファシズム」を作詞。 少年院を共に訪問した。 「Safe and Sound」をコラボレーションした。 受賞ギタリスト。 氷室渡米後のレコーディングやツアーに参加。 リチャード・スターク の設立者にして責任者。 氷室のステージ衣装やアクセサリーデザインも手がける。 「ステージ見たら、俺泣いちゃいますからね」など、定期的にコメントの中でリスペクトすべき人物として名前を出している。 iPodに彼らのライブ映像を全てダウンロードするほどお気に入りの頃があった。 幼なじみ。 同じ小・中学校出身。 先述した「SF Rock Station」の制作・放送局。 この時 番組パーソナリティーをやらせてもらっていたことから、氷室は名古屋でコンサートを行う際「名古屋は第二の故郷」とコメントすることがある。 佐伯明、友森昭一、、、、、、、、、、• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 芸名の名字「氷室」は、「」(作・画)に登場する主人公に由来する。 同郷ではあったが、当時の二人に面識はそれ程なかった。 京都に行った際、占い師に「狂」の字を使うのは良くないと言われたため。 当時の音楽シーンが遅れて来たメディアを通じて一過性のバンドブームに湧く中、誰もやったことのない特設ステージをソロとしてのツアー会場に選んだ。 この時期、前ツアーから共にライブを行って来たバンドといくつかのイベントに出演、翌年にはレコーディングスタイルもバンドとともにスタジオへ入るなど、バンドの中でのボーカリストとしての在り方を追求していた時期といえる。 渋谷の街をジャックしたかのような巨大なボードやウォールペインティング、ポスター、その後、珍しくなくなったこれらのプロモーションスタイルは当時は斬新なものだった。 後のインタビューでは「あのまま日本にいたら、きっと自分はダメになっていたと思う」と発言している。 バンド解散20周年を迎え、この単独イベントが唯一バンド解散を前提とした企画であったことが公表されている。 今ツアーは、どこの会場でも熱狂的に迎えられた。 ファイナル東京代々木公演のアンコール「Cloudy Heart」で、号泣して歌えなくなるというハプニングが、ノーカットで収録されている。 10年たった後も、「印象深いツアーだった」と述べている。 バンドの元フロントマン自らしたことに関して、「長年、応援してくれているファンが喜んでくれれば」「当時のバンド仲間に敬意を込めて」「(再結成や様々な問いかけに対する)俺なりの答えです」とコメントした。 なお、ライブイベントのサブタイトルの和訳は「温故知新」である。 15年以上も前の曲が使われた理由として、プロデューサーのは以前から氷室京介のファンで、「製作中にずっとこの曲がイメージとして頭にあった」とコメントした。 GLAYが氷室京介のファンであることは以前から有名であるが、対談すら過去に実現しなかった両者のコラボレートが今になって実現した背景にはGLAYがそのとき抱えていた事務所独立に伴うトラブルを聞いた上で氷室が「一緒にやろう」と快諾したとされている。 出演のきっかけは氷室の息子がMr. Childrenのファンでスタッフ経由でサインを貰ったことがあったためと氷室自身が明かしている• このことに対しかつての同僚、布袋寅泰は「一曲でも良いから隣りでギターを弾きたい」とブログでコメントを寄せた。 リクエスト募集は今後WEBを通じても受け付けられる予定だが、それに先行して「LIVE DAM STADIUM」での受付がスタート。 収益金総額669,220,940円(コンサートグッズ販売利益含む)収益金は、「寄付金または義援金」として、岩手、宮城、福島の三県に223,073,646円ずつ均等に配分して寄付をさせて頂きました。 comより抜粋• 2014年6月4日の東京国際フォーラムでのライブMCにて、「実行した女性は、罪をすべて受け入れ、反省し更生する。 との事を受け、この問題はすべてチャラ」と氷室本人からファンへの報告を行った。 本作品の販売により発生する氷室京介本人の著作権料は全額、著作権管理団体JASRACが行っている【東日本大震災復興支援基金「こころ音」基金】に搬出されます。 comより抜粋• 氷室のレコーディングに欠かせないエンジニアNeil Dorfsman とのセッションが初めて実現したのは、この作品から。 販売利益は、「寄付金または義援金」として、岩手、宮城、福島の三県に当分に配分して寄付• 氷室京介の本名とされる。 1298日ぶりのステージとなったアリーナクラスを中心に行われた全国ツアー。 サポートギタリストにスティーヴ・スティーヴンス本人、ステージデザインにストーンズなどを手掛けるマーク・フィッシャーなど、圧倒的スケールで話題の多かったツアー。 企画から写真選択に至るまで氷室自身が手掛けた写真集。 撮影はローマから、セイシェルからニューヨークまで世界6カ国を旅しながら、フォトグラファーによって行われた。 (当時のコンサート会場、通販限定) 出典 [ ]• - sputnikmusic・2015年7月13日閲覧。 月刊カドカワ1991年4月号 総力特集氷室京介 p. BEAT主義日記 - HOTEI OFFICIAL BLOG• (2015年11月9日時点の)• Oricon. 2016年4月19日. 2016年4月19日閲覧。 Oricon. 2017年3月8日. 2017年3月28日閲覧。 オリコン 2011年4月19日• 高橋まことのぼちぼちブログ。 オリコン 2011年4月20日• BEAT主義日記• 朝日新聞デジタル 朝日新聞社. 2013年3月11日. の2013年3月12日時点におけるアーカイブ。 ORICON STYLE 2013年3月11日• YOMIURI ONLINE 読売新聞社. 2013年3月11日. の2013年3月11日時点におけるアーカイブ。 東京スポーツ 2013年3月15日• マイナビニュース 2013年3月16日• (2013年4月7日時点の)• 「ATMIC DRUM 高橋まことのぼちぼちBLOG」2013年3月14日の記事より• による最高順位を参照。 ぴあMOOK「氷室京介ぴあ」、2013年8月20日発売、p.

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