不如帰 ファミコン。 ファミコン版「不如帰」-攻城戦がまだるっこしいけど奇襲最強

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不如帰 ファミコン

難易度としては独眼竜政宗よりも上がっていて、いろいろ苦労したはずです。 今にして思ってもいい戦国シミュレーションゲームで、最近になってリメイクされたりしてるくらいです。 私はファミコン版の方が好きですが。 だいたい戦国シミュレーションゲームプレイヤーは、上杉・武田・北条のどれかか、大友・龍造寺・島津のどれか派だったりします。 やっぱり三つ巴って燃えるんでしょう。 なので私ももっぱら謙信でプレイしたとは思うんですが、あんまり強いと感じた記憶はないです。 大名武将は最初にパラメータを設定しますので、そのせいかもしれません。 小田原城の防御力は80とかあるんですが、これがどんなに頑張っても6とかしか一回の戦争では減らせないんですよ。 しかも、まさゆきとかよしひさとかごく一部の優秀武将での話ですから、中堅武将だと3とかになります。 武将がへぼで1ずつだと気が狂いそうになって、力攻めしちゃいますよ。 すぐに後悔するんですが。 まぁ小田原城ですから、仕方ないのかもしれません。 それまでにプレイしたファミコンの戦国シミュレーションゲームでは、勝てば一気に国がとれましたから、当時だとやはりめんどくさかったです。 戦いは数だよと言う台詞もありますが、数でも勝ち武将の能力でも勝ってるはずでも、奇襲を受けて敗走することがあります。 あれはどんな仕組みだったんでしょうね。 あの当時では仕組みがよくわからず、なんとなく突撃したり奇襲したりしてるだけでしたが。 不如帰の戦争で特徴的だったのは、士気というパラメータがあったことです。 士気をなくせば勝ちという野戦ルールだったため、寡兵でも奇襲で逆転できてたんですね。 これはなかなか斬新で、後年の戦国シミュレーションゲームとしては当たり前の要素になりましたが、ファミコン時代では珍しかったと思います。 別に領地を攻め取らなくても、外交的に属国にすることができるんですが、しばらくすると謀反を超されて独立されてしまいます。 その、謀反率を下げるためには官位を与えるといいらしいんですが、高い官位を持つ大名は従属しづらいのです。 山城国を支配している大名は、各地の大名に官位を与えることができるので、謀反されないように配るじゃないですか。 でも、そんなのお構いなしに謀反起こされるんですね。 なんだよっ結局戦争するしかないじゃないか! というジレンマに何度陥ったことか。 しかし他国が外交で従属してくれた瞬間というのは、なんともいえないうれしい瞬間だったので、やっぱり従属のために頑張っちゃうんですが。 そういえば、10年以上後にプレイしたEuropa Universalis2でも外交で属国化するのが大好きでしたから、私はそういう性格なのかもしれません。 あと、このシステムのおかげで、当時の官位という制度を知ることができました。 ファミコンをはじめ、ゲームで知ることって多いですよね。 ヨーロッパの地理もHearts of Ironで学びましたし。

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不如帰 (ゲーム)

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どうも!コバヤシです! 今回は、ファミコンの本格戦国シミュレーションゲーム『不如帰』をご紹介したいと思います。 この『不如帰』とても評価が高い。 ファミコンのシミュレーションゲームの最高傑作と呼ぶ人も少なからずいます。 『不如帰』とは 『不如帰』(ほととぎす)は、1988年8月にアイレムから発売されたファミリーコンピュータ用シミュレーションゲーム。 開発はタムテックス。 制作総指揮は岡野修身。 音楽とプログラミングを除くすべての工程を一人で手がけた[要出典]。 日本の戦国時代を題材にしている。 引用元: 当時、戦国のシミュレーションゲームと言えば『信長の野望・全国版』であり、それとは違う独自路線の戦国ゲームがまさかファミコンから出てくるとは誰も思ってなかったですよね。 ぼくもガリガリと「『信長の野望』サイコー!」とか言ってました。 まだ『信長の野望・戦国群雄伝』発売前で、初めて大名以外の戦国武将を登場させたゲームでもあります。 映画のようなオープニングムービー 『不如帰』のオープニングムービーは非常に評価が高いです。 そのセンスと演出は「まるで映画だ」と言われるほどでした。 『不如帰』をプレイするなら、まずこれは必見です。 強い武将と弱い武将の差は歴然であって、同数の兵力なら弱いほうは無双されます。 うちの武将弱いなぁ、という状況では兵をいくら雇っても攻められたら終わりだったりします。 雇いまくってブクブク太れば勝ちの『信長の野望』とは大違いですネ。 歴史好きなら名前だけみてある程度は予想できるでしょうけども、そうじゃなければチンプンカンプン。 上司と部下として付き合ってみないとどうにもならない。 リアルですけど、ゲームとしてはメンドくさいかも知れませんね。 彼らは盟主であるプレイヤーの合戦時に、応援として駆けつけてきます。 盟主vs盟主の合戦となると、それぞれに援軍が各地から馳せ参じてきてさながら関ヶ原の雰囲気です。 これはかなりイイです。 位が高い大名がそれを利用して全国の大名を服従させれば天下統一となりました。 このころの『信長の野望』はもちろん全部の国を攻め取るしか天下を統べる方法はありませんでしたよね。 つまり、頭を使って戦わなければならない、ということで、それによっては劣勢も跳ね返せたりするんです。 とにかくスゴイ 上記のように、武将の登場、官位の存在、陣形の採用など、当時の戦国シミュレーションにはまだ存在しなかった要素を取り入れ、全く新しい戦国シミュレーションとして生まれた『不如帰』、シンプルながら奥が深いゲームです。 『不如帰』とぼく 当時ぼくはパソコンで『信長の野望・全国版』をサルのようにプレイしていて「この世にこんなに面白いゲームがあるのかーッ!何?ファミコンで戦国シミュレーション?どうせ大したことないんだろ?パソコンにかなうわけないやろーッ!」と、余り気に留めていませんでした。 しかし、クラスにポツラポツラと『不如帰』をプレイする者が現れます。 「なに?武将?官位?ナニソレ?」と思いつつ、あるとき、友人が何日か貸してくれるというので早速借りて遊んでみました。 こここ、これは面白い。 ていうか面白い。 思い切ったところをバッサリ切り、それでいて細かいところはしっかり作り込んでいる『不如帰』にぼくは脱帽でした。 「これはもしかしたら、ダイナミックで繊細で、作り込んである楽しい大傑作の戦国シミュレーションゲームなのではないか!」そう思ったぼくは、そういうゲームが何でパソコンで出ないかな、とひとり憤っていたわけです。 『不如帰』の続編 実はこの『不如帰』には続編があります。 知ってました? それが『戦国Spirits』です。 監修を岡本吉起さん、ゲームデザインを岡野修身さんによる完全新作の戦国シミュレーションゲーム。 シナリオやシステムの一部が異なる「主君伝」、「軍師伝」、「猛将伝」の3本が同時発売されました 「主君伝」の主人公が 武田信玄、織田信長、上杉謙信、「軍師伝」 は直江兼続、山本勘助、石田三成、、「猛将伝」は前田利家、本多忠勝、島津義弘となっています。

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ホトトギス

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形態 [ ] 全長は28ほどで、よりわずかに大きく、より小さい。 頭部と背中は灰色で、翼と尾羽は黒褐色をしている。 胸と腹は白色で、黒い横しまが入るが、この横しまはやよりも細くて薄い。 目のまわりには黄色のアイリングがある。 分布 [ ] 東部、、から南部までに分布する。 インドから中国南部に越冬する個体群が頃になると中国北部、、まで渡ってくる。 日本では5月中旬ごろにくる。 他のよりも渡来時期が遅いのは、の習性のために対象とする鳥の繁殖が始まるのにあわせることと、食性が毛虫類を捕食するため、早春に渡来すると餌にありつけないためである。 生態 [ ] 日本へは以北にとして渡来するが、九州とでは少ない。 カッコウなどと同様に食性は肉食性で、特にを好んで食べる。 また、自分で子育てをせず、等にする習性がある。 連続3回、再生時間6. 7秒 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、をご覧ください。 オスの鳴き声はけたたましいような声で、「キョッキョッ キョキョキョキョ! 」と聞こえ、「ホ・ト・…・ト・ギ・ス」とも聞こえる。 早朝からよく鳴き、夜に鳴くこともある。 この鳴き声のとして「本尊掛けたか」や「特許許可局」や「テッペンカケタカ」が知られる。 文学や芸術とホトトギス [ ] 故事 [ ] ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国のやにもとづく。 流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった)があり、そこにという男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。 後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。 望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスにし、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。 また後に蜀がによって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。 = 何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。 日本の芸術とホトトギス [ ] 古典文学 日本では、激情的ともいえるに仮託して、古今ホトトギスのが数多く詠まれ、すでに『』では153例、『』では42例、『』では46例が詠まれている。 鳴き声が聞こえ始めるのとほぼ同時期に花を咲かせるやと取り合わせて詠まれることが多い。 ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明(ありあけ)の月ぞ残れる(『』)• 目には青葉山ほととぎす初鰹() 他にも夜に鳴く鳥として珍重され、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を 忍音(しのびね)といい、これも珍重した。 『』ではホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様が描かれる。 平安時代以降には「郭公」の字が当てられることも多い。 これはホトトギスとカッコウがよく似ていることからくる誤りによるものと考えられている。 もこの字を用いている。 の句に「あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥」がある。 ホトトギスは美しい声で鳴くが醜いなどのや虫などを食べる、すなわち「人や物事は見かけによらない」ということを指す。 万葉の時代から「ウグイスの巣に卵を産んで育てさせる」という託卵の習性が知られる一方、時代や地域によってはカッコウあるいはと混同されている例もある。 下記「天下人」を詠んだ句では鳴き声を愛でる鳥すなわちウグイスであるとの考え方も一般的である。 従って作品中に「ホトトギス」とある場合でも、季節や時間帯によっては注意が必要となる。 近代文学 は1895年(明治28年)4月に近衛師団つきの従軍記者としてに渡ったものの予定通りにはゆかず同年5月には帰国の途につくはめになり、帰国の船中で喀血して重態に陥り、に入院し、と思われ、当時は結核は「不治の病」という位置づけであったので、自分に死・死期が迫っていると覚悟した。 喀血した(血を吐いた)ことから、「鳴いて血を吐く」と言われているホトトギスと自分を重ね合わせ、ホトトギスにちなむ句を一晩で数十も作ったという。 そして、ホトトギスの漢字表記のひとつの「子規」を自分の俳号とした。 文芸雑誌『』• 作『』 他 から「厠(かわや)の中にいるときにホトトギスの声を聞くと不吉である」という言い伝え、迷信が日本各地に伝わっているが、この出典は『』および『』である。 がにおくった有名な俳句「時鳥(ほととぎす)厠(かわや)半(なか)ばに出かねたり」も、この迷信をふまえる(加藤徹『怪力乱神』)。 『ほととぎす』() - 初年頃、山田流の流祖・作曲。 ホトトギスの忍音をたった一声でも聞くため、船に乗りを徹夜でさかのぼる様が詠われた曲。 『』() - 、作曲。 時代に大阪で活躍した盲人音楽家・楯山の数多い作品中、代表作。 の「我が宿の池の藤波咲きにけり 山ほととぎすいつか来鳴かむ」「今更に山に帰るなほととぎす 声の限りは我が宿に鳴け」の2種を歌詞とし、ホトトギスの声を描写した(てごと - 長い間奏器楽部)を持つ。 この作曲のため楯山は中のホトトギスのを巡り、また何日も山にこもって声を研究したと言う。 『』(箏曲) - 幕末の・頃、作曲。 「」5曲の一つ。 古今和歌集から4首を採り歌詞とした中に「夏山に 恋しき人や入りにけむ 声振り立てて鳴くほととぎす」がある。 その他、『』(作曲)、『』(松浦検校作曲)、『』(作曲)など、曲中一部にホトトギスを詠んだ曲は少なくない。 芸術の関連人物• 天下人とホトトギスの喩え [ ] 三人の天下人()の性格を、鳴かないホトトギスをどうするかという題材で後世の人が言い表している(それぞれ本人が実際に詠んだ句ではない)。 これらのは江戸時代後期の主・の『』に見える()。 以下に引用とその解釈を記す。 「なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府」()• この句は、織田信長の短気さと気難しさを表現している。 「鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤」()• この句は、豊臣秀吉の好奇心旺盛なひとたらしぶりを表現している。 「なかぬなら鳴まで待よ郭公 大權現様」()• この句は、徳川家康の忍耐強さを表している。 「鳴け聞こう我が領分のホトトギス」()• この句は、加藤清正の配慮を表している。 なお、松下電器(現:)の創業者であるは生前、これらの句に対して「鳴かぬなら それもまた良し ホトトギス」と詠んだことで知られる。 切手 [ ] 3円• 1954年(昭和29年)5月10日発売• 2010年(平成22年)11月29日書体変更の発表 1988年(昭和63年)5月22日発売 60円 国土緑化運動 と ホトトギス 県の鳥 [ ]• :1966年(昭和41年)5月10日選定• :1964年(昭和39年)にホトトギスを県の鳥に指定したが、托卵性のイメージの悪さ等を理由に1994年2月に県民投票で「県民の鳥」としてに変更した。 人との関わり [ ] 別名 [ ] 和名では「あやなしどり」などとも言う。 また異名が多く、アヤメドリ、イモセドリ、ウヅキドリ、ウナイドリ、サナエドリ、シデノタオサ、タチバナドリ、タマムカエドリ、トキツドリ、フジョキ、ユウカゲドリなどと呼ばれる [ ]。 脚注 [ ] 注• 「杜鵑」「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などは、中国の「」にちなむ。 故事の節で説明。 家康の句にある郭公(ホトトギス)とはのことを指し、家康は利家が死ぬのを待っていたとする説がある。 [ ]• ただしこの句は、の著になる『』にあるの句「なかぬなら鳴かぬのもよし郭公」と同趣向である。 また織田信長の七男・の系統の旗本織田家のであると言われている選手のも、テレビ番組のインタビューにおいて、信長を詠んだ句への返句として「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と、松下と同じような句を詠んで話題になった。 なおは「鳴かぬなら鳴かなくてよいホトトギス」のを作っている。 (『草木塔』所収) 出典• 2013年10月27日, at the. () 参考文献 [ ] ウィキクォートに に関する引用句集があります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 ウィキスピーシーズに に関する情報があります。 山渓ハンディ図鑑7『日本の野鳥』• 真木広造、大西敏一 『決定版 日本の野鳥590』 、• BirdLife International 2004. Downloaded on 24 July 2007.

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