はめ つの おう こく あらすじ。 Full text of バグバグ

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はめ つの おう こく あらすじ

たくさんのチェンバロと古典ピアノがあります。 豪華な装飾のものや、素朴な感じのものといろいろです。 楽器が一台ずつ紹介され、つづいて演奏です。 チェンバロでは、 バッハの曲、 「メヌエット」。 軽やかな指先が鍵盤の上を踊り、 チェンバロの音が響き始めます、 なんと素晴らしい、美しい音! ベートーヴェンや モーツアルトの愛したピアノもあります。 1705年にウイーンで造られた 「アントン・ワルター」。 名品です。 世界で最も貴重な文化遺産。 足ペダルではなく、 膝で動かす、 ニー・レバーといわれるものがついています。 この 「月光のソナタ」といわれる曲は、 ベートーヴェンの「不滅の恋人」のひとりとして有力視されている ジュリエッタ・グィッチャルディに捧げられたものと いわれています。 (「不滅の恋人」として、最も有力視されているのは、 テレーズ・フォン・ブルンスヴィーク伯爵令嬢という説もあります) 情熱と苦悩に生きたベートーヴェン、 次のような言葉をのこしています。 1834年ウイーンで製作されたもの。 ショパンや シューマンなどの作曲家に好まれ、 特に 晩年のベートーヴェンに愛用されたピアノです。 特長は5本のペダル。 どのように演奏するのでしょう。 モーツアルトの「トルコ行進曲」が演奏されました。 指は鍵盤をたたき、足でペダルを踏むと ベルやドラムの音までが響きます。 にぎやかで、心がうきたつ行進曲です。 モーツアルトの曲を弾くことは、 ピアニストにとっては試金石といわれます。 単純で純粋な音の連続なので、 演奏者の不正確な音はすぐわかってしまうそうです。 あいまいなタッチは許されない、 それだけに モーツアルトの曲は、特別美しく魅力的なのです。 動物実験でわかったことがあります。 ネズミは、モーツアルトの交響曲四〇番を好み、 深く感動する様子を見せたそうです。 愛称「ピアノの貴婦人」、 「エラール・グランド・フォルテピアノ」は、 優雅なホワイトクリーム色に塗られ、 側板や脚には、見事な彫刻がほどこされています。 ヴェルサイユ宮殿を建てた ルイ14世の時代様式です。 ショパンの曲が流れはじめました。 音が流れ始める瞬間、 その一瞬、空気まで変わるように感じます。 指先は軽やかに鍵盤に触れているように思えるのに、 音が輝きあふれ出る。 気品あふれる音。 温かな音。 色彩感のある音色。 言葉に表現できない音楽の不思議さを感じます。 ベートーヴェン(1770-1827) モーツアルト(1756-1791) オルゴール 次は、オルゴール展示室です。 オルゴールはどのようにして誕生したのでしょう。 西洋で教会や時計塔の鐘を鳴らすため、 木製シリンダーにピンを打ち、 自動的にハンマーで鐘を叩くという仕組みが考え出されました。 そして、16世紀に発明されたゼンマイが、音楽時計に応用され、 オルゴールの原型となります。 ここでは、約200年前からのものがあるそうです。 コインを入れると鳴りだすオルゴールが紹介されました。 高さ240cm、幅83cm、奥行き45cmもあります。 1904年頃のもので、 大きな円盤のディスクが 華やいだ音を響かせます。 民音音楽博物館ホームページより 以前、ベルギーを行った時、 お世話になった人の家で聴いた懐かしい音色を 再び聴くことができました。 一抱えもある大きなディスクを何度も変えて 新しい曲を聴かせてくれたものです。 その時と同じような大きなディスクがオルゴールの中で ゆっくりと回っています。 ブック型ロールに、無数の穴があけられ、 ハンドルを回すと、38本のパイプとドラムの付属楽器が 演奏するのです。 お母さんと子どもが前に進み出て、 ハンドルをグルグルまわすと、メロディが流れまじめました。 まわす速さによって音色は変化、 一定のスピードでまわし続けて、良い演奏となります。 はい、みなさん拍手喝さい! オートマタ(自動人形)「道化師と椅子」が紹介されました。 音楽に合わせて 椅子を持ち上げたり、逆立ちを見せてくれたり。 すごいです。 ねえ、ジュリアン君、 椅子を持ってアクロバットもできるなんて! 案内の人によると、今日はとてもよくできたそうです。 見て、さわって、学べる楽器展 ふだんは見られないアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどの 珍しい楽器が展示されています。 打楽器をたたくと、音色の中に楽器の作られた国の風情が 自然とにじみ出て、その国らしい音を奏でます。 とても楽しいです。 楽器は、さまざまな素材から作られていますね。 太鼓は、多くは木と皮で。 笛は、竹や葦 あし に穴をあけて。 インドのシタールは、かぼちゃに弦をはって。 シタールの音色は大好きですが、 かぼちゃでできているとは知りませんでした。 そうですよ、かぼちゃの共鳴胴に金属の弦を張ったものなのです。 その他、貝や木の実、動物の骨で作られたものもあります。 音楽を奏でる喜び カシュガル・ルボーブという楽器があります。 シルクロードの音楽には欠かせないもの。 カシュガル民謡 「アトシュ」を聴いたことがありますか。 アトシュ地方の民謡をもとにした叙情的な踊り曲で、 恋人を訪ねるウイグルの美少女の旅を歌ったものです。 私は一路アトシュをめざす 長い裾を天幕がわりにして眠り 今夜もまた砂漠の仮寝の床で 心はもうあなたの元にいる 恋人よ 私の恋人 あなたは私の首にかけたお守り どんなに真っ暗な闇夜でも 行く手を明るく照らしてくれる 恋しいあなたに再会し 私の想いがかなえられるように どんなことがあろうと 二人を引き裂くことはできない 歌詞は、『ETHNIC SOUND SELECTION』より 恋心は世界共通、音楽も同じ。 4500年前、古代文明発祥地のエジプトやメソポタミヤで 演奏されていた笛や太鼓が、 現在でも世界の国々で用いられているそうです。 音楽は時代を超え、国境を越えた人類共通の文化ですね。 エジプトの国花:熱帯睡蓮 (神代植物公園にて撮影) 資料: 『民音音楽博物館所蔵カタログ』財団法人民主音楽法人 民音音楽博物館 『子どものための楽器展パンフレット』民音音楽博物館 『ネオフィリア』ライアル・ワトソン著 内田美恵訳 筑摩書房 『ベートーヴェンの生涯』ロマン・ロラン著 片山敏彦翻訳 岩波文庫 『モオツァルト・無常という事』小林秀雄著 新潮文庫 『ETHNIC SOUND SELECTION』音曲解説 日本音楽教育センター 日本の夏における文化の一つと申しましょうか、 怪談話は、昔はとても人気があったのです。 江戸時代、文政8年 1825 、夏のこと、 歌舞伎『東海道四谷怪談』が大当たり。 その時、71歳、四世 鶴屋南北の戯作です。 人はさまざまなことを想像し、考え、作り出します。 この芝居が大当たりしたのは、 「怖いもの見たさ」でしょうか。 いやいやそれだけではなさそうです。 『東海道四谷怪談』のあらすじを知っておきましょう。 (当時、歌舞伎などでは、実在の人物や事件をそのまま上演することは禁止されていました。 赤穂浪士の討ち入り事件は、南北朝に時代を移し変え、 浅野内匠頭は塩冶判官 えんやはんがん に、 吉良上野介は高師直 こうのもろなお に、置き換えられています) 浪人・民谷 伊右衛門は、もとは塩冶藩の侍でした。 同僚だった四谷左門の娘 お岩と夫婦になっていましたが、 藩の御用金を横領したことを義父に知られ、 お岩が連れ戻されます。 悪事がばれたことを知った伊右衛門は、 義父・左門を殺害し、 お岩には、義父の仇は自分が討つとあざむいて復縁。 一方、隣の家の伊藤喜兵衛の孫娘お梅が伊右衛門に一目ぼれ。 孫可愛さに喜兵衛は、とんでもないことをしでかします。 伊右衛門は塩冶浪人であっても主人の仇討ちなど考えていないと判断、婿にしようと考え、お岩に薬といつわって毒薬をおくり、 伊右衛門を、自分の仕える高師直へ推挙しょうとします。 哀しいかなお岩! 夫に疎まれるようになり、 姦通の罪までかぶせられそうになってしまいます。 毒を盛られたお岩は、顔が醜く腫れ上がり、 梳 と かす髪も抜け落ち、みるも無残な姿に成り果てて、 「うらめしいぞへ、伊右衛門どの」と、恨み死ぬ。 お岩の怨念は夫に祟 たた っていきます。 舞台では怪異な出来事が次々とおこり、 日本一怖〜い怪談が展開されてゆく。 最後は、半狂乱のうちに、 お岩の義理の弟に討たれる伊右衛門の姿が、 観客の目にしっかりと焼きつけられるのです。 南北は、当時の大作家。 話のなかに、虚実とりまぜ、複雑にからみ合わせ、 時代世相を反映させているのです。 役者も一人で七役も十役も変身し、 でなければ役者とはいえぬ歌舞伎の乱世。 南北の奇才はそれに応えてあまりあります。 初演その日から今日まで、 この怪談が夏の人気の演目として上演され、 新劇、映画、小説にもなっています。 その お岩さんを祀る神社が四谷左門町にあるというので、 お参りに行くことにしました。 地下鉄丸の内線四谷三丁目駅の3番出口を上がると、 新宿通りと外苑東通りの交差点。 向かいに大きな消防署の建物が見えます。 外苑東通りを南へ。 四谷警察署をすぎ、左に折れると閑静な住宅街。 そこに、神社の赤いのぼりがはためいています。 道を挟んで、「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷・陽運寺」があります。 陽運寺 於岩稲荷田宮神社 おいわいなり たみやじんじゃ 鳥居の近くに、「伝説 四谷怪談お岩ゆかりの地」とあります。 柵は石つくりで、一本一本に名前が彫られています。 岩田専太郎、村上元三、歌舞伎座、明治座、演舞場、菊五郎劇団、 吉右エ門劇團、市川寿海、中村歌右エ門、中村時蔵、中村勘三郎 花柳章太郎など、演劇関係や料亭関係の名前がずらり。 芸能関係の人々の参拝が多いようですね。 手を清めて、本殿でお参り。 神社にまつわる資料が沢山置かれています。 よく読むと、いろいろわかってきました。 お 岩さんのモデル 田宮 岩は、 鶴屋南北が生きていた時代より200年も前の人なのです。 1636年 寛永13 に、没しています。 どうして祀られるようになったのでしょう。 神社の資料によると、 お岩は徳川家の御家人、田宮又左衛門の娘で 夫の伊右衛門とは、人もうらやむ仲のよい夫婦でした。 しかし、収入が少なかったのです。 30俵3人扶持(年収、今の金で3万5千円ほど)。 これでは暮らしが成り立ちません。 そこで、2人は家を復興するため奉公に出ました。 田宮家では、代々、信心深く、 邸内に稲荷さまを祀っていました。 稲荷さまを信仰し、奉公に精を出します。 おかげで、しだいに夫婦の蓄えも増え、 無事に家を再興することができました。 それが評判になったのです。 稲荷信仰のおかげで、田宮家は復活したと。 その後、ますます評判が高くなるにつれ、 田宮家では屋敷社のかたわらに、小さな祠 ほこら を設け、 お岩さまを祀るようになりました。 近所の人の参拝も断りきれず、 たくさんの人がお参りにくるようになり、 「於岩稲荷」「大厳稲荷」「四谷稲荷」「左門町稲荷」などとも呼ばれ、 家内安全、無病息災、商売繁盛、芸道上達、開運悪事災難除けの神 として、江戸の人気を集めるようになったのです。 それから200年後のこと、歌舞伎の世界に お岩さんが登場するのです。 ときは 文政の世、江戸は文化爛熟の時代、 寛政時代からはじまった幽霊物の読み本の最盛期! 南北は、どのように思って、この怪談話を書いたのでしょう? お岩さんと鶴屋南北 神社に置かれた『東京の「お寺神社」謎とき散歩』(岸乃青柳著)の 抜粋では、 「時は、江戸後期。 所は、歌舞伎の作者、鶴屋南北の部屋。 鶴屋南北はかねてから『於岩稲荷』のことを聞いていた。 お岩という女性が死んでからもう二百年がたっている。 それなのに今でも江戸で根強い人気があることに注目した。 人気のある「お岩」という名前を使って歌舞伎にすれば 大当たり間違いない。 と見当つけた南北は台本書きに入った。 お岩があんな善人では面白くない。 刺激の強い江戸の人間を呼ぶにはどぎついまでの脚色が必要だ。 南北は「お岩稲荷」から「お岩」の名前だけを拝借して、 江戸で評判になったいろいろな事件を組み込んだ。 密通のため戸板に釘付けされた男女の死体が 神田川に浮かんだことがある。 よし、これを使おう。 主人殺しの罪で処刑された事件もあった。 あれも使える。 姦通の相手にはめられて殺された俳優がいた。 それも入れよう。 四谷左門町の田宮家には怨霊がいたことにしよう。 江戸の人間なら、だれでも記憶にある事件を作家の空想力で操り、脚本はできた。 しかし、四谷が舞台では露骨すぎる。 「お岩」の名前だけ借りれば十分だ。 南北が付けた題名は『東海道四谷怪談』。 四谷の於岩稲荷の事実とは無関係な創作であることを 示すことにした。 天才的な劇作家が虚実取り混ぜて創作したのが、 お岩の怨霊劇だった」 お岩稲荷神社の人からも「たいしたものだ」と言われた南北。 先祖や道徳を大切にしないと「バチや祟 たた りがおきる」。 そのことをよくわかって欲しかったのでしょう。 そのような南北の思いが込められている怪談話なのです。 当時の観客は、お岩の哀しみ、恨みに涙を流し、 伊右衛門が怨霊に追い詰められ、 半狂乱のうちに討たれ、死んでいく姿に 身を震わせたことでしょう。 忘れてはならないのは、 伊右衛門は、元赤穂浪士という設定です。 見事に本懐を成し遂げた義士に対して、 南北は、その裏に義士になりきれない侍たちがいたことを、 哀しく陰惨なドラマとして描きたかったのでしょう。 南北の 「東海道四谷怪談」は、 文政の「忠臣蔵」ともいえます。 寺と坂の町 この界隈には、多くの坂と寺があります。 お岩稲荷から最も近いのは、 「暗闇坂 くらやみざか 」。 松厳寺と永心寺が左右にある小さな坂道。 このあたりには樹木が繁っていたのでしょう。 寺の樹木が道を被って暗くしていたに違いありません。 永心寺からすこし行くと 戒行寺 かいぎょうじ。 この寺の南脇を東に下る坂は 「戒行寺坂」。 別名「油揚坂」です。 昔、坂の途中に豆腐屋があり、 質のよい油揚げをつくっていたそうです。 この 戒行寺には、罪人の処刑や刀の試し切りをなりわいとしていた 「首切り山田浅右衛門」の墓があります。 坂を下り左に折れてすぐのところに、 「観音坂 かんのんざか 」。 横にある 真成院の潮踏(塩踏)観音に因んで名づけられたそうです。 また江戸時代には 西念寺 さいねんじ の表門がこの坂に面していたため、 「西念寺坂」とも呼ばれます。 徳川家康の旧臣で、伊賀者の指導者。 江戸の警備にあたっていた折、江戸城西門辺りに住んでいました。 今の半蔵門は彼の名に由来しています。 槍の名手でもあり、寺には家康から拝領したと伝えられる 槍が 残っています。 朝から小雨のぱらつく曇り空、 晴れ間を見つけて、 さんぽに出かけました。 JR中央線三鷹駅からバスで20分、 神代植物公園に到着。 園内には約4,800種類、10万株の植物。 まさに花と緑のオアシス。 四季折々の花と緑を楽しめます。 入口近くにある大きな水鉢に、 オニバス(スイレン科)が浮かんでいます。 熱帯のオオオニバスとは違い小ぶりで、 池沼中に生育する1年草の水草です。 緑の葉が水面にひろがり、ワニの皮に似た模様。 絶滅危惧種で、この地球上からなくなってしまうかもしれない種です。 大切にしたいですね。 植物との愛 今回は、植物と私たちの間に生まれる 「道徳と愛」がテーマです。 『萩原朔太郎詩集』の序文に書かれています。 原始以来、 神は幾億万人といふ人間を造った。 けれども全く同じ顔の人間を、 決して二人とは造りはしなかった。 人は誰でも単位で生れて、 永久に単位で死ななければならない。 私たちは、誰一人として同じ顔の人はいません。 よく似た人はいるが、どこか違う。 生まれるときも死ぬときもひとり。 とはいへ、 我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。 我々の顔は、我々の皮膚は、 一人一人にみんな異なって居る。 けれども、 実際は一人一人にみんな同一のところをもって居るのである。 わたしたちの顔は、あたりまえのことですが、 目はよこに2つ並び、その真ん中には鼻。 外見だけではなく、喜怒哀楽に心が動かされるところも似ている。 そして我々はもはや永久に孤独ではない。 私たち人間は、他の生物と共通したところがたくさんあります。 宇宙の星たちを動かす、らせん運動さえも、 私たちの身体の中に取り入れられています。 ええっ、宇宙と似ている、らせん運動! 頭のつむじ、指の指紋の渦は、 銀河の渦巻きにそっくりじゃありませんか。 花に想う 目の前に広がる緑の木々を見ながら、少し歩くと、 花がいっぱいの だりあ園です。 花には想い入れのある珍しい名前がつけられています。 君待坂なんて粋な名前もあります。 白い花びらの先がうす紫に染まり、 恋しい人を待つようにやさしく咲いている花を見ると、 キク科テンジクボタン科と言うより、 君待坂と呼ぶ方がいいですね。 人間の思い入れなのか、花を愛するゆえか・・・・・ さまざまな想いが花に名前をつけさせるのでしょう。 花に名前をつけるとき、 人と花の間に、 特別な感情が生まれているようです。 花の美しさと名前が見事に一致するときは、 一編の詩が生まれるとき。 俳人・三橋鷹女 みつはしたかじょ は詠います。 千万年後の恋人にダリア剪 き る 千万年後の恋人とダリア、凄い想いですね。 ダリアとはそういう想いを抱かせる花なのでしょう。 広大な バラ園が見えます。 中央に大きな噴水。 ヨーロッパの庭園のようです。 バラの栽培は、西洋では紀元前2000年代から おこなわれていたといわれます。 日本では、野茨(のいばら)と呼ばれる野生のものがありました。 西洋原産の薔薇を観賞するようになったのは、 明治以後のことなのです。 童 わらべ は見たり、野なかの薔薇 この懐かしい『女声唱歌』(明治42年)は、 ゲーテの詩に曲がつけられたものです。 薔薇は、 夏の季語。 明治から昭和に生きた水原秋桜子は、雨夜の薔薇の美しさを詠います。 咲き満ちて 雨夜も薔薇の ひかりあり 江戸時代の蕪村は、愁いの心と野茨の美しさを詠いました。 愁ひつつ 丘に登れば 花いばら 小雨が降ってきてバラの花にも透明な水滴がつきました。 涙のようです、それもまた自然の詩なのでしょう。 雨脚がすこし強くなったので、大温室に向かいました。 途中に多くのトンボが舞っています。 大温室は、「センス オブ ワンダー」 「センス オブ ワンダー」とは、レイチェル・カーソンの言葉で、 「神秘や不思議に目を見はる感性」のことです。 熱帯植物は、珍しい姿とあざやかな色をしていて、 見ればみるほど不思議で神秘です。 球根ベゴニアがたくさん咲いている部屋があります。 おどろいたのは、種! 球根ベゴニアの種はとっても小さいのです。 粉のようです。 置かれているゴマの種に比較すると、 問題にならないくらい小さいのです。 この小さい種が、球根になるのですか! この小さい種が、美しい花を咲かせるのですか! それこそ、 感動する心「センス オブ ワンダー」の全開。 広大な宇宙を見るときと同じ感動が、 この小さい種を見るときにもわきおこってきます。 花の世話している方に教えてもらいました。 「この花は、1つの株に雄花と雌花が咲き、 雌花の花びらは一重、雄花は八重なんです」 えっ、雄花の方が、豪華で美しい! 動物のライオンと同じですか・・・・・。 いや、雌花はつつましく咲いて美しい! 雄花のすぐ下に雌花が咲いています。 花粉が下に飛んで受粉しやすいのでしょう。 うまくできていますね、自然の神秘というのは! このように、1つの株の中に雄花と雌花があるのを 「雌雄異花同株」といいます。 清純な心・熱帯スイレン 外に出ると雨が上がり、青空が見えはじめています。 大温室の庭の大きな水槽に、 白や黄、ピンクのスイレンの花が美しく咲いています。 水に浮かんでいるその姿は、 清純な心・信仰という花言葉のとおりです。 スイレンとの関わりは、5000年の歴史をさかのぼります。 紀元前3100年頃、すでにエジプトの第1王朝のシンボルとして 用いられ、現在も、エジプトの 国花です。 第5王朝のベニ・ハサンの墓には、水鉢に生けられたスイレンの花が 浮彫りされています。 記録に残っている世界最初の 生け花といえるでしょう。 ナイルの水をひいた池には美しいスイレンの花が咲き、 その花は、花束や花輪や首飾りに編まれたそうです。 係りの方にスイレンについて訊ねました。 「スイレンは寒さに耐えることができる温帯性と、 寒さに弱い熱帯性に大別されます。 今咲いている熱帯スイレンは、夏は外に出しているけれども、 冬には温室の中に入れて見守る」のだそうです。 遠路はるばる日本にもってこられた熱帯スイレン。 それにはそれなりの礼儀が必要です。 いたわりと愛が、人とスイレンの間に生まれます。 これこそが、自然に対する 道徳と愛だと思います。 世話をする人の愛があればこそ、私たちはいつも美しい花を、 愛することができるのです。 あの 「星の王子さま」(サン=テグジュペリ作)も、 残してきた1本のバラの世話をするため、 命をかけて、星に帰っていったのです。 いつのまにか青空が広がり、明るい陽光がさしています。 水槽で、オタマジャクシが水面に顔をのぞかせます。 1609年にイタリアの科学者・ ガリレオ・ガリレイが 星空に望遠鏡をむけ、宇宙を見つめてから400年目。 今年2009年は、国連、ユネスコ、国際天文学連合が、 「世界天文年」と定めました。 その目的は、 「世界中の人々が夜空を見上げ、宇宙の中の地球や 人間の存在に思いを馳せ、自分なりの発見をしてもらうこと」 もうすぐ梅雨が明けると、 夜空に輝く星を、思う存分見ることができますね。 星への思いを、東京近辺で味わうことできるところが 三鷹にあります。 森の中の天文台 JRの武蔵境駅からバスで15分。 「天文台前」で降りると、緑の木々の中にありました。 国立天文台 三鷹です。 その前身の東京天文台が、 大正3年(1914)〜13年(1924)にかけて、 麻布飯倉からここに移転されました。 日本の天文学研究の 共同利用センターとなり、 世界各国の天文学者と連携して、 日々宇宙の謎を解き明かすことに挑戦しています。 森一つほどの広い構内には、さまざまな研究施設が点在しています。 見学できるのは移転当時の面影を残す 大正期の建物。 国登録有形文化財の 第一赤道儀室、天文台歴史館(大赤道儀室)、アインシュタイン塔などです。 早速入って見学することにしました。 入門受付で、住所氏名を書いて・・・・・。 最初に見学するのは、 第一赤道儀室の建物。 1921年に建てられ、この森での現存最古の建物です。 深い緑の中に、 大きなドームの兜を被ったような円筒形の建物。 蔦の絡みつく大きな古木に囲まれ、 まさに 天文少年の夢世界! 冒険好きの少年・少女が大喜びしそうです。 どんな秘密の宝物がつまっているのでしょうか? 木の葉が舞う階段をのぼり、 観測室の中に入ると、ありました、宝物が! カール・ツァイス社(ドイツ)製の 口径20cm屈折望遠鏡。 望遠鏡には太陽写真儀(カメラ望遠鏡)が取り付けられ、 宇宙に向けると、天体を追尾できます。 観測されていたのは太陽。 撮影された写真が展示され、黒点のスケッチ台もあります。 ここで1939年から60年間、観測が行われていました。 その記録は毎月整理され、国際機関に報告され、 太陽活動の監視や研究に大きく貢献したのです。 太陽系を歩く 天文台歴史館(大赤道儀室)に向かう道沿いに、 「太陽系ウォーキング」という、太陽系の惑星を 歩きながら見ることができる模型パネルが並んでいます。 太陽系の距離を140億分の1に縮めたものです。 太陽から土星までの実際の距離は 14億kmもありますが、 この道では、たった 100mでたどり着けます。 このパネルを見ると、一目瞭然で 太陽系のことが分かります。 太陽はみずから輝く星で、直径139万2,000 km、表面温度6,000度などなど。 地球は、太陽から 1億5,000万kmの距離で、 直径1万2,756 km。 水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の各惑星も。 子どもたちにも、わかりやすく、楽しく書いてあります。 森の中で、宇宙を見ながら・・・・・。 このような さんぽも、あるんですね! 道沿いに、白いユリの花が満開に咲いていました。 大きく開いた花びらのなかに、 まるで宇宙が息づいているように感じます。 天文台歴史館(大赤道儀室) 道の奥には、1926年に建設された 大赤道儀室。 今は、 天文台歴史館となっています。 いかにも天文台と言う風貌の建物は、 森の木々の中で、威風堂々の威厳にあふれています。 地上19.5m、ドーム直径15m。 ドームは大きな帽子のような緑青色。 建設当時、この半球ドームを作る技術が建築業者になく、 船底を作る技術を持った造船技師に力を借りたそうです。 観測室には、 巨大な屈折望遠鏡がドンと据えられていました。 レンズ口径65cm。 屈折望遠鏡としては、日本最大の口径だそうです。 この望遠鏡は、1998年3月に引退しましたが、 今でも星の位置関係を測定し、観測が可能な状態なのです。 あの理論物理学者アインシュタインにちなんだ塔です。 太陽光の観測によって、アインシュタインの 一般相対性理論を、 検証しようとして建てられたものです。 うっそうとした森の中の道を歩くと 建物が見えてきます。 少し離れたところから、外観を見ることしかできません。 これまた、不思議な感じのする建物です。 それこそ宮崎駿のジブリ映画に出てきそう。 建物が塔になっていて その全体が 望遠鏡の筒になっているのです! 塔望遠鏡とも呼ばれています。 高さは18.6m。 地上5階。 地下1階。 外壁は鉄柱のはしごがかかり、 高いところに窓が一つ。 遠くからでも、美しい曲線を持つバルコニーが見えます。 塔の上には観測用ドーム。 資料によると、 内部は吹き抜けで、 屋上のドームから入った太陽光は、 望遠鏡から半地下の大暗室に導かれます。 そこで、プリズムや回折格子 かいせつこうし で 虹色の光の帯(スペクトル)に分けて観測したのです。 この施設では、 アインシュタインの理論は証明できなかったようです。 観測されていたのは黒点の磁場や、 太陽表面での爆発現象です。 また 太陽の自転の測定や太陽光の研究などにも使われ、 成果をあげました。 人はなぜ宇宙を知ろうとするのでしょう。 昔から宇宙のことを知ろうとする人間の情熱は 衰えることはありませんでした。 古代文明の遺跡の中にも、 天文観測の痕跡がいくつも残っています。 今では、コンピュータでコントロールされたハッブル宇宙望遠鏡や 大型望遠鏡「すばる」が活躍しています。 そのリアルタイムで映し出される はるか彼方の銀河の鮮やかな姿は、 宇宙の 過去・現在・未来をひとつの枠の中で考えさせてくれます。 天文学は、私たちを果てしない世界に誘ってくれますね。 天文台に来たからこそ、 知りえることもあるのだと思いながら、 やわらかな光につつまれ、 静かな森を、散策しました。 木々の緑が映える道が 玉川上水に沿って伸びています。 「風の散歩道」です。 山本有三記念館 井の頭公園に向かうと、右側に山本有三記念館。 作家・山本有三が東京都に寄付したもので、 平成6年に三鷹市の指定文化財になりました。 「路傍の石」は、有三の代表作の題名です。 入ると奥に洋風建築の建物。 大正末期に建てられ、海外の近代様式を取り入れた希少なもの。 レンガと白い壁、屋根の上に煙突。 中はまるで西欧の家にいるようです。 有三が住んでいた頃には、 暖炉で薪がパチパチと燃えていたことでしょう。 館内をめぐると、 有三の心を偲ぶことができます。 『赤い鳥』(赤い鳥社)の第1巻・第2号が展示されていました。 鈴木三重吉が、1918年(大正7)に、 子どものために創刊した童話雑誌です。 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』、『杜子春』も、 この 「赤い鳥」に掲載されたものなのです。 山本有三は、1935年(昭和10)から2年間かけて 全16巻の 『日本少国民文庫』(新潮社)を刊行。 戦争への道を歩んでいた当時、 有三の文庫編集の目標は、 「軍国主義的風潮から少年たちを守り」 「少年少女に本当に必要な教養を伝えたい」という願いでした。 三鷹の森ジブリ美術館 やさしい風が吹いてきました。 風にのって、声が聞こえてくるような気がします。 その者 青き衣をまといて 金色の野に降り立つべし 失われし大地との絆を結び ついに人々を青き清浄の地に導かん (宮崎駿「風の谷のナウシカ」風の谷の伝承より) 「風の谷のナウシカ」は1984年に公開。 火の7日間と呼ばれた世界大戦で崩壊した文明。 1000年後、大地は産業廃棄物の錆とセラミック片に被われ、 広大な 腐海 ふかい の森がひろがっていた。 腐海には有毒な瘴気(しょうき)。 人間が入ると肺が腐る。 そこには新しい生態系の生き物がうごめき、 王蟲(オーム)の群れが生息する。 瘴気をのがれ 風の谷に住む人々。 族長の娘 ナウシカは、風に乗るメーヴェを操り、空を自由に飛ぶ。 ナウシカは気がつきました 腐海の底には清浄な水があって その水がいつか汚された地上を浄化することを・・・・・。 清浄な水と土で育つ木々は毒を出さない。 腐海の木々は、世界を浄化するために生まれてきたのです。 その森を守っているのは蟲 むし たち。 人間たちの争いのなか、 傷ついた王蟲の子を助けたナウシカ。 怒って押し寄せる王蟲の大群。 画面いっぱいの王蟲の描写は圧巻! 命をかけて王蟲の怒りを静めようとするナウシカは、 空中高〜くはじき飛ばされる。 地面に倒れたナウシカ。 その時、奇跡が起こる。 たくさんの触毛が伸びてくる。 王蟲の触毛に支えられナウシカは・・・蘇生。 触毛は朝の光で金色に輝き、 その上に立つナウシカ、 「その者 青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」 平和になった谷に、新しい井戸が掘られ、若木が植えられる。 生きとし生けるものの再生を予感させるように・・・・・。 思い起こしても新鮮なテーマをふくんだ傑作です。 宮崎駿は風が大好き。 「宮崎作品では、心が動くと空気が動く、風が吹く」 なぜなら、風が心を表現するから・・・・・。 それでは ジブリ美術館に入ってみましょう。 この美術館は、井の頭恩賜公園西園の文化施設のひとつです。 入り口はトトロのカラフルなステンドグラス。 天井は高い吹き抜けのガラスドーム、光が降るように入る。 飛行機の翼のような木製の羽根がグルグル。 廊下をつなぐ渡り橋を歩くとドキドキ。 思わず何度もいったり来たり、 五感が解放されて楽しい気分! ネコバスルームは、キャキャ! 土星座では子どもたちが喜ぶ短編アニメが上映されている。 なんだか懐かしく、ぬくもりがあって、心が豊かになりそう。 「映画の生まれる場所(ところ)」はすばらしい!! おじいちゃんからもらった少年の部屋には 机の上に、色鉛筆、ペン、筆、ハサミ。 描きかけの絵や透視台、 図鑑や百科事典などの資料がいっぱい。 模型飛行機やプテラノドンが天井からブラブラ、 ランプや絵などの色がとっても印象的。 おじいさんから受け継いだだけに、 昔風でジブリ作品のイメージがあふれた部屋です。 全館にアニメーションの作り方がわかりやすく展示されています。 童心に戻ってゆっくりと楽しみ、 森の緑の中で、ソフトクリームを食べ、 一日中いたいと思いながら外に出る。 井の頭恩賜公園 1917年(大正6)に、日本最初の郊外公園として開園。 武蔵野の面影を色濃く残す雑木林に囲まれています。 公園の中に、 「竪穴式住居発掘記念碑」があります。 約1万年前の石器時代の遺跡です。 ここには大規模な遺跡群がひろがり、 「御殿山遺跡」と呼ばれています。 湧水 「御茶ノ水」もあります。 狩りに来た徳川家康が、お茶をたてたと伝えられています。 詩人・野口雨情の碑が、井の頭池のそばに建っていました。 碑には、彼の作った「井の頭音頭」の一節が刻まれています。 鳴いて さわいで 日の暮れごろは 葦に行々子(よしきり) はなりゃせぬ 雨情 「赤い靴」、「七つの子」「青い目の人形」など、 多くの童謡や民謡を作った人です。 吉祥寺北町に住んでいた雨情は、 この公園によく訪れたそうです。 雨情の書斎 「童心居」は、 井の頭自然文化園に移築されています。 公園に次のような掲示板がありました。 よみがえれ!! 井の頭池 ! 公園のシンボルともいうべき 井の頭池。 春になると周辺に500本の桜が咲き誇るほど大きい池です。 水辺には多種、多様な鳥がいます。 昭和30年代までは、水が澄んでいて、 池の底が透き通って見えたそうです。 今では、池の鯉は、水面に浮き上がってくるところを 見るしかありません。 かつては水質が良く、豊かな水量に恵まれていました。 江戸時代には神田上水をつくり、 市民に飲み水を供給していたのです。 戦後、市街化が進むにつれて地下水位が低下し、 湧き水が枯渇し、水質も次第に悪化。 現在は湧き水を増やすため、地域と協力して、 雨水浸透施設を設置したり、いろいろな努力をしているそうです。 えさやり防止キャンペーンにも取り組んでいます。 「生き物に必要なのは、人からのエサではなく、 自分で食べ物を採れる場所です」 「風の谷のナウシカ」の物語のように、 清らかな水と土は、自然環境を浄化する木々を育てるのです。 美しい水は、文化 ・・・・・ 多くの文人が住んでいた三鷹、どんなところでしょう。 三鷹あたりは、江戸時代、徳川家などの鷹狩が行われていました。 明治になって、三鷹村になりました。 獲物を見つけるや、ものすごい速さで、 舞い降り、鋭い爪で襲いかかる。 そんな鷹の姿が浮かびます。 今は、みどり豊かで、のどかな町です。 JR中央線の三鷹駅に降りると、 やさしい陽光がふりそそいでいます。 南口に、真っすぐな中央通りが伸び、 たくさんのお店が並んでいます。 にぎやかなその通りに、 文人たちの碑がありました。 最初に出会った碑は、 赤とんぼの詩です。 夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負はれて見たのは いつの日か・・・・・ よく耳にしますね。 女の子と幼子の像が飾られています。 作詞は、 三木露風、抒情あふれる作風の象徴派詩人です。 彼は、昭和3年から39年まで、三鷹村牟礼に住んでいました。 この詩は、キリスト教を信仰していた露風が、 大正9年、講師として北海道トラピスト修道院にいたとき 作ったものです。 すぐ近くに、 山本有三の碑。 この世に生きているものは、 なんらかの意味において、 太陽に向かって 手をのばしていないものは ないと思います。 戦争中で本が手に入らなかったころ、 山本有三は、自宅に ミタカ少国民文庫をつくり、 自分の蔵書を地域の子どもたちに読ませていました。 現在、その邸宅は三鷹市に寄贈され、 山本有三記念館となっています。 方向が違うので、次回に立ち寄ってみましょう。 向かい側の歩道には、 武者小路實篤の碑があります。 人間萬歳 實篤 と直筆が刻まれ、 地球を掲げたモニュメントが飾られています。 プレートには 、『人間萬歳』(狂言)の 天使と隣りの神様の会話が刻まれています。 天使 私のおります世界に、こう云う人間 (小さい人形を見せ) がおります。 あなたの宇宙にはこう云う生きものは おりませんか。 隣りの神様 一寸お見せ下さい。 ええ、いたことがあります。 今は滅亡しましたが。 天使 ええ、滅亡した? あなたはそれをお救いにならなかっ たのですか。 隣りの神様 彼等はよろこんで死んだのです。 彼等は実に 不思議な生物でした。 略・・・・・ 読んでいくと、プレートが磨り減ったのか、 誰かにいたずらされたのか、 傷がついて、後ろにいくにしたがって読めなくなっています。 これでは、悲しいですね。 人間萬歳とは言えなくなります。 武者小路實篤は、1940年(昭和15)55歳の時に、 三鷹村牟礼に家を買って引越してきています。 『牟礼随筆』(抄)・ 「真剣な仕事」の書き出しは、 この世に生きていることは楽ではない。 次に、 太宰治の碑があります。 近代文学を代表する作家です。 1909年(明治42)6月19日、 青森県北津軽の裕福な新興地主の家に生まれました。 今年は、太宰の生誕100年! 碑には、小説『斜陽』の一節が刻まれています。 午後の三時頃で、冬の日が、お庭の芝生にやわらかく 当っていて、芝生から石段を降りつくしたあたりに 小さいお池があり、梅の木がたくさんあって、 お庭の下には蜜柑畑がひろがり、それから村道があって、 略・・・・・ 「柔らかな景色ねえ」 とお母さまは、もの憂そうにおっしゃった。 太宰の本名は、津島修治。 1939年(昭和14)30歳の時、結婚して、現在の三鷹市下連雀に住み始め、 『惜別』『お伽草紙』などの作品を書きました。 その後、人間の信頼と友情を表現した 『走れメロス』、 そして、キリストとユダをえがく 『駆込み訴へ』など、 数々の秀作を生み出します。 太宰は、三鷹で見る夕陽を次のように書いています。 毎日、武蔵野の夕陽は、大きい。 ぶるぶる煮えたぎって落ちている。 『東京八景』 その頃の暮らしぶりは、友人だった 亀井勝一郎の文章で 知ることができます。 その話を要約すると、 初夏になると玉川上水には、 ほたるが飛び、 夜は暗くて寂しい所だったようです。 太宰の住む家は、駅から遠く、 村や畑を通り抜けていかなければなりません。 平凡でめだたない貸家に、 ひっそりとつつましい暮らし。 部屋は八畳、四畳半、二畳が一間ずつに、台所。 八畳間が、書斎兼、客間兼、寝室です。 太平洋戦争がはじまっても、 太宰にはふしぎに「戦時気分」というものが 全然見られなかったようです。 空襲があっても、鉄かぶとをかぶることもなく、 相変わらずのジャンバー姿で下駄を履き、 夕方になると、三鷹から吉祥寺の酒場へとあらわれるのです。 仕事ぶりは実に規則的で、午前中に原稿五枚と決めれば五枚を必ず書き、 一日のノルマを終えて、夕方には酒をのむ。 終戦近くに疎開するまで、こうした規律ある生活の連続でした。 仕事が終った後の談笑は実に明るいのです。 といったような、三鷹での暮らしぶり。 反俗、反秩序の 「無頼派」で知られる太宰とは まったく違った面がみられますね。 戦後の混迷期においても、 次々と充実した作品を発表していきます。 しかし、戦後の人間や社会に対する太宰の絶望は深かった。 敗戦後も、人の世の悪は変わることなく続く、とうつったようです。 人間の悲しみ、苦しみを、自らの内部をえぐるようにして書く太宰。 1948年(昭和23)、人間存在の本質をえがこうとした、 『人間失格』を発表しました。 それは 「人間合格をねがう無垢の魂」の小説といわれています。 その後、6月13日、 玉川上水に、女性と共に身を投じました。 ちょうど梅雨時の長雨で、捜索が難しく、 ふたりの遺体が発見されたのは、6月19日の朝でした。 6月19日は、生きていれば、太宰治の満39歳の誕生日。 毎年その6月19日には、 太宰を偲ぶ 「桜桃忌 おうとうき 」が行われています。 作品 『桜桃』にちなんだものです。 死の1ヶ月前に発表されたこの小説には、 自殺寸前のせっぱつまった心境がえがかれています。 冒頭には、旧約聖書の詩篇の1節が書かれています。 われ、山にむかひて、目を挙 あ ぐ。 聖書には 、「わが救ひはいづこより来るや」 と続くのですが・・・・・、 太宰は意図的かどうか、書いてはいないのです。 そのときの太宰は、救いを求める声もあげられず、 ただ神をみつめるほかなかったのでしょう。 家では3人の子どもを抱え、子煩悩だった太宰。 でも、 「桜桃」の父は、 「子供よりも親が大切」と 心の中で虚勢みたいに呟くのです。 その父は、優しさゆえか、妻に声出して文句も言えず、 仕事どころではなく、気まずくなって家を出た後、 酒を飲む場所に行く、桜桃がでる。 「私の家では、子供たちに、ぜいたくなものは食べさせない。 子供たちは、桜桃など、見た事も無いかも知れない。 食べさせたら、よろこぶだろう。 父が持って帰ったら、よろこぶだろう。 蔓を糸でつないで、首にかけると、 桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに 食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、 そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、 子供よりも親が大切。 」 そして、6月13日、玉川上水に入水するとき、 子どもたちに残した、 蟹の玩具・・・・・。 なんと切ない生だったのか・・・・・。 桜桃をしのんで 「桜桃忌」が近いので、お墓に参ってみましょう。 禅林寺は、生前の太宰がよく散歩で訪れたお寺です。 森鴎外の墓があるので心がひかれていたのでしょう。 中央通りから右に折れ住宅街に入っていくと、 幼稚園の前に出ました。 幼児たちの大きな声が聞こえています。 例によって、道がよく分かりません。 通りがかりの人に聞くことになってしまいます。 でもこれがいいですね。 その町の人と話ができて・・・・・。 禅林寺はすぐ近くにありました。 「森林太郎墓」と刻まれた森鴎外の墓の斜め向かいに 太宰の墓があります。 自署の 「太宰治」の文字が刻まれています。 たむけられた芍薬や百合や紫陽花が、 やわらかな陽光の中で花を開かせていました。 紋白蝶がふわりと飛んで、 蟻が一匹、 大地に散った、黄色い木の葉の上を、 歩いています。 没後60年、太宰治は、今も多くの人々に読み継がれ、 「桜桃忌」には、たくさんのファンが訪れています。 毎年6月19日には、「三鷹市芸術文化センター」で 太宰治朗読会が開かれるようです。 旧弾正橋(きゅうだんじょうばし)、 現在は、八幡橋(はちまんばし)と名称も変わり、 八幡堀遊歩道に架かっています。 長さ15. 2メートル、幅2メートル。 造られた当時は、さぞモダンだったのでしょう。 アーチ型で、今でもとても趣が感じられます。 もとは京橋区楓川(いまの中央区宝町3丁目付近)に架かっていました。 関東大震災後に現在のところに移設されました。 近くに島田弾正屋敷があったので、弾正橋と呼ばれていたそうです。 この橋は、馬場先門から本所深川とを結ぶ主要街路の一つで、 文明開化のシンボルとして架けられたそうです。 ということは、こんな歌が流行っていたころでしょうか。 半髪頭 はんぱつあたま をたたいてみれば、因循姑息な音がする 総髪頭 そうはつあたま をたたいてみれば、王政復古の音がする ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする (ちょんまげ頭(半髪頭)の者を見てごらん。 あれは「わたしは古いものにしがみついていて、 いつまでも昔からの考えを変えられないのです」 という気持ちをよくあらわしているものなんだよ。 総髪頭は、ちょんまげよりも少しはいいけれど、 しかし、王政復古のころの考えでとまっている人だね。 それにくらべてざんぎり頭の人は、文明開化の波に乗って いちばん先に進んでいる人だ) 『スーパー日本史』より ほとんどの人がざんぎり頭になったのは、 明治22年(1889)頃だそうです。 ざんぎり頭とは、現在の一般的な髪型に近いものです。 明治維新になってから20年もかかったのですね。 ヘアースタイル改革が・・・・・。 それは、 心の問題でもあったのでしょう。 橋を渡ってみようと遊歩道を通り抜け、 ぐるりとまわって橋に出ました。 辺りの風景は、懐かしい想いを抱かせる家が並んでいました。 この橋を見ていると 江戸と深川地域を結んだ永代橋に行きたくなりました。 もときた永代通りをぶらりとお散歩です。 福島橋を渡ると、案内板がたっていました。 佐久間象山砲術塾跡 この場所は、信濃国 しなののくに:長野県 の 松代藩 まつしろはん 下屋敷があったところだそうです。 この深川小松町(現在の永代1丁目)で、 佐久間象山(松代藩士) は、西洋砲術を教えたと書かれています。 象山は、幕末の兵学者・思想家として活躍した人です。 勝海舟も学びにきたそうです。 象山の門下生には、 吉田松陰や 坂本竜馬もいました。 幕末を動かした人物たち、 ここ深川で出会うとは! 日本に開国を求め、 アメリカから軍艦を率いてペリーがきた頃、 日本は鎖国中。 しかし、いまだ鎖国令を守る幕府には何の策もない。 こうなれば禁令を破っても渡航するよりほかに方法はない。 そうして下田港にアメリカの艦船が入ったのを機に、 密航を企てた松蔭。 が、失敗に終わります。 下田の番所から江戸の北町奉行所へ護送される途中、 高輪泉岳寺の前で、次のように歌を詠みました。 このような歌を詠ったのは・・・・・。 この事件で、 佐久間象山も松代に蟄居 ちっきょ となっています。 時代は、江戸から明治へと移っていきました。 たちかえる わが古里の 墨田川 昔忘れぬ 花の色かな 『氷川清話』 勝海舟が、徳川家が移った静岡へ引き払う時の歌です。 江戸城無血開場を果たし、百万の江戸市民を救った勝海舟。 交渉相手は、そのとき大総督府参謀であった西郷隆盛でした。 勝海舟を尊敬していた坂本龍馬の歌も残っています。 世の人は われをなにとも ゆはゞいへ わがなすことは われのみぞしる 世の中を新しくしょうと願った人々は、 動乱の幕末から明治へと駆け抜けていったのです。 吉田松陰は、1859年(安政6)30歳の若さで獄死。 佐久間象山は、1864年(元治元年)、 京都で攘夷派の浪士に暗殺されました。 享年54才。 坂本龍馬は1867年(慶応3)、京都近江屋の2階で 中岡慎太郎と共に刺客に暗殺されました。 33歳でした。 46歳で明治をむかえた勝海舟は、その後も活躍し、 1899年(明治32)に77歳で亡くなりました。 この地にたたずんでいると、 幕末の世を動かした多くの人々の声が聞こえてくるようです。 永代橋 橋の上を大きなトラックやタクシーがひっきりなしに 行きかっています。 巨大アーチの下部に鉄条網が張られていました。 よじ登る人がいるのでしょうか。 アーチは、近くから見ると大きな鯨の胸骨か 巨大恐竜の背骨のようにも見えます。 子どもの頃、こういった傾斜をよじのぼりたいと思ったことは ありませんか。 でも永代橋は大きすぎ! 登ろうとしてはいけません。 危険すぎます。 現在の永代橋は、大正15年 1926 に竣工したものです。 ドイツのライン川に架かる レマーゲン鉄道橋がモデル。 橋の近くに 赤穂義士休息の地といわれる場所があります。 吉良邸討ち入りの日は、元禄15年12月14日のこと。 碑によれば、 赤穂四十七士の一人大高源吾子葉は俳人で、 この場所にあった「ちくま味噌」の 初代竹口作兵衛木浄とは俳界の友でした。 二人は、俳諧師・基角の門下生。 討入本懐を遂げた義士たちが永代橋へ差し掛ると、 作兵衛は一同を店に招き入れて、 甘酒粥をふるまい労をねぎらった、 と書かれています。 江戸時代の 永代橋は、元禄11年 1698 に架けられ、 現在の場所から100メートル上流にありました。 義士たちはその橋を渡って泉岳寺に向かったのでしょうか。 当時、この界隈は全国の物資が集まる倉庫街。 富岡八幡宮の造営などで発展し、開発が進められていたのです。 しかし、悲劇は思わぬときにやってきました。 文化4年 1807 8月19日、八幡祭の大祭が行われた日、 祭礼見物の多くの人を乗せた橋が崩落。 死者、行方不明あわせて1400人以上という大惨事が起こりました。 その悲しみを乗り越え、 江戸市中との架け橋となり、 深川発展の象徴となった永代橋なのです。 清澄通りを海辺橋の方に歩いていくと、 平野一丁目になります。 滝沢馬琴 ばきん 誕生の地 沢山の本を積み上げた 碑があります。 これは 「南総里見八犬伝」の読本をかたどったものです。 馬琴は本名・滝沢興邦 おきくに。 明和4年 1776 旗本松平家の用人の五男に生まれました。 九歳で父を亡くしたので、 童小姓 わらべこしょう として仕え、一家を支えました。 14歳の時、耐えきれずに主家を逃げ出してしまいます。 24歳になると、文筆で身を立てようと、 当時、人気者の戯作者 山東京伝に入門。 京伝の世話で有名な版元・蔦谷重三郎とも出会い、 黄表紙 当時の風俗を言葉と絵とで表現したもの を書き始めました。 寛政3年 1791 、 京伝門人大栄山人の名で処女作、 黄表紙 「尽用而二分狂言 つかいはたしてにぶきょうげん」を発表。 以後、勧善懲悪、因果応報を内容とした読本を数多く著し、 読本作家の第一人者となっていきます。 生涯の代表作 「南総里見八犬伝」は、 長編で全98巻、106冊。 積み重ねると大人の背丈ほどになります。 文化11年(1814)から、天保13年(1842)の28年間に 21回にわたって刊行され続けたものです。 48歳のときに書き始め、 書き終わったのは、76歳でした。 作品は爆発的なベストセラーになりましたが、 その最中、最愛の長男を亡くします。 馬琴も眼を患い視力が衰えて、とうとう失明してしまいます。 その絶望を支えたのが長男の嫁・お路でした。 お路に字を教えながら、口述筆記で書き続けたのです。 必死の努力は、作品の完成によって報いられました。 いま、この作品を読めるのも お路さんのお陰ですね。 馬琴が亡くなったのは『南総里見八犬伝』完成の6年後、 嘉永元年 1848 、82歳でした。 残した著作は、読本、黄表紙から随筆にいたるまで約470種。 仙台堀川に架かっている海辺橋を渡りました。 「消火器」と大きな看板を掲げたお店があります。 消火器専門店というのを初めて見ました。 地球儀の形をした消火器がウインドウに飾られています。 並びには、珍しいその名も高級 らんま美術のお店があります。 欄間 らんま に飾る透かし彫りの飾りが並んでいます。 門前仲町の交差点を過ぎ、 大横川に架かる黒船橋を渡ると、 牡丹一丁目。 粋な町名ですね。 江戸時代から 粋 イキ と 張り ハリ を売り物にしたのが深川気質です。 このあたりには、牡丹の花が咲いていたのでしょう。 明治時代の開明東京名勝「深川富ケ岡の牡丹」を見ると 美しい牡丹が描かれ浮世絵風の女性と女の子が見入っています。 四世・鶴屋南北 牡丹一丁目の住宅街の中で、 黒船稲荷神社を見つけました。 この地で 四世・鶴屋南北が亡くなっているのです。 あの 『東海道四谷怪談』の作者です。 子どもの頃、怖くて怖くて、 そう、今でも怖いのですが・・・・・ 宝暦5年 1755 、日本橋で紺屋の型付け職人の子として 生まれました。 幼いときの名前は源蔵といい、 家の近くには歌舞伎の中村座や市村座がありました。 そのせいか、芝居好きになり、 21歳のとき、家業を捨て芝居の世界にとびこむのです。 長い下積み生活の末、 50歳近くになって、ようやく立作者 主任作者 となることが できました。 文化元年 1804 、河原崎座上演の 「天竺徳兵衛韓話 てんじくとくべえいこくばなし 」を書き下ろし、 大当たりをとります。 以降、多くの傑作を書きました。 文化8年 1825 には、 四世・鶴屋南北を襲名し、 当代随一の名作者といわれるようになったのです。 『東海道四谷怪談』は、71歳の時の作品です。 南北の作品は、怪奇で残酷、また卑猥で滑稽といわれますが、 文化文政時代の世相を的確につかみとり、大胆に表現したのです。 そして、75歳で亡くなるまで戯作を書き続けたエネルギーも すばらしいものです。 永代通りに戻り富岡天満宮に参詣です。 伊能忠敬 ただたか 永代通りは天満宮への参詣道。 深川仲町通り商店街を進むと 左に大きな鳥居が見えてきます。 横には、 近代日本地図の始祖・伊能忠敬の銅像が建っています。 江戸時代に、日本全国を測量し、 はじめて実測で日本地図を完成させた人です。 忠敬は、延享2年 1745 、現在の千葉県で生まれました。 17歳で伊能家の婿養子となります。 家業をこなし、名主としても活躍しました。 50歳の時、家督を長男に譲り、 江戸に出て前から興味のあった天文学を 本格的に学びました。 江戸深川の黒江町(現在の門前仲町1)に住み、 天文学の第一人者・高橋至時 よしとき のもとで、 昼夜を分かたず猛勉強。 天体観測に熱中していた忠敬は、 日本人で初めて、 白昼、金星の南中 真南にくること を観測したのです。 18世紀頃の日本では、あらゆる人々が暦学や天文学に 心惹かれていたようです。 八代将軍吉宗をはじめ 武士、商人、船頭、医者、通辞 通訳 、酒屋、質屋、 経世家 経済政策立案者 、思想家、和算家、等々。 いろいろな職業の人々がこぞって興味を持っていたのですね。 天文学を学んでいると、地球のことを知る必要があります。 月と地球との距離を測ろうとすれば、 地球の大きさをもとにしなければなりません 至時と忠敬の師弟は、地球の大きさについての 正確な数値を得たいと考えていました。 そのことが緯度差と南北距離を測る旅につながっていきます。 思わず銅像の足元を見つめてしまいました。 50歳半ばから70歳代まで、 日本中を歩いたのは、およそ4千万歩。 約33,720キロメートル。 もう少しで地球を一周するほどの距離です。 その情熱、努力、そして健脚ぶりに驚きです。 測量に出かけるときには、内弟子と従者をつれ、 必ず富岡天満宮に無事を祈念して、歩き出したということです。 寛政12年 1800 閏4月19日の日記には、 閏四月十九日、五つ前深川出立。 上下六人。 この日朝より小雨。 昼後にやむ。 深川八幡宮参詣。 それより両国通り。 浅草司天台へ立ち寄り、高橋先生宅にてお酒給う。 荷物は深川より直ちに千住の宿に積み込む。 享年は、数え年で74歳でした。 富岡天満宮 横にある陣幕 じんまく ・不知火 しらぬい 顕彰碑には、 二人の力士の力強い像が刻まれています。 その上に見えるのは、日と月が彫られた日月 じつげつ 石寄附碑。 大関力士手形之碑もあります。 その手形の大きさにはびっくりしました。 今回は、江戸の記憶がいっぱい詰まっている町の さんぽでした。 それにしても、滝沢馬琴、四世・鶴屋南北、伊能忠敬の三人は、 そろって、その時代にしては、非常に長命! 目的をもつと、ひとは高齢になればなるほど 人生を最高に楽しむことができるのですね。 見習いたいものです。 命尽きるまで現役、というのはいいですね。 資料: 『南総里見八犬伝』安西篤子著 集英社文庫 『日本の古典18巻:東海道四谷怪談ほか』世界文化社 『伊能忠敬』今野武雄著 新日本新書 『こうとう文化財まっぷ』江東区教育委員会 『富ヶ岡No. 54』富岡八幡宮社報 『お江戸の歩き方』監修・竹内誠 学習研究社 入り口の階段には、投句箱が備え付けられていました。 階段を上がったところには、芭蕉像。 隅田川を見つめているようです。 何を考えているのでしょう。 九年の春秋、市中に住み侘びて、 居を深川のほとりに移す。 「長安は古来名利の地、 空手にして金なきものには行路難し」 と言ひけむ人の賢く覚えはべるは、 この身の乏しきゆゑにや。 (江戸市中に住んで9年。 今深川に住みかえた。 中国の長安の都は、名誉と利欲を追う町で、 お金のない人には、住みにくいそうだが、 貧しい者にとっては、江戸の町も同じようなものだ。 ) 芭蕉は深川に転居後、 人生と俳諧の求道者として、生きていったようです。 芭蕉稲荷神社 すぐ前に、 芭蕉稲荷神社。 史跡・芭蕉庵跡という碑があります。 大正6年(1917)大津波があり、 出土したのが、 「芭蕉遺愛の石の蛙」。 その時、地元の人々によって祀られた神社です。 大正10年、東京府はこの地を 「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。 なぜか神社の木に、良寛が鍋の蓋 ふた に書いた 「心月輪」の複製が架かっています。 心が月のように澄むことを願って かけられているのでしょうか。 脇で、 「箱庭」を造っているおじさんがいました。 苔むした岩肌に木が生え、鳥がとまり、小さな花が咲いています。 まさに 四季おりおりの小さな箱です。 「写真をとってもいいですか」 「いいよ」 「完成するのに幾日くらいかかりますか」 「う〜ん・・・・・」 「そうだ、完成なんてないのですよね。 自然には!」 土をいじる指先に愛情があふれています。 静かな人です。 もう一度会いたくなる人でした。 芭蕉は、ここで運命的出会いをします。 臨済宗の 仏頂 ぶっちょう 和尚です。 37歳の芭蕉は、ここで禅の修行をはじめました。 和尚のもとで新しい人生観を持ち、 生き方まで変わりました。 俳諧も 詩禅一致の作風へと移っていくのです。 芭蕉は草庵で坐禅しながら 自らの心を見つめ、 いよいよ行脚の修行に入ります。 貞享元年 1684 41歳になった芭蕉は、 『野ざらし紀行』の旅に出ました。 その旅で、理屈を離れたありのままの俳諧が生まれていくのです。 馬上の吟 道のべの 木槿 むくげ は馬に 食われけり (道ばたに咲いていた木槿の花は、 私の乗っている馬にパクリと食われてしまった。 何事が起こったというわけではないが、 ついさっきまで咲いていた花は、 もう影も形も無い。 唐突のようでもあり、 当然のような気がして、 なんだか瞬間に幻をみたような思いである) 『芭蕉文集』新潮日本古典集成より この句の境地は、 その後、芭蕉の俳諧の方向を決定していったのです。 月はやし 貞享4年 1687 、44歳の時、 鹿島に仏頂和尚をたずねました。 あいにくの雨、月も見えません。 夜明け頃、少し晴れてきたので、 和尚は芭蕉を起こして歌をなげかけます。 をりをりに かはらぬ空の 月かげも 千々 ちぢ のながめは 雲のまにまに 和尚から芭蕉に対する問いかけです。 (天空の月はいつも同じ光を放ち、 澄みきっている。 それなのに、月にかかる雲の激しい流れによって、 さまざまに変わって眺められるのは何故だ、 いかに!) という禅の公案のようです。 私たちがさまざまに悩むのは、 本来は変わらないはずの月の光を 迷いの雲がかかって、見えにくくなるのと同じ という意味を託した歌です。 芭蕉は、いきなり「月はやし」と答えます。 月はやし 梢は雨を 持ちながら (月は雲の中を突っ切るように 猛スピードで走っている。 雨が降っていたので、 雲はいまだに激しく動いている。 疾走する月から、千々にくだける月光。 その下では、木々の梢が雨をたっぷりと含んで、 きらめき、しずくをしたたらせている) 普通には、 月が走っているわけがない、 雲が速く動いているのではないか、 と思われます。 それを超えた境地、 見たまま感じたままの自然の姿を、 詠って返答しました。 力味も理屈もきれいに抜けた句。 和尚の真意をしっかりとさとっています。 臨川寺を後にして少し歩くと、 道ばたに花が咲いている清楚な小道がありました。 小道を抜けると清澄庭園の前に出ました。 このあたりは、お寺や大名屋敷が多かったようです。 清澄庭園は豪商紀伊国屋文左衛門の邸宅だったとのこと。 芭蕉記念館で購入した『ゆこうあるこう・こうとう文化財マップ』には、 広重や北斎などの名所図会がたくさん載っています。 それだけ名所が多い深川です。 ゆっくり歩いてみましょう。 隅田川河口の左岸地域一帯は 400年ほど前、葦が生い茂った三角州でした。 その頃、開発の先頭に立っていたのが、攝津国出身の深川八郎右衛門。 まもなく徳川家康が関東に入国、急速に発展し、 深川村と名付けられました。 芭蕉のこと 都営新宿線森下駅のA1出口に、 春の陽光がまぶしく射しています。 町は桜が満開。 芭蕉記念館に向かいながら、想うのは芭蕉のこと。 芭蕉は、寛永21年(1644)三重県伊賀に生まれ、 13歳の時、父を亡くし、 10代の後半、藤堂新七郎家の嫡子良忠に仕えます。 その時は、 忠右衛門宗房と名乗っていました。 藤堂家は俳諧好みでした。 良忠の寵愛を受け、ともに季吟に師事して 俳諧に研鑽を積みます。 ところが芭蕉23歳の時、若くして良忠が亡くなってしまいます。 しばらくは、藤堂家に仕えていたようです。 29歳の1月には、発句合『貝おほひ』を執筆し、 伊賀上野の天満宮に奉納しました。 これを持って、 いよいよ俳諧師になろうと江戸をめざします。 芭蕉は江戸に来て以来、 生活のため、名主の業務の代行をしたり、 神田上水の水道工事を請け負ったりしていました。 手助けに、故郷から、16歳の甥・桃印も呼びました。 仕事の信頼も厚く、人を使う才覚もあったようです。 35歳頃には、俳諧宗匠・ 桃青として認められるようになりました。 37歳の時に、 『桃青門弟 独吟廿歌仙』を刊行し、 門弟の杉風 さんぷう 、卜尺 ぼくせき 、基角、嵐雪たちに囲まれる そうそうたる俳諧宗匠になっていました。 それなのに、どうしたことか日本橋小田原町の暮らしを捨て、 突然深川に移ってしまいます。 何かあったと察せられます。 深川と芭蕉 そよ風の中、少し歩くと、 「江東区芭蕉記念館」。 大きな芭蕉の株があります。 その実はバナナ。 当時は新奇な植物だった芭蕉。 門人から贈られ、生い茂ったので いつのまにか 芭蕉庵 ばしょうあん と呼ばれるようになりました。 玄関先に竹があり、 芭蕉の句がつけられていました。 芭蕉野分けして 盥 たらい に雨を 聞く夜かな (暴風が吹き荒れて、庭の芭蕉の葉に吹き当たる風雨の音が激しい。 雨漏りがする草庵の中では、盥にしたたる水音が絶えることがない。 これが侘しいわが住まいなのだ) 芭蕉は、その時の心情を、 芭蕉野分けして、と字余りにして、強調しています。 当時、次のような句も詠んでいます。 櫓 ろ の声 波ヲうって腸 はらわた 氷ル 夜や涙 (夜は寒風がきびしく、舟の櫓をこぐぎいぎいときしる音だけが、 波の上を伝わってくる。 草庵でひとりその音を聞いていると、はらわたが凍る思いがする。 寂しくて思わず涙を落としとまらない。 苦い涙が・・・ よほど孤独を噛み締めていたのでしょう。 深川では、すべてのものを失うことをも覚悟していました。 記念館の中庭では ふるいけや 蛙飛びこむ 水の音 合 あわせ とは句を詠みあい、 2句ずつを比べてどちらが優れているかを競ったもの。 その時、江戸蕉門の精鋭40人が集まったそうです。 俳諧の先人・宗鑑、荒木田守竹、松永貞徳などの書幅、書簡が 展示されています。 芭蕉の 「おくのほそ道」コピー版がありました。 開かれた頁の2箇所に紙が張られ、 その上に新たに手直しの文字を書いたこともわかります。 芭蕉の息づかいが伝わってくるようでした。 月日は 百代の過客 「おくのほそ道」の冒頭はあまりにも有名です。 旅のテーマが語られます。 月日は 百代の過客にして 行きかふ年も また旅人なり (月日は永遠の旅人であり、行く年来る年もまた旅人である。 すべては移り変わっていくものだ) 弥生も末の七日、 明けぼのの空朧々として、 月は在明にて光おさまれるものから、 不二の峰幽かに見えて、 上野・谷中の花の梢、 またいつかはと心ぼそし。 芭蕉は、桜に思いを残しつつ旅立ちました。 桜については、こういう話があります。 「おくのほそ道」が完成する前年の元禄6年春のことです。 自ら江戸に連れてきたのに、一時絶縁状態にあった甥の桃印は、 長く肺結核を患っていました。 芭蕉は、病んだ桃印を芭蕉庵に引き取り、献身的な看護をしますが、 3月7日ごろには病状は絶望的になります。 弟子の許六が、桜を持って見舞いに来ました。 その枕辺の桜を見ながら、桃印は息を引き取ったそうです。 この不敏はかなきことども、 思ひ捨てがたく、 胸をいたましめ罷りあり候。 見事な花、御意に懸けられ、 病人にも花の名残りと存知見せ申し候ふ間、 悦び申し候。 許六宛書簡 桃印が亡くなった直後、宮崎荊口 けいこう 宛書簡では、 拙者、当春、猶子桃印と申すもの、 三十まで苦労に致し候ひて、 病死致し、この病中、神魂をなやませ、 死後断腸の思ひ止みがたく候ひて、 清情草臥 くたびれ 、 花の盛り、春の行方も夢のやうにて暮らす、 句も申し出でず候。 そこには、自ら看病にあたり、心身ともにぼろぼろになりながらも、 桃印をいとおしむ芭蕉がいます。 芭蕉の心には、もっと早く救うこともできず、 病によって死なせてしまったことへの 激しい自責の念があったようです。 この桃印とのことが、芭蕉の深川隠棲の謎と 関係しているようなのです。 芭蕉は、桃印の新盆が過ぎてから、 芭蕉庵をしばらく閉ざし、面会をいっさい断りました。 その間、 「おくのほそ道」の完成に向けて書き綴っていたといわれます。 芭蕉の書くという行為は、自らの魂の救済だったのかもしれません。 庭の奥にも一本の桜。 風に舞う花を眼で追い、外に出るとそこは隅田川。

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はめ つの おう こく あらすじ

版権画集とルミナスクロックが付属(豪華版)• デスクトップアクセサリー詰め合わせディスクが付属(通常版) ゲーム:桃華月憚 -光風の陵王- ゲームジャンル 対応機種 発売元 メディア DVD-ROM:1枚 発売日 (DXパック) 2009年10月1日(通常版) レイティング : B セーブファイル数 10 キャラクターボイス フルボイス アニメ: 桃華月憚 原作 「桃華月憚」 監督 シリーズ構成 キャラクターデザイン 音楽 アニメーション制作 製作 「桃華月憚」製作委員会 放送局 参照 放送期間 - 話数 全26話 - プロジェクト 、 ポータル 、 『 桃華月憚』(とうかげったん)は、にのROOTブランドより発売された。 及び、それを原作として放送されたである。 には、への移植版『 桃華月憚 -光風の陵王-』がより発売された。 桃歌台学園2年A組生徒。 繊細な容姿の美少年で、守東由美子の息子。 自宅では娘として扱われており、している。 だが、豪胆放逸な性格ゆえに本人は気にしていない。 女好きではあるものの好きな人に対しては誠実。 犬飼真琴からは「とーちゃん先輩」と呼ばれる。 桃歌台学園2年A組生徒で、天文同好会に所属。 カチューシャのリボンが特徴的な膝頭まである長髪。 本人の意思ではないが、春彦の許婚。 マイペースな性格で、おっとりしているが、ややで。 天然の為か空気を読まないツッコミをして相手を怒らせることも。 桃香のことは弟のように思っている。 犬飼真琴からは「桃先輩」と呼ばれる。 人気小説家。 30代前半のはずだが、蠱惑的な肢体と女子大生にしか見えない若々しい美貌を持つ。 箱入りのお嬢様で精神的に幼く、無邪気で愛らしい性格。 桃香を溺愛している。 彼女の住む離れは、「お化け屋敷」という別名を持つ。 桃香の女装は、桃香を娘だと思い込んでいる彼女のため。 髪型は2つに結んだお団子頭に、ウェーブのかかったロングヘア。 海外の一流大学を卒業した才媛。 広報のごく初期には海外大卒に加え、日本で医師免許を習得していたとの設定があったが、ゲーム内では明記されていない。 使用人として働いている理由は一切不明。 本人曰く、「が着てみたかったから」。 桃香にとってはかつ姉のような存在。 守東清春の息子で、桃花の許婚。 由美子の従弟に当たる。 不良を気取っているが、良家のお坊ちゃん的な所も見え隠れする好青年。 守東家の現当主で、桃歌台学園の理事長。 由美子の伯父でもあり、話のわかる礼儀正しい紳士。 階級意識は高い。 清春の秘書。 途中から学園に編入させられることになる。 春彦のことを気にかけている。 恰幅のよい中年女性。 なぜか他人の秘密(魔術とは無関係の、生活上のもの)に詳しい。 たくましい体格の男性。 料理人たちに食材を自ら探させることもある。 桃香に興味を抱いている。 天文同好会に所属。 ショートヘアに飛び跳ねた2つのが特徴。 守東家に使用人として仕えながら、学園に通っている。 桃花とは仲が良く、学園ではいつも一緒にいる。 とても子供っぽい性質。 喋り方が特徴的で、音楽用語が混じることも。 通称「明日菜姫」。 胡蝶歌劇団(合唱部)に所属。 透き通るような綺麗な声の少女で、理子に合唱部のホープと称されたことから、声楽の腕前も優れていることがうかがえる。 ウェーブがかった淡い栗色の毛を青いカチューシャで止めている。 あどけなさが残る整った清楚な顔立ちと華奢でありながら大きな胸と、かなり容姿に優れた美少女。 物語で唯一、明確に初めから桃香のことが好きだった少女だが、持ち前の気性からしばらくは自分の気持ちに気付かず、気付いてからもなかなか告白出来ない。 人見知りをして気が弱くも優しく、気性は穏やか。 八つ当たりはしない気質。 料理もこなし、裁縫をするなど、家庭的。 少し天然の嫌いはあるが、かなりの常識人でもある。 巫女的素養を持つ。 茶道表桃家(茶道部)に所属。 癖っ毛がコンプレックス。 天文同好会に所属。 占いマニアである。 主人公と桃花のクラスメート。 高めの位置で結ったと眼鏡が特徴の毒舌家。 地味だが、姉御肌で面倒見が良く、真琴達と仲が良い(特に真琴に好意を寄せている)。 情報通で、学園内部の2大ソサエティー「蓮会」と「二宮会」のことに詳しい。 実は隠された顔を持つが、それは彼女と昔から付き合いがある者しか知らない。 クラス委員長。 剣術同好会に所属。 規律に厳しい性格で、気ままな桃香や桃花をよく注意している。 岸辺 斗亞子(きしべ とあこ) 声 - (PC・PS2同じ) 身長:168 cm、スリーサイズ:B85 cm B W59 cm H85 cm、誕生日: 桃歌台学園2年B組生徒。 剣術同好会に所属。 章子とは古くからの知り合いであるらしい。 陸上部に所属。 夜は正義のヒロイン「ジャスティス・ピーチ」に扮装して学園の平和を守っている。 副生徒会長「左」。 胡蝶歌劇団(合唱部)に所属。 周囲からはまるで女王のように崇められている。 剣術同好会に所属。 桃香を尊敬している。 剣道部に所属。 学園内ソサエティ「蓮会」の一員。 単純で短絡的な性格。 五月に気があるらしいが、不良っぽいゆえにその好意を素直に示せず、逆に良い感情を抱かれない可哀想な奴。 副生徒会長「右」。 蓮会の一員。 落ち着いた物腰の青年で、よく図書館で勉強している。 実は六条章子が好きで、章子が絡むと人が変わるところがあるが、相手には恋愛感情を懐かれていない。 空手部に所属。 蓮会の一員。 一本気で頼りになる先輩。 だが理子に好意を抱いているせいで、理子が絡むと途端におかしくなる。 そのため、理子に近付く男には容赦なく襲いかかる。 桃歌台学園生徒。 鬢削ぎの長髪をリボンで少しだけ結っている。 常に3人一緒でを手放さず、とにかく自分達が楽しければそれで良いという性格。 上津未原では神懸かり的な力を揮え、人と価値観も善悪観も異なっているため、人の生き死にを絡めた遊びを展開する恐ろしいところも。 容貌は3人とも同一だが、目付きだけは微妙に異なっている。 学園内にソサエティ「二宮会」を主宰しており、女生徒達には自分達のことを「お姉様」と呼ばせ、はべらせている。 日々のほとんどの時間を胡蝶宮で過ごしながら、桃香に難題を持ち掛けからかって楽しむ日々を過ごしている。 なぜか顔に隈取がある。 拳を通じてコミュニケーションをとるタイプで、ミッション「喧嘩道場」の依頼主である。 文学部に所属。 長髪の美形で、よく女性に声をかけている。 明日菜にも時々声を掛けている。 黒い制服を着用。 3人そろって桃香をからかうのが好き。 一日中時計館におり、各種ミッションの仲介をしている。 赤い2つのリボンと腰までのストレートヘアに、冷たく透き通った白い肌と吸い込まれそうな瞳を持つ美少女。 学園内で出会えるのは、ごく一部の選ばれた人間のみ。 何故か鬼梗が生徒会長になってから、生徒会選挙で生徒会長が選ばれたことは一度もない。 生ける学園の七不思議。 一人称は「わらわ」。 本筋からそれたすごい秘密があるらしい。 天文部の顧問。 まだ新人なので、しばしば笠木から小言を言われている。 学園に何か思い出があるらしい。 幻想文学研究会の顧問。 童顔のため「衣緒クン」などと呼ばれている。 色々と暗躍している様子を見せる。 『』から引き続き登場。 美術部の顧問。 自由奔放な桃香に手を焼いている。 彼なりの教育論を持ち、別に悪い先生ではないのだが、何故か暴走することに。 高齢の女性。 天文同好会の顧問。 終日南大門に詰めている。 三女神 [ ] 仮面の継承者・阿麻氏のヤフツが第二のを作り出そう古の儀式として失敗し、セイ、フウ、ジュナに女神としての力が宿って誕生した3人の女神姉妹。 一応制服を着てはいるが、学園内で彼女を見かけることはない。 アニメでは三女神の一人。 日本の土着の民である古葛の姫。 赤い瞳で、白い長髮が特徴。 赤い羽衣を纏った女神の姿。 イサミヒコを殺した張本人。 「絹宮の白神」、「絹宮の白い姫」。 ジュナ 声 - 三女神の一人。 元は阿麻氏の巫女であり、石剣の使い手となったイサミヒコの妹。 化名「真名姫(まなひめ)」。 金色の瞳で、灰色のウェーブのかかった髪型が特徴。 青い羽衣を纏った女神の姿。 兄のイサミヒコを殺したセイを敵視していた。 由美子の体内を宿って、不可思議な力を与えている。 フウ 声 - 三女神の一人。 の髪型が特徴。 緑色の羽衣を纏った女神の姿。 一切が謎に包まれた少女。 『』の倉木水菜と似ている。 その他の人々 [ ] イサミヒコ 声 - 阿麻氏の戦士。 ヤフツ王 声 - 雪牙姫(ゆきひめ) 声 - 崑崙より現れた仙女。 沙羅姫(さらひめ) 声 - 雪牙姫の娘の1人。 ふ 片桐 杏奈(かたぎり あんな) 雪牙姫の三女。 辰也のことを心から案じている。 中盤から学園に出没するようになる。 肉食獣のような独特の雰囲気を漂わせている。 アニメでもゲームでも、終盤で明日菜と絡むことが多い。 対人関係のミッション依頼、好感度のわかる「人物占い」、次の満月がわかる「月齢占い」を請け負ってくれる。 本人いわく怨霊の類であるらしいが、現在は威厳も何もなく、もっぱら桃香の相方のような位置にいる。 桃香を敵視しており、彼に成り代わろうとする。 香陽と激闘を繰り広げる。 加賀 浩人(かが ひろと) 声 - (PC・PS2とも同じ) 白いスーツの魔術師で、春日の主。 学園に陰謀をめぐらせる者たちの中でも高位の存在で、胡蝶三姉妹と化かしあいのようなやり取りをしている。 学園襲撃者の一味。 絶対宇宙 声 -島本須美 ナレーション 声 - ゲーム版 [ ] PC版 [ ] 夏に配布された会誌にて『 』の続編、『 桃華月憚 〜顔のない月II〜』として発表されたが、秋に副題の『〜顔のない月II〜』を無くした『桃華月憚』へタイトルが変更された。 その後、会誌で10名近いヒロインのラフ画を公開した後に説明なくすべてが破棄され、『〜顔のない月II〜』には『 』の東葉月を登場させるとの言及があったが、果たされていない。 しかし、『顔のない月』の登場人物の1人である東衣緒が成長した姿で本作にも登場し、副題の抹消が続編であることを否定したものかは明確にされなかったため、各メディアの紹介において情報の混乱を招く結果となった。 事前情報では1年間の学園生活を描くとされていたが、実際には12月程度でEDを迎える上、全ての「敵」を倒し終わることも無ければ ヒロインの個別EDと言えるものも無く、実質的には何も解決しない。 また、 フルボイスと発表していたにもかかわらず予約期間終了後にパートボイスへの仕様変更を宣言し 、ゲームの序盤部分とごくわずかの部分に入るのみで、重要なシーンも含めたほとんどの場面で音声が入らない仕様となった。 発売から半年以上経過後、フルボイス化DISCが送料自己負担の上で無料配付されることとなった。 ストーリーには、『ヤミと帽子と本の旅人』や『顔のない月』だけでなく、オービット内で実質上凍結中の他ブランド作品、はては一部スタッフがかつて所属していた他社の作品『 』とも密接にリンクしている個所が存在しているため、本作品のみで全貌を理解することは困難となっている。 PS2版 [ ] 『桃華月憚 -光風の陵王-』ではシステムや構成が大幅に修正されている。 主な変更点は以下の通り。 登場人物の音声のフルボイス化• 戦闘における必殺技の実装• イベントスケジュールの再構成。 9月上旬で自由行動は終了する。 おまけシナリオとして後日談を追加。 また、前述の通り関係が曖昧だった『顔のない月』を前日譚と明言し、DXパックには倉木鈴菜シナリオのみを収録したPS2版『 顔のない月 〜Select Story〜』が同梱された。 しかしこのPS2版もバグとは無縁ではなく、橘左近が課すミッションの2周目を請け負うとゲーム進行が停止してしまう。 ストーリー [ ] この節のが望まれています。 上津未原(かみつみはら) 神話の息づく古き聖地。 龍皇(りゅうおう) 犬飼真琴の体内が宿っており、笛を吹くことで龍皇の力を発揮する。 石剣(せっけん) 水晶状の根を伸ばし赤い魔剣。 強大な力を保ってる。 仮面(かめん) 蟠桃園(ばんとうえん) 西蟠桃園と東蟠桃園があり、西王母の桃園。 古の儀式(いにしえのぎしき) 三女神が誕生した儀式。 上巳の歌会(じょうしのうたかい) スタッフ [ ]• エグゼクティブプロデューサー -• ディレクター -• キャラクターデザイン・原画 - CARNELIAN、• シナリオ - 片桐由摩、オズケイイチロウ、西貝言羽、宙形安久里• 全26話。 こちらは『顔のない月』との関係は不明。 テレビアニメ版『』(『ヤミ帽』)のスタッフが主であり、 配給の1社の提供番組である。 主人公、桃花役のは本作がアニメ初出演作である。 『ヤミ帽』に多く散見された性描写は本作でも同様であり、やを匂わせる描写までもが盛り込まれているほか、以下の仕掛けが用意されている。 物語の最終話となる話を第1話として放送してストーリーが遡っていき、最終回に物語の発端を放送する「 逆再生」。 作中に『ヤミ帽』のキャラクターがゲスト出演する。 監督のと脚本のの要望 により、『ヤミ帽』に出演していたが1話、が1話、が3話と1枚の合計6話の脚本を、女性声優が担当する。 なお、本作の内容は基本的にアダルトゲーム版の設定やストーリーに準拠しているが、すべてが一致しているわけではなく、テレビアニメ版独自の設定も盛り込まれている(桃花とセイの関係など)。 逆再生 [ ] この「逆再生」は、監督の山口祐司とシリーズ構成の望月智充の話し合い中、望月の発案で実現することとなった。 [ ] その名の通り、この構成手法は物語の結末(エピローグ)から発端(プロローグ)へと1話ずつ遡っていく。 つまり、第1話が本来の最終話となり、最終話が第1話ということになる。 のテレビアニメとしては全く新しい構成であり、山口と望月のインタビュー記事でも2人は「今後『逆再生』構成にしたアニメが出てきても、『桃華月憚』の真似になる」と語っている。 [ ] スタッフ(アニメ) [ ]• 原作 - オービット「桃華月憚」• 監督 -• シリーズ構成 -• キャラクター原案 -• キャラクターデザイン・総作画監督 -• プロップデザイン - 小坂知• 美術監督 - 小山俊久• 色彩設計 - 北爪英子• 撮影監督 - 近藤慎与• 編集 - 松村正宏• 音楽 -• 音響監督 -• プロデューサー - 桐山恵奈、浦崎宣光• アニメーション制作 -• サブタイトル カナ表記 脚本 絵コンテ 演出 作画監督 1 桜 サクラ 吉田俊司 近藤源一郎 2 歌 ウタ 山本秀世 小林浩輔 沈宏 3 剣 ケン 浅井昭人 4 冠 カンムリ 喜多谷充 中山敦史 八尋裕子 5 仏 ホトケ 中野典克 山口祐司 丸山由太 6 蝶 チョウ 山崎茂 清水勝祐 神原大仁 7 闇 ヤミ 喜多谷充 山口祐司 吉田俊司 徳田夢之介 8 氷 コオリ 寺東克己 津田崇 河野紘一郎 9 雪 ユキ 錦紀和 浅井昭人 10 血 チ 望月智充 青木新一郎 小林浩輔 末廣直貴 11 祭 マツリ 中野典克 高田昌宏 己葉鷹太 谷圭司 神原大仁 12 命 イノチ 笹野恵 藤原良二 土屋浩幸 高橋敦子 13 館 ヤカタ 山本麻里安 吉田俊司 佐藤義和 中野典克 14 旅 タビ 望月智充 山本秀世 丸山由太 塩川貴史 15 暦 コヨミ 綿紀和 高本宣弘 石井久志 阿部智之 16 星 ホシ 笹野恵 小林浩輔 藤原良二 小林浩輔 沈宏 17 月 ツキ 望月智充 藤原良二 山口祐司 秋田谷典昭 近藤源一郎 18 海 ウミ 小倉宏文 清水勝祐 神原大仁 相坂ナオキ 19 幕 マク 望月智充 山本秀世 吉田俊司 塩川貴史 20 桃 モモ 錦紀和 青木新一郎 山口祐司 土屋浩幸 浅井昭人 21 園 ソノ 望月智充 小林浩輔 中野典克 佐藤義和 小澤円 22 陰 カゲ 山本麻里安 川崎逸朗 石井久志 八尋裕子 虐 ギャク 23 嫁 ヨメ 笹野恵 笠井信児 尹貞凞 24 綾 アヤ 望月智充 高本宣弘 小林浩輔 高橋敦子 25 〆 エックス 高本宣弘 山口祐司 吉田俊司 浅井昭人 26 華 ハナ 山本秀世 山口祐司 丸山由太 近藤源一郎 放送局 [ ] 放送地域 放送局 放送期間 放送日時 放送区分 備考 - 月曜 25:30 - 26:00 2007年 - 水曜 26:00 - 26:30 2007年 - 金曜 26:05 - 26:35 2007年 - 金曜 7:00 - 7:30 リピートあり 関連商品 [ ] 漫画 [ ] 「」にて連載。 作画は、脚本はゲーム版でシナリオを担当した宙型安久里。 『桃華月憚 壱』( 2007年8月9日発売)• 『桃華月憚 弐』(角川書店 2008年1月10日発売) CD [ ]• 『』オープニングテーマ(エイベックス・ディストリビューション 2007年6月20日発売) AVCA-26346 シングル• 『』エンディングテーマ(エイベックス・ディストリビューション 2007年6月20日発売) AVCA-26347 シングル• 『』PCゲームエンディングテーマ( 2007年4月6日発売) HBMS-177 シングル• PCゲーム HOBiRECORDS 2007年5月25日発売) HBMS-178• TVアニメーション オリジナル・サウンドトラック(エイベックス・ディストリビューション 2007年7月18日発売) AVCA-26397• (エイベックス・ディストリビューション 2007年9月26日発売) AVCA-26481 ドラマCD、エクストラ企画CD• (エイベックス・ディストリビューション 2007年11月21日発売) AVCA-26475 ドラマCD、エクストラ企画CD• 桃華月憚 月華之抄 [2007年9月19日発売] AVBA-26367〜69• Disc-1 本編DVD「桃華月憚 壱」(「桜」・「歌」・「剣」 全三話収録)• Disc-2 本編DVD「桃華月憚 弐」(「冠」・「仏」・「蝶」 全三話収録)• Disc-3 特典DVD「桃華月憚 附録 蒼月光盤」• ミニ音声ドラマ(脚本:望月智充)• 店頭PV映像(番宣スポット)• 「演者陣 思語」キャストインタビュー映像 【封入特典】 化粧箱型特製収納ケース仕樣 十六頁 豪華カラーブックレット「桃華月憚 附録 月華読本」封入 特別描き下ろし本編DVDジャケット用イラスト(イラスト原画:西田亜沙子)• 桃華月憚 風華之抄 [2007年10月31日発売] AVBA-26370〜72• Disc-1 本編DVD「桃華月憚 参」(「闇」・「氷」・「雪」・「血」 全四話収録)• Disc-2 本編DVD「桃華月憚 肆」(「祭」・「命」・「館」 全三話収録)• Disc-3 特典DVD「桃華月憚 附録 橙風光盤」• ミニ音声ドラマ(脚本:望月智充)• プロモーション映像• 桃華月憚 蝶華之抄 [2007年12月26日発売] AVBA-26373〜75• Disc-1 本編DVD「桃華月憚 伍」(「旅」・「暦」・「星」・「月」 全四話収録)• Disc-2 本編DVD「桃華月憚 陸」(「海」・「幕」・「桃」 全三話収録)• Disc-3 特典DVD「桃華月憚 附録 翠蝶光盤」• ミニ音声ドラマ(脚本:望月智充)• 「華喋談議」音声コメント(山口裕司・CARNELIAN)• 桃華月憚 香華之抄 [2008年2月27日発売] ABVA-26376〜78• Disc-1 本編DVD「桃華月憚 漆」(「園」・「虐」・「嫁」 全三話収録)• Disc-2 本編DVD「桃華月憚 捌」(「綾」・「〆」・「華」 全三話収録)• Disc-3 特典DVD「桃華月憚 附録 紅香光盤」• ミニ音声ドラマ(脚本:望月智充)• 「華喋談議」音声コメント(山口裕司・CARNELIAN)• ノンクレジット・オープニング• ミュージック・クリップ 【封入特典】 化粧箱型特製収納ケース仕樣 十六頁 豪華カラーブックレット「桃華月憚 附録 香華読本」封入 特別描き下ろし本編DVDジャケット用イラスト(イラスト原画:西田亜沙子) 関連項目 [ ]• - アダルトゲーム及びゲームを原作としたアダルトアニメ OVA 、小説などがある。 - 少女に鬼がとりついて、少女の体を支配してしまう18禁アドベンチャーゲーム。 プレイヤーはとりつく鬼になり、シーンの合間で身体を支配する人格を選択、ゲームは鬼の視点で進んで行く。 全ての時間に体を支配することはできず、退く時間はヒロインの視点の話をリアルタイムで見ることができる。 脚注 [ ] []• 当初はが演じるはずだったが、第1話収録後に「スケジュールにダブルブッキングが発覚した」という理由で降板している。 医師免許習得後、渡米留学したのならば由美子とほぼ同い年ということになりかねないため。 第26話では、一部シーンの原画を担当。 第25話では、の絵を担当。 雑誌などには告知せず、公式サイトの作品概要を1行変更するというものであり、ページトップの更新履歴にはこの変更が行われたことは記載されていない。 オービット社の見解としてはこれはあくまで特典DISCであり、パッチではないため。 『顔のない月』鈴菜シナリオと『桃華月憚』には物語上の整合性はないが、そのことは『Select Story』の最後で断られている。 従来のに代わるアニメ関連レーベル。 このように物語を終わりから始まりへと遡っていく構成手法は、『』でも使用されている。 第14話にて実現。 実際の内容は、本作より『ヤミ帽』のキャラクター達の方が出番の大半を占め、も同作品で使われていたものを用いていた。 - とれたて!ほびーちゃんねる(InternetArchiveの2012年12月9日分キャッシュより)• に準じた。 TV放送版のサブタイトル。 DVD収録版のサブタイトル。 BS朝日では第25話の放送が急遽中止となり、一部内容を変更して最終回の第26話と2話連続で放送された。 外部リンク [ ]•

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地上では・・ まさかの更に10年の経過。 アドニスの復活すらまだプロローグ だったという予想外の展開でした。 彼を殺すことに成功したと勘違い したリディア帝国では、また別の 軍人たちが台頭し、王がまだ生存して るのは逆にしぶとかったと思います。 強キャラ感出してたスナイパー君が 2巻で瞬殺されたのも予想外でした。 途中にあった資料を見る限り、ヤマトや シータは10年経ってもまだ地位を守って いるようなので、今後対峙はありそう ですね。 しかしアドニスに魅了された女子高生を 国家反逆罪で連行云々のくだり、あれは 地下にアドニスを支持する勢力が存在して 暗躍することの伏線なのでしょうか。 単純に情報統制の具体例として出たかも しれませんが、気になるところです。 あともう1つ気になったのはシータが ユキが抑制装置の起動するのを阻止した 時、血まみれで何故か口にも血が付いて いたんですが、彼女はヴァンパイアとか? 少し考えすぎでしょうか。 何かの伏線の ように見えました。 魔女の国 魔女がたくさん生きていたのは 意外では無かったですが、 国の移住地がまさかの月! 1巻は全ての出来事が1つの国の 中で完結していたのが、舞台が 宇宙空間に広がるとは思いません でした。 地球?の科学水準的に 月には到達してるように見えるの ですが、魔法で上手くカムフラージュ しているのかもしれません。 そして最初味方かと思った魔女の国も ただ単にリディアとの戦いに便利に 使おうとしているっぽく、結局 アドニスは孤軍に戻りそうです。 この世の中、主人公含め善人が少な すぎる。 唯一の善人に見えるシロカが、魔女の 国を脱してアドニスと行動を共にする 展開になるんじゃないかと見てます。 場合によってはアンナも仲間になるか もしれませんね。 しかしそうなると魔女の国もリディアも 両方が敵になり、更にハードモードに。 アドニスが強すぎるので、これでも一応 バランスが取れてるのかもしれませんが、 なかなか静と動でいう静が訪れません。 アドニスが相変わらずクロエ以外に 1ミリも心を開かないので仕方ないですが、 態度が多少は柔らかくなっていくと願い ます。 仮に魔女の国を脱出出来たとして、 地球ではどう動くことになるか、 おそらくリディア以外の国って、 まだ全く登場してませんが、 そこまで過激な方針を取ってない と思うので、そういうところを 渡りながら、リディアを目指す冒険 ものに変遷していくかも。 そろそろ固まると思っていた相関図が また年月が経って新勢力が登場した ことで、分かりづらくなりましたが 次回でいよいよ作品の方向性が見えて くるかなと思います。

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