いざ 鎌倉 意味。 「いざ鎌倉」とは?意味や使い方を解説!

「いざ鎌倉」の意味とは?意味や使い方を解説!

いざ 鎌倉 意味

いざ鎌倉というときのために、日ごろから準備をしておくことは大切だ。 この例文では、「一大事が起こったから、今すぐ駆けつけなければ」という意味で「いざ鎌倉」を使用しています。 「いざ鎌倉」の由来 「いざ鎌倉」は、北条時頼 ほうじょうときより の伝説が由来になっています。 ある日、時頼が旅をしていたところ、大雪が降りました。 そのため、佐野源左衛門常世 さのげんざえもんつねよ という貧しい武士の家に泊めてもらうことにしました。 常世は梅や松、桜の木を囲炉裏 いろり で焚いて、出来る限り時頼をもてなしました。 そのとき、常世は以下のように言いました。 「一族に領土を取られてしまって、今はこのような貧しい生活です。 しかし、甲冑 かっちゅう や長刀 なぎなた 、馬は準備しています。 そして、いざという時には一番に鎌倉へ行き、敵と戦う覚悟です。 」 その後、常世は鎌倉幕府から召集の連絡を受けました。 そして、彼はすぐに痩せた馬に乗って、鎌倉に駆けつけました。 そこで、常世は自分が泊めた僧侶が、実は時頼だったことに気づきます。 時頼は、常世の言ったことは本当だったと感心します。 そして、時頼は常世の領地を取り戻しました。 さらに、大切な木を焚いて、もてなしてもらったお礼に、新たに3カ所の領地を常世に与えました。 この話のように、鎌倉幕府で何か大変な事件が起きたときは、武士は鎌倉に行きます。 この話から、「いざ鎌倉」ということわざが使われるようになりました。

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「いざ鎌倉」とは?意味や使い方をご紹介

いざ 鎌倉 意味

寛元四年(1246年)3月23日、鎌倉幕府執権・ 北条経時が重病となったため、 弟の時頼が5代執権に就任しました。 ・・・・・・・・ 鎌倉幕府の第5代執権である 北条時頼 (ときより)・・・ 父は、第3代執権の 北条泰時 (やすとき)の嫡男である 時氏 (ときうじ)ですが、この時氏が執権を継ぐ前に若くして亡くなったために、その長男であった 経時 (つねとき)が第4代執権となっていたところに、上記の通り、 経時が重病になったという事で、 その弟である時頼がその後を継いで第5代執権となったわけです。 執権に就任した直後、 北条の執権体制に反発する鎌倉幕府第4代将軍・ 藤原頼経 (よりつね)を京都に強制送還して 反対派を一掃した事で、不満をつのらせた 三浦泰村 (やすむら)の一族を滅ぼすというゴタゴタ劇がありましたが、 時頼が執権となっていた11年間で、いわゆるモメ事となったのは、この三浦の一件だけで、これまで、発足以来ドタバタ続きだった 鎌倉の世を、うまく治めた人物として評価されています。 もちろん、反論もあるでしょう。 モメ事が無いという事は、それだけ執権という地位を揺るぎない物にしたわけで、そのぶん 独裁的な一面もあり、特に、第5代将軍・ 藤原頼嗣 (よりつぐ)を追放して 後嵯峨天皇の皇子である 宗尊 (むねたか) 親王を第6代の将軍に据えてからは、 まさに北条執権の独擅場となった事は確かです。 ただ、その一方では、 御家人に対しても数々の融和政策を採用したり、 庶民に対しての救済政策を行って積極的に庶民を保護した事などを見れば、やはり 時頼=名君と言えるのではないでしょうか? まぁ、この庶民救済も、もともと北条氏がそれほど身分の高い家柄では無いので、 血統で統治をする上から目線の政治には限りがあり、庶民を優遇する善政を敷く事で、自らの立ち位置も確保しようとした・・・と言ってしまえば、その通りですが、 とにかく、それまでは弱肉強食世界で、強い者が弱い者を押さえつけ、言わば「斬り捨て御免」がまかり通っていたわけで、上からの略奪や不法行為にも、庶民は泣き寝入りするしかなかった時代だったのですから、そこを、 庶民の側に立った政策を自ら行い、それを配下の武士たちにも推し進めた・・・ 武士たるもの、 民衆から搾取を繰り返して押さえつけるのではなく、民衆とともに生き、ともに豊かになっていくものであるという観念を時頼は、配下の武士たちに植えつけようとしたのです。 これまで政治を行って来た貴族に代わって、 初めての武士政権である鎌倉幕府は、民衆を擁護するという形で、その政権を揺るぎない物にしていこう・・・ この時頼の政策は、民衆を撫でるように= 「撫民 (ぶみん) 政策」と呼ばれます。 これは、 日本の歴史上、大いなる転換で、古代より受け継がれて来た秩序の大変革・・・ 時頼は、もっと注目されても良い政治家ではないかと思います。 そんな中で、生まれたのが有名な謡曲 「鉢木 (はちのき) 」・・・ 「万が一の時」「今動かねばならぬ時」みたいな瞬間を言い表す言葉 (ことわざ・慣用句)の 「いざ鎌倉」のもととなった物語です。 もちろん、これは謡曲なので、後世の創作なわけですが、 このような逸話が生まれ、後世にまで語られるのも、やはり、時頼の政策が、善政と呼べるものだったからなのでは?? という事で、ご紹介させていただきます。 とは言え・・・そこには、見た目にも貧しそうな夫婦・・・ しかし、主人は、嫌な顔一つせず、粟の飯を出してもてなしてくれました。 しかも、この冬空で、火にくべる薪 (たきぎ)が無かった事から、 大事にしていた梅・松・桜の鉢植えの木を切って暖をとらせてくれたのです。 そのもてなしに感動した僧が、主人に名を訪ねると 「私は、 佐野常世 (つねよ) という武士です」 と・・・ 「一族の者に所領を奪われてしもて、今は、こうして落ちぶれてしまいましたけど、これでも、甲冑や長刀 (なぎなた) や馬なんかは、いつでも使えるように、常に備えてますねん。 いざ!という時は、いの一番に鎌倉に馳せ参じて、敵陣に突っ込む覚悟でおます」 と、熱く語りました。 それからまもなくの事、 鎌倉から諸国の武将に召集がかかった時、常世は、その言葉通りに 鎌倉へと向かいます。 向かう途中、 坂道で2度も倒れるような痩せ馬にまたがって駆けつけた常世・・・しかし、鎌倉で彼を迎えてくれたのは、誰あろう、 あの時の僧・・・そう、 その僧が、時頼だ ったのです。 時頼は常世の忠義を褒め、雪の日の親切に応えるべく、 奪われていた旧領を与えただけでなく、火にくべてくれた梅・松・桜の木にちなんで、 加賀 (石川県) の梅田、、 上野の松井田、 越中 (富山県) の桜井という 3ヶ所の土地も与えたという事です。 武士が、新たなる統治者=政治家として目覚めた鎌倉時代・・・そこには、 時頼の特筆すべき功績があったのです。 能楽関係者さん、こんばんは~ おっしゃる通り、「いざ鎌倉」という言葉そのものは、謡曲には登場しません。 私としては、『いざ鎌倉』という言葉が登場するという意味ではなく、現在『ことわざ(慣用句?)』として「いざ鎌倉」という言葉を使用する場合に、その意味を表しているのが、この『鉢の木』の物語であるという事で、文字通り『語源』としてご紹介させていただきました。 本文では現代語で表記させていただいた謡曲に登場する「ー族どもに横領せられ…かように落ちぶれては侯えども、今にてもあれ鎌倉におん大事出で来るならば、千切れたりともこの具足取つて投げ掛け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に弛せ参じ…敵大勢ありとても、一番に破って入り、思う敵と寄り合い、打ち合いて死なん」というセリフを要約すれば「日頃貧乏していても、鎌倉に何かあった時には1番に駆けつける」となり、これが『いざ鎌倉』という『ことわざ』の意味を表現していると思っております。 語源とは、言葉そのものではなく「ある語について、それが何に由来するのか」という事ですので… いずれにしても、言葉足らずで申し訳ありませんでした。 謡曲としての『鉢の木』の作者は不明だそうですが、おそらく物語が誕生したのは、鎌倉時代より、もっと後の事でしょうから、能楽関係者さんがおっしゃるように、「『いざ鎌倉』という意識が御家人と幕府の間にあったことを題材として鉢木が作られた」というのがホントのところだと思います。 そもそも、どなたかの名言とかではなく、とある出来事が由来となることわざが誕生するまでには、その出来事があってから、それなりの時間がかかると思います。 なので、『いざ鎌倉』という『ことわざ』の誕生も、この出来事からは、だいぶ後の事なのでしょうね。 投稿: 2013年12月 2日 月 04時39分 申し訳ありませんが、投降されましたコメント&トラックバックは、すぐには公開されません。 一旦、保留し、管理人が確認した後に公開します。 また、次のようなコメントやトラックバックは、公開しない、あるいは排除させていただく場合もありますので、ご了承下さい。 1、このブログの記事内容と 関係ないの内容のトラック バックやコメント。 2、リンクのみで、管理人様 ご本人の記事が見受けら れないサイトからのトラック バック。 3、特定のサイトやショップ等 への誘導・宣伝のみのコメ ント。 4、外国語のコメント(私は日 本語しかわかしません) 5、トラックバックを受け付け ていないサイトからのトラッ クバック。 6、「書き捨てまたは小さな 親切(誤変換や誤字脱字・ 数字の間違いなどの指摘) 以外での「捨てハン」= 「通りすがり」や「名無し」」 などの捨てる用のハンドル ネームや同一人物が投降 毎に別のハンドルネーム を名乗るなどの投稿は排 除させていただく場合が あります。 7、その他、見た人を不愉快 にさせる内容の物。 8、また、同一ブログの同一 記事を複数の記事にトラッ クバックされた場合は、 最初にいただいた物を優 先させていただきますので 一番関連があると思われ る記事にお願いします。 このブログを楽しく運営するためのルールですので、どうかご理解下さいませ。

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いざ鎌倉というときのために、日ごろから準備をしておくことは大切だ。 この例文では、「一大事が起こったから、今すぐ駆けつけなければ」という意味で「いざ鎌倉」を使用しています。 「いざ鎌倉」の由来 「いざ鎌倉」は、北条時頼 ほうじょうときより の伝説が由来になっています。 ある日、時頼が旅をしていたところ、大雪が降りました。 そのため、佐野源左衛門常世 さのげんざえもんつねよ という貧しい武士の家に泊めてもらうことにしました。 常世は梅や松、桜の木を囲炉裏 いろり で焚いて、出来る限り時頼をもてなしました。 そのとき、常世は以下のように言いました。 「一族に領土を取られてしまって、今はこのような貧しい生活です。 しかし、甲冑 かっちゅう や長刀 なぎなた 、馬は準備しています。 そして、いざという時には一番に鎌倉へ行き、敵と戦う覚悟です。 」 その後、常世は鎌倉幕府から召集の連絡を受けました。 そして、彼はすぐに痩せた馬に乗って、鎌倉に駆けつけました。 そこで、常世は自分が泊めた僧侶が、実は時頼だったことに気づきます。 時頼は、常世の言ったことは本当だったと感心します。 そして、時頼は常世の領地を取り戻しました。 さらに、大切な木を焚いて、もてなしてもらったお礼に、新たに3カ所の領地を常世に与えました。 この話のように、鎌倉幕府で何か大変な事件が起きたときは、武士は鎌倉に行きます。 この話から、「いざ鎌倉」ということわざが使われるようになりました。

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