ロビンソン 歌詞 意味 怖い。 【本当に怖い歌】不気味すぎる!童謡の歌詞に隠された秘密や悲しい曲を紹介

スピッツ…楓の歌詞の意味に都市伝説!?ベテランファンが解説!

ロビンソン 歌詞 意味 怖い

スピッツのハチミツリリースから20年が経ち、トリビュートアルバムも発売されたということで、それを記念して歌詞考察をしていきたいなあと思う。 スポンサーリンク 今回はスピッツの不朽の名作「ロビンソン」にスポットを当てたい。 早速、「ロビンソン」の歌詞をみてみよう。 1番の歌詞について まずは出だしのフレーズから。 「新しい季節は~君を追いかけた」の部分。 新しい季節ということは、おそらく4月と思われる。 新学期なり新年度になった直後である可能性が高い。 さて、ここでひとつの違和感が生じる。 普通、4月だとワクワクする人も多いと思うが、この主人公は「なぜか」せつないのだそうだ。 確かに新天地になってブルーな気持ちになるのもわからなくはないが。 ただ、この主人公、具体的なブルーな理由は申さず、それを「なぜか」ということにしてはぐらかしている。 何かかから目を背けているのではないかと言わんばかりに。 では、次のフレーズでせつない理由が見えてくるのかといえば、そんなことはなく、自転車で走る君を追いかけるというのだ。 どちらかというと、楽しそうな光景が頭に浮かんでくる。 これだけでは何とも言えないので、次のフレーズをみてみよう。 「思い出のレコード~まぶしそうに」の部分。 疲れた肩ということは、この主人公は仕事で日々忙殺されているということなのだろうか。 また、思い出のレコードと大げさなエピソードというフレーズは、君との思い出がたくさんあること匂わせるフレーズではなかろうか。 なんとなくリーマンとOLの恋愛であり、付き合って1年そこらが経っているカップルというイメージが想起される。 しかし、最近仕事が忙しくてろくにデートもできていないのかもしれない。 でも、悪くはない生活をしている印象を受ける。 次のフレーズをみてみよう。 「同じセリフ~つくり上げたよ」の部分。 いつも口にする簡単な言葉とは、おはようとかおやすみのような挨拶なのかもしれないし、愛してるとか大好きとかそういった類の言葉なのかもしれない。 ただ、ありふれたものだそうだから、そこまで難しい言葉ではないのだろう。 そんな言葉で作り上げた世界とはどんな世界なのだろうか。 そんな疑問を抱きながら、歌詞はサビに繋がっていく。 「誰も触われない~宇宙の風に乗る」の部分。 ここでポイントになるのが、空に浮かべたらというフレーズ。 昔のマサネムの歌詞は飛ぶことをイメージさせることが多い。 そして、ほとんどの場合、それは死のイメージを想起させる不吉な言葉として意味を広げていく だから、三日月ロック以降、あまり飛ぶという言葉が使用されなくなったのであろう。 宇宙の風になるほど飛ぶのだから、相当な飛行である。 それにしても、誰も触れない国なんだったら、わざわざ宇宙にまで届くくらい空に浮かべる必要なんてないのではないか。 そもそも、こんなにも君とラブラブなのだとしたら、「なぜか」せつない日々になる必要なんてないのではないか。 主人公の身になにかあったのだろうか。 2番の歌詞をみていこう。 スポンサーリンク 2番の歌詞について 「片隅に捨てられて~無理やりに頬よせるよ」の部分。 ここがすごくキーポイントだと思う。 片隅に捨てられた猫(おそらくはノラ猫だろう)をみて、主人公は似ていると言っているのだ。 君とふたりだけの国を作るはずの主人公が、独りぼっちのノラ猫と似ている? そんなのおかしい。 ここで、もう一度歌詞を見てみると、そのノラ猫はまだ「生きている」といっている。 なぜ、ここでわざわざこの猫のことを「呼吸をやめない」という言葉をくっつけて表現したのだろうか。 弱弱しくもなんとか生きていることを表現したかったのだと思うが、その猫と主人公が似ているということになれば、この歌の様相が少しずつ変化していくことになる。 だって、主人公は死にかけということになってしまうから。 とりあえず、次のフレーズをみてみよう。 「いつもの交差点で~三日月も僕を見てた」の部分。 このフレーズを絵でイメージしてみればわかるが、位置関係がよくわかならい。 主人公は丸い窓を見上げているのだから、おそらく交差点で高層ビルの窓を見ている感じだと思う。 その高層ビルがどれくらいの高さなのかはよくわからないが、その窓は三日月と僕=主人公を見ているというのだ。 普通に考えて、地上にいる主人公と空に浮かんでいる月を平行して「見る」というのは位置関係から考えておかしいではなかろうか。 これではまるで、主人公が少しずつ浮かんでいるようではないか。 やがて、浮かんだ主人公は月と同じ高さまで昇っていくような。 ここで追い打ちをかけるように、次のフレーズがやってくる。 「待ちぶせた夢のほとり~生まれ変わるよ」の部分。 夢のほとりがどこなのかはひとまず置いておくことにする。 ただ、君が驚いているというのだから意外な場所であることは間違いない。 恋人同士ならば、浮気現場でも目撃されない限り、町中で出会ったところで驚く必要なんてあるのだろうか。 おそらく君からしたら、僕がこんなところにいるわけないのに、なんでいるの?と思ったから驚いているのであろう。 だが、主人公はそんなよくわからない場所で生まれ変わろうとしている。 何に生まれ変わるというのか。 次のフレーズをみてみよう。 「誰も触われない~宇宙の風に乗る」の部分。 生まれ変わることで、二人だけの国が終わらないものになるのだとすれば、それは平たく言えば天国なのではないかと思ってしまうフレーズ。 青い車では輪廻の果てに飛び降りたマサネムである。 ここでいう宇宙の風というのは地球レベルではない身体に乗り換えようとする一瞬なのではないかと思う。 思えば、主人公は最初からなぜか思いつめていた。 冒頭、主人公の日々がせつなかったのはそこにもう君がいなくなってしまったからなのではないか。 新しい季節とは、君がいなくなってからの時間経過を表現するための言葉だったのではないか。 河原の道というのはこの世とあの世を繋ぐ道で、君は自転車に乗りながら走り去ろうとするから、 つまり、何かしらの理由で死んであの世に向かおうとしている から主人公は走って追いかけようとしたのではないか。 思い出のレコードと大げさなエピソードという、君とラブラブだった頃の思い出を糧になんとか日々生きてきた主人公。 それこそ片隅に捨ててなんとか呼吸をやめようとしない猫と似ているほど精神的にやつれた主人公であったが、限界は近くまできていたのだろう。 いつもの交差点というのは人生の分岐点を示唆する言葉。 そこで主人公が選んだのは、上の方向。 三日月と同じ高さになるまで空に向かって飛んでいく(天国に向かう)という選択だったのだ。 やがて、たどり着いた夢のほとりで君を待ち伏せた。 君は僕を見て驚く。 だって、君は先にあの世に向かったはずなのだから。 こんなところで僕に会うなんて、と。 でも、僕は言うのだ。 「ここで生まれ変わろう」と。 ここで誰も触れないふたりだけの国なんていうのだ。 おまけにその国が宇宙の風になるのだ。 もう答えは見えたも同然である。 その国とはあの世の「天国」なんだ ということで、先に死んだ君を後追いで追いかける恋人の歌、というのがロビンソンのひとつの解釈。 もちろん、これすらもひとつのメタファーで実はさらなる仕掛けを施しているのかもしれないし、穿った見方をしすぎて論点を外しまくっていると言われても否定はできない。 でも、恋の歌に死の予感を漂わせているのは間違いないし、だからこそ草野正宗の歌詞は面白いのだ。 関連記事: スポンサーリンク.

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スピッツの名曲、ロビンソンの意味や由来は?歌詞の意味も

ロビンソン 歌詞 意味 怖い

スピッツのハチミツリリースから20年が経ち、トリビュートアルバムも発売されたということで、それを記念して歌詞考察をしていきたいなあと思う。 スポンサーリンク 今回はスピッツの不朽の名作「ロビンソン」にスポットを当てたい。 早速、「ロビンソン」の歌詞をみてみよう。 1番の歌詞について まずは出だしのフレーズから。 「新しい季節は~君を追いかけた」の部分。 新しい季節ということは、おそらく4月と思われる。 新学期なり新年度になった直後である可能性が高い。 さて、ここでひとつの違和感が生じる。 普通、4月だとワクワクする人も多いと思うが、この主人公は「なぜか」せつないのだそうだ。 確かに新天地になってブルーな気持ちになるのもわからなくはないが。 ただ、この主人公、具体的なブルーな理由は申さず、それを「なぜか」ということにしてはぐらかしている。 何かかから目を背けているのではないかと言わんばかりに。 では、次のフレーズでせつない理由が見えてくるのかといえば、そんなことはなく、自転車で走る君を追いかけるというのだ。 どちらかというと、楽しそうな光景が頭に浮かんでくる。 これだけでは何とも言えないので、次のフレーズをみてみよう。 「思い出のレコード~まぶしそうに」の部分。 疲れた肩ということは、この主人公は仕事で日々忙殺されているということなのだろうか。 また、思い出のレコードと大げさなエピソードというフレーズは、君との思い出がたくさんあること匂わせるフレーズではなかろうか。 なんとなくリーマンとOLの恋愛であり、付き合って1年そこらが経っているカップルというイメージが想起される。 しかし、最近仕事が忙しくてろくにデートもできていないのかもしれない。 でも、悪くはない生活をしている印象を受ける。 次のフレーズをみてみよう。 「同じセリフ~つくり上げたよ」の部分。 いつも口にする簡単な言葉とは、おはようとかおやすみのような挨拶なのかもしれないし、愛してるとか大好きとかそういった類の言葉なのかもしれない。 ただ、ありふれたものだそうだから、そこまで難しい言葉ではないのだろう。 そんな言葉で作り上げた世界とはどんな世界なのだろうか。 そんな疑問を抱きながら、歌詞はサビに繋がっていく。 「誰も触われない~宇宙の風に乗る」の部分。 ここでポイントになるのが、空に浮かべたらというフレーズ。 昔のマサネムの歌詞は飛ぶことをイメージさせることが多い。 そして、ほとんどの場合、それは死のイメージを想起させる不吉な言葉として意味を広げていく だから、三日月ロック以降、あまり飛ぶという言葉が使用されなくなったのであろう。 宇宙の風になるほど飛ぶのだから、相当な飛行である。 それにしても、誰も触れない国なんだったら、わざわざ宇宙にまで届くくらい空に浮かべる必要なんてないのではないか。 そもそも、こんなにも君とラブラブなのだとしたら、「なぜか」せつない日々になる必要なんてないのではないか。 主人公の身になにかあったのだろうか。 2番の歌詞をみていこう。 スポンサーリンク 2番の歌詞について 「片隅に捨てられて~無理やりに頬よせるよ」の部分。 ここがすごくキーポイントだと思う。 片隅に捨てられた猫(おそらくはノラ猫だろう)をみて、主人公は似ていると言っているのだ。 君とふたりだけの国を作るはずの主人公が、独りぼっちのノラ猫と似ている? そんなのおかしい。 ここで、もう一度歌詞を見てみると、そのノラ猫はまだ「生きている」といっている。 なぜ、ここでわざわざこの猫のことを「呼吸をやめない」という言葉をくっつけて表現したのだろうか。 弱弱しくもなんとか生きていることを表現したかったのだと思うが、その猫と主人公が似ているということになれば、この歌の様相が少しずつ変化していくことになる。 だって、主人公は死にかけということになってしまうから。 とりあえず、次のフレーズをみてみよう。 「いつもの交差点で~三日月も僕を見てた」の部分。 このフレーズを絵でイメージしてみればわかるが、位置関係がよくわかならい。 主人公は丸い窓を見上げているのだから、おそらく交差点で高層ビルの窓を見ている感じだと思う。 その高層ビルがどれくらいの高さなのかはよくわからないが、その窓は三日月と僕=主人公を見ているというのだ。 普通に考えて、地上にいる主人公と空に浮かんでいる月を平行して「見る」というのは位置関係から考えておかしいではなかろうか。 これではまるで、主人公が少しずつ浮かんでいるようではないか。 やがて、浮かんだ主人公は月と同じ高さまで昇っていくような。 ここで追い打ちをかけるように、次のフレーズがやってくる。 「待ちぶせた夢のほとり~生まれ変わるよ」の部分。 夢のほとりがどこなのかはひとまず置いておくことにする。 ただ、君が驚いているというのだから意外な場所であることは間違いない。 恋人同士ならば、浮気現場でも目撃されない限り、町中で出会ったところで驚く必要なんてあるのだろうか。 おそらく君からしたら、僕がこんなところにいるわけないのに、なんでいるの?と思ったから驚いているのであろう。 だが、主人公はそんなよくわからない場所で生まれ変わろうとしている。 何に生まれ変わるというのか。 次のフレーズをみてみよう。 「誰も触われない~宇宙の風に乗る」の部分。 生まれ変わることで、二人だけの国が終わらないものになるのだとすれば、それは平たく言えば天国なのではないかと思ってしまうフレーズ。 青い車では輪廻の果てに飛び降りたマサネムである。 ここでいう宇宙の風というのは地球レベルではない身体に乗り換えようとする一瞬なのではないかと思う。 思えば、主人公は最初からなぜか思いつめていた。 冒頭、主人公の日々がせつなかったのはそこにもう君がいなくなってしまったからなのではないか。 新しい季節とは、君がいなくなってからの時間経過を表現するための言葉だったのではないか。 河原の道というのはこの世とあの世を繋ぐ道で、君は自転車に乗りながら走り去ろうとするから、 つまり、何かしらの理由で死んであの世に向かおうとしている から主人公は走って追いかけようとしたのではないか。 思い出のレコードと大げさなエピソードという、君とラブラブだった頃の思い出を糧になんとか日々生きてきた主人公。 それこそ片隅に捨ててなんとか呼吸をやめようとしない猫と似ているほど精神的にやつれた主人公であったが、限界は近くまできていたのだろう。 いつもの交差点というのは人生の分岐点を示唆する言葉。 そこで主人公が選んだのは、上の方向。 三日月と同じ高さになるまで空に向かって飛んでいく(天国に向かう)という選択だったのだ。 やがて、たどり着いた夢のほとりで君を待ち伏せた。 君は僕を見て驚く。 だって、君は先にあの世に向かったはずなのだから。 こんなところで僕に会うなんて、と。 でも、僕は言うのだ。 「ここで生まれ変わろう」と。 ここで誰も触れないふたりだけの国なんていうのだ。 おまけにその国が宇宙の風になるのだ。 もう答えは見えたも同然である。 その国とはあの世の「天国」なんだ ということで、先に死んだ君を後追いで追いかける恋人の歌、というのがロビンソンのひとつの解釈。 もちろん、これすらもひとつのメタファーで実はさらなる仕掛けを施しているのかもしれないし、穿った見方をしすぎて論点を外しまくっていると言われても否定はできない。 でも、恋の歌に死の予感を漂わせているのは間違いないし、だからこそ草野正宗の歌詞は面白いのだ。 関連記事: スポンサーリンク.

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「ハナミズキ」歌詞の意味が怖い?9.11テロ事件への想いが込められていた

ロビンソン 歌詞 意味 怖い

かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる よあけのばんに つるつるすべった ツルツル辷(つ)ウベッた このように現在歌われている歌詞にかなり近いものとなっています。 鍋の底抜けが夜明けの晩に変わっていますね。 この時点では鶴と亀は登場していません。 鶴と亀が出てきたのは明治末期以降であると考えられています。 牢屋に誰か来た 牢屋に囚人が捕らえられた いつ外へ出られるだろう そんな時間は来ることはない どうやら処刑されたようだ 落ちた首は後ろと正面どちらを見ているのだろう また、かごめかごめを回りが取り囲んだ様を表していると捉え、罪人がかごに入っているところを周囲の人が取り囲んでいる様子を表しているとする説もあります。 どちらにしても、最終的に処刑された後に後ろの正面誰?と問いかける様子が共通しています。 徳川埋蔵金説 埋蔵金は昔から暗号として後世に残すという事で、暗号を童歌としてわざと流行るように広めたという説です。 籠目は籠の編み目の事で、ここにできる模様が籠目紋です。 六芒星の方がわかりやすいかもしれませんが、籠目の中にこのような模様ができていますよね。 この紋を徳川家康と縁のある神社や仏閣を線で結び、中心となった場所に埋蔵金が隠されているといわれています。 歌詞は埋蔵金を隠した場所を示すもので かごめかごめ=模様 かごのなかのとり=籠目紋の中の鳥居 夜明けの晩=日が昇った時にできる晩=影 鶴と亀=日光東照宮の鶴と亀の銅像 後ろの正面=鶴と亀の銅像が朝日に照らされて影が差す方向 このような意味になります。 6つの線を結ぶ場所については諸説あり、どの神社仏閣を結ぶかははっきりとわかっていませんが、日光東照宮が中心になるのではないかとネットでは多く紹介されています。 実際に日光東照宮には鶴と亀の銅像があり、その銅像が影が差す方向には徳川家のお墓があって、その奥にはほこらがあります。 そのほこらには籠目紋が刻まれているのですが、上の三角だけがありません。 つまり、これは下を指し示しているという事で、そのほこらの下に埋蔵金が埋まっているのではないかといわれています。 徳川家に仕えた有名な忍者の服部半蔵は、松尾芭蕉だったという説がありますよね。 このかごめかごめを広めたのは松尾芭蕉で、埋蔵金の場所がわからなくならないように全国に広めていたのではないか等の説もあります。 しかし、なぜそのように場所がわかっているのに掘り起こさないのかという疑問が浮かぶと思いますが、それを完璧に反証できるような説はありません。 歴史が変わってしまう恐れがあるなどといわれていますが、事実であれば考古学者も黙っていないと思いますし、国としても歴史の裏付けとして確認しておきたいはずです。 それをしないという事は、やはり噂は噂なのかもしれませんね。 神託や仏教の教え説 かごの中の鳥=肉体に閉じ込められている様 いついつ出やる=いつ肉体を捨てる事ができるか 鶴と亀がすべった=陰と陽が統べる=悟った時 うしろの正面だあれ?=自分とは何か このような精神的な話を歌っているのではないかという説です。 元々、かごめかごめは修行僧が作ったもので、仏教でいうところの「苦」や煩悩などに縛られた肉体を捨て、解脱へ至る事を指しているのではないかという説です。 かごめかごめは江戸時代から存在したとされていますが、江戸時代の仏教は民衆支配の一機構として機能していました。 民衆の中でも深い信仰に生きた人もいたらしく、そのような生活の中で流行したというのもあり得るのかもしれません。 Advertisement 怨念説・征服説 ヤマト王権が誕生する前後、藤原氏に抹殺された諸豪族の怨念を裏に秘めた歌であったとする説です。 鬼とは朝廷に対して従わない人々を指し、オニを皆で取り囲むというのは先住民族を包囲する事を表します。 その囲みの中で一人座り込むような状況となり、多勢に無勢でついには征服されてしまうというものです。 日本でも原始的な信仰である「 山岳信仰(修験道)」の中で、修験者が全国へ広めた事により歌われるようになったのではないかと考えられています。 その他の説 ・芦名埋蔵金の隠し場所を示す歌説 「鶴と亀」はそれぞれ芦名家の城の別名で、埋蔵金の隠し場所を示しているという説です。 ・明智光秀・南光坊天海同一人物説 鶴と亀には、日光東照宮の彫刻の他に敦賀と亀岡の意味もあり、山崎の戦いに敗れた後も生き延びた明智光秀が姿を変えて南光坊天海となった事を示唆しているという説です。 ・豊國廟(秀吉の墓所)説 徳川家康を神格化する際に邪魔となった豊臣秀吉を神の座から引き摺り降ろす為に行われた、豊国神社の打ち壊しと、秀吉の棺を掘り返して庶民と同じ屈葬にして埋め直した事件を表したとされる説です。 かごめかごめの歌詞の解釈例 かごめ ・籠目、竹で編まれた籠の編み目 ・籠目門(六芒星)、魔除け ・籠神社 ・囲めが訛りかごめ ・屈めが訛りかごめ ・籠を抱いているような姿の女性=妊婦 ・籠の中(檻の中)にいる女性 ・遊女 かごのなかのとり ・夜明けの番人=ニワトリ ・八咫烏 ・籠の中の鳥のように逃げられない様 ・妊婦のお腹の中にいる子供 ・これから処刑される罪人 いついつでやる ・いつ出会う?(出会う) ・いつ出ていく?出ていける?(出遣る) よあけのばんに ・夜明けの晩=真夜中過ぎ ・夜明けの番人=ニワトリ ・朝早くから夜遅くまで ・臨月 ・夜が明けた夜=明けない ・夜明けのような晩のような曖昧な時間 ・全く存在することのない時間 つるとかめがすべった ・縁起の良い象徴が滑る=良くない事が起きる ・すべった=統べた=鶴や亀を象徴する為政者が統治した様 ・京都の歌詞「つるつる つっぱいた」が変化したもの(ずるずると引っ張ったの意) ・上と同様に変化したものでするすると突っ込んで入っていったの意 ・長寿の象徴の2つが滑る=処刑される うしろのしょうめん だーれ ・真後ろにいるのは誰? ・斬首された首が体と逆を向いて「私を殺したのは誰?」と聞いている ・罪人の首を斬ったのは誰? ・取り憑いていたのは誰? ・影で操っていたのは誰? ・「しょうめん」は一部の地域では「しょうねん 少年 」とも歌われている かごめかごめの発祥について 千葉県野田市発祥と 籠 この 神社発祥、2つの説があります。 千葉県野田市 昭和初期に山中直治によって記録された千葉県野田市地方の歌が全国へと伝わったとされ、野田市が発祥地といわれています。 千葉県野田市の東武鉄道野田線「清水公園駅」からほど近い場所には、童謡「かごめかごめ」の歌詞が刻まれた台座の上に、座り込んで両手で目かくしをした子どもの像が乗ったもの、万歳をした子供の像が乗ったものがあります。 これはあくまで童謡としてのかごめかごめは野田市の発祥という意味であり、山中直治という教師、作曲家の方が千葉県野田市で「かごめかごめ」の歌を採譜したため、童謡と位置付けられたために発祥であるとされているようです。 童歌としてのかごめかごめの発祥であるという意味ではありません。 野田市内にある愛宕神社には子どもと籠と鶏があり、「 籠の中の鳥」の彫刻である事がわかると思います。 野田市発祥とされたのは上記のように昭和初期に採譜され、童謡として広められたのが野田市だったという事ですが、この彫刻は文政7年(西暦1824年)のものです。 東京都港区の愛宕神社といえば徳川家康が創建した事でも知られています。 野田市の愛宕神社はそれからかなり時間が経ってから創建されたものですが、どことなく徳川埋蔵金の説が信憑性が増すような内容ですよね。 そのため、何か関連があるのではないかとも噂されています。 また、愛宕神社自体、京都の愛宕神社を勧請したもので、古くは愛宕ではなく「阿多古神社」と呼ばれていたそうです。 創建は大宝年間(701-704年)で、修験道の祖とされる役小角と白山の開祖として知られる泰澄によって朝日峰に神廟が建立されたのが創建とされるという事から、修験者によって全国に広められたという説も信憑性を帯びますが、何をもってここに籠の中の鳥の彫刻があるのかはわかりません。 Advertisement 籠(この)神社 籠神社は京都府宮津市大垣にある神社で、元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも呼びます。 こちらの宮司さんは「カゴメ唄」が籠神社発祥であると断言されています。 籠(かご)というのは籠(この)神社を指していて、籠の中の鳥は籠神社の祭神。 鶴と亀の鶴は伊雑宮の日神を指していて、亀は籠神社の海神を指すもの。 また、伊雑宮と伊勢神宮を結ぶとその先には籠神社が位置します。 後ろの正面を籠神社が指すのかもしれませんね。 まとめ 深くとらえないで歌詞を考えると、真ん中のオニをかこめかこめとはやし立てて、当てられるかな?いつ当たるかな?鶴と亀が滑るように当たらないかも、後ろにいるのはだーれだ?のように普通に遊戯を表す歌になるような気もするのですが、何か含みがあるのではないかと色々な説が噂されているかごめかごめの意味や説について紹介しました。 最近では童歌を子供が歌わなくなっているそうですね。 お遊戯などもアイドルなどの人気曲、流行りのJ-POPを使う事が多いらしく昔ながらの歌を知らない子供が増えているといいます。 いつかはかごめかごめも誰も歌わなくなる時代が来て、一部の地域でひっそりと伝わる存在になるのかもしれません。 実際、どの説も本当にあり得るのではないかと思える内容ですからね…。 そうなった時はより神秘性が深まり、更に色々な噂が出そうな気がしますね。 Advertisement 関連する記事• 2018. 05 日本なら授業で一度は耳にする聖徳太子。 実は予言者としての一面があるのをご存知ですか? その予言が今 […][…]• 2018. 31 アパートやマンションの隣人。 壁を1枚隔てただけのすぐ近くにいるものの、普段あまり接しない存在ですよ […][…]• 2018. 29 清滝トンネルって知っていますか? 京都でも有名な嵐山から車で5分ほどの場所にあり、かなり有名な心霊ス […][…]• 2018. 22 あなたは「さとるくん」の都市伝説をご存知ですか? 簡単に説明すると、同じ都市伝説であるこっくりさんと […][…]• 2018. 稀代の霊能力者と呼ばれた宜保愛子さんがテレビ番 […][…].

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