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ロフト マスク

「Forever Shinjuku Loft」について… 新宿ロフトは、1976年10月に西新宿にてオープンし、1999年4月には歌舞伎町に移転し、今日まで40年以上の歴史を重ねてきました。 今年の2月末からは新型コロナウイルス感染拡大予防により沢山の公演が中止及び延期となり、政府による緊急事態宣言を受けてからは営業自粛となりました。 このまま営業自粛が続くと、40年以上の歴史を持つ新宿ロフトの存続とその歴史が危ぶまれます。 そこで幾度となく話し合いを重ね、新宿ロフト発信の支援プロジェクト「Forever Shinjuku Loft」を立ち上げました! 新宿ロフト存続の為に配信番組やドネーショングッズの制作・販売等、今後様々な支援プロジェクトに取り組んでいきます。 バンドだろうがソロだろうが関係なく人間性や、僕のパフォーマンスを見て声をかけて下さったのだと勝手に思っております。 感謝しています。 昨年、バンドが再始動しました。 僕が世界一愛しているバンドです。 この苦境を乗り越えた先には新たなフェーズが待ち構えていて音楽の在り方も変わるのかもしれませんがでも、彩冷えるのパフォーマンスをまだLOFTさんに見てもらっていないのでこのままでは終われません。 またあの先輩方の残した古いセトリの紙で埋め尽くされた廊下を抜けてステージに向かい叫びたいです。 トマトケチャップで名前が書かれた特大オムライスを食べながら打ち上げしたいです。 みんなで乗り越えましょう。 その時まで、僕も負けずに生きます! アクメ 2つのバンドで始動ライブ、個人としてもバースデーワンマンをやった特別な会場です。 バンドも例外なく影響を受けています、そんな中でお世話になった場所や友人たちのピンチを目の当たりにして自分の無力さに情けなくなる日もあります。 きっと同じ気持ちの人もいると思います。 小さなことでもいい、出来ることをしましょう。 一番大事なのは音楽を通じて手に入れた絆や知識はどんな脅威にも奪われないということを忘れないこと。 終息後も才能あるアーティストたちが新宿ロフトのステージを彩ってくれるでしょう、そんな未来を一緒に見ましょう。 1日も早い終息を祈っております。 <CHISA> 大変な時期です。 みんなで頑張りましょう! <将吾> 新宿ロフトはアクメを始めてから初めてライブをした大切な場所であり思い出の多いライブハウスです。 そんな僕らにとって大事な新宿ロフトのステージにまた必ず立てる日を願って今のこの苦しい時期を一緒に乗り越えていきたいです。 <RIKITO> 新宿ロフトは数々のアーティストが伝説を残し、バンドマンたちの憧れのライブハウスで日本の音楽史には欠かせません。 アクメの初ライブも新宿ロフトでした。 アクメでは名物巨大オムライスも食べていません。 新宿ロフトはこれからもバンドマン、音楽ファンにとつて必要な存在なのでみんなで協力して残して行きましょう。 <HAL> ircle ガキの頃からブラウン管の向こう側に見える東京のロフトのステージはギラギラで、憧れのバンドのライブ映像を見て、滾らさせて頂いたもんです、いつか俺らも、と気持ちが高まるステージ、東京に来て、そのステージに立たせてもらい、全力で演奏させてももらいました。 出演したイベント、どれも素晴らしいイベントですぐに記憶をひっぱり出せるロフトマジック、まじでこっちも気合い入るしフロアの熱が超特別な伝わり方するおかげさまでガキの頃の滾る情熱が膨らんでまだ消えてませんこんな期間が来て、本当にうまいことやる方法は無いですが、もう、情熱しかないっすよね。 またロフトの空間メラメラさせていきましょう、そこにまた俺たちも立ちます。 よろしくお願いします!!新宿LOFTよ、どうか元気であって下さい!! <vo. g 河内健悟> 鳳-AGEHA- バンドの最初の1年間の節目を刻ませていただいたロフトさん。 ロフトさんにも、あのオムライスにも、これからもずっと新宿の顔として、音楽を愛する者たちを照らす憩いの場として、輝き続けていただきたいです! <揺紗> ロックと言えばLoft!俺はそう思っています。 だから、今こんな世界に生きているけれど、どれもこれもロックに変えてLoftでぶっ飛ばしてやる!誰もが目指す憧れの場所であり続けてください!いつまでも! <齋藤紳一郎> ずっとここでライブが出来たらと思っていた聖地です。 そんな聖地で大切な日のライブをさせて頂けた事はとても光栄です。 そして、これからもずっと聖地であり続けて欲しいです。 <YUKIA> 朝倉文江(TOTE)【ライター】 ロフトと言えば誰もが知っている老舗ライブハウス、初めて市松模様のステージを生で見れた時は感激しました。 それから数え切れないくらい足を運んでいますが、老舗でありながらも常に新しい事にチャレンジしているロフトは唯一無二の存在です。 お客さん1桁時代から懐深く出演を見守って、アリーナクラスになったバンドさんも沢山いますよね。 自身も仕事でも個人的にもお世話になっている大事な場所です。 そんな大好きな場所を守りたい。 良い人達が居て、良い音達が鳴ってて、ライブの後には友達と語り合ったりもしちゃえる、そんなロフトに早く遊びに行けるように祈っています。 COVID-19のもたらす苦境に負けないように!頑張ってください! 足立房文 この度、新型コロナウイルス感染症に罹患された方々には謹んでお見舞い申し上げますとともに、一日も早いご快復を心よりお祈り申し上げます。 今般の世界規模での大変な状況は、皆さまの大切な生活に少なからず影響を受け、様々な思いを案じていることとお察しいたします。 1日も早い終息を心から祈るばかりです。 これまで私たちの祖先は疫病と闘ってきました。 ペスト流行を経てルネサンスが準備され、日本では疫病の比喩として鬼が描かれ、京都の祇園祭も疫病封じが目的で生まれた祭りだったという史実もあります。 生活様式、ポップカルチャーの在り方が大きく変わって行く中においても、新宿ロフトはいつの時代も旗手であっていただきたいです。 僕が新宿LOFTで初めてライブをやったのはすでに遠い記憶、、、その頃から新宿LOFTはバンドマン憧れのハコでした。 旧LOFTの頃の話しです。 個人的な思い入れだとやっぱ旧LOFTに思い入れは沢山あります。 めちゃくちゃ沢山onemanやったしイベントにも出演しました。 そして朝まで続く中打ち、自分達のも友達のバンドのも、死ぬほどLOFTで朝まで飲みました。 そんな憧れのハコでそんな活動をやれたのは自分の嬉しいキャリアになっています。 この先もそんなバンドマン憧れの新宿LOFTが続く様に。 a flood of circle 今や滅多に外出などしないのに、食糧の買い出しをするため表に出たら、向かいからウーバー・イーツの自転車が走ってきた。 運転者はよく見たら新宿LOFTスタッフのY氏だった。 おーいって声を掛けて、少し離れて一瞬の立話。 偶然にしかも久しぶりに会えて嬉しかったし、何か悔しかったし、出来ることやるしかないっしょと思った。 帰って曲を作った。 なぜか言いにくいとされてる気もするが、困ってる時は困ってるって言って良いし、助けてほしい時は助けてって言って良い。 出来ないことは出来ないけど、出来ることから試して行こう。 また新宿LOFTでライブできる日を楽しみにしています。 <佐々木亮介> あべすずこ 新宿LOFTで初めて企画をやらせてもらったのは2013年、17歳のときでした。 行くたびに声をかけてくださるスタッフの皆さん、いつでもおいしいオムライス、話の尽きないバーの奥のソファ、市松模様のフロアがお客さんで埋まる瞬間、新しい音楽と出会えたとき。 鮮明に刻まれている景色の数々が、これからも当たり前であって欲しい。 そう願うばかりです。 不安だらけの毎日ですが、未曾有の事態を乗り越えた先で、最高の音楽と共に乾杯しましょう。 Forever Shinjuku Loft!! アルルカン ここで沢山のモノが育ってるんだろうなぁと感じられるあのフロアやバー、LOFTの雰囲気が好きです。 またLOFTでやれる日を楽しみにしています。 オムライスが食べたいです! <暁> 出音も空気も特別にrock感じる場所。 やってきたイベントも思い入れ深いものばかり。 今を堪え、また演りに行きます。 <來堵> 初めてなのに感じた何故か懐かしい「匂い」 そんな匂いの残るLOFTにまた立てる日を、また僕等の匂いを残せる日を楽しみにしてます。 <奈緒> 憧れのバンドのライブを初めて見たのがLOFTでした。 同じステージに立ちたいと思い焦がれたのを今でも鮮明に覚えている、そんな大切なキッカケをくれた場所でまたライブができる日を楽しみにしています。 <祥平> 舞台袖にいると新宿LOFTの歴史の一部を感じる事ができて、それに触れて本番前はウズウズしていたのを思い出します。 またそんなLOFTで熱いライブができる時を楽しみにしています! <堕門> umbrella LOFTに初めて出演させていただいたのは記録的な土砂降りで、けたたましい雷と風のオンパレードな日だったなーと記憶に刻まれています。 私にとっては聖地。 貴重なイベントに出させてもらったりリスペクトの多いライブハウスです。 そして打ち上げのオムライスを食べる事が楽しみだったりします。 いつまでも、これからも素晴らしい記憶をファンやアーティストに残してほしいです。 微力ながら応援してます。 聖地を守りましょ!また土砂降りの搬入が楽しみだなと思える様に。 <唯> 誰も想像していなかった状況に突入し、バンドもライブハウスも手探りで今を乗り越える方法を探しています。 この状況が収束した時に笑って新宿LOFTのステージでもライブがしたい。 私たちができることは少ないかもしれませんが共に乗り越えましょう。 またあのアツイステージに立てる日が待ち遠しいです。 <柊> 新宿LOFTはしばしば聖地という言葉で表現されるが、なぜ聖地と呼ばれるかという答えは一つではないと思っている。 自分にとっては子供の頃に初めて小遣いで買ったCDが黒夢の新宿LOFTライブ盤だった、というようにLOFTを愛する者一人一人に伝説となったステージが存在して、こうなると新宿LOFTが先か聖地が先かという議論にも発展しかねない。 我々日本人がお仏壇のお供物を盗めないように、新宿ロフトのステージは汚れた心では上がれない。 この世界基本規模の脅威を無事乗り越えた時には、一切の邪念もない心でまた新宿LOFTに立ちたい。 皆で乗り越えていこう! <春> 新宿LOFTと言えば出演させて頂いた事はもちろん、数々のアーティストが歴史に残る名演を繰り広げたライブハウスであり、もはや歴史的価値がある場所であると思います。 COVID-19により壊滅的なダメージを受けているエンタメ業界に於いて、その渦中の真っ只中にいる我々が考えるべきは昨日の事よりこれからの事。 今の時代を生きる僕らの事より、もっと先の未来に生まれるであろう芸術の才能を育む場所としてForever Shinjuku Loftであって欲しいと思います!そして事態の終息を願うと共に、ウイルスを身に宿して戦う皆様に負けるなという祈りを、使命感を持って命を削っている医療従事者の皆様に最大限のエールを送ります。 沢山の思い出がある場所。 自分達にとっても、大切な新宿LOFT。 そのステージへまた戻れる様に、今は自分の声を磨いておきます。 だから負けないで。 必ずまた面白いイベントを一緒に開催しましょう。 音楽や人と偶然の出会いが多発する素敵な場所、それが新宿LOFTです。 いつも「おかえり」って顔で迎えてくれるみなさん。 ステージのセッティングもガンガン手伝ってくれて、音の相談も親身に聴いてくれるみなさん。 嬉しかったり悔しかったりいろんな気持ちを思い出す市松模様のステージとオムライス。 必ず再会してより良い音を、より楽しい時間をと、また一緒に試行錯誤してゆきたい。 私たちが「生きてるー!」って実感できるこの場所を、今だけじゃなくずっと守ってゆきたい。 お世話になったスタッフの皆さん、必死につくり上げたイベント、熱く奏でた音、お客さんの声、笑顔、其処にある沢山の想い…熱い一瞬一瞬を、鮮明に思い出します。 今何が出来るのか、何が正しいのか、簡単に言葉には出来ないけれど…自分に出来ることを探していきます。 新宿ロフトで、またライブをしたいです。 イベントを共に行い、沢山のイベントにも出させて貰った。 LOFTに行くといつも、搬入リハから帰る瞬間まで安心してステージに集中できた。 それはLOFTスタッフ皆さんの行動一つ一つのお陰。 安心して共にステージを作る事が出来るんだ。 それって簡単な事ではないし、一人ではなく皆さんがその空気を作ってくれている。 本当に感謝しかない。 打ち上げのLOFT飯はメンバー皆で毎回写真を撮る程に好きだ。 そんなLOFTとまた同じステージを共に作りたい。 その日を信じて、今は自分と周りを大切に凄そう。 LOFTへ愛を込めて。 上手のモニターが低くて、ひょっとして布袋さんが下手が定位置になったのはLOFTの影響?なんて当時は思ってたなぁ。 市松模様も僕にとっては憧れ。 歌舞伎町に移動になってからも沢山の節目でLOFTに立った。 今、全国のライブハウスやクラブが大変な時期にあり、ミュージシャン、音楽関係者と手を取り合って頑張らないと大切な思い出も場所も無くなってしまう。 失ってからでは遅い。 これからも末永くLOFTと生きていけますように。 池田スカオ和宏【音楽ライター】 今の俺は微力ながら新宿ロフトの役に立ててる」…35年近く前の高校生の自分に教えたい。 新宿ロフトに通い出したのは高校時、小滝橋の頃だ。 日曜に電車を乗り継ぎ2時間。 昼は輸入盤店や自主制作盤店をハシゴし、開場までウッドストック前の公園で時間をつぶし、夜ライヴを観て終電ギリギリで帰路につく。 以来幾つものシーンをそこで見てきたし、歌舞伎町に移ってからはロフトと共催で自身の企画を幾つも打った。 残念ながらステージに立ったことは一度もないのだが… 苦笑。 現在もRooftopのインタビュー等で携われているのは誇りだ。 この度、新宿ロフトが未曾有のピンチだ。 幾つもの救いをもらったぶん今度は自分なりに返す番。 絶対につぶさせない!! 今の自分のように、これからも多くの人に「あの頃、新宿ロフトであのバンドを観たんだゼ!! 」と後々みんなに自慢してもらうためにも。 上野大樹 今までの日常が変わってしまいました。 未来がイメージが出来なくなりました。 当たり前が当たり前ではなくなってしまいました。 だけど変わらないものも確実にありますね。 こんな中でも今現在新しい音楽は沢山産まれていて、更に過去に世に放たれた音楽は確実に今辛い人を助けてくれています。 勿論僕もです。 大切なモノを守ろうという活動が沢山の業界や界隈でムーブメントとして起こっています。 僕も思います。 大事な場所や人をこんな形で失いたくないと。 新宿LOFTが大好きなのは言うまでもありませんが、それ以上にまだまだ新宿LOFTでやりたいことがあります。 音楽を発信する人から受け取る人まで、沢山の人達を笑顔にしてきた新宿LOFTを今は僕達が支えましょう。 WOMCADOLE 新宿ロフトには、出る前から憧れを抱いていました。 初めて出演した時から今まで、ステージに上がる度、代々継がれて来た歴史的な空気感がヒリヒリ伝わってくる、そんなライブハウスです。 現状世の中では、ライブがうまく出来ない時間が続いていて、いろんなライブハウス、アーティストが血眼になり様々なアイデアを出し合っています。 素直な気持ち、魂で動いている事はいつだって変わらなくて、またみんなでライブをする為に僕らには守りたい場所がある。 微々たる力かもしれませんが信じてます。 いつこの長い夜が明けるかわからないけど、必ず明ける。 その時は太陽よりも熱い温度で、皆で歌いましょう。 <WOMCADOLE一同> えびさわなち【ライター】 つい先日、父が運転する車に同乗していたときのこと。 たまたま西新宿の小滝橋通りを進んでいた車内で父が「よく迎えに来ていたなぁ」と呟いた。 中学生から当たり前のように遊びに行っていた西新宿の旧ロフト。 若き日の父は帰りが遅くなってしまう娘を心配して、月に何度も夜のこの場所へ車を走らせていたのだな、とまさに息子が中学生になった自分の心には感謝が湧いた。 そして今日の自分を育んでくれた新宿ロフトへもまた改めて感謝をした。 様々な音楽と、たくさんの音楽人と出会わせてくれた場所。 新宿ロフトはライブハウス育ちの者にとってはホームだ。 ステイホーム。 音楽が鳴り続け、心が躍るホーム。 コロナ禍の中に在ってもこの音楽愛に満ちたホームを、どうか守らせてください。 おいしくるメロンパン 僕が新宿LOFTを知ったのは10年前の高校生の頃。 『新宿にロフトっていうなんかすげーライブハウスがあるらしい。 』といった感じで、そこでライブをやるということはおそらくものすごくカッコいいことなんだ、と憧れていました。 今でもLOFTでライブさせてもらう度に『おれ今LOFTに出てんなぁ』って思うし、「新宿LOFTでライブするのはカッコいい」っていう認識も変わっていないです。 そういう人は僕以外にも沢山いると思う。 そんな場所がこんな状況によって無くなってしまうのは、嫌だ。 僕は嫌だということで、支援をしたいと思います。 またLOFTでライブしたり観たりできますように。 <峯岸翔雪> 新宿LOFTは僕らが出演した回数が多いライブハウスの一つです。 僕らが初めて出演したのはLOFT BARの方で、その後も何度かBARの方に出演しましたが、少しずつお客さんも増えてLOFTの方にも出演するようになったりして…そういった僕らの成長を見てくれたライブハウスです。 何度も出演したステージはなくならないでほしいし、またLOFTでライブを見たい、ステージに立ちたいと思っています。 またLOFTでライブが開催される日を心待ちにしています。 <原駿太郎> 僕が最初に新宿LOFTに行ったのはバンド活動をはじめる少し前のことで、赤色のグリッターというバンドが主催していた赤色祭というライブイベントでした。 その時はお客さんとして赤色のグリッターやその他出演バンドのライブをみて感動した覚えがあります、僕にとってはバンド活動をはじめる後押しにもなったような体験でした。 一年後に演者として赤色祭に呼んでいただき、新宿ロフトのステージでライブをさせてもらって非常に感慨深いものがありました。 これからも新宿LOFTが音楽を志す方々にとって憧れのステージであり続けることを祈ります。 <ナカシマ> OLEDICKFOGGY OLEDICKFOGGYと新宿LOFTとの関係は深く、長いものになりました。 全国縦断ツアーの初日、ファイナルのワンマン・ライブをLOFTにて数えきれないぐらい開催させて頂いてます。 そして、LOFTスタッフの多くの方々がOLEDICKFOGGYを熱心に、純粋に、我々の活動をサポートしてくれています。 さらにLOFTを辞めてからもOLEDICKFOGGYのライブ・スタッフとして、サポートして頂ける方々も数多く存在します。 いつも、本当にありがとうございます。 バンドの活動の重要なターニング・ポイントとして、常にLOFTが存在してきました。 これからも、そうであり続けていきたいと思います。 また、あの「黒と白のタイルのステージ」に立てるために、偉大な先人の方々が立ってきた、あの歴史あるステージに立つために、来るべきライブ活動再開の時のために、刀を磨いていきます。 これからも、よろしくお願いいたします。 音速ライン "ロフトは勝手に実家だと思ってます。 デビュー前から今まで計り知れないほど思い出を作ってもらった場所。 ギリギリ20代の自分が見え隠れして照れくさい気もしますが、ロフトは僕の青春そのもの。 ステージ、楽屋、バー、スタッフさん達の顔、その全てが僕にとってはなくてはならないものです。 コロナの影響で本当に危機的状況ですが、きっと乗り越えられると信じてます。 出来る事があったら何でも言ってください。 ロフトは不滅! <藤井敬之> 自分の憧れのライブハウス。 今でもそれは自分の中で変わらない。 そんな中でロフトで沢山の思い出を作らせてもらって、その感謝は言葉では言い表せない。 しかし、新型コロナウィルスによって、こんな事態になるとはホントに思いもしなかった。 それは、ライブハウスに出演する方、もっと言えば、そこで、ロフトや音楽に従事する方々は本当に苦しい思いをしてると感じてます。 自分は個人的な意見になってしまいますが、やはり好きな場所、なくてはならない場所としてロフトはあります。 本当にロフトの樋口さん始め、スタッフさん全員に感謝しつつ、少しでも助けになればと思いこの文章を書いてます。 どうかこんな駄文を読んでいただいて、少しでも読んでいただいてる方々に気持ちが届きますよう。 <大久保剛> 怪人二十面奏 関西でバンド活動を始めた僕は当時、東京のライブハウスはあまり知らなかったけど、「新宿ロフト」はもちろん知っていたし、特別なものでした。 僕だけじゃなく沢山のバンドマンにとっての聖地。 あれから色んなステージに立ったけど、ロフトだけはいまだに僕にとって敷居の高い永遠に憧れのステージです。 個人的にプラスワンやネイキッドにもお世話になってるので沢山の思い出があります。 必ずまた立てますように!頑張りましょう! <マコト> 学生のころに好きになったアーティストをきっかけに新宿LOFTの存在を知り、それからいつかは自分もあの場所へと憧れました。 そんなロフトのステージにまた立てることを願って。 <KEN> ガガガSP 新宿ロフトの歴史は僕が言わずとも長い。 新宿になる前からするともうとてつもないミュージシャンが「ロフト」という名のライブハウスで演奏をしてきたと思うと、日本の音楽の歴史=ロフトと言っても過言ではない気がする。 僕達が初めて新宿ロフトに出演したのが18年前。 神戸で身内だけを集めて「お山の大将」みたいな事をしていた僕達にとってロフトに出演する事はとてつもなく緊張して、そして自分達もロフトの歴史の中に名前を入れてもらえる様な凄い興奮と感動をしたのを覚えている。 そこからロフトに出演する事も多くなり、凄く良くして下さったのですが、僕の中での新宿ロフトのイメージは「硬質」という事に変わりはない。 こういう場所を今回の状況で無くしてしまうのは「日本のロックの歴史」を半分位終わらせてしまう事になると思ってる。 そんな2020年なんてちっとも面白くない。 皆さんもおそらく色んな思いがあるだろう「新宿ロフト」に是非応援をお願いします。 ここはロックの聖地やねんから。 <コザック前田> CASCADE 新宿ロフト大好きなライブハウスです!思い出がいっぱいつまってます!いつも背中を押してもらってばっかりだけど、自分に出来る事があったらなんでも言って下さい。 応援しています!! <TAMA> 思春期に読み漁ったロック雑誌や、好きなアーティストのライブビデオで知った新宿LOFT。 市松模様の床に憧れて。 今でも新宿LOFTのステージに立たせてもらう時はいつも、あの頃の素敵な気持ちのまんまです。 これから、音楽の楽しみ方も新しい生活様式に沿って進化していくと思いますが、憧れの場所はこれからも、僕や、音楽に情熱を注ぐみんなのためにも、この状況を一緒に乗り越えて、ずっとそこにあって欲しいものです。 Forever Shinjuku Loft <MASASHI> 新宿LOFT、小滝橋通り時代から何度も足を運び色んなアーティストさんのLIVEを観て刺激や感動をもらってきました!CASCADE加入後、初めてステージに立った大切な場所でもあります。 LIVEは勿論、また終演後にオムライス囲んで盛り上がりたいです!何かあれば連絡ください、共に乗り越えましょう!! <HIROSHI> GOTCHAROCKA いかにライブハウスとは僕らにとって重要な場所だったか、最近特に考えます。 新宿ロフトさんにはイベントライブ、そして撮影場所としてもお世話になりました。 とあるライブの日の入りをした瞬間の事を思い出すと、ああ、こんな柄の床だったかな。 ここにスピーカーがあってステージの高さがどのくらいで、確か楽屋の行き方は…なんて追想していると心が華やぐのを感じます。 今はCOVID-19の影響で世界中厳しい状況が続いています。 生活様式も変わり、それに応じてエンタメの形式も少なからず以前とは変化していかなきゃいけないのかもしれませんが、ライブという文化だけは絶やしてはいけないと切に思っています。 必ずこの危機を乗り越えて、再び新宿ロフトのステージに立てる事を楽しみにしています。 <樹威> 新宿LOFTと言えば、僕にとっては自分の憧れたミュージシャンの方達も聖地と呼ぶほどの伝統ある素晴らしい場所で、得体の知れない大きい何かが宿ってるような感覚を受けます。 初めてLIVEをさせてもらう時、少し緊張しながら会場の扉を開けたのを覚えています。 そこからLIVEでお世話になったり、撮影で使わせていただいたり、LIVEを観に行かせてもらったりと僕にとっても思い入れのある場所となりました。 これからも僕たちを含め沢山のバンドにとって熱くて素晴らしいライブハウスであってほしいです。 この苦しい状況を共に乗り越えてまたLOFTのステージに立てること、みなさんと笑顔で会えることを楽しみにしています。 そしてオムライスも食べたいです! <JUN> アーティストとしてステージに立たせていただいてから長い事お世話になっているライブハウス。 振り返ってみると楽しかった記憶や、プレイ面等で苦い記憶もあったりと、いっぱい成長させていただいたなって思います。 今回世の中がこんな事態になってしまい、厳しい状況が続いていますが皆で一緒にこの苦難を必ず乗り越えましょう!そしてまたライブをさせていただき、沢山笑いながらお酒を交わしましょうね。 <十夜> KANA-BOON 大阪から夜行バスに揺られたどり着いた新宿歌舞伎町は、へべれけになった男女と朝食にありつこうとするカラスの群れが行き交っていて、賑やかだけど殺伐としたなんだかとんでもない街という印象でした。 どちらかというと田舎の方からやってきた僕達はずっとビクビクしていましたが、LOFTと出会ったあの日以来、とても好きな場所になりました。 いまだにビクビクはしますが 右も左も分からない僕達にとても親切にしてくれた、行く宛のない僕達と朝まで一緒にいてくれた、別れ際にはまた遊びにおいでと言ってくれた。 ライブハウスに入る前と出た後でその街や世界が変わって見える、そんな体験をさせてくれた新宿LOFTは僕達にとってかけがえのない、東京のホームです。 あたたかく応援してくれた新宿LOFTを、いま心から応援しています。 KANA-BOON 999999999 敬愛なる新宿LOFTへ 先ず俺たちは新宿LOFTと親と子の様な関係にあると思っていて、子である俺たちが「頑張れ」なんて言うのはおこがましく思う。 結成してこの方 どれだけのサポートをしてもらい、どれだけ好き放題やらせてもらったか。 好き放題=自由「好きに、自由にやっていいよ」常々、BOSS 柳沢さんが言ってくれた。 諸先輩方の重みを楽屋で浴びる。 初めてのメインフロアではナニカが宿った。 まだその巨大過ぎる懐に四苦八苦してる最中なんだ俺たちは。 こんな時だからこそ音楽をはじめる極渋達も出てくる。 迷わず新宿LOFTに行きなさいと言う。 また世界が拡がって行く。 消させない。 親の為なら俺たちはいつでも動く当たり前に。 全てを耐え切った後、どこでぶちまけるよ? <Vo. VOLT> 首振りDolls 新宿ロフトには特別な想いがある。 そして思い出がある。 このコロナ禍を乗り越えて、また新宿ロフトに立ちたい。 首振りDollsが節目に立つライブハウスに選んだ新宿ロフト。 そのロフトが生きる伝説として東京にある事の意味は、私にとってあまりにも大きい。 共に乗り越えましょう。 そして、ロフトでまた会いましょう。 <ナオ> ライブ活動は自粛してもロックの歴史は止まらない!ロックがある限りライブハウスは必要です。 新宿ロフトはこれからも日本の中心で伝説を作り続ける場所でありますように。 <ジョニーダイアモンド > 新宿LOFTは自分が首振りDollsに加入して初めて出したアルバムのツアーファイナルを行った特別な場所です。 沢山のお客さんが泣いて笑って今でもあの景色は忘れません。 そんな光景をまた新宿LOFTで見れますように。 1日でも早くライブなミュージックライフが戻ってくる事を願っております。 <ショーンホラーショー> クラカズヒデユキ【ドラマー】 私が新宿ロフトに初めて出演したのは確か19歳の時。 右も左もわからなかったガキのくせに老舗と呼ばれる超一流のライブハウスのステージに立てたこと。 多くの方の支えがあったからこそ実現したことでした。 それから数年に渡り、悔しい思いも最高な思いも、たくさんのことをロフトで経験させてもらいました。 果たしてその時の恩を私は返せたのでしょうか。 コメントという形でも、少しでもお力になれるならこの上ない光栄です。 が、理想はやはり音楽を演奏することで恩返しをしたいです。 その理想は、ロフトがこれから先も存続していてくれないと叶いません。 どうか私の目標と、新宿ロフトのこれからのために皆様のお力をお貸しいただければ幸いです。 また必ず、ロフトのみなさんと笑顔で乾杯するために。 また必ず、あのフロアから最高なライブを観るために。 また必ず、あのステージでみなさんと再会するために。 よろしくお願いいたします。 CRAZY WEST MOUNTAIN 5月11日に新宿LOFTとの共催フロアライブを控えていたのですが、例に漏れず開催は叶いませんでした。 まだまだ収束の時期も見えないこの状況、相談の末「中止」という文言を使って一度白紙に戻しましたがしかし、「白い紙」という言葉はしばしば「未来」の比喩として扱われるものであります。 バンドの活動予定もライブハウスのスケジュールも真っ白けですが、恐らくあらゆる価値観や表現がごろっと変革を遂げるであろうこの先の世界で、一体そこに何が描かれるのか。 そして僕らは一体何を描けるのか。 顔を上げれば案外やれることは多い筈ですから、LOFTもクレ山も腐ったりはしません。 活きてまた「再開」しましょう!ッシャァァーーーー! <Vo. 鶴岡良> KENZO(彩冷える、雷兄弟、BVCCIHAYNES、gremlins) 全てのミュージシャン、音楽ファンの方々に愛され、多くの伝説を生み、語り継がれてきた聖地。 そして僕自身もバンド、ソロ、プライベートと様々な形で大変お世話になっている場所、新宿LOFT。 そんな場所が無くなるなんて考えられない。 この場所は絶対に無くしてはならない。 今までのようにこれからも歴史を刻み続けて欲しい。 一人一人の力が重なり、積もり積もって、大きな力になる。 今こそ僕ら音楽ファンが力を合わせる時ではないでしょうか。 この事態が収束し、またあの空間で仲間達と音楽が奏でられる日を心から楽しみにしています。 微力ながら力にならせてもらいます。 一ファンとして。 SAKANAMON "新宿LOFTに始めて出演出来た時、憧れのステージに立つ嬉しさと緊張でブルブル震えました。 当時の僕等の集客 友達 はいつも数人。 楽しくて悔しいライブをした後、ブッキングしてくれた樋口さんに鼓舞して貰って、最後は阿保みたいな楽しい打ち上げで夜を明かす日々でした。 数年後、ロフトのステージから地面が見えないライブをした時は嬉しかったなあ〜。 かれこれ10年の付き合いになります。 本当に大切な経験を積ませてもらいました。 勿論今でもお世話になりまくってますしこれからも迷惑かけます。 ごめんなさい。 恩返ししなくちゃ。 応援します。 してます。 またライブが観れる日を、出来る日を心から楽しみにしています。 <gt. vo 藤森元生>" The Cheserasera "いつも朝おなじ時間に、赤い仕事着を着て、あくせく自転車を漕ぐおじさんが居ました。 どれくらいいつもかと言うと、僕が今のところに住んでから、同じロゴと同じ色の看板をしたお店を見つける程、ずっとそうでした。 先日その人が、長い脚立を登って、赤い看板を下ろしていました。 服ももう、赤くありませんでした。 看板って、店って、とても大事なもの。 人ならきっといつかまた別の場所で会える。 思い出だって絶対に語り継ぐだろう。 だけど、その場所に意味と意思がある。 なくなるとしたらそれはもう、 人一人死ぬようなもの。 日常から全て、ガラッと変わってしまうんだ。 じっと見つめて、果報を待ちます。 信じています! 一つ大きな企画が出来て、本当によかった。 次は、パンパンのワンマンです。 必ずやらせて貰います! 僕も頑張ります! <宍戸翼> the god and death stars 少年時代から憧れ続けたライブハウス新宿LOFT。 この先も僕達に素敵な時間と場所をたくさん作って欲しい。 共に乗り越えていきましょう。 またLOFTのステージに立てる日を心より楽しみにしています。 <kazu> ここで何度もライブをしてライブを観て、何度も朝まで飲んで、沢山の音楽と沢山の人達に出会いました。 東日本大震災や台風被害の時には救援物資を募る場所としても協力をしてくれました。 新宿LOFTは最高にロックで温かい場所です。 新宿LOFTがない新宿なんて想像も出来ません。 僕が今想像している事は、またここでライブをして、お酒を飲んで、オムライスを食べる事です。 また新宿LOFTで会える日を楽しみにしています。 <大嵩潤> THE STREET BEATS 1987年10月の東京初ライブ、1988年2月の東京初ワンマンライブ、そのどちらもが新宿LOFTだった。 まだLOFTが西新宿の小滝橋通りにあった30年以上も前の話だ。 1999年3月に西新宿のLOFTが最後を迎えた時もそのステージに立っていた。 歌舞伎町に移ってからも毎年の年明けライブ、春のツアーファイナル、夏のビーツマニア、と必ず年に3回はLOFTワンマンをやらせてもらってきた。 2020年も当然その予定だった。 憎き忌々しいコロナめ。 LOFTはホームグランドであり、次にまたみんなと会うための大切な約束の場所だ。 無くならせてたまるかよ。 音楽とライブを愛する全ての人達、力を合わせてこの窮地を乗り越えよう。 愛するLOFTにどうかご支援を! <OKI> THE SLUT BANKS "個人的には西口にあったころからの長い付き合いになる新宿ロフト。 気がつきゃ人生の半分以上の付き合いじゃないですか。 いつの時代のいつのバンドでも必ず世話になったステージです。 スラットバンクスも2007年のロフト大晦日オールナイトで蘇生復活して以来しぶとくまだやってます。 すげージジイになっちゃったけど、更なるジジイになってもまだまだ世話になりたいステージなので、ぐっと踏ん張ってほしい。 お互い頑張りましょう。 <戸城憲夫> 新宿ロフト、2020. 10月にはG. FLICKERS35周年の祝祭がありスラットバンクスも出演します。 延期だとか中止だとかそんなんばっか続きヤダもーってな日が続きますがみんなでお祝い出来ることをたのしみにしていまーす <TUSK> THE BLACK COMET CLUB BAND 新宿育ちで早熟?だった中学生の俺は、小滝橋通りの途中でママチャリを停車させ、きったねえ看板を睨み上げ、いつか必ず出てやるぜ!って心で叫んで。 それから数年後、その夢は叶い、いくつかのバンドでステージに立ち、友人のバンドの演奏を金も払わず楽屋から忍び込んで観戦したり。 歌舞伎町への移転後は、出演回数はぐいっと増え、なんとなくフラリと立ち寄っても、店長やスタッフに自然と溶け込めてる自分を誇らしく思ったり。 LOFTへ行けてないこの数ヶ月、あの階段を降りるイメージを脳内で再生してみたら、出迎えてくれるスタッフの顔が浮かんで。 なんだろうあの安心感。 多分、みんな、音楽業界で働きたい!ライブハウスで働いてみたい!ってよりも、LOFTで働きたい!ってスタッフしかいないんだ、きっと。 ひとこと、LOFT愛ですわね。 あー、俺もあるなー、LOFT愛。 LOFTの為なら何でもするぜ。 何でも言ってくれ。 出来なさそうなことは言わないでね。 コロナ収まったら、フラリと立ち寄ります。 <髙野 哲> THE PRISONER 私達は新宿ロフトに憧れ、新宿ロフトを目指し、新宿ロフトに夢を重ねた。 新宿ロフトで笑い転げ、新宿ロフトで泣き崩れ、新宿ロフトで奇跡の瞬間を何度も何度も目の当たりにしてきた。 新宿ロフトで出会い、新宿ロフトでぶつかり、新宿ロフトで再会を果たしてきた。 新宿ロフトじゃなきゃダメだったんだ。 新宿ロフトに育てられて、新宿ロフトに叩き込まれ、新宿ロフトに蹴りとばされて、新宿ロフトに抱きしめられてきた。 新宿ロフトは演者だけではなく、オーディエンスだけでもなく、スタッフだけでもなく携わる人達全員の意識の結晶みたいなものだと思います。 ライブハウスの名前ってだけではなく空間、現象の名前が新宿ロフト。 失くなることは有り得ない。 失くなすわけにはいかない。 その為であればどんな協力も尽力も惜しみません。 心の底から愛し、応援しています。 CIVILIAN 世の中がこんなことになる度に、自分は本当に無力だなと感じます。 ライブハウスや各地のイベント会場に少しでも恩を返せたらと思うけれど、今の僕に出来ることといえば、クラウドファンディングや募金になけなしのお金を払い、意見書に署名することだけです。 それがとても悔しい。 文化を残す為とか、そんな高尚な理由なんかじゃなく、大切な盟友や良い笑顔のお客さん達に何度も出会えた新宿ロフトが無くなってしまったら僕が困るので、続いて欲しいです。 僕に出来ることがあれば何でも協力します。 そしてコロナ禍が収束した暁にはどんと任せて下さい、必ず良い音楽と良いお客さんを沢山連れて、ロフトをまた人と音楽で一杯にしますから。 でも新宿のライブハウスに出て少しずつ新宿って場所の魅力に気づくことができた。 いいライブハウスは音楽人 演る側も聴く側も にとってある意味オアシスみたいな所だと思う。 早くまた新宿LOFTのステージに立って、LOFT BARで呑んで話して。 笑顔で沢山の人と会える日が早くきますように。 数えきれないほどの刺激を貰い、お世話にもなった場所。 ZIZが生まれた場所。 変わらぬ雰囲気と素晴らしいスタッフ陣、これからもずっと守り続けてもらいたい、私共ZIZも応援し続けます。 <Sugiya> 今も昔も憧れの新宿LOFT。 最高の音、最高の笑顔、最高のご飯、最高のお酒。 どれをとっても最高なのです!!そんな最高の遊び場、新宿LOFTさんをこれからもずっと応援していきます! <Yugami> 高校生の頃から新宿LOFTのステージに絶対に立つんだ!!と夢見て愛知県岡崎市から上京してきました。 近年では何年も連続で自分の誕生日イベントを開催させて頂いたり、ZIZの初ライブやレコ発、あらゆるバンドで出演させて頂いたり、自分がバーテンをするイベントをしたり、、大切な思い出が沢山この場所には詰まっています。 これからも更にその大切な思い出をスタッフの皆様と、そして新宿LOFTにワクワクしながら足を運んで下さる皆様と増やして行きたい、かけがいの無いライブハウス!!それが新宿LOFTさんです!!!!!!これからもずっとずっと応援して行きます!!!!!! <Chargeeeeee... > G. FLICKERS 1981年4月 上京してすぐ初めてLOFTに行った。 ChaosでPunkでRockな空間に圧倒されたよ。 他にはない ""えげつない空気""がたまらなく、アホみたいに通った。 83年くらいから憧れのステージに立てるようになり、 毎晩のように飲みにも行けば仲間も増えて かけがえのない場所になっちまった。 数えきれないRockerたちが同じ気持ちで あの市松模様を宝物にしてるはず。 そしてLOFTに通う全ての強者たちが""居場所""を守るに決まってるんだ。 客席もステージも それぞれのたまったRockを爆発できることを信じて。 Keep The Loft! クソコロナなんかに負けるわけねぇから。 <稲田 錠> cinemastaff 新宿ロフトにはもう10年以上お世話になってます。 2008年ライブ本番前に、新宿ロフトバーで1st minialbumに収録されている「AMK HOLLIC」のMV撮影を行いました。 これが僕らにとって初めてのMV撮影で、要領も分からずシーンを撮る度に実際に全力で歌った結果、本番前に声が少し枯れてしまった経験も今では懐かしいです。 その後何度も出演させて頂いてますが、2013年にはメンバーのGt. 辻の立ち上げたレーベルのライブイベントを開催したり、新宿ロフトの40周年のイベントにも呼んで頂いたり、フロアやステージだけでなく、楽屋やトイレ、もはや機材搬出口まで愛着があります。 これからも様々なライブを新宿ロフトで体験したい。 <飯田瑞規> C4 ライヴハウスというカルチャーの代表的存在である新宿LOFT。 小滝橋通りにあった旧LOFTに前のバンドで初めて立ったのが1993年。 その翌年にやった初めてのワンマンライヴも、初めてのソールドアウトライヴも新宿LOFTで体験させてもらいました。 そしてC4の初ステージも2007年の新宿LOFTであり、現メンバーでの初ライヴも2011年のクリスマスの新宿LOFTでした。 私如きの音楽人生にさえ、新宿LOFTにはこれだけの句読点がある。 演者&観客問わず、音楽を愛する人の人生に彩りをもたらす空間である、この新宿LOFTこそ、倒れつつある日本のライヴハウスを守る、まさに最終防衛ラインである事を強く訴えたい。 <TOKI> jealkb 僕たちがバンドを始めるきっかけになった大切な場所です。 早くこの事態が収束して、またLOFTで暴れたいです!そんな場所をみんなで支えあって守っていけたらと思います。 <haderu> jealkb初めてのライブは2005年4月6日新宿LOFTでした。 それ以来何度もお世話になっている大切な場所でまたライブが出来ることを願っています。 お酒が飲めない自分の楽しみは、ライブ後のオムライス。 ケチャップで描いてくれるステキなメッセージ。 新宿LOFT、あたたかいライブハウス。 <elsa> 聖地新宿LOFTは、僕たち趣味で始めたバンドが初めて人前で演らせていただいた思い出の場所です。 あの時の興奮と感動が忘れられなくて、人生で初めて組んだバンドを続けています。 出演させていただく度に市松模様のフロアでバンド名が書かれたオムライスを食べると、いつも実家や母校に帰ってきた様な気分になります。 これからもずっと、宜しくお願い致します。 <dunch> 僕たちjealkbが初めてステージに立った新宿LOFT。 とても思い入れが強いライブハウスです。 スタッフのみなさんもとても良くしてくれます。 ケチャップでメッセージを書いた美味しいオムライスを打ち上げで出してくれます。 早くあれが食べたい!LOFTで良いライブをして、あのオムライスを食べたい! <hideki> こんばんわ!jealkb ギターのエディです。 ずっと当たり前のようにLIVEが出来てたのが信じられないくらい出来ない状況です。 ロフトさんにはいつもお誘い頂いたり、たくさんの思い出がつまった場所です。 僕らやみなさんの大切な場所です。 みんなとまたここで会えるようにこれからもLIVEが続けられるように乗り越えていきましょう!Forever Shinjuku Loft! <ediee> Jin-Machine ロフトさんは「尖ってる」っていうところである。 ライブハウスっていう場所は、外から見たら尖った場所なのだろうけれど、何が尖ってるか、と言ったら企画、なのだ。 老舗ライブハウスで、キャパシティーもライブバンドにとっては節目のサイズだったりするから、もっと大人で落ち着いていてもいいのでは? とこちらが思うくらい、知ってから、貪欲だと思うのである。 それは私も無くしてはならない、と思うから、その運営、活動と対峙するとき、すごく刺激的なのである。 エンタメに貪欲な老舗、そこから受ける刺激、というのはとてもあります。 このライブハウスをまだまだ見ていたいし、その尖った舞台に立ちたい、と思うのです。 <featuring16> 田舎者の自分にとって歌舞伎町は怖いけどLOFTはどこかとても暖かくて安心させてくれる気がして。 でも時には厳しく優しく、初めて立たせてもらった時から沢山の出会いと経験をさせて頂きました。 当時ストリートロックファイルという雑誌があり、尊敬する方々の数々のライブレポを見ながら、いつかは僕もここに立つ!と夢見てました。 バンドで初めてステージに立てた時の事は今でも鮮明に記憶に残っています。 大切な宝物です。 日本のロックシーンの象徴である新宿LOFTは、音楽好きたちの故郷です。 音楽業界にとってかつてない程大変な時期ですが、みんなで乗り越えてまた音楽を楽しめる時代に向かっていくためにこれを見ている全ての皆様の健康を心から願います。 ライブハウスもミュージシャンも、そしてそれに携わるスタッフさんなどたくさんの方が苦しい状況になり、我々もその1人です。 数々のミュージシャンを輩出するこのライブハウスを絶対になくしてはいけないと思います。 感謝と応援、そして自分自身への叱咤激励も含め、このコメントに参加させていただきました。 またロフトで笑って会える日を心待ちにしております。 みんなで頑張りましょう!! <ルーベラ・木村・カエレ> 杉山オサム【レコーディングエンジニア】 初めて行ったライブハウスはまだ西新宿にあった新宿ロフト ハイスクールキッズだったボクはあの階段を緊張と興奮で降りて行ったのを覚えてる 隣のパイセンにコーラをこぼしてしまったがノープロブレムでとても優しかったんだ。 それから自分も出演させてもらうようになり 今度は楽屋裏の階段で本番前にウォーミングアップ、よく響く最高のスタジオだった.. 今でも弾き語り録ったら最高だったんじゃないかと思ってる。 それから今はもう亡くなってしまったシゲさん社長にレコーディングスタジオやるから エンジニアやってって言われて どんなスタートだよ笑 数々のアーチストと共にスタジオインパクトを18年やった。 ほぼ自分の人生じゃないか.. まだまだいこう! がんばろうぜロフト! SCAPEGOAT 新宿loft、この場所はとても憧れが強かったです。 思い切って飛び込んだのはもう8年前とかになりますね。 僕自身、バースデーイベントやらせてもらったりもしましたし。 憧れが気付けば特別な場所になってました。 またあのステージに立てるよう、日々僕自身も精進します。 ただいまって感じで楽しみにしてます。 <春> 市松模様の床、楽屋や廊下に貼ってある大先輩方の使用したセットリスト、ザ・ライブハウスという雰囲気と匂いが漂っているロフトは僕にとって憧れライブハウスです。 そのロフトでワンマンをさせていただいたり、イベントやバースデーライブもしました。 その度にロフトのステージに立てる喜び、フロアで打ち上げをして出演者と朝まで濃い話をした記憶があります。 (超美味いオムライスを作ってくれる)他のライブハウスでは作れない思い出をロフトにはたくさんいただきました。 これからも出演者とオーディエンスにたくさんの思い出が生まれる聖地であって欲しいと願います。 微力ながら応援しています。 また最高のオムライスが食べれる日を楽しみにしています。 <Sayula> あの市松模様のステージと思いきり手を伸ばせば届きそうな照明の熱さ、壁が見えないくらいに貼られたパスやセットリストの紙、重い扉にデカいオムライス、全部鮮明に思い出せる。 僕らは節目節目で出演させてもらってますが、ロフトの階段を降りるたびに強くなるあの独特の空気感と同時に、帰ってきたなってここまで思えるライブハウスはそうありません。 新宿ロフトはいつ来ても変わらずにそこにあって、それはこれからもそうであって欲しいです。 また出演できる日を、帰れる日を楽しみにしています。 <LAYHA> こういう状況になるとは誰もが予測していなかったしライブはライブハウスが無いと成り立たないし正直こんな事になるなんて想像出来ませんでした、同時にライブハウスの大事さが分かりました。 この事態でライブハウスが次々と潰れていってただただ悲しく思います、思い出だって沢山ありました、でも皆んなが協力して外出を控えた結果現在では緊急事態宣言が解除になりました、こちら側とすればいち早く今まで通りの日々ライブをしたいと願うのみです。 その何気ない1日の中でも感謝を忘れずに過ごそうと思います。 バンド側とライブハウス側これからも協力しあって素晴らしい世の中にしましょう。 <U> スネオヘアー スネオヘアーです。 新宿LOFTと言えば、老舗というか、怖いところというか。 田舎にいる頃から名前は聞いていました。 出るだけでなく、ライブも沢山観に行きました。 数えればきりがないけど、つばきの一色くんの最後になってしまったライブも観たし、山下達郎さんのライブも観た。 出身の新潟にいる頃から聴いていた憧れのバンドや沢山のミュージシャンが出てきた伝説のライブハウスでもあり、今や自分も含めていろんなアーティストの大切な場所。 みんなの大切な場所だから、これまで応援してもらった大切なライブハウスだから、ライブが出来る様になるまで、自分が出来ることは全力で新宿LOFTを応援させて頂きます。 コロナ、あっちいけ! SMORGAS 新宿ロフトの力をナメてはいけない。 SMORGASは2010年に再活動を開始し、2018年には21周年記念ライブまでこぎつけた。 その間にも大きなイベントがいくつかあったけど、SMORGASがそこまで頑張れたのには新宿LOFTの力がとても大きい。 正確にはLOFT店長の柳沢くんがSMORGASに惚れ込んでくれて、色々と世話してくれたおかげ。 もちろん21周年ツアーファイナルは新宿ロフトだし、ゲストにKj(Dragon Ash)、H ZETT M、DJ MASS、前田サラ、さかいゆう、ポチョムキン(餓鬼レンジャー)など多くの著名ゲストを迎えることができ大成功。 この10年間は新宿LOFTに勉強させてもらう事で成長できた部分は否めない。 個人的には西口にあった時代から通っていて、初めてブルーハーツを見た時の衝撃は今だに覚えてます。 LOFTはロックバンドの寺小屋かもしれない。 そんな場所が消えてはいけない。 s o t t o 僕にとって、新宿ロフトはたくさんの夢を叶えてくれた大切な場所です。 WHITE ASHがまだ学生バンドの頃。 音源を聴いてカッコいいねと声をかけてくれたのが、当時ロフトで新人発掘をしていた加藤さんでした。 それからロフトの事務所でCDを出させてもらって、全国のライブハウスやフェスで少しずつライブが出来るようになりました。 そして、かけがえのないファンの皆さんに出会う事が出来ました。 また、音速ラインをはじめ、大切な先輩や仲間に出会わせてくれたのもロフトでした。 想像してた以上に、たくさんの人に僕らの音楽が届いたのも、たくさんの人と出会い成長できたのも、新宿ロフトのおかげです。 そんな新宿ロフトがコロナの緊急事態宣言の影響で存続が危ぶまれる状況に至っています。 そこで、新宿ロフト発信の支援プロジェクト「Forever Shinjuku Loft」が立ち上がりました。 これから新宿ロフト独自の配信番組や、ドネーショングッズを製作・販売します。 新しい音楽と人に出会われてくれる場所、そしてたくさんの夢が溢れる新宿ロフトが今後も存続できるように。 皆さんも日々大変かと思いますが、無理なく出来る限りでご協力頂けたら幸いです。 そして新宿ロフトでまたみんなに会えるのを心から楽しみにしています。 WHITE ASH> 曽根巧【ギタリスト】 コピーバンドを始める、てかエレキギターに初めてふれる前から、「伝説のライブハウス」だから、存在は京都市の西隣のベッドタウンの田舎の中学生の時から知ってたの。 そんな新宿ロフト、初めて出演が決まった時はうれしくてうれしくて、みんなに自慢しまくったなぁ。 それから色んな人たちと一緒に、かれこれ100回くらいあの市松模様のステージに立ったんじゃないだろうか。 上手でも下手でも、前も中央も、照明で頭が焦げそうになるステージ後方も。 客席でも弾いたし、左右のモニタースピーカーの台の上でも弾いた。 新宿ロフトが輩出してきた偉大なアーティストってたくさんいるし、それを夢見て、現在進行形でバリバリやってるバンドマンもいーっぱいいるんだろね。 でも日本の音楽史にきっと名の残らないオレみたいなのにとっても、ロフトは大切な大切なホームなんだよね。 じゃないと、「ロフトもすっかりトーク小屋っすねー?」みたいな冗談言えないよ。 みんなで乗り切って、またやろーね。 ダウト これ以上、僕らが帰る居場所が無くなるのは嫌だ。 <幸樹> 新宿LOFTさんは何度もお世話になったライブハウスです。 毎回入りする度に入り口が分からなくてウロウロするのでとても印象的なライブハウスです。 それとスタッフさんがとても親切でアットホームな箱という印象があります。 今の時期、自粛要請やコロナウイルスの影響でバンドも大変ですが、ライブハウスはもっと大変だと思います。 新宿LOFTさんにはこれからもバンドやファンの居場所として続けて行って欲しいです。 ライブハウスとバンドとファン全員が手を取り合ってこの大変な時期を乗り越えましょう。 新宿LOFTをこれからも応援しています。 <威吹> 自分がキッズ時代から映像などでも観てきた場所でもある歴史あるライブハウス。 自分達も出演させてもらったことがありますが、その際、映像で見た場所だ!!と、感動していました。 アーティストの方や、ファンの方もそれぞれの想いが刻まれていると思います、そんな素敵なライブハウスです。 <ひヵる> LOFTのステージにはまだ数えるくらいしか立った事ありませんが、今の状況をお互い乗り越えてまたステージに立たせて頂く日が来るのを楽しみにしています。 <玲夏> アットホームな雰囲気が大好きなライブハウスです。 また必ずステージに立たせて頂ける日を楽しみにしております。 全てのライブが止まり、取材も止まった。 そう思うと、こうしてエンタテインメントに関わる仕事をする身としては、とても非力に感じてしまうのである。 しかし。 全てが止まった今、思い返すのは、ライブハウスのスタッフやアーティストやそこに関わるエンジニアや制作陣と築き上げてきた関係性や、アーティストとオーディエンスがくれた、その瞬間に生み落とされた感動だ。 そこに私自身何度救われてきたことか。 そんな大切な場所が失われていいわけがない。 私にとって、ロフトは特に思い出の深い場所。 節目となるライブや、トークショー、親しいスタッフとのやり取り。 ライター人生の中で必要不可欠な場所と言っても過言ではない。 非力ながら力になれればと。 1日も早くロフトに光と笑顔が戻り、この先も、共に歩んでいけますように。 田中聖 この事態の中で、1番始めの方に営業自粛を余儀なくされ、恐らく1番最後の方まで営業自粛を余儀なくされているライブハウス。 世間ではライブハウスは、音楽は必要ないとされてきました。 でも星の数程の夢を叶えてきて、大袈裟ではなく、アーティストやお客様の命を救ってきたのは事実 自分もその1人です 40年間でたくさんのアーティストの夢を叶えた場所 そこを守る決断をしたLOFT そして夢を叶えてもらったアーティスト そんな皆の気持ちに少しでも賛同してくれた方は、強制ではないし無理のない範囲でいいです。 どうか助けて下さい。 大事な仲間と出会ったのも、大好きなバンドのワンマンでフロアで暴れたのも、仲間と酒を飲んだのもただの思い出にしたくないです。 力のない情けない自分に少しでも力を貸してくれたらそれだけで大事な場所が守れます。 いつか""いつも""でまた会えるように!よろしくお願いします! DaizyStripper ROCKの聖地はどれだけの笑顔を生み出して来ただろう。 勇気や希望を与えられる場所が永遠で在りますように。 また楽しいライブと打ち上げしましょう。 <夕霧> DaizyStripperが結成当初からお世話になってるLIVE HOUSEの1つである新宿LOFTまたあのステージで魂の解放し、もう出逢えないこの「1秒」に今を刻む時が来る日を楽しみにしています。 <なお> 数々の名演が溢れたこの市松模様の音楽の溜まり場に、これからも音楽が溢れている所を観たいです!共に頑張って今を乗り越えましょう!! <まゆ> DaizyStripperとしてステージに立たせて頂いたことがあり、思い出が詰まった新宿LOFT!事態が収束し、また笑顔満ち溢れ活気的なステージとなる日を楽しみにしています! <Rei> 新宿LOFT、スタッフ一丸となってその日のギグに全力で取り組んでくれるところがとても好き。 だから数々の伝説が生まれ、ロックの歴史そのものが詰まった聖地になったんだと思います。 そんな素晴らしいこの場所をみんなで守りましょう。 また市松柄の床の上でみんなで暴れられる日を、心待ちにしてます。 Rock it! <Kazami> DEZERT 新宿loft 色んな音との出会いの場。 色んな人との出会いの場。 僕にとって特別なライブハウスの一つです。 愛に包まれたあの空間、絶対に日本のロックシーンにおいて必要不可欠なみんなの場所です。 今、苦しくない人はいないと思います。 僕も何をしたらいいのか、何を音楽人としてやるべきか日々模索しています。 もしこのコメント、そしてloft foreverという新宿ロフトが発案した企画を読んで、少しでも何か共鳴したことがありましたらいつかまた新宿ロフトで共鳴できる事を祈って、お力になってもらえたらと思います。 もちろん僕もできることはさせて頂きたく思っております。 一緒に願晴りたいです。 1日でも早く新宿loftで共鳴できますように。 <SORA> defspiral 新宿LOFTの楽屋からステージに続く通路が好きです。 ステージへと向かう数多のバンドマンの気が染みこんだ通路です。 キッズの頃からの憧れの地、多くのバンドマンにとっての聖地。 この火を灯し繋げていかなければいけません。 力を合わせましょう。 <TAKA> キッズの頃から新宿LOFTに出てるロックバンドに憧れ、上京して自分のバンドで世話になり、この場所の素晴らしさを身を以て知りました。 自分にとって東京のホームでもあるLOFT。 多くのミュージシャンやファンの想いが染み込んだステージ、楽屋、フロア。 喜怒哀楽の詰まったかけがえのない場所。 またここで、輝いた時間を共有できるよう、歴史を止めないよう、皆でひとつになろう! <MASATO> バンドマンにとってLOFTとはやはり聖地なのです。 みんなが憧れて目指した場所。 僕ももちろんその一人です。 初めてあのステージに立てた時の事は今でもずっと覚えています。 失うわけにはいかないんです。 なので、全力で支援させていただきます!今この状況を乗り越えて、また沢山のアーティストが聖地LOFTのステージに立てるように皆さんの力を貸してください! <RYO> まだ辛抱が必要ではありますが、少しずつ良い兆しが見えて来ましたね。 もとの生活に戻れた時には、またライブに集まってくれたみんなを共に救えたらと思います。 どうかよろしくお願いします。 <MASAKI> DuelJewel ミュージシャンを夢見てメンバー探しに明け暮れていた16歳の頃、当時のLOFTで先輩のライブを見させてもらい、心底羨ましかった事を思い出します。 先輩と言えど、まだまだ演奏も歌もアマチュアのレベルだったように思うけれど、一生懸命に真っ直ぐにステージで演奏する姿がとても素敵でした。 何よりもそんな素晴らしい経験を共有出来る仲間を見つけられた事が、すでに奇跡なのだと思います。 今多くの困難と向き合うライブ会場や音楽を愛する全ての方の想いが、必ず報われる日が来ると思います。 それまで助け合いながら乗り越え行きましょう!! <隼人> 大変な事態になってしまい思う事は沢山あるけれど、音楽やライブハウスが悪い訳じゃない事はきっと音楽を愛している人ならわかっているはず。 大ダメージを受けている音楽業界の中で、この先どうなるかは誰にも想像がつかないけれど「伝説」と称される新宿LOFTさんにはこの先も伝説を生み出し続けてほしいですし、いつかまたライブが当たり前に出来るような時期が来たら、このライブハウスで演奏をする事を夢見ているアーティストに、あの特製オムライスの感動を与え続けられる素敵なライブハウスであり続けてほしいと思います! <Shun> まずは謝らせてください。 オムライスのケチャップのかかった部分を優先的に食べていたのは僕です。 当然ライブ後の揚げ物も五臓六腑に染み渡り、カロリーも気にせずビールで流し込む覚悟もいつも容易に決まっていたものです。 いつも通り、入りするだけでワクワクするライブハウスであり続けてください。 Forever!! <祐弥> 普段はご一緒できない先輩方とご一緒でき、勉強ができる貴重なライブハウスだと思ってます。 そういうライブを実現できるライブハウスでまた早くライブが出来る事を楽しみにしてます! <Natsuki> 数々のアーティストを育ててきた日本を代表するライブハウスの一つであるLOFTさん。 DuelJewelとしても何度もステージに立たせていただきました。 バンドもライブハウスも今非常に大変な時期ですが、なんとか今を乗り越えて再びLOFTで演奏できる日を楽しみにしてます!! <ばる> 東京カランコロン 新宿LOFTでのライブは思い出深いものがたくさんありますが、一番覚えているのはピロウズ先輩に誘ってもらったイベント。 その日はピロウズ初代サポートベーシストの鹿島さんが特別に参加して、ピロウズの最初期の頃の曲も披露されるという一種パーティ的なノリのある日で。 おれはそんな事とは知らず(当然出番はカランコロンが先)、おれ自身その時バンドをやるのがかなりしんどくなっていて、まさかの過去にピロウズvoさわおさんに励ましてもらった話をライブのMC中にしてたら、思わず泣き出してしまう、という超絶恥ずかしい思い出があります。 まぁ、おれの話は取るに足らないとして(笑)、もっとたくさんの奇跡が起きたであろう新宿LOFTには絶対に無くなってほしくありません。 みんなの力を音楽と、ライブハウスが起こす奇跡を残していきましょう。 <gt. vo いちろー> 中島卓偉 1995年から1997年くらいだったでしょうか、10代だった僕はPUNKバンドをやってまして、新宿LOFTの昼の部にせめて出たくて、デモテープを送り、または直接お渡しに行ったりしました。 が、何回断られただろうな、「PUNKなのに歌が上手過ぎる」「全曲ポップなんだけどジャンルが幅広すぎてわかりづらい」そんなことを言われました。 1999年にデビューして4~5年経った頃でしょうか、新宿LOFTのイベントに呼んでもらえました。 素直に嬉しかったです。 スタッフに嫌な人が一人もいませんでした。 僕にああいうことを言った人は誰だったんでしょうか。 こういうことを今書くってのはお約束でしょう(笑)。 僕はソロでありながらバンドっぽい音を鳴らし、ジャンルに囚われない幅広い曲を書き、歌ってパフォーマンスするスタイルを21年貫いて来ました。 PUNKなのに歌が上手過ぎる、全曲ポップなんだけどジャンルが幅広すぎてわかりづらい、そういう感じが中島卓偉のスタイルです。 本当に良く言ってくれたと思っています。 だからこそ貫いてこれました。 新宿LOFTこそジャンルが幅広過ぎるバンドが出まくり、ロックを貫いてこられた最高のライヴハウス。 今後もめちゃくちゃにやっていってもらいたいです。 こんなことに絶対に負けてほしくない。 日本一のライヴハウスだと僕は信じています。 何か出来ることがあればいつでも言ってください。 今後ともよろしくお願いします。 nicoten 2011年、震災後の困難な世界で、若造バンドマンのために伝統あるステージと貴重な出会いを提供してくれたおかげで、今日の自分がいます。 きっと今この瞬間も、困難な世界の中もがく若いバンドマンが、あの舞台に立つ姿を思い描いているはずです。 どうか彼らに最高のステージを。 僕らも絶対またあのステージに立ちたい! お陰様でnicotenも10周年。 今まで応援してもらった分、ロフトプロジェクトへ心よりエールを送ります。 <岡田一成> ライブだけではなく、バンドマンとして大切なことを沢山教えてもらった新宿LOFT。 それ程までに自分の中で存在が大きいものなのだと気付かされました。 音楽を演奏出来る場所は僕らミュージシャンにとって大事な居場所です。 新宿ロフトは僕にとって一番大事な居場所です。 そんな僕らの居場所を微力ながら応援しております。 一日も早く平穏な日常が訪れんことを願って。 全員が本気で夢を見るから、傷つくことも、ぶつかり合う事もあります。 でも、それを越えた先の感動を味わったら誰にも止められません。 ロフトの舞台に憧れて、俺たちもやっとここまで辿り着けました。 「野望は、この市松模様の上に立ち続けること!」LIVE!! という文化は一時的に抑制されても、人間のその需要は決して滅びないと思ってます。 オンライン上ではこの粋で乙なものは体験できない!!絶対また希望の場所、ライブハウスで会いましょう!新宿ロフト!これからも日本一のライブハウスとして、待ってろ!! ネクライトーキー ロフトって結構広くて、最大で五百から六百人くらい入るんですよね。 なのでブッキングイベントとか、割と頑張って人呼んでも全然ガラガラだったりするんです。 大変だ。 それでも樋口さんって愛を持ってバンドに接してくれるから、「このハコに恩義を返したい」って僕個人はそう強く思えるんです。 ただ打ち上げはスパルタ。 樋口さんが本格的に酔い始めるともうダメです。 終わらない。 朝の七時まで続いて「でもね、緑茶ハイは残らないから大丈夫なの」って言いながら飲み続けていたのにその後Twitterに思いっきり「二日酔いで頭痛い」って書いてました。 そういえば俺はまだパンパンに埋まったロフトでライブしてないです。 あんなに広いロフトが自分たちを見に来てくれた人で埋まる瞬間を見てみたい。 その日はまた朝まで打ち上げしましょう。 <朝日(Gt)> NoGoD ステージに立てる事に制限がかかるなんて思ってもなかった事でした。 当たり前の事が当たり前に出来ない事に、こんなにももどかしい思いをした事はありません。 新宿LOFTのスタッフの皆さんもライブハウスの日常が脅かされるものとは思ってなかった事でしょう。 今を耐え忍び、再び熱いステージを、あの景色を今一度味わいたいと思ってます。 <shinno> この場所がなければ、この方達がLoftにいなければ叶う事がなかった、そんな掛け替えのない出会いを沢山授けて頂きました。 またLoftという場所で、沢山の出会いが育まれる日が少しでも早く訪れますように。 <Kyrie> 誰もが知っていて、誰もが憧れるライブハウスである新宿LOFT。 数々の伝説を生んできたLOFTが無くなってしまったら、音楽業界全体としての損失です。 NoGoD一同、LOFTを守る為に全力でサポートさせて頂きます!個人的にもLOFTグループの色々な箱にお世話になって居るので、バンドライブでもトークライブでも今後とも宜しくお願い致します! <団長> 楽しいイベントをやっていただいたりなかうちでも楽しませて頂いたりでお世話になり感謝も沢山です。 このように沢山の素敵な思い出と歴史がつまっている場所が負けるはずがないと信じておりますゆえ、またステージにたたせていただきたく思います。 大変な世ではありますが共に乗り越えていきましょう! <K> heidi. 新宿ロフトはロック魂を引き出してくれる最高の場所。 heidi. の周年に使わせてもらったり沢山の思い出が俺の心に詰まってます。 でもまだまだ足りないな。 もっとロフトで声枯らして汗かいてうまい酒飲んでそして美味しいオムライスが食べたい!!今は大変な時期だけど皆で乗り越えていきましょう。 沢山の人達を笑顔にしてくれる場所。 また新宿ロフトで逢いましょう。 <義彦> heidi. 結成当初からお世話になってる新宿LOFT。 個人的に言えばその前からお世話になっています。 大事なライブで使わせてもらうことも多く、いつもアットホームな雰囲気で自分達を迎えてくれました。 LOFTに出演する時は他とは違う高揚感があります!大好きなライブハウス、これからもずっと盛り上がっていって欲しいです!LOFTならこの困難もきっと乗り越えてくれると信じて応援しましょう!またあのステージに立って最高の打ち上げができるのを楽しみにしてます! <ナオ> 楽器を始めた高校生の頃から雑誌やアーティストのライブ映像でずっと憧れてた聖地ロフト。 何度も素敵な景色を見せてくれたロフト。 またあの市松とともにロフトでフロアのみんなの笑顔をみて楽しかったって笑いながら恒例のオムライスを食べられる日がくるのを願ってます。 <コースケ> 新宿LOFTさんでは昨年アニバーサリーライブをやらせて頂き、そして公演中止となってしまいましたが今年もLOFTさんでアニバーサリーライブの予定でした。 heidi. 活動初期から何度もライブをしてきた、僕らにとってもファンのみんなにとっても大切な場所です。 これからもまたみんなでこの場所で新しい思い出を作りたい。 明るい未来になる事を心から願っています。 LOFT名物打ち上げオムライスも早く食べたいです。 30 でした。 ライブ後のパブタイムでメンバーの皆さんとお話しをさせて頂いた事は、つい昨日のようです。 BUCK-TICKの初出演は太陽祭 86. 10 と言う太陽レコードのイベントでした。 上京して一番出演したかったライブハウスだったので凄く興奮した事を思い出します。 最近ではPV撮影でお世話になりました。 個人的にはドラマーミーティングで1月にお邪魔しました。 新宿ロフトは1976年から続く音楽文化遺産だと思います。 今、困難な状況ですが早く再開出来る事を、一新宿ロフトファンとして願っています。 <ヤガミ・トール> 1985年に群馬から上京するとき、新宿ロフトはすでにロックの発信源で、たくさんの素晴らしいアーティストを輩出していたライブハウスだった。 そして、そのステージに立つことがBUCK-TICKの目標で初ステージの感動は今でも憶えている。 今、世界中が新型コロナウイルス感染問題で、大変な時期、新宿ロフトも危機に瀕している。 また、たくさんのアーティスト達がロフトのステージでライブができるよう、協力しあいお互い頑張って、この苦境を乗り越えてましょう。 春が来ます。 どうかその日まで。 <櫻井敦司> 爆裂女子-BURST GIRL- 私たち爆裂女子は新宿ロフト様にはたくさんの思い出があります。 中でも一番の思い出は、爆裂女子1周年記念ワンマンライブを大好きな新宿ロフト様で開催することができたことです!私たちの前身グループ『偶想Drop』の解散が決まり、自分たちの力でグループを結成し、いつかワンマンライブを新宿ロフトでやりたいという気持ちを爆裂女子の結成時から強く持ち続け、セルフプロデュースで1周年ワンマンライブを新宿ロフトで迎えることができた思い出は一生の宝物です!新宿ロフトを私たちの後の世代にも引き継いでいつか私たちがおばあちゃんになったときに『あの頃は』とお話しができるように新宿ロフトをみんなで力を合わせて守り続けたいです!そして新宿ロフトのとても美味しいオムライスの味、ライブハウスに遊びに来るお客さんの笑顔を守り続けるライブハウスと何年後も続くことを願っております!そしてまた爆裂女子も新宿ロフトでのワンマンライブを成功できるよう走り続けていきます!がんばれ!新宿ロフト!!! 八十八ヶ所巡礼 新宿ロフト。 我々にとってとっても大切なライブハウス。 個人的にも思い入れのある場所で、8月は毎年、8月8日と8月18日にワンマンライブをやらせてもらってるんですが、奇しくも僕の誕生日が8月9日。 なので、8月8日の打ち上げ中に毎年誕生日を迎えています。 みんな祝ってくれるんですが、ロフトからのプレゼントは誕生日ケーキではなく、ケチャップでメッセージが書かれた特大のオムライス。 それも、毎年決まって。 これを残さず食べきるのに毎回必死です。 有り難いです。 そんなロフトの人たちが大好きだし、またライブがしたいです。 この苦しい時期を乗り越え、あの時は大変だったねと、ロフトのみんなと笑って打ち上げができる日が来ることを、心から願っています。 <Kenzooooooo(Drums)> パノラマパナマタウン 新宿LOFT。 両親が通っとったらしいけど、それは多分歌舞伎町に移転する前の話。 そりゃあもう、上京してきたら憧れの場所で、メジャーデビュー発表をあの観客とほぼ同じ目線のLOFTのステージ上でやって、風かと思うくらいのドバーッて歓声を受けて、そういやあの日の映像撮ってなかったらしい。 そりゃないよと思ったけど、やっぱりライブは一回きりやなあ。 パノラマパナマタウンにとって、ことあるごとに帰る場所。 また、LOFTでライブができますよう。 <岩渕想太> 新宿LOFTのフロアから一段高いところにあるテーブルで、煙草とブラックコーヒーを並べてリハの準備をするのが大好きです。 またあの白黒のステージで白熱のライブと黄金のオムライスを。 <浪越康平> ライブをやらせてもらったことも客として観にいくことも同じくらいある新宿LOFT。 よく思い出すのは、上京前にガラッガラのLOFT BARでライブをしたこと、Qomolangma Tomatoを観たこと、近くの駐車場でレンタカーを擦ったこと、上京してパンパンのLOFTでワンマンをしてメジャーデビューを発表したこと。 関西出身の自分にとって、今も昔も新宿LOFTは東京で刺激的な場所であり続けている。 無軌道なエネルギーに満ちていて、落ち着くからか落ち着かないからかなのかは分からないが酒のペースは確実に進む。 LOFTに向かって歌舞伎町を歩いているときの高揚感を早くまた感じたい。 新しい生活様式が提唱され、いろんな業界が徐々に営業を再開させて行くだろう。 新しい形でスタートを切っていくだろう。 ライブハウスが以前のようなスタイルで営業出来るようになるのは一番最後だろうと思う。 配信ライブで楽しんでもらえるような内容やシステムを考えて実行する?ステージに飛沫感染防止の為のアクリル板を設置して、客の数を制限してソーシャルディスタンスを徹底する?どれも音楽の未来の為には必要な事だとは思うが、ライブハウスの大きな音、ちょっと背伸びをして悪い事をしてるような雰囲気、群衆の熱狂、そこで生まれる一体感、それに変わるものはないでしょう。 沢山のビッグスターを生み出した場所、新宿LOFTがこれからも日本の音楽文化の未来を育む場所でありますように。 BALZAC バンドがスタートしたときから、とにかく新宿LOFTに出演するのが僕らの目標でした。 まだ西新宿小滝橋通りにあった頃に初出演させていただいて以来、もう四半世紀近くになります。 これまでいろいろな経験をさせてもらったし、今もライブのときは、スタッフの方々の温かさにホームに帰ってきた安心感があると同時に、絶対的な緊張感もあるのが新宿LOFT。 これからも僕にとってずっと特別な場所なんだろなって思います。 打ち上げで出てくる名物のオムライスにケチャップでバンド名を書いてもらえるのも嬉しいしね。 今はみんなが苦難のときだけど、乗り越えてまた新宿LOFTでライブできる日を楽しみにしています。 <HIROSUKE> BAROQUE Vo. 怜です 新宿LOFTはBAROQUE kannivalism どちらのバンドとしても、何度も何度もチャレンジした所縁ある会場です。 BAROQUEの活動は、新宿LOFT無料ライブ2公演から始まりkannivalismが本格始動する時も、新宿LOFTでスタートでした。 出演する際に使用したオープニング映像を会場にて撮影したのを今でも覚えています。 その後も活動していく中で、イベント出演や様々な公演を重ねてきましたね。 俺たちの音源やポスターを純粋に喜んでくれたり、心を素直にしてくれたスタッフさんもいます。 語りつくせない思い出も大切ですが、まだまだこれから先の未来でも、音楽でご一緒できるよう願います。 <怜> 新宿ロフト、俺達BAROQUEにとって実は初ライブ…始まりの場所。 乗り越えた先の未来でまた必ず会いましょう。 今はとてもとても厳しい時期だと思いますが、僕たちはあの場所が無くなる訳が無いと思っています。 ヒグチアイ 故郷は一つじゃない。 わたしの地元長野は山に囲まれていて、県としては広くても、行ける範囲が狭かった。 テレビで見る東京の景色に憧れた。 上京して西武新宿線沿いに住んでいたわたしにとって新宿は、初めての東京だった。 その後いろいろなライブハウスに出演していろいろな場所へ遠征をして、光を知った後に深い闇を知った。 もう音楽をやめてしまおうか、と思っていたときに新宿LOFT樋口さんに出会った。 いつもあの曲がいいねいい歌だねと口にしてくれた。 わたしは今でも東京に住めているのは、あの日の樋口さんのおかげだと言っても過言じゃない。 大事な人がいて、また帰りたくなったら、その場所は故郷である。 新宿LOFTはわたしの故郷である。 君は本当にその生き方でいいの? それを問われてる感じ。 そんな事を聞かれたにしても、きっと僕らは「うん、それでも音楽を続けて生きていきたいんだ、続けて行くんだよ!」と、秒で答えるでしょう 笑 その為に今現在、自粛をしていますが来たるべき時が来た時、反動で物凄いPowerを出せる。 そんな気がしています。 どの世界も厳しい状況では在りますが折れないだけの勇気、希望、愛情、ってやっぱり音楽から貰って居るはずなのでもう少し頑張って、また笑顔で逢える日まで静かな闘志で日々、乗り越えて行きましょう!!そして朗らかに、誓いを胸に。 <浅岡雄也> フジファブリック 新宿ロフトは自分たちを育ててくれた、言わばホームのライブハウスです。 様々なモノやコトの価値観が日々変化していくことを肌で感じてはいますが、事態が収束し、またあの空間でみんなと一緒に楽しみたいというのが素直な思いです。 「Forever Shinjuku Loft」皆さま、よろしくお願い致します。 <山内総一郎> 新宿といえば新宿ロフトというくらい、自分の中では象徴する場所だし、何より自分が育った実家のようでもある。 今もなお、たくさんの音楽やカルチャーが生まれる物凄いエネルギーが、今回の壁をも打ち破ってくれると信じています。 <金澤ダイスケ> 辛くて心が晴れなかったりどうしょうもない気持ちになった時はいつも音楽、ライブに救われてきました。 まさに憧れのライブハウスでした。 今の場所になってからは何度も出演させてもらい大変お世話になっています。 この大変な状況を乗り越えてほしい!!またロフトのステージに立ちたいです!! <IKUO> 子供の頃から見ていたあの印象的な市松模様。 新宿LOFTはLUNA SEAが良く出ていたので、真矢さんのローディーだった僕は「自分もいつかこのステージでプレイしたい!」と強く思ったのを覚えています。 この窮地を乗り越えて、また僕らをこのステージに立たせてください。 <淳士> Bentham "良いライブハウスは何が良いのだろうと考えた時に、照明器具や音響設備が良いという事も勿論大切な事だけど、その箱が持つエネルギーや歴史も大切な所だと思っています。 新宿LOFTという場所はライブハウス側の想いとお客さんの想いがイコールになってる数少ない箱だと思っています。 勿論僕達ミュージシャンも同じ想いです。 この想いを感じる為に、伝えていく為に、新宿LOFTというライブハウスは今後も残していきたいし残るべき皆んなの居場所だと思っています。 またあのステージに立てるように頑張りますので、箱もお客さんも何とか頑張っていきましょう。 応援しています。 また会おう、新宿LOFTにて。 <vo オゼキタツヤ> 新宿LOFTはBenthamをやる前からずっと憧れの箱です。 ここでやると青春に戻るんですよね。 歴代のアーティストと同じ場所に僕が立ち、僕達の前には歴史を見続けてる人が立つ。 ライブをやるとLOFTならではのすごく独特な雰囲気になるんです。 その時間が恋しい。 言葉では伝えきれない時間がまた帰ってきますように。 再開を共に、僕等も頑張ります。 <gt 須田原生> 新宿LOFTは関西から上京した自分にとっては憧れのライブハウス。 初めて出演できたときはバーステージで、「いつかメインステージに立ちたい!」と強く願ったものです。 楽屋通路には学生時代に大好きでコピーしてきた先輩バンドたちのセットリストが所狭しと張られていたり、ライブハウス内の至る所にこれまでの日本の音楽の歴史を感じることが出来る、そんなハコ。 自分がそうであったように、また、先輩たちにとってもそうであったように、新宿LOFTはこれからのミュージシャンたちにとってもずっと憧れの場所であって欲しい。 樋口さんはじめ、最高にハートフルなスタッフさんたちが迎えてくれる新宿LOFTでまたライブが出来る日を心待ちにしています。 大好きです、新宿LOFT。 <ba 辻怜次> 歌舞伎町のど真ん中で唯一ホーム感を感じれる場所、新宿ロフト。 そのステージに4月立てる筈だったけれど、やむを得ずライブは見送りに... ライブハウスは音楽だけでなく、様々な出会いと別れがある、ドラマが生まれる場所です。 大好きな場所を守れるように、そしてこの苦境を乗り越えて行けるよう願ってます! <AMENO> どこのライブハウスのステージに立たせていただいても いつも思う事があります。 それはこのステージで夢を掴んだ者たち。 そして 夢破れ儚く散っていった者たちがいる事。 その想いを胸に 新宿LOFTのステージにも 毎回立たせて頂いてます。 ライブハウスには沢山の物語があるんです。 そんな大切な場所これ以上なくなって欲しくないです。 新宿LOFTから沢山の物語がこれからも生まれ続くこと心から願ってます。 新宿に移転してからも幾度となくLIVEをさせていただき個人的に沢山の思い出が残ってます。 数々のアーティストが伝説を残してきた新宿Loft。 いまだからこそみんなで力を合わせてこの壁を乗り越えなければならないとき。 > 新宿Loftといえば昔からの老舗であり、たくさんのロックスターもステージに立った場所で、きっとみんなの好きなアーティストも1度は立った事があるはず。 これからのロックスターや伝説のライブを今後も新宿Loftから生み出していくには、今この状況を乗り越えて行くほかありません。 沢山のバンドがイベントライブに出演しているのを目にして、自分もいつかあそこに立ちたい!と思い、上京して夢が叶いました。 初めて市松模様の床を見た時の感動は今でも覚えています。 現在も沢山お世話になっており、沢山のバンドが今も昔も、そして未来でも音を奏でてゆくであろう新宿LOFT。 絶対に乗り越えたい、一緒に乗り越えていきたい思います。 そしてオムライスも食べたい。 <TSUKASA> マシータ (God bless you, ex. BEAT CRUSADERS, ex. NATSUMEN) 開演直前、ステージ袖のピリッとした緊急感、特にロフトのあの場所が凄く心地良くて、その空気感に包まれたままステージに向かうのが本当にすがすがしくて。 ライブで全てを出し切ったあと、打ち上げで待ってるロフト特製オムライスの旨さは格別。 会場で朝まで打ち上がって、泥酔しながらよく始発まで歌舞伎町でくだ巻きました(笑)。 思えばいろんな現場でお世話になった人たちは、話してみるとロフト出身の方が多くて。 僕はいつもこのハコにいい出会いとご縁をもらってきました。 ちなみに近い将来、僕の息子が例えば「音楽に携わる仕事につきたい」と言ってきたら「じゃあまずロフトさんでバイトしてこい!」と言ってやろうと思ってます(笑)。 そのくらい僕の音楽人生にとって、いろんな素晴らしい事を、お客さん、会場、スタッフ、ミュージシャンで一体となって体験出来たのが、ライブハウス「ロフト」で過ごした日々でした。 (今ではスタッフとして行くことが多くなりました。 )その歴史から未だに恐れ多い箱ではありますが、ある日LOFTに行ったらスタッフさんから「マスザワさんおはようございます」と言われて「おぉ、名前を憶えてもらってる!」ってとても嬉しかったのを憶えています。 お客さんとして見に行ったライブでも記憶に強く残っているライブもたくさんあります。 LOFTは僕にとってずっと憧れのライブハウスです。 大変な時期かと思いますが、LOFTはじめライブハウスが存続し、僕のような音楽に人生を狂わせてもらったような人たちの拠り所として存在し続けてください! 増田勇一【ライター】 新宿西口にあったロックの聖地が歌舞伎町に移転してから、昨年で20年が経過。 そんな節目を超えた翌年に、世界がまさかこんな事態に陥ることになろうとは。 ライヴハウスの匂い、入場時にドリンク代がかかるシステム、終演後の打ち上げが終わっても続くBARタイム。 建物の外からは想像もつかない地下世界の常識と楽しさを教えてくれたのは、間違いなくLOFTだったように思う。 その場所が、失われるようなことがあってはならない。 歴史が染み付いた場所だからではなく、これからも新たな歴史が作られていく場所であるはずだからこそ。 三浦コウジ 音楽をやっててよかったなと思ったのは、新宿LOFTではじめて演奏した日。 部屋でひとり作った曲を市松模様のステージの上で大きな音で鳴らした瞬間、今でもよく覚えている。 ここで演奏したことをきっかけに出会えた人たち。 その繋がりがいまの自分を支えている。 できるだけ過去のことを思い出したり、後悔しないよう心がけて毎日を過ごしているけれど、ふとした瞬間にタイムマシーンがあったら、バンドも私生活も調子が良かったあの頃へちょっと戻ってみたいなと思うときがある。 音楽を取り巻く環境はきっと変わっていくだろう。 どんなに状況が変わってもタイムマシーンに乗る必要がないように、新宿LOFTはずっとずっとここに存在していてほしい。 MIGIMIMI SLEEP TIGHT LOFTは演者としても、観客としても、沢山の思い出が詰まっていて、もう一度足を運びたい場所です。 また再開する日を楽しみにしています。 <Vo. 宮川依恋> 僕にとって本当に思い出深いライブハウスの一つが新宿LOFTです。 たくさんイベントに出演させていただきました、立地やハコの作り全部が僕にとっては落ち着くまさにTHE LIVE HOUSE。 初めてステージに立った時の「ここがLOFTなんだ」という気持ちは今でも覚えてます。 また「ここがLOFTなんだ」という気持ちをステージで感じられる日を楽しみにしています。 <Gt. 涼平> 新宿LOFTはロックバンドのライブに訪れたことがある人であれば、知らぬ人を探すほうが困難なほど、有名で、歴史があり、出演者にも、オーディエンスにも愛され続けているライブハウスです。 築きあげられてきた日々の歴史、伝説の夜の数々、その出来事はきっとこれからも起き続けるだろうし、それを夢見る音楽家も、止まない感動を得るオーディエンスもたくさん産み続けるライブハウスです。 僕もそのたくさんの中の1人。 大人になってからもTokyo New Waveでデラシネ、ヨルズやPOLYSICS等のシビれたライブを見たのを今も記憶しています。 これからも日本の音楽史で欠かせることのないライブハウス。 この状況を乗り越えていけますよう、心から祈っております。 <Dr. Perc. 松本誠治> Mr. ChickenHat Timers 新宿LOFTさん 大きな憧れがありました。 たくさん出演させていただきました。 たくさんの思い出がある場所です。 今までも、そしてこれからも。 またステージに立てる日を心待ちにしています。 乗り越えましょう! <Vo MIKI> Mr. ChickenHat Timersで出演させてもらった時にスタッフさんの皆さんにとても良くしていただけた記憶があります。 出演者とスタッフ様達でその日を良い一日になるようにできるそんな場所です。 老舗、憧れの地、それはやはりあるけど人と人の関係が良くないと良いものなんて作れないと思います。 おかげさまで新宿LOFTでのライブは本番はもちろんのこと終わってからの打ち上げまでもとても楽しかったです。 また立つ日を楽しみにしてます。 乗り越えましょう! <Ba YU-TA> ドラムセットへ座った時、初めて感じた気持ち、言葉に出来ない想いを経験させてくれた大切なLive house。 幾つになっても、自分を奮い立たせてくれる場所が永遠に続く事を祈っています。 でも、その理由は一つです。 「新宿LOFT」があったからです。 音楽人としてずっと憧れであった場所で見放題を開催したかった。 見放題東京初開催から6年。 TOKYO CALLING開催4年。 最初は老舗ライブハウスの厳しさをスタッフの皆さんから嫌ってほど感じてましたが、今じゃ顔を見るとホッとするし、笑顔で迎えてくれる事、本当に嬉しく思っています。 これからもこの場所で見放題を続きます!最後に一言。 樋口さん!スギム毎回絶対持ち時間押すけどそんな怒らないでください!笑 mi mi re 新宿LOFTに初めて立ってから7年。 今では一番ライブをした場所で、バンドの思い出=樋口さんとの思い出と言ってもいいくらい、樋口さんにはいつもお世話になっています。 メンバーが免許を持ってない頃、樋口さんが休日返上して捻挫している足で仙台まで運転して下さったり、お酒を飲みながら悩み事を聞いてもらったり。 バンドのお母さんみたいな存在でした。 「水上カルビが打ち上げにいると安心する」と何気なく言われたこと、行き詰まった時にふと思い出します。 早くロフトをパンパンにしたい、恩返しがしたい。 新しいバンドを始めた時も、またロフトに立ちたいというのが先頭にありました。 どうかこの状況を乗り越えて、親孝行させてください。 <永井風思> メトロノーム 新宿ロフトといえばロックを志す者の聖地です。 自分も小滝橋時代にメトロノームの前身バンドでオーディションライブに出演し、見事に落とされたという華々しい思い出があります。 まあ今思えば吉田拓郎の結婚しようよのパンクバージョンを、碌に歌わず床でゴロゴロしてるバンドもどうかと思いますが。 その後メトロノームとしてロフトだ!という勢いでワンマンをさせて頂き現在まで数々のイベントに参加させて頂いています。 四半世紀たってもなお自分にはロックの聖地としての憧れであり、ロックをやってきた自分へのご褒美でもある新宿ロフト。 市松模様は変わらずあって欲しいという個人的で自分勝手な願いではありますが、またその場所に立ちたいという思いです。 オムライス楽しみにしています。 当時の店長の大塚さんに対バンしたい相手を聞かれ、真っ先にミチロウさん!と答えた。 「これは絶対無理だろう」なんて思いながら。 そんな無茶なブッキングをマジで叶えてしまう箱!!後日対談までさせて貰えたのは、今でも俺の宝です。 2014年には戸川純さんとの対バンで「電車でGO」を一緒に歌わせて貰った。 無謀な夢を叶えてくれる場所、新宿LOFT。 沢山の夢が詰まった白黒の市松模様のあの場所でまた会いましょう。 <Voガラ> メレンゲ メレンゲにとって新宿loftはライブのスタート地点でした。 その後も重要なイベントを開催するときはいつもここだったような気がします。 併せてメレンゲはインディーズレーベルもloftであった事もあり、打ち上げやらミーティングやらここで作られた出来事や学んだものは数えきれません。 当然loftは不滅ですがまた新しい挑戦も応援しています!これからもよろしくお願いします! <クボケンジ> 新宿LOFT出身です、と胸を張って言えるミュージシャンは、幾多のステージを踏んだミュージシャンの中でも数えられるほどしかいないんじゃないかな。 僕がはじめて新宿LOFTのステージに上がった2003年から、ライブはもちろん、インディーズでCDを作ったりと、僕のミュージシャンとしてのはじまりの場所だ。 だから、僕は新宿LOFT出身と胸を張って言える。 ライブをすれば、馴染みのスタッフの皆さんが迎えてくれ、終われば朝まで反省会の名の下、打ち上げ。 歌舞伎町の早朝は僕の青春の景色だ。 ステージから観るお客さんの笑顔、客席から観るステージとお客さんとの一体感。 想像しただけで、身体が、心が興奮を思い出す。 ライブがしたい!!!という気持ちが込み上げてくる。 ミュージシャンとしてのはじまりをくれた、新宿LOFTが、ライブハウスが、改めて活気を取り戻すために、その場所を守るために出来る限りの力を捧げます。 がんばろう!楽しむことができる明日のために。 <タケシタツヨシ> モーモールルギャバン 新宿LOFT、ここ10年くらいその伝統あるステージに我らモーモールルギャバンも年に1〜2回ほど立たせていただいてきました。 ケラリーノサンドロヴィッチさんからイベントに誘っていただいた時や、大槻ケンヂさんがリハを覗きに来てくださった時はダイレクトに歴史の深さを実感しました。 そして数々の猛者との共演、マキタスポーツさんやDJ後藤まり子さんや侵攻方向別通行区分やニガミ17歳や忘れらんねえよやゲスの極み乙女や、色んな音楽を全身に浴びて浴びせて狂熱の夜の打ち上げには最高のオムライス。 そんな我々にとって当たり前の日常を今はとても恋しく思います。 早くまたあのステージに立てますように!<ゲイリー・ビッチェ> ヤマザキタケシ【ドラマー】 自宅以外に『ただいま』と言える場所はありますか?僕がロフトに初めて出演させていただいたのは以前に所属していたバンド 「メレンゲ」の初ライブで、確か2002年だったと思う。 その後もライブ出演は数え切れない程させていただいたのだけどもそれだけに留まらずインディ版をロフトレーベルからリリースさせてもらったり、ロフト所有の機材車に乗って全国ツアーしたりと。。 思い出は書き出したらキリがないし感謝を書き出したらもっとキリがない。。。 ロフトという場所、そこで働く人々、そしてそこに集まる人々 その全てが僕にとって帰れる場所です。 この苦境の先の『ただいま』って帰れる日を心から楽しみにしてます。 やまだともこ【ライター 】 初めて開演前のロフトに足を踏み入れた時に感じた独特の雰囲気。 これから、ロフトグループで働くんだというワクワクした気持ちは今でも忘れられません。 私の二十代と三十代を過ごしたライブハウス。 いろいろなライブを見て大いに刺激を受けたり、ここで出会ったたくさんの人の顔が思い出される大切な場所。 ロフトグループを退職して5年が過ぎ、静岡に引っ越したためなかなかロフトに行くことはできませんが、樋口さんに声をかけてもらい今年の春にひさしぶりにライブに行く予定でした。 長い戦いになるかもしれませんが、またライブに行けることが日常になったらロフトに行きたいし、やっぱりライブを生で見たいし、爆音で音楽を聴きたいし、ロッキンコミニュケーションがしたい! そのような日を1日でも早く迎えられるよう、今私ができることをしていきます。 大事な場所をなくさないために。 ヨイズ 僕が初めて新宿LOFTに出演させて頂いたのが確か高校生の頃でした。 制服で歌舞伎町に行ったのを今でも覚えています。 そこで初めて樋口さんに出会いました。 前進バンド(赤色のグリッター)では共同企画やフェスを開催したりと、お世話になった思い出はキリがありません。 前進バンドの解散後、しばらく音楽から離れようとしていた時に最初に手を差し伸べてくれたのも樋口さんでした。 今のヨイズで僕が歌を歌えるのは新宿LOFTと樋口さんのお陰と言っても過言ではありません。 またあの市松模様の床の上で歌を歌いたい。 そう願うばかりです。 そして何より、一日も早い新型コロナウイルス感染症の終息と、新宿LOFTに関わる全ての方々のご健康を心からお祈り申し上げます。 <佐藤リョウスケ> 吉田幸司 【『ROCK AND READ』『IDOL AND READ』編集長】 自分が高校生の頃、東京ロッカーズの時代から憧れだったライブハウスが新宿LOFTだ。 『バンドやろうぜ』編集部時代は毎週のように足を運んだし、ニューロティカのSHONのイベントで2回出たこともある。 小滝橋から歌舞伎町に移転後は、自分がイベントを初主催したのがLOFTだった。 『バンドやろうぜ』企画で、2003年のことだ。 昨年からは『ROCK AND READ』と『IDOL AND READ』合同でヴィジュアル系とアイドルの対バンイベントを始めた。 自分がやるなら新宿LOFTでという気持ちは、16年経っても全く変わっていない。 新宿LOFTはライブハウスの王様なので、自分より先に逝くことは絶対にありえない。 だから新宿LOFTは大丈夫!.

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マスク焼けにも!【ロフト】優秀♡ UVケア対策アイテム8選

ロフト マスク

2020年2月は全国的に新型コロナウイルスにインフルエンザが流行しており、花粉も飛ぶ時期なので、花粉症の方もマスクがないと辛いですよね。 マスクの需要が高いために、マスクの在庫がなく、売切れが続いています。 マスクを買うために行列が出来るくらいなんですよね。 しかし、穴場のロフト【loft】でマスクが売っているとの情報があります! です! この記事では、「ロフトのマスク入荷はいつ?販売店舗や買える時間・在庫個数と買った人の口コミを調査!」と題して!• どこのロフトでマスク売ってる?販売店舗は?• マスクの入荷日はいつ?オンラインにもあるの?• 花粉用のマスクがあったんですね Loftに売ってるんですね。 この前もハンズにあったし、意外と穴場かも。 — マイ bluexblack0313 マスクの種類は、販売店舗によってまちまちのようです。 マスクが入荷して買える時間帯は、入荷数にもよりますが、 朝一に買いに行くのがベストです! フィルター研究から生まれたマスクが登場。 世界初の羊毛フィルター 優れた通気性とフィット感 マスクカバー1枚と替えフィルター2枚のセットです。 生産国はニュージーランド サイズは2種あります。 マスクを買った人の口コミ マスクを買った方の口コミをご紹介します。 少しずつマスクも手に入りやすくなってるらしいですよ。 噂なのでホントかわかりません うちは、1日でロフトで1袋ビックカメラで2袋、アインズで1袋買えました。 13枚分。 中でも、ユニ・チャームから出てるマスクは呼吸がしやすく酸欠になりにくくとても快適でした。 — 弥生 こっそりフォローする派 imasanraku8 昨日、ロフトに何度も使えるタイプのマスクが5袋くらい残ってた。 今日行ったら無くなってました。。

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ロフトのマスク入荷はいつ?販売店舗や買える時間・在庫個数と買った人の口コミを調査!|treLABO|ドラマ映画の再放送やDVDレンタル・無料動画情報サイト

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トーンアップ、直塗りスティックタイプが人気。 株式会社ロフト 株式会社ロフトでは、ロフト店舗およびロフトネットストアにて 紫外線 が 気になる季節に おすすめのUV対策アイテムを 特集しています。 昨年に引き続き人気のトーンアップタイプや、手が汚れない直塗りタイプ、昨年から徐々に種類が増え始めた環境配慮型の日焼け止めに注目が集まっています。 また、日傘はロフトオリジナルデザインを中心に、自動開閉、軽量型などの機能商材を拡充し展開します。 【 直塗りスティック型。 いつでもどこでも瞬間サラサラ 】 気になった時にさっと直接塗れるスティック型は今年も 人気。 手も 汚れず、手の甲や足の甲、 首筋など塗りにくい場所や忘れがちな場所の ケアが簡単 にできます。 パウダーインタイプで、何度塗り直してもサラサラの使い心地。 メイク下地としてもおすすめ。 数量限定品。 4時間耐水で男女共に使いやすい無香料。 限定カラーのミントグリーンもあり。 メイクの後にシュッと一吹きするだけで、メイク崩れやテカリ、紫外線を予防してくれます。 ワンタッチで開け閉め可能な自動開閉タイプ。

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