あすなろ 物語。 あすなろ白書

あすなろ物語 : 作品情報

あすなろ 物語

かなり久々にへ。 監督、映画『』を観賞。 堀川監督の記念すべき第一回監督作で、氏の原作を氏が脚色した文画です。 控え目に云って、 全年齢向けおねショタ映画。 俺得 主人公・梶鮎太の姿を、少年の転換期と云える「小学生」 12歳 、「中学生」 15歳 、「高校生」 18歳 のそれぞれ異なる境遇の中で捉えて、異性に対する憧れや畏れ、葛藤を、冴子、雪枝、玲子の3人の女性から感受しながら成長していく過程をリリシズムで湛えた作品で、鮎太の成長に合わせて各時期異なった俳優を配役している。 その為、各時期明確に場面が区切られるので、3部構成のオムニバス形式とも見受けられるが、終始1人の少年の魂に焦点を当て続けており、何者でもない少年が明日は檜の様に大きく成長しようと奮起する姿が誠実に貫かれている。 鮎太の成長を捉えたのは、全て最終学年の時期。 受験とは社会に入る為の作業であり、少年時代との決別を象徴する儀式。 しかし、本作に於ける受験とは、亡き祖母が命を懸けて願った鮎太の大学進学に向けてのステップアップであり、決してネガティブに描かれていない。 上述の通り、鮎太はそれぞれの時期に異なる境遇で別々の女性との出会いと別れを経験する。 物語の冒頭、鮎太寒い冬の日。 祖母の手1つで育てられた鮎太の元へ、祖母の妹の娘・冴子 18歳 が現れる。 冴子は美しい娘であったが、奔放な行動が目立ち、女学校を退学させられて祖母の許へ引き取られてきた。 冴子は鮎太に自分を「お姉さん」と呼ばせた。 獰猛で気性の荒い不良として鮎太に振舞っている一方で、町の温泉宿に来ている胸を病む学生・加島へ密かに恋心を抱く繊細な少女であった。 冴子は度々夜になると家を抜け出して夜中まで帰らない日が続く。 或る日、夜中に目を覚ました鮎太は冴子に「どこへ行ってきたの」と尋ねると、耳元に口を寄せて「トオイトオイ山のオクデ フカイフカイ雪二ウズモレテ ツメタイツメタイ雪二ツツマレテ ッテシマウノ イツカ」と囁いた。 間も無くして加島と冴子が深い雪山の中で心中した。 鮎太の目は真っ直ぐ冴子の死体を見詰めていた。 3年後、鮎太15歳。 育ての親であった祖母が亡くなり、鮎太の身は溪林寺の住職の元に引き取られ、寺の娘・雪枝 20 と出会う。 雪枝は、心も体も健康で快活な女性だった。 鮎太は只管勤勉に励み、努力した。 学校の成績も良かったが、鮎太の才能が気に入らない上級生から殴られ、鮎太はになる。 雪枝は寝込む鮎太に「勉強が出来るだけでは駄目、男はもっと強くならなくては」と言い聞かせた。 それから雪枝に励まされながら、鮎太は唯一出来るスポーツ ? 鉄棒を繰り返し猛特訓。 そして秋の運動会で、大車輪の優勝争いに見事勝利、上級生に勝ったのだ。 時は流れ、雪枝の嫁入りが決まった。 その雪枝の元へ、執拗に付き纏っている不良青年から呼び出しがあった。 それを知った鮎太は、雪枝の代わりに夜の海岸へ向かい、不良青年と格闘。 相手は鮎太の勢力に負けて退散していった。 半ば意識を失ったかの様に横たわる鮎太の目の前に、雪枝が現れた。 二人で横たわる夜の海辺。 「僕はやっぱり翌檜だね」と呟く鮎太に対し、雪枝は「でも私、翌檜は好きよ。 毎日檜になろうと考えているだけで立派だわ」と云い残し、静かに翌檜の歌を唄い出した。 又3年後、鮎太18歳。 桜が綺麗な春。 東北の高校に進学した鮎太は、下宿先の家の女主人の娘・玲子 20 と出会う。 家には、女中のとみ、他の下宿人である軍人の木原、医師の江見、教師の佐山、失業中の竹中が居た。 初めて密接した大人の世界に狼狽える鮎太を玲子は揶揄いながらも親切にした。 鮎太は、そんな天真爛漫で美しい成熟した玲子の魅力に惹かれて行った。 やがて玲子に縁談が持ち上がる。 玲子は、零落する家の為に気に染まぬ結婚をしなくてはならなかった。 城跡の石垣の上に佇み、落胆する鮎太の下を、玲子が歩いて来た。 声を掛けた鮎太に対して玲子は「私が本当に好きだったら、そこから飛んでご覧なさい」と意地悪そうに笑うと、鮎太は躊躇いもなく玲子の元へ石垣から飛び降り、崩れ落ちた。 驚いて鮎太の元へ駆け寄った玲子は、鮎太に接吻をした。 鮎太の本心を知った玲子は、別れるのが彼の為だと判断。 玲子の心遣いにより、鮎太は家を立ち去る事になる。 それが、どうする事も叶わない玲子なりの鮎太に対する愛情であった。 別れの日、鮎太は「檜になりましょう」と誓い、玲子の元を去って行った。 …登場する3人の女性の存在意義を考えると、やはり鮎太にとって、姉であり、母であり、恋人なのだろう。 鮎太が出会った女性は皆揃って 女王様気質と云いますか、 「お姉さんと呼びなさい」とか 「私が好きならそこから飛び降りなさい」とか、 支配欲と心の塊って感じでSっ気の強い御姉様ばかりで萌えた。 萌えたのかよ 女性陣に共通しているのは、全員表面ではとても活発で気丈な大人なのに、ふと隙間を除くと、センチメンタルな乙女心を抱いてる孤独な少女である事。 冴子は、不良少女と呼ばれ生意気に振舞っていたが、直向きな恋に心中した繊細な少女だったし、雪枝は、逞しい姿勢と根性で落ちぶれ掛けた鮎太に勇気を与えた存在だったが、不良少年に執着されてどうにも出来ない感傷的な一面を持っていた。 又、玲子も不幸せであった。 八方美人で性格の歪んだ姿が憎らしくも愛らしい玲子は、気に染まらぬ結婚を家の将来と母の為に担い、誰もいない所で一人で涙を流す臆病な少女だった。 そんな女性達と出会い、別れを経験した鮎太は何を思ったのか。 3人の女性を通じて、鮎太は秘かに著しく成長した。 第一に印象に残るのは、鮎太が女性に抱く感情の描写。 12歳の頃、横に寝ている冴子の寝顔をじっと眺める眼差しは美しさ故か否や。 15歳の頃、雪枝に纏わりつく不良少年を退治したのは、雪枝の為でもあり、自分の為でもあったのではないか。 雪枝を取られたくなかった 夜の海辺で横たわる鮎太を抱きかかえようとする雪枝に対して「もう少しこのままでいたい」と要求する=雪枝とこのままずっと一緒に居たかったのではないのか。 18歳の頃。 衝動的な恋愛感情と言い包めてしまえばそうかも知れないが、例の飛び降りは危険を顧みず、相手に対する好意を証明している。 孰れも恋愛と呼ぶにはまだ曖昧で些細な感情かも知れないが、そこに微かに芽生えるくすぐったい感情が愛なのか。 孰れの女性とも、鮎太との間に絶妙に性的描写が仕込まれていますが、これを性の目覚めと呼ぶには、余りに神聖過ぎる表現の数々。 例えば、冴子は寝床で耳元に囁く魅惑的な唇と目とか、雪枝は入浴で露出した肌とか 夜の海岸で鮎太の顔を覗き込んでるのも僕的にはちょっとドキドキしたけど 、玲子は問答無用の接吻…と云いたいとこだが、暗がりの中で秘め事発表会もだいぶスケベじゃねえか…!?、と云う具合に、鮎太の成長と共に進展している。 鮎太の成長には、常に年上の女性が寄り添っていますが、鮎太が成長の過程で重きを置いている「翌檜信念」は、意外にも鮎太が12歳の頃出会った冴子の恋人・加島から得ている。 「翌檜は、"檜になろう、明日は檜になろう"と毎日考えている木。 しかし、翌檜は永久に檜にはなれない。 それから、鮎太は加島が残した「檜になろう」と云う言葉を胸に、「明日はなろう あすなろう 」と常に努力を怠らない少年に成長した。 翌檜の存在自体、明日への希望を抱きながら一生懸命に生きる少年の象徴と云いますか、瑞々しい印象を受けます。 それにしても興味深いのは、恋に心中した冴子の年齢と鮎太が玲子に恋をした年齢がリンクする事。 鮎太は、恋に死んだ冴子を知ってるから玲子に「私が好きなら飛び降りて」と云われた時に素直に従ったのだろうか。 その時きっと12歳の頃には解らかなかったであろう「冴子が加島を想う気持ち」を鮎太は知ったのかも知れない。 余談だが、僕は雪枝が一番好き。 役者の根岸氏が持つ野生美の影響もあるが、一番母性を感じた存在。 鮎太にとっても、最も多感な時期であったろうし、に陥り、行き詰った時に勇気を与えた。 で家で寝込み、雪枝が説教している場面は少しばかし、甘え方を解っていない鮎太が、雪枝に甘えている様に見える。 雪枝は「僕は翌檜だね」と卑下する鮎太に対して「檜になろうとする翌檜が好き」と鮎太の信念と姿勢を評価し、最後まで鮎太の味方だった。 鮎太がノートに書いていた翌檜の歌を勝手に雪枝が読み上げて、鮎太が怒って雪枝追い掛け回すシーンの雪枝の小悪魔キュートな笑顔ったらもう…… 天を仰ぐ のに乗せて披露された「あすなろの唄」は、若さ溢れる力強さとは裏腹に哀愁が漂う。 20代も半ばに差し掛かった僕でも、薄々解ってるんだ。 翌檜はきっと、所詮翌檜。 檜になりたいと願いながら、永遠に檜にはなれない哀しみを背負って生きていくのだと。 鮎太は、最後まで前向きに生きて行きますが、明るく笑っている印象よりも、鬱屈とした悲しい表情が印象に残っている。 もしかしたら、翌檜の残酷な運命を予見していたのかも知れないね。 女性陣、氏 玲子 、氏 冴子 、根岸様 雪枝。 久保賢君は、様の。 横顔だけ似てた 伊東隆君は、一般公募1200人から選ばれた幸運の中学生! zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz.

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井上靖「あすなろ物語」のあらすじを教えてくださいっ!

あすなろ 物語

井上靖「あすなろ物語」 井上靖「あすなろ物語」 井上靖の小説「あすなろ物語」を読んだ。 先日読んだ「しろばんば」がなかなか面白かったので、やはり井上の自伝的小説として名高いこの作品も読んで見ようという気になったのである。 だが読後感は、期待していたほどのものではない、と言うのが正直なところだ。 「しろばんば」に比べて非常に粗削りだし、自伝的小説と言うより、自伝そのものを読まされているような気がした。 「しろばんば」にくらべると、文学的な香気というものが足りない、そんな印象を持った。 「しろばんば」は500ページ以上の紙幅を費やして、井上の幼年期のみを描いているのに対し、この「あすなろ」物語は、200ページ余りで幼年時代から壮年時代までをカバーしている。 しかも舞台は、戦前の片田舎ののんびりとした光景から、戦争を経て戦後の焼け野原の光景に至るまで、実に多彩だ。 これを短い紙幅でカバーしようというのだから、記述が年代記のようになるのは、致し方のない面もある。 幼年時代の部分は勢い「しろばんば」との比較を強いる。 「しろばんば」のおぬい婆さんは、ここでは主人公鮎太の祖母りょうということになっている。 その親戚にあたる冴子という女性が彼らの住む土蔵にやって来て一緒に暮らし始めるが、そのうち冴子は温泉宿に泊っている大学生と恋をするようになり、それがどういうわけか、最後には天城の雪の中で心中をしてしまう。 この部分は「しろばんば」では、大分異なったものに着色しなおされている。 冴子の女性像は、主人公耕作の叔母さき子という形に変形され、その咲子は小学校の同僚教師と恋仲になるものの、心中はしない。 そのかわり、子どもを産んでまもなく、肺病で死んでいくということになっている。 また、冴子の相手の大学生は、耕作の勉強の面倒をみてくれた教師という形で造形しなおされている。 こんな具合で、「しろばんば」と「あすなろ物語」は、井上やすしの幼年時代を、多少違った切り口で仕分けたともいえようが、「しろばんば」の方が各段すぐれているのは、それが「あすなろ物語」より数年後に書かれ、しかも子供の視点にたって、子どもをとりまく世界を抒情的に描き出していることに由来するのは、いうまでもないことだろう。 「あすなろ物語」には、成就されなかった恋愛が描かれる一方、結婚した女性(妻のこと)と主人公との愛は語られることがない。 そのかわり語られるのは、焼跡で知り合った不良少女との淡い恋愛遊びであり、新聞記者の同僚の妹から寄せられた仄かな恋情についてである。 この小説を読んでいると、井上靖と言う作家は、恋愛を描くのはあまり得意ではないのだなと感じる。 断定的できびきびとした文体が、男女の間の曖昧な関係を優艶に描くには適していないからだろう。 その文体は「しろばんば」では成功していたが、それは子どもの視界にあるものを淡々と描くことによって、かえってその視界を、読むものにくっきりと浮かび上がらせる効果を持ったからではないかと思う。 井上のこうした文体は、男同士の関係を描くのには向いている。 この小説には、新聞記者としてライバル関係にある他社の左山という男が登場するが、その男との友情でもなく、かといって敵対でもない、複雑な関係をよく描き出し得ている。 たとえば、左山が、或る女をものにした後で、その女との別れ話を、鮎太に依頼するという場面がある。 鮎太は左山には反感を覚えているので、その依頼を断る。 そのあたりを井上は、実に心憎く描いている。 「君に仲に立って貰って、うまく収めないと、この問題は厄介だな」 「そういう役は辞退する」 「どうしても嫌か?」 「嫌だな」 左山町介は冷たい視線を鮎太に投げると、意味不明な笑いを残して、ついと席を立って行ってしまった。 左山町介が、佐伯英子と結婚式を挙げたのはその年の秋である。 この短い文章から読み取れるように、文体そのものは乾いていて、しかも論理的である。 つまりリアリズムの文体そのものだ。 その乾いた文体で男女のことを描くとどういうことになるか。 それを井上は実験的に見せてくれるのである。 この小説の最大の見どころは、戦後の焼跡でくっつきあった一対の男女、闇屋の熊さんとその内儀のなんともいえない関係だろう。 熊さんは闇屋の商売を、他人の土蔵を無断借用して成功させるくらいだから、生きるバイタリティに溢れている。 内儀の方は、がさつな熊さんとはかなり違った世界で育ってきたらしいが、戦後の焼跡で途方に暮れ、一人息子と共に生きていくために、熊さんの情になびいた。 しかし、もともと育ちの違う二人のこと、生きていくあてが出てくるとともに、内儀にはガサツな熊さんが堪えられなくなる。 その結果は別れ以外しかない。 熊さんは一人娘を連れて、伊那谷にある係累を頼って去っていくのである。 それを駅で見送っていた内儀が 「おっさん、とうとう往ってしもうた」 そう、ぽつんという。 ここでこの小説は実質的な幕となる。 こういう場面を印象的に描き出すのにも、井上の乾いた文体は独特の効果を発揮するようなのである。 検 索.

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あすなろ物語 : 作品情報

あすなろ 物語

【アスナロとは】 ・本州、四国及び九州に分布する日本固有の常緑針葉樹。 湿気のある肥沃な深山を好んで自生するが、人工的に植栽された例も多い。 青森及び石川のアスナロが特に知られる。 ・葉はに似るが、より分厚く、長さ5~7ミリと大きい。 同じような「鱗型」では最大の葉を持つ。 葉の裏側にある白い模様(気孔帯)も特徴的であり、似たようなヒバ類と見分けが付く。 葉の先端は尖らない。 たくさんの枝が分岐しながら水平に広がり、樹形全体としてはピラミッド型になる。 ・名前が知られているわりには庭木として植栽される例は少なく、材木としての利用が多い。 江戸時代にはヒノキ、、、と共に木曽五木として幕府によって厳重に保護された。 一般にヒバ材という場合、本種及びその変種であるを示す。 ・幹の直径は最大で1mほどになる。 樹皮はヒノキに似た赤茶色か灰褐色で、色はより薄い。 樹齢を重ねると樹皮は縦に裂けて剥離するが、その幅はヒノキよりも狭い。 樹皮は屋根葺きに使われる。 ・材は良質で湿気に強く、白アリに対する耐久性もあることから、土台を始めとした建築用材、床柱や長押などの内装、仏像に使われる。 ヒノキと同じ香りがあり、その分布が少ない東北地方では同じように扱われる。 ・アスナロという名前には、葉の厚いヒノキ、気高いヒノキという意味がある。 漢字表記は「明日檜」「翌檜」。 一般的には「明日はヒノキになろう」説が好まれ、材木としてヒノキより安価なアスナロを人間に例え、今はダメな自分でもいつか成功してみせるとい人生訓に使われるが、アスナロが成長してヒノキになることはない。 ・雌雄同株で、あまり目立たないが4~5月に花が咲き、10~11月ころには角のある実(球果)ができる。 自生地において 花粉の交配は厳寒の吹雪の中で行われるという。 球果は楕円形であり、球形になる檜とは異なる。 【育て方のポイント】 ・日当たりの悪い北向きの斜面に純林を作るような木であり、日陰に相当強い。 特に若木は暗い林の中で育つ。 ・枝葉は密生するが、幼木時は成長が遅く、剪定の必要性が低い。 なおかつ剪定に弱い。 ・寒さに強いが乾燥には弱い。 ・病害虫の被害はほぼないが、稀にテングス病に罹患して枝葉がヒジキのようになることがある。

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