歌詞が薄っぺらいアーティスト。 多くの人が共感する歌詞には2種類ある?

リンダ リンダ THE BLUE HEARTS 歌詞情報

歌詞が薄っぺらいアーティスト

Yahoo! で「ポルノグラフィティ」と打つと真っ先に出る「ポルノグラフィティ 歌詞 薄っぺらい」の文字。 しかし「は?上等じゃねぇか戦争だコラ」といくら該当ページを探しても雲散霧消、なんにも出てこないのでただただモヤる。 そもそも「歌詞が薄っぺらい」ってのはそんなに悪いことなのか。 たしかにポルノグラフィティ、特にギターの新藤晴一という男が書く歌詞は基本的に回りくどいものが数多くある。 例えば有名なシングルで『ネオメロドラマティック』って曲がありますが、そもそもこの言葉自体が造語、歌詞の内容も終始意味がわからず聴いてると「ネオメロ?は?ナメック語?」みたいな気分になってくる。 だからこういう曲を「薄っぺらい」と言われると俺はなんにも言えません。 聴いてるこっちもよく意味わかってないから。 そう考えると、ポルノの歌詞を薄っぺらいと評する人の気持ちはわからんでもない。 意味のわからないもの、理解のできないものに出くわすと人は思考が停止し、時に強い言葉を使って拒絶する。 俺も「こんなん社会に出てから使わねーだろバカバカしい」そうやって「さんすう」が「数学」に「りか」が「物理・科学・生物」に変わったあたりから勉強諦めたクチです。 逆に童謡「こぶたぬきつねこ」なんかの歌詞を「『こぶたたぬきつねこ』とか歌詞薄っぺらくて聴いてられねぇわ、あんなの聴くの馬鹿なガキくらいだろwww」とバカにする人間は一人もいない。 もしいたら速攻で通報してそっから逃げてください。 それよりKiroroなにしてんの? 話を戻すと、ポルノグラフィティ・新藤晴一は「愛してる」「頑張ろう」という言葉を使わずにそれをいかにして伝えるか、ということにこだわっているフシがあって、そうすると必然的に歌詞は薄まり濃縮還元100%とはいかなくなる。 例えば「女の胸を揉みたい」ってメッセージひとつとっても、長渕剛は「そんな事より俺はお前をベッドに引きずり込み!素っ裸のお前の胸にしゃぶりつく!」と書くが新藤晴一は「Dive in the girl. Dive in the mother's sky 両手を合わせて乳房もとめて〜」と書く。 長渕剛がポンジュースだとしたら、たしかに新藤晴一はQooなのかもしれない。 でも、俺はそれを悪いとはみじんも思わない、手を変え品を変え「愛」とか「恋」とか「夢」とかいう普遍的なものをいろんな角度、いろんな言葉で表現してくれるからこそはじめて聴いたときには意味がわからなくても、100回目に「あっ…ア!ボイルした時計の皮剥きってもしかしてこういう意味だったのかよ…」とストンと腑に落ちる、この感覚がたまらなく気持ち良くて、これを味わいたくてたぶん俺はポルノグラフィティの曲を聴いてる。 だからもし「ポルノグラフィティ 歌詞 薄っぺらい」の検索候補を見て腹を立ててる人がいたらちょっと待って、お兄さん。 ポルノグラフィティは歌詞が薄っぺらいのが最大の魅力だろう?もし次のシングルのタイトルが「100万回のア・イ・シ・テ・ル 〜君に贈るラブソング〜」だったらどうだ?ん…?あれ…?そっちのほうが薄っぺらくねえか?は?てゆうか「歌詞が薄い」ってなんだ?逆に「あのアーティストの歌詞って濃いよね」なんて話すんのか?薄いとか濃いとか食い物じゃねぇんだぞ。 えっ、これもしかして近所に最近できた定食屋「ポルノグラフ亭」の話? もうわけわかんねぇ…薄い歌詞濃い歌詞ってなんですの?もしかして適当言ってんじゃねえだろうな。 うわ、なんか腹立ってきた。 そもそもな、そんなにストレートな濃いメッセージが欲しいだったらな、歌なんて聴いてんじゃないよ。 松岡修造のホームページへ行け。 「今日からお前は富士山だ!」とか言ってくれるから。 ikdhkr.

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「ポルノグラフィティ 歌詞 薄っぺらい」

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西野カナの歌詞を聴いてて思 う事は西野カナの歌詞は詩ではないし、言葉=ことのは、でもない。 しいて言うなら超くだらない顔のデカイ女の勘違いに基づくおし ゃべりですな。 私がプロの作詞家として敬愛して止まない松本隆先 生の広がる情緒や行間の余韻がまるでないのだ。 松本隆先生が寺尾 聰に書いたルビーの指輪の歌詞こそが詩なのだ。 命の重さを枯葉に 例えるなんて西野カナには絶対に無理だし。 よく言われてるように西野カナの歌詞は超が付くくらいワンパター ン。 10年間ずっと震えてる印象しかないね。 ま、それに休業したくなる気持ちもわかる。 アホなりに正しく自分を定義して全てを受け入れて欲しいという、 10代の女子なら許される女子が恋愛に一度は抱くしょうもない幻想 を恥もてらいもなく殴り書きしただけの安っぽい歌詞がなぜか当た ってしまったんだな。 30代であんな薄っぺらい歌詞の楽曲作ってたらアーティストとして の未来は無いな…。 竹内まりやみたいに加齢に伴う叙情感溢れる詩 は西野カナには死んでも書けない。 書けないのに作詞を自分ですん なよ、とは思うんだよね。 20代までなら内容浅くとも雰囲気でアホなファンはついていけるけ れどアホなファンも大人になっていけば薄っぺらい歌詞に辟易する のが常ですよ。 私の知人に40代で西野カナのファンだと言う女性が いますが死ぬほど否定しておきました 笑 だって明らかに精神的に 成熟してないアホな人なのであまりに痛々しく感じてしまいまして。 ちなみにご多分に漏れず独身の女性です 笑 Darlingはカントリー系としては凄くメロディーが良い曲なのに歌詞 がクソなせいで本当に損してる。 そもそも最近の曲は歌詞が薄っぺ らすぎだからな。 駄作の連発。 歌唱力も宝塚のトップスターには遠 く及ばないし。 歌詞に関しては幼稚園児が書いたレベルだ。 あと「 君」って言葉使い過ぎだな。 愛してる、誰よりも、君、いつでも、 の言葉を使えば誰でも西野カナ風の駄作作詞は可能。 そもそも西野カナはいつまでこのペラッペラに薄い恋愛ソングを歌 うつもりなのか?ここまでもたせたスタッフはかなり優秀。 いつも 恋してる私は輝いてて可愛いでしょ!みたいな歌だけ。 あとは震え てるか。 自分でもつくづく思うのだ。 「ああ、あなたはイタイ人なんだね」って言われてしまうから。 あとは「あなたもいつも震えてるの?」ってネタ扱いされるかだ。 一つ言えることは何年経っても歌い継がれる松本隆先生の詩と違っ て西野カナの駄作を歌い継がれる作品なんて皆無って事。 ま、西野カナは若い時にユーミンみたいに中央フリーウェイみたい な歌詞すら書けてないけども。 ずっと薄っぺらい。 内面の成長を感 じさせない曲のみ。 竹内まりやの「人生の扉」みたいな詩は絶対に 西野カナには書けない。 まともな文章を読めない人には向いてる。 女子高生あたり向け。 松本隆先生のように日本語の言葉の美しさや叙情的な表現、比喩や 倒置法などの技巧を駆使し、歌い手に合った詩を創り、歌に込めた 想いを聴き手に想像させるのが本当の作詞家だ。 ストレートな歌詞 ってのはただただ薄っぺらい。 アホな人には判りやすくて理解しや すく本当に一瞬だけは流行るが誰の心にも残らない。 10年、20年後 に名曲として西野カナの曲で残ってるモノなんて絶対に無いね。 ある意味すごいと思っているのだ、私も。 本当に垂涎の駄作揃いの 歌だがデカイ顔で堂々と恥ずかしげもなくテレビに出てると「凄い 度胸」って思う。 寺門ジモンみたいな感じ。 ジモンさんはブレずに 肉への愛を貫いてるのが凄い。 多分、西野カナもこのまま痛い女を 貫けばジモンさんのように特定の分野 薄っぺらい歌詞を極めた人 で認めてもらえる存在になると思う。 あとやたらと会いたい、会えない連呼するのは何とかならんかな。 西野カナ以外にあんなに会いたい、会えないを言うのは母を訪ねて 三千里のマルコくらいなもんだぞ。 やはり日本語使う者としての責任とで もいうか。 時に生命保険営業というのは感情と論理の両方で見込み 客をがんじがらめにして契約お預かりだけでなく紹介までもってい かなきゃならないので言葉は本当に大切。

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多くの人が共感する歌詞には2種類ある?

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カテゴリ: 歌において歌詞というのは非常に重要です。 どんなに曲が良かったとしてもそれに乗っかる歌詞がイマイチであれば、その曲への評価は高まらないでしょう。 曲という素材を生かすも殺すも、歌詞次第。 もちろん、それは曲にとっても同様であり、お互いが活きるように出来ていないと曲というのは躍動しないものです。 それほど、歌詞というのは大きいウエイトを占めます。 「歌詞がめっちゃいい」には2種類ある あるアーティストの曲に対する「歌詞がめっちゃいい」という評価には、2種類あるんじゃないかと自分に考えています。 一つは、まっすぐに想いの丈をぶつける歌詞。 もうひとつは、歌詞の中に世界観やストーリーを構築している歌詞。 後者の代表的な例でいえば、BUMP OF CHICKENの名曲「天体観測」は、いろいろな歌詞の捉え方が出来る懐の深い歌詞として、多くの人に愛されていますね。 まっすぐな歌詞は共感が評価基準 まっすぐに想いの丈をぶつける歌詞というのは、その熱さや言葉選びはもちろんですが、自分の状況に近い、または自分が想像することの出来る状況の場合に、強い共感を抱くような歌詞が評価されやすいですね。 自分の感情や記憶を代弁してくれることで、その曲やアーティストについて特別感を抱くのではないでしょうか。 「まっすぐ」と「そのまま」は別物 しかし、ここでひとつ気をつけたいことは「まっすぐに伝える」と「そのまま伝える」というのは一見同じに見えますが、全く別物だということです。 伝えたい感情があったとして、それをそのまま歌詞にしたところで、それはただの感想文です。 例えば「君が好き」という感情を歌詞にした際に以下の歌詞はいかがでしょうか。 「君が好き。 どうしようもないくらい君が好き。 ずっと好き。 毎日好き。 好き好き好き。 」 想いの丈をぶつけてはいますが、情景が浮かばず、ただ言葉だけで盛り上がっているだけです。 確かに「うん、そうだね」と共感は可能かもしれませんが、なんだか薄っぺらいですね。 何の重みのない感想文に共感したくありませんし、評価もありません。 「君が好き。 喧嘩して、笑いあったりして、泣いたりして、しわの数だけ思い出を刻んでいきたい」 同じようなテーマでも、こちらの方がどのように好きなのか、自分がどうしたいのかといった意思表示や情景が浮かびやすいのではないでしょうか。 もし自分で歌詞を書くような場合、または楽曲の歌詞に興味を持った場合にこのような観点で興味を持ってはいかがでしょうか。 文学的な歌詞は謎解きの楽しさがある 一方、歌詞の中に世界観やストーリーを構築している歌詞はどのような魅力や評価基準があるのでしょうか。 いわゆる文学的な歌詞の場合には、その歌はどんな世界観であり、どんなシーンなのか、どのようなメッセージ、真相が込められているのかを追求する楽しさがあることではないでしょうか。 ただ単に小難しいことを言っていても、それが曲を通じて意味を持っていなければ、ただの難解な用語集になってしまいます。 伝えたい本命を、歌詞の合間に忍ばせ、伏線を張り、ヒントを与える。 そのように深く考え込まれた歌詞というのは、その本当の意味やメッセージが理解できたと感じる時に、、鳥肌が立つような喜びを感じます。 そのような楽曲は何度聴いていても楽しいものです。

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